2020年5月1日金曜日

「ICS軽井沢文庫だより」第29号ー2

~巻頭言~   「グリーンイースター」


宮﨑彌男

 

「山々よ,すべての丘よ、実を結ぶ木よ、杉の林よ、
野の獣よ、すべての家畜よ、地を這うものよ、
翼ある鳥よ、…主をほめよ。」
(詩編148:9,10,13)

 グリーンイースターって何だ?それは、日本語で言えば、「緑の復活節」ということになるでしょうか。英語の辞書で green の項を引くと、用例の一つとして green Christmas が出てきます。雪の降らないクリスマスのことをgreen Christmas と言うのだそうです。そうしますと、green easterは、雪の降らないイースター、すなわち、「緑の復活節」ということになるでしょうか。 
 今年のイースター(4月12日)は、新型コロナウィルス感染予防のため,ということで、外出を控えるようにとの行政上の要請があり、教会でも、礼拝集会を開催することができず、自宅で礼拝を守った所も多くあったようです。そんなわけで,少し静かなイースターだったのですが、それだけに、郵便ポストやメールボックスに「イースターおめでとう」のカードやメールを見つけたときには、喜び一入でした。
 そのような中で,一つご紹介したいのは、私のトロント時代、共に学んだ友人Perry Reckerからのイースターメールでした(注)。それには、今年のイースターのために彼が編訳したという Okke Jager(オランダ・カンペンの神学者・ラジオ説教者)のイースターメッセージ、A Green Easter が添付されていました。オランダ語から英語に翻訳されたものだけに、日本人の私には、一読、よくわからなかったのですが、辞書を引き引き,読み返して見ると、“究極のイースターメッセージ” を読み取ることができました。英語から日本語に重訳してでも、皆さんに提供できれば良いのですが、それは、今後の課題として、ポイントだけご紹介しておきます。共にグリーンイースターを喜ぶためです。
 
 冒頭の文章はこうです。「イースターに雪が降ることはめったにありません。ほぼ毎年、イースターは緑の季節です。詩編148編の作者が『実を結ぶ木よ、杉の林よ、…主をほめよと歌っていますが、イースターは、私たちがそのように歌うのに、とりわけふさわしい時です先月号の「ICS軽井沢文庫だより」(第28号)の冒頭の聖句や出だしの文章とよく似ているので、驚きました。やはり、イースターの喜びは,どこでも、だれでも同じなのですね。
 それで、ここでは、私の印象に残っている箇所を選び、そのおおまかなサマリーだけをご紹介します。O.イエガーは申します。福音書はすべてキリスト復活後に書かれたものだから、すべての記事をキリストの復活に遡って読むことができるのだ、と。例えば、ルカが、天の大軍が現れて「地には平和」と賛美した、と記した時、ルカはキリストの復活によって天地が終末に向かって動き始めていたことを喜んでいたと想像をめぐらすことができる。復活のキリストの言動を書き記している使徒言行録1章でも、ルカは昇天と再臨に触れずにはおかない(9~11節)。
 このように聖書を読むと、キリストの復活は,私たちに将来起こるべき恵みの数々の始まりであることがわかる。イエスの遺体がなくなっていた「空っぽの墓」から出るとき、私たちはそこに贖われた大宇宙への入り口を見る。エマオの先にあるのも、贖われた宇宙である。エマオの一室にしか復活のイエスを見ないものは第二戒(偶像を造るな)を破る者だ。キリストは、すでにこの時から、新しい地の再建を始めておられるのだから。復活のキリストこそ第二のアダムだ。この方は、この時すでに、1アサリオンで売られている2羽の雀(マタイ10:29)を知っておられたに違いない。マリアの目から、朝露のような涙を拭われたイエス(ヨハネ20:17)は、もともと野の花を着飾ることのできたお方なのである。私たちは、マリアが間違ってイエスを園丁だと思ったと言うが、実のところ、主は新しい地の園丁なのだ。
 私たちの生活を振り返って見ると、体は疲れ果てた兎のように、空しく、精気を失っているのではないか。しかし、イースターはそのような体を、もう一度しなやかな体に作り替えることができる。神は鹿のような足を与え(イザヤ35:6)、鷲のように飛びかける新しく若々しい力を私たちのものとしてくださる(同40:31)。情緒面でも元気になる。萎縮してしまった心はまた生気を取り戻す。私たちの目にキリストは喜びとなり、イースターには「緑はあなたのためだよ」と祝福してくださる。イースターには、金で舗装された通りの交差する広場にいるような気持ちになるだろう。これまでなかったような長期の休暇が空の墓のある庭で始まる。この墓から戻ってきた婦人たちは少しばかり若返ったように感じたのではないか。イースターには、呼吸することが、体の必要のためだけではなく、歓びの祝宴となる。
 さらに続けて O.イエガーは申します。大きな石が脇へ転がされたとき、顕わになったのは、イエスの墓だけではなかった。私たちの生活全体が同時にそこで顕わになったのだ。すべてがもはや見かけ上のことではなくなり、命を吹き返した信仰によって、私たちは新しい可能性と機会をそこかしこに見ることができるようになった。すべてを、死に至る事として見ないで、むしろ、神の心に導く事として見るようになるからだ。
 アテネには、年老いた者たちのための神殿があった。人々はそこに子供たちを連れて行った。これは良いことだと思った人が真面目な人たちの中にもいたようだ。若い時に、人生とは死に向かう行程に過ぎないことを知らせるためだ、と。一方、エルサレムの神殿は若者のために建てられていた。そこは、年老いたアンナが祈りの拠点としていたところだが、後には幼子イエスを迎える場所となる。アンナが神殿に入った時には、先ず顔を、日の沈む西方に向けて、生涯の終わりには自分も死ななければならないことを一瞬思ったかも知れない。神と会うことは死に直面することでもあった。しかし、死は、神殿に入る敷居以上のものではなく、そこから先には、真の命の始まりがある。実を結ぶ木や花に囲まれて、アンナは詩編 92:13~15 の なつめやしやレバノン杉のようになる。ひとたび神殿の中に入ると、彼女は、朝日を受けて、新緑の喜びへと導かれる。
 神に近くあることによって、私たちは、命は死の苦しみを経ても獲得する値打ちのあるものだと知らされる。
 
 以上は、Perry Recker が英訳して送ってくれた Okke Jager の A Green Easter を、私なりに、約3分の1に要約したものです。しかし、イースターの喜びを、終末論的&世界観的な拡がりの中で、改めて味わい知ることができるのではないでしょうか。思えば、日本キリスト改革派教会創立宣言(1946年4月29日、東京)が出たのも、イースターの季節でした。
 グリーン・イースター(緑の復活節)をあなたに! ハレルヤ!

(注) Perry Reckerは 、1988年4月(ちょうど、今頃の季節)、ピースボートで世界一周の途中、船が神戸に寄港した折に、私を訪ねてくれました。神戸市北区の春名純人教授(キリスト教哲学)宅に案内し(写真)、神戸改革派神学校では、チャペルトークもしてくれました。若いときの  P.R. です。同兄は、若い頃から  Calvin Seerveld(キリスト教哲学者、美学者)に師事し、その引退記念献呈論文集『ヨベルの誓い』(Pledges of Jubilee)の巻末には、全著作・講演の文献表を寄稿しています。トロントICSでは、Hendrik Hartのもとで、キリスト教哲学を専攻し、哲学修士、同教授の引退記念献呈論文集『応答性としての哲学』(Philosophy as Responsibility)にも、その著作・講演の文献表を納めており、今も、改革主義キリスト教信仰によって様々な奉仕と活動に従事している兄弟です。

 

矢内原忠雄「国家存亡の危機」

 
 この講演は、矢内原が、敗戦の翌年、1946年2月11日におこなったもので、解説を付して、ご紹介したいと思っていましたが、今回は、私のミスで、(同時期になされた矢内原の)他の講演(「日本の傷を医す者」)を入力してしまいました。次号に掲載します。

 

L. プラームスマ著

『キリストを王とせよ―アブラハム・カイパーとその時代―』

宮﨑彌男訳

ー第28号より続くー

第2章 試行錯誤:時代の神学 



合理主義

A.カイパー
 19世紀の前半、古い合理主義を代表する思想家の影響はまだ残っていました。もともと敬虔主義的であったハレ大学においては、ユリウス・ヴェグスハイダー(1771-1849)によって合理主義が説かれていました。1815年に出たその著書『キリスト教教義神学要綱』は8版を数え、当時の標準的な神学教本となりました。人間理性に対する単純素朴な信頼のゆえに、ヴェグスハイダーは、宗教改革の原理(キリストの恵みにより、信仰によって得られるあがない)に替えて、人間による自己贖罪の原理を説きました。キリストはその模範となられたというのです(注1)
 同じように、福音書の注解を書いたH・E・G パウルス(1761-1851)は、キリストの復活は、仮死状態の身体の覚醒に過ぎなかったと主張しました。また、キリストが湖面を歩かれたと言われているのは、実際には、湖岸を歩いておられたのだと主張しました。このような考えは、18世紀的な思惟の生みだしたものですが、19世紀の自由主義思想の背後になお残っていたのです。
 後でくわしく見るシュライルマッハーは、確かに、合理主義者と呼ばれることを喜ばなかったことでしょう。しかし、フォン・シュタイン男爵が、「教職の地位を解かるべき12名の合理主義者に対しては、強い処置が取られるべきである」との見解を公にしたとき、シュライエルマッハーは、公表された書簡の中で、自分は固定的教理条項を耳にして突然のように闇に囲まれ、自由な光に戻ろうと扉を探そうとする者」のように感じた、と告白しています(注2)
  1832年に、ヴァイマールの宮廷付牧師であった J.F.レールによって、のような合理主義的な信条が作られました。
 われわれが,最も完全な存在者、世界の創造者、賦与者、支配者として、また、人類の父として、心を尽くして礼拝すべき真の神がおられる。この礼拝は、第一義的には、徳と正直を求め、肉的情欲に対して良く戦い、iイエスの模範にしたがって生きる義務の遂行へとふさわしい献身を求めるものである。このように礼拝する者に、神は、世の様々な困難の中にあっても、父らしい助けを与え、道徳的に至らないところがあっても、恵みと
と憐れみにより、死後のより良い,祝福された命による慰めを与えてくださる(注3)
 同様の合理主義は,この時代のオランダにおいても,支配的でした。フルン・ファン・プリンステラは、次のように記しています。
 肉において啓示された神であるキリストは,他の被造物よりも高位の神的存在とされた。聖霊は神的力以外の何ものでもない。原罪とは,道徳的腐敗、弱さ、不完全さ、完全への可能性であった。仲保者の受難と死によって知ることができるのは、万人に対する神の普遍的愛の証明以外ではない。再生、回心、聖化は,道徳的向上、徳の実践の開始と成長に姿を変えた。また、天は、目立った大きな罪を犯さなかった者には,すべて開かれるようになった。(注4)
 カイパーは,後に、「オランダの諸教会を除き、すべての欧州教会を骨の髄まで凍らすことに成功した合理主義の呪い」について記すことになります。カイパーは,当時、ヴォウブルッヘのオランダ系スコットランド人の牧師で、時代の精神に抗っていた強固なカルヴィニスト、アレクサンダー・コムリーについて書いていましたので、オランダの諸教会の状況を例外にしたいと思ったようです。
(注5)。
 カイパーが合理主義のことを人を凍らせる冬の風に喩えたことは、正しかったのですが、彼は、オランダの状況を余りにも楽観主義的に捉えていました。なぜなら、コムリーや他の人たちの努力にも拘わらず、オランダの諸教会もそのような凍えから逃れることはできていなかったからです。


(注1)K. Barth, Die Protestantische Theology im 19. Jahrhundert (1947), pp.425-432.

(注2) K. Aner, Kirchengeschichte, Vol. IV (1931), p.158.

 (注3)  Aner, p. 155.
 (注4)  Versprede geschriften (1860), p.16
(注5)  A. Kuyper, "Alexander Comrie," in The Catohlic Prebyterian (1882).

【4月の活動報告】


4月5日(日)長野佐久教会(長野会堂)にて、「棕櫚の日曜日」受難週主日礼拝奉仕(マルコによる福音書11:1~11)「軍馬か、子ろばか―平和の福音―」。イエスは、軍馬ではなく、子ろばに乗って、エルサレムに入城された。このことによって、イエスは、ご自分が柔和で、謙遜な王であられることを示された。このような王による支配は、明治以来の「富国強兵」の国造りとは、相反するものと言わねばならない。この度のコロナウィルス禍による経済の落ち込みはどこまで進むのか。神はこのことによってわが国の「経済第一」の国造りを裁いておられるのではないか。むしろ、「柔和な人たちは幸いである。その人たちは地を受け継ぐ」(マタイ5:5)と教えられた、貧しく質素でも、人を思いやる新しいライフスタイルを求めておられる。

 4月12日(日)長野佐久教会(佐久会堂)にて、イースター礼拝説教奉仕(マルコによる福音書15:42~16:8)「イースターの喜び」。マルコによる福音書の復活記事は、「恐ろしかったからである」との一文で終わっている。イエスが死者の中からよみがえられたというイースターのメッセージは、先ずは私たちの内に恐れを生み出すからだ。イースターの喜びは並大抵の喜びではない。それは、死をも命に変える喜びである。この復活信仰に生きるならば、どんなに難しい問題でも解決できる。ハレルヤ!主よ。
 
4月16日(木)新潟伝道所を含む多くの教会では、しばらくの間、コロナウィルス感染拡大防止のため、オンラインで在宅礼拝を守ることになったと聞く。そのようなこともあって、「ICS軽井沢文庫だより」をお送りしている数名の方々には、「軍馬か、子ろばか―平和の福音―」(受難週礼拝) および「イースターの喜び」(イースター礼拝) の説教原稿を送り、喜ばれた。



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        【ICS軽井沢文庫】

「ICS軽井沢文庫」は、日本におけるキリスト教有神的世界観人生観の研鑽と普及のために、2016年6月14日に、軽井沢町追分36-23に設置された文庫です。“ICSInstitute for Christian Studies)は、この文庫が、日本における (改革主義)キリスト教学術研修所(大学院)の設置を目指していることを告白するものです。また、最近は、日本におけるキリスト教政党立ち上げのヴィジョンも与えられつつあります。文庫設置の経緯については、「ICS軽井沢文庫だより」第1号(2016.6.14)をごらん下さい(ラベル「ICS軽井沢文庫だより」第1号をクリック)。シャーローム。


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2020年3月31日火曜日

「ICS軽井沢文庫だより」第28号

~巻頭言~   「軽井沢:空と木と本」


宮﨑彌男

 

「雨も雪も、ひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ、種蒔く人には種を与え、食べる人には糧を与える。そのように、私の口から出る私の言葉も、むなしくは、私のもとに戻らない。それは私の望むことを成し遂げ、私が与えた使命を必ず果たす。
 あなたたちは喜び祝いながら出で立ち、平和のうちに導かれて行く。山と丘はあなたたちを迎え、歓声をあげて喜び歌い、野の木々も手をたたく。」  

(イザヤ書55:10~12)


(新型コロナウィルス蔓延の中で)
 

今年初めに、「新年の抱負」を物してから、三ヶ月がたちました。「今年は旅に出たい」との私の計画は、コロナウィルス日本上陸の波を受けて、今のところ、実現の兆しさえ見えていません。「1~3月の活動報告」を見ていただいてもおわかりのように、この3ヶ月間、遠出といえば、礼拝説教奉仕のため、新潟に三度伺っただけです。高崎で新幹線を乗り継いでゆくのですが、新幹線は窓が開かず、空気の入れ換えができないというので、マスクをつけっぱなし、これでは、もう一つ旅の開放感はありません。
 朝のラジオ「マイあさ」で、札幌の方が話しておられた、アイヌの伝統保存食(何というのかは、忘れましたが)が無性に味わいたくなって、3月になったら行ってみようかと思い立ちましたところ、この計画も、3月になってみると、北海道に緊急事態宣言が出て、夢物語となりました。
 そんなわけで、この3ヶ月間、私にとっての慰めは、ここ軽井沢の空と木と本だけでした。ほぼ毎日の散歩で、この三者を通して、確実に御言葉の恵みに与からせていただいていることは感謝です(上掲、イザヤ書55:10~12をお読みください)。
 について言えば、私は、今、母校の大先輩、矢内原忠雄の本を読み直しています。私は、前号で報告したように、昨年11月29日の「信州神学研究会」で「カルヴィニズムより見た日本の天皇制」と題する発題講演を行いました。天皇制の問題は、言うまでもなく1回の発題講演で終わるようなものではなく、今回の発題もごく序論的なものだったのですが、この発題を準備する中で、内村鑑三とその門下の矢内原忠雄や南原繁等無教会の伝道者・学者たちの天皇制理解に関心をそそられました。そうして、私の伝道者生涯の課題である“日本におけるキリスト教有神的世界観確立と改革派教会の形成”を推進する上で、無教会キリスト教と対話することの重要性を自覚するに至っています。改革派キリスト教と無教会キリスト教との対話(注1)です。そのような対話の共通項あるいは論点となり得る事柄として、(思いつくままですが)次のような諸点を挙げることができます。

(無教会主義と改革主義―対話の共通項/論点)
 
 ①神の共通(一般)恩恵への信仰に基づく歴史観および人物評価(注2)
 ②聖書を神の言葉と信じる“聖書(御言葉)信仰”。
 ③創造論を基軸とした救済論創造の回復としてのあがない(注3)
 ④日本史とその中における天皇(天皇制)の位置づけ。
 ➄無教会主義とは何か(注4)。A.カイパーにおける「有機体として教会と制度としての教会」との比較において。

(敗戦直後の矢内原講演「国家興亡の岐路」)
 
 上述の「信州神学研究会」で、私は参考資料として、矢内原忠雄が、敗戦直後の1946年2月11日に大阪中之島公会堂で行った「国家興亡の岐路」と題する講演録をコピーし配布しました。これは、戦後75年を経た今日に至るまで、何ら有効性を失わない、重要な講演と認識したからです。原本は、1947年4月5日発行の矢内原忠雄著『日本の傷を医す者』(白日書院刊)で、わが家の書棚に眠っていたものです。これからは、「ICS軽井沢文庫」の「矢内原コーナー」に納めます。
当日は、この赤茶けた小冊子より15部コピーしたのですが、コンビニのコピー機では、明るさの調節ができず、赤茶けた紙の色までが濃いグレーに写ってしまって、どうにも文字が読めません。それで、専門のコピー屋さんに行って、色々と調節してもらい、やっと15部刷り上がったのです。その時の喜びたるや、「ハレルヤ、主よ、感謝します!」以外ではありませんでした。それでも、この店の女主人さんは、コピー代は、1枚につき10円、(プラス)仕分け代500円しか取らなかったのです。今の時代に珍しい人情のコピー屋さんでした。
 そんなわけで、この講演録、コピーの増刷はできないことはないのですが、読みにくいので、次号から何回かに分けて、この「ICS軽井沢文庫だより」に入力し、若干の解説も加えてご紹介できれば、と考えています。ご期待下さい。しかし、待ち切れないという方には、すぐにでも買える「岩波新書クラシックス」版、矢内原忠雄著『日本精神と平和国家』と、その解説とも言うべき、赤江達也著『矢内原忠雄―戦争と知識人の使命―』(岩波新書、2017年刊)を読まれることをおすすめします。
 この矢内原講演の後、数ヶ月で、「終戦後既に九ヶ月、敗戦祖国の再建は種々なる構想と方途によりて計られつつあると雖も、聖書に『神家をたて給ふにあらずば、建つる者のの勤労は空しく、神城を守り給ふにあらずば、衛士(えじ)のさめ居るは徒労(むなしきこと)なり』と、あるは真(まことなり」という格調高い文章で始まる「日本基督改革派教会創立宣言」が内外に宣言されます。悔い改めとキリスト信仰によって国を建て直すという精神において、矢内原講演と改革派創立宣言は一つだと私は考えています。しかし、前者には、矢内原が内村鑑三や藤井武から受け継いだ預言者的な洞察と熱意があり、後者には、歴史的改革派信仰による教会形成への強い使命感がみなぎっていますので、両者を併せて読むと、私たち自身も、今の時代/社会への使命感に目覚めさせられます。

(注1)「対話」について、R.マウが、次のように述べていることに注意。「…そして、それは、洞察が両者において発展してゆく、本物の対話でなければなりません」(R.マウ著、稲垣久和・岩田三枝子訳『アブラハム・カイパー入門キリスト教世界観・人生観への手引き―』102頁)。なお、「日本基督改革派教会創立宣言」(1946年)も、真のキリスト教会の公同性について、次のように宣言している。「我が日本基督改革派教会は、毫も所謂分派的精神に由来するものに非らず…道に従って成る教会の公同性、一致性は我等の最も重んずる所、我等の教会観の真髄なり。…改革派教会は宗教改革の原則を首尾一貫して主張する真の福音主義(エヴァンゼリカル)たるのみならず、更に真正なる公同性(カトリック)と正統性(オーソドックス)をも保有するものにして、聖書的、使徒的教会の再現を標榜する教会なり
(注2)比較研究のための資料として、例えば、内村鑑三の『代表的日本人』、南原繁の『母』、矢内原忠雄の『余の尊敬する人物』、アブラハム・カイパー著『イスラム教について』等が挙げられる。なお、南原の『母』の背後にある有神的・共通(一般)恩恵的世界観については、村松晋の論文「南原繁の『日本的キリスト教』構想」(『内村鑑三研究
』第52号、2019年4月号、13-17頁を参照)。
(注3)木下裕也「内村鑑三の非戦論―二元論的思考克服の観点から―」(『旧日本基督教会試論―教会・文化・国家―』第6章、特に273~278頁)、A.ウォルタース著(宮﨑彌男訳)『キリスト者の世界観―創造の回復ー』等参照。ここからキリスト教思想・哲学の可能性が生まれる。文化論、学問論、芸術論等を含むキリスト教有神的哲学・神学については、カイパーおよびその流れを汲むキリスト教哲学者(ドーイウェールト、ヴォレンホーフェン、トロント学派等)に学びたい。
(注4)内村鑑三における無教会主義については、最近出た岩野祐介著『無教会としての教会―内村鑑三における「個人・信仰共同体・社会」』(東京・教文館、2013、特に第3章「内村における信仰共同体の問題」)等参照


 L・ プラームスマ著、宮﨑彌男訳

『キリストを王とせよ―アブラハム・カイパーとその時代―』 


―第27号より続くー(今号分は、前号で記しましたように、入力したものが、パソコンの操作ミスで、全部消えてしまいましたので、改めて入力し直したものです。ご苦労様


第1章 19世紀の精神


革命と軌を一つにして


ハ. 進化主義

  進化主義は、ダーウィン以前からありました。すでに、1796年に、ラプラスは、自著『世界体系解説』を出版しましたが、その中で、彼は、神の名に言及することなく、太陽系の存在を説明しようとしました。この本を読んだナポレオンが驚き、その理由を訊ねたところ、彼は、「閣下、そのような仮説を私は必要としないからです」答えた、とのこと。
 このように、ラプラスの意見では、神は、人が必要とするかしないかはともかく、仮説にしか過ぎないのです。時を経ず、チャールズ・ダーウィンも、このような考えを持つようになりました。彼が“ビーグル号”に乗って、有名な航海に出たとき、ダーウィンはまだ自分はクリスチャンだと考えていました。道徳的な問題については、聖書を引用していました。しかし、そのうちに、彼は、聖書の奇跡、とりわけ、創造に関わる奇跡をそのまま受け入れることができなくなります。彼が考えた不変の自然法則を知れば知るほど、そのような信仰を持ち続けることができなくなったのです。
 1859年に、ダーウィンは、『種の起源』という有名な本を出版しました。この中で、彼は三つのことを主張しました。彼は、まず、少なくとも生物界のある領域においては、より単純な有機体からより複雑な有機体への漸進的な進化が起きていることを主張しました。彼は、この進化は“自然淘汰”即ち、適者生存によるものだと説明しました。更に、彼は、人類の起源は動物界に見出されるべきとの考えも公にしました。
 漸進的な進化という考えは野火のように拡がりました。それは、生物学や他の自然科学一般においてのみならず、言語学、法律学、心理学、社会学、経済学を始め、神学の諸部門にまでも適用されることとなりました。
  
   イスラエルの歴史は、古代文書に見られる単純素朴な考えから預言者たちの高度
  な一神教に至るまで、ヘブライ的宗教意識の段階的進化として理解することが
  できる。神は、長い進化のプロセスとして人を創造されたように、ご自身を進
  展的に啓示してこられた。その行き着く先がキリストである。20世紀の初頭に
  は、諸宗教の歴史(比較宗教学)においても、同じような形の説明が広く受け
  入れられるようになった(注11)

 進化主義は19世紀の特徴的な思惟パターンの一つでありました。この19世紀は、徹底した資料の研究と、それに付随して、多くの伝統的な考えをお伽話や言い伝え、神話として退ける、洗練された歴史的方法を特徴とする時代でした。それは、また、白人種の伸展、中央アフリカの発見、原始人の言語と習俗の研究が始まった時代でもあり、産業が大きな発展を遂げ、将来の限りない繁栄を約束するかに見えた時代、これと言った世界戦争がなく、一定の平和を享受することのできた時代でもありました。 
 一言で言えば、19世紀は大いなる期待と楽観の時代でした。新時代・新人類の幕開けを告げるかのような時代でありました。この世紀の終わりには、大いなる哲学者ニーチェが、この時代の精神を侮蔑する一方で、大いなる期待感を持って、来たるべき微笑む獅子、超人(Ubermensch)について語るのです。
 カイパーは、色々の形で、進化主義と対決しました。1899年にカイパーの告げた「われわれの19世紀は進化論の催眠術にかかって幕を閉じることとなる」(注12は有名です。
 19世紀の重要な思想家と言えば、徹底した無神論者、ルードヴィッヒ・フォイエルバッハを挙げなければなりません。その著『キリスト教の本質』において、彼は、キリスト教をイリュージョン(幻覚)、神という観念を人間精神の投影と断じました。フォイエルバッハはニーチェに影響を与え、ニーチェは神の死を宣言、キリスト教に由来する一切の価値を廃棄しようとしました。フォイエルバッハは、また、共産主義の生みの親で、ソビエト共産党の公認神学者となった、マルクス、エンゲルスにも影響を与えました。
 19世紀のオランダにおける最も有名な無神論者は、ムルタツーリ(本名:E. Douwes Dekker)です。彼は、このペンネームで、“Ideas” と題する多くの書を公にしました。「夜明け」と称する自由思想家の団体において、彼は、「ムルタツーリ師」と呼ばれていました。この団体は、あらゆる形の宗教に狂信的に反対し、多くの労働者を教会から遠ざけることに成功しました。
 “agnosticism”(不可知論)という言葉は、この同じ時代に英国のT・H ハックスレーによって生み出されました。彼は、この語との関わりで、使徒言行録17:23に言及しています。ハックスレーは、霊であろうが、物質であろうが、その本質を人は捉え尽くすことができず、それゆえ、形而上学は不可能であり、生きてゆく上で人間の主としてなすべきことは、悲惨と無知の軽減に努めることだと確信していました。
 このような不可知論のフランス的な表現を、私たちは、形而上学を知識の領域から完全に閉め出そうとしたコント(1798-1857)の実証主義に見出すことができます。 コントによれば、私たちがおおよそ識別することのできるのは、私たちが経験する現象だけです。コントは、その最晩年、人類の英雄・偉人を崇める神なき宗教を創出しました。

(注11)J. Dillenberger and C. Welch, Protestant Christianity, Interpreted Through Its Development (1954), p. 205.
(注12)「進化」と題するカイパーの講演の冒頭の言葉。


【1~3月の活動報告】


1月1日(水)2020年初日の出を喜ぼうと、家内を誘い、見晴らしの良いところに出かけたが、雲に遮られ、見ることはできなかった。行く道で、「テレビで見ました」という人に出会ったが、そんなのならばいつでも見れると、心の中で蔑むことしきり。今年も、私たちはノア契約(創世記8:22)の主を信じて、一年を過ごしたい。11時より、佐久会堂の元旦礼拝に出席、挨拶を交わす。午後は、年賀状に目を通す。私どものは、やっと昨日出したので、届くのは、2,3日後のことか。

1月5日(日)長野佐久教会(長野会堂)にて、新年主日礼拝奉仕(ヘブライ13:7~17)「十字架の血によって」。新年早々から十字架の説教?! はい、新しい年、新しい思い、新しい力のすべては、主が十字架上で、私たちのために流してくださった「血」のゆえに始まるのです(ローマ5:8)。ハレルヤ!

 1月12日(日)長野佐久教会(佐久会堂)にて、礼拝説教奉仕(ヘブライ13:1~6)「すべての人結婚を重んずべし」。国民的課題となった少子化の問題について、責任の一端はキリスト教会がその子女(“契約”の子供たち)に対し情熱を持って結婚を勧めなくなったことにあります。昔は、世話好きのおじさんおばさんたちが、信徒の子ら同士が何とか結ばれるように走りまわったものです。あの熱心、あの情熱を取り戻すために、どうしたらよいのでしょうか。聖書は強調します。「すべての人結婚を重んずべし」と。

1月19日(日新潟伝道所にて、主日礼拝説教奉仕(ヘブライ人への手紙12:1~3)「十字架の主を見つめながら」。新潟伝道所は、新潟駅南口から、高架の線路沿いに東へ15分ばかり歩き、馬越の信号を渡った所にあります。昨年、新会堂が建ちました。今年は、新しく、若い伝道所委員も選ばれるとのこと。楽しみです。

1月26日(日長野佐久教会の定期会員総会が長野会堂で行われた。牧野牧師が1月15日に脳梗塞で急遽入院され、リハビリ等のため、なお入院中であるので、大工原信幸委員が議長を務められた。滞りなく、無事に会員総会を行うことができ、感謝であった。牧野先生には,婚約中の姉妹が岐阜から来られ、お世話等してくださっているので、感謝である。主の御癒しを祈りたい。

2月2日(日長野佐久教会(長野会堂)にて、礼拝説教奉仕(ヘブライ13:1~6)「教会生活の三要素」。特に,賛美の喜びを強調した。良い働きも献げ物も賛美の心から出てくると、すばらしい。

2月9日(日長野佐久教会(佐久会堂)にて、礼拝説教奉仕(ヘブライ13:1~6)「金銭に執着しない生き方―主はあなたを見捨てない―」。午後、男子会で、「信徒の手引き」を読む」。

2月22日(土牧野先生は、本日、午前中に退院、牧師館に戻られ、午後1時半より、井上有子姉と結婚誓約式を挙げられた。司式は濱民雄引退教師、立会は相場郁朗長老夫妻。私も列席して、お二人の結婚を祝福した。有子姉は、中部中会引退教師である井上二郎先生の長女で、私の大学の後輩でもあるが、これで、晴れて牧野夫人として牧師館に入居し、色々の形で教会にもご奉仕くださることとなる。主の導きを覚えて感謝する。

2月23日(日) 新潟伝道所にて、主日礼拝説教奉仕(ヘブライ人への手紙12:4~13)「主の鍛錬」。新型コロナウィルスの感染が広がる中、マスクを着用しての礼拝奉仕でしたが、説教台と会衆席が十分離れていたので、さすがに説教の時だけは、外して語りました。

3月1日(日長野佐久教会(長野会堂)にて、礼拝説教奉仕(ヘブライ13:15~17)「指導者たちに従いなさい」。

3月8日(日長野佐久教会(佐久会堂)にて、礼拝説教奉仕(ヘブライ13:7~8)「彼らの生涯の終わりを見て」。礼拝後、「世界祈祷日の集い」でジンバブエの教会のために祈る。

3月29日(日) 新潟伝道所にて、主日礼拝説教奉仕(ヘブライ人への手紙12:12~17)「聖なる生活を追い求めなさい」。きよい生活を求めることと、仲間を大切にする隣人愛の実践は一つのこと。



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「ICS軽井沢文庫」は、日本におけるキリスト教有神的世界観人生観の研鑽と普及のために、2016年6月14日に、軽井沢町追分36-23に設置された文庫です。“ICSInstitute for Christian Studies)は、この文庫が、日本における (改革主義)キリスト教学術研修所(大学院)の設置を目指していることを告白するものです。また、最近は、日本におけるキリスト教政党立ち上げのヴィジョンも与えられつつあります。文庫設置の経緯については、「ICS軽井沢文庫だより」第1号(2016.6.14)をごらん下さい(ラベル「ICS軽井沢文庫だより」第1号をクリック)。シャーローム。


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2020年1月13日月曜日

「ICS軽井沢文庫だより」第27号

  ~巻頭言~   「新年の抱負」


宮﨑彌男

 

「人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する」  

(旧約聖書 箴言19:21)

 
 年頭にあたり、主から示された新年の抱負を述べたいと思います。「主から示された」と言っても、この抱負がすべてこの新しい年に実現するとは限りません。「人の心には多くの計らいがある。(しかし)主の御旨のみが実現する」からです。
 昨年の年末礼拝(於・佐久会堂)で、新約聖書・ヘブライ人への手紙13:1~6により、「兄弟愛をいつも持っていなさい」と題して、御言葉を取り次ぎました。「兄弟愛」と言っても、肉親としての「兄弟愛」ではなく、ここでは、「霊的な意味で、同じ父(なる神)の子供たちとされたクリスチャンが相互に愛し合う愛」(織田昭編『新約聖書ギリシャ語小辞典』p.373)のことです。これは、主イエスの遺言とも言うべき、キリスト者にとっては、何にもまして大切な戒めです(ヨハネ福音書13:34、ヨハネの手紙一3:16を参照)。
冬景色
<書斎の窓から>
ヘブライ人への手紙13:1~6では、このような兄弟愛の実践例として、①旅人をもてなすこと、②困難な状況におかれている人たちを思いやること、③結婚を尊ぶべきこと、④金銭に執着しない生き方、の四つを取り挙げています。この中の① 旅人をもてなすこととの関連で、私は、新しい年に(観光と交わりを目的とした)旅に出ることを、私自身の抱負として語りました。
そんなこともあって、今年は、軽井沢に四六時中たて籠もって客を待つのではなく、西へ東へと伝道行脚の旅に出ようかと思っています。現役の改革派教師を引退して9年目の今年辺りが時間と体力の両面から考えて、最後のチャンスかなと思ったりします。「ICS軽井沢文庫だより」の読者の中にも、或いは、突然(と言っても、通信手段の便利になった今の世のことですから、あらかじめ連絡はしますが)、お邪魔する方がおられるかもしれませんが、その節は、よろしくお願いします。
 ただ、実際問題としては、軽井沢の樹々を眺めながら、本を読んだり、パソコンに入力するような時間が圧倒的に多いと思いますので、今年度の、とりあえずの時間割を作りました。それによりますと、「仕事」をするのは、1週間36時間、1日6時間(午前2時間、午後3時間、夜1時間)で、この1週36時間を適当に割り振って、ざっと言えば、
 
 ①説教(月2,3回)準備…6時間。
 ②プラームスマ『キリストを王とせよ』…5時間。
 ③カイパー『われらの(反革命党)綱領』…5時間。
 ④ウ大教理問答個人訳改訂版…3時間。
 ⑤「ICS軽井沢文庫だより」…5時間。
 ⑥「信州神学研究会ー“カルビニズムと信州伝道”」…10時間。
 ⑦整理整頓、等…2時間。

このようなスケジュールで、やってみようかと思っています。ただ、これは、「決意表明」というような堅苦しいものではなく、「ぐうたら引退教師」の、とりあえずのスケジュールに過ぎないのですが…。
 日野原重明さんと言えば、キリスト者の医師として105歳の生涯を全うされた方ですが、子どもたちに、「いのちとは、時間だよ」と話されたそうです。私が昨年1年間愛用した「日めくり聖句カレンダー」のあとがきで、日本イエス・キリスト教団岡南教会の中島啓一牧師も、このことに触れながら、「私たちも、神様から与えられたいのち、すなわち時間を、主イエスに習って、隣人のために使っていくならば、神様は私たちのいのちをも輝かせてくださいます」と言っておられます。
早春に花が咲くセントウソウ
 私がかつて留学したトロントICS(「キリスト教学術研修所」では、キリスト教哲学のクラスで、キリスト教における時間論の講義がありましたが、そこで教えられたことが私の人生観世界観の重要な枠組みとなっています。それは、キリスト教において時間とは、神の創造律法への人間の応答に他ならない、ということでした(コヘレトの12:13等参照)。キリスト論的に言えば、創造者であり贖い主であるキリストの御言葉に聞き従って生きること、とも言えるでしょう(コロサイの信徒への手紙1:15~20)。極めて実践的な教えです。
 「ICS軽井沢文庫だより」14~16号で書いたように、日本キリスト改革派教会の引退教師として生涯伝道を志す私の姿勢は「二刀流」です。それは、日本キリスト改革派教会の「創立宣言」に基づき、(1)日本における有神的人生観世界観の確立と、(2)聖書的な改革派教会の形成を目的とする伝道です。上に挙げた今年度の時間割から申しますならば、(1)については、主として②③⑤⑦、(2)については、主に①④⑥の時間に行う、と言えるのかもしれません。どちらにも大切な福音伝道の使命があります。世界にも、教会にも。
 
 この年、2020年を、私はぜひ「キリスト教政党元年」の年にしたいと願っています。今の日本におけるキリスト教政党の必要性については、昨年7月の参議院議員選挙後の「ICS軽井沢文庫だより」24~26号の「巻頭言」に、すでに3回に亘って書きました。多くの方から、賛同、否定的、あるいは「どちらとも言えない」といったご意見/反応をいただきましたが、否定的なご意見の多くは、キリスト教の伝統のある欧米諸国においてはともかく、日本では難しいのではないか、ということでした。しかし、最近英訳が出版された、アブラハム・カイパーの『われらの綱領』(Our Program)等を見れば、どの時代の、どの国においても、キリスト教政党の形成が必要なことがわかってきます(例えば、『同書』§312「党形成の義務」pp.364-365等参照、注1)。
 ちなみに、この英訳書の裏表紙にはこう書かれています。「アブラハム・カイパーがその生涯の初期に書いたこの著作は、近代民主主義社会における最初のキリスト教政党の理論的根拠となり、新しい近代的な政治のあり方を示すものである。『われらの綱領』により、私たちは、カイパーが、政治が特殊なエリートの仕事ではなく、公共の事柄であると考え、公共政治は個別の問題に限って活動すべきものではなく、不断の行動を求めるものであると主張し、理性や全体の合意に基づく自由主義政治よりも、多様な世界観を前提とする議会での討議の重要性を指摘したことを知らされる。政治史におけるこのような記念碑的業績が、今日に至るまで、如何に重要性を失っていないか、私たちは驚きを禁じ得ない。この本を読んだ者は、自分も政治の世界で発言したくなるのではないか」(アムステルダム・自由大学歴史学教授・公文書保管人、ジョージ・ハーリンク)。

(注1)カイパーは、キリスト教における政党作りの基本原理について、次のように述べている。「確かに、キリスト教信仰は、(キリストにある)」共通の起源、相互に分かち合う責任、やがて来たるべき王国を思い起こすことにより、共同体(community)、組合(union)、組織(organization)を志向する。キリストご自身が、万物の有機的再生(organic recapitulation)のかたち(image)であり、霊感(inspiration)であり、受肉(incarnation)である。個人主義、あるいは、(nation)を複数の個人の集合体(aggregate)とする間違った考えを産みだしたのは、キリスト教ではなく、それとは全く反対の立場である。自分自身を特別な者と考え、それ故に、自分だけの特別な立場を持ち、そこに留まろうとするのがキリスト教的な姿勢なのではない。全く反対である。自分の考えは他の人たちの確信するところと融合するまでは、検証されたことにならないと考えるのがキリストに者にふさわしい。地位の高低に関わりなく、他の人々との自覚的、具体的な交流がなければ、人は力を失ってしまう。最も小さい者と手をつなぐ方が、最も優秀な者と決別するよりも良いと知るべきだ。それこそが、生ける神への信仰に根ざす深い原理の要請に適うことである」(『われらの綱領』p.365)。


※本号には、「巻頭言」に続いて、L.プラームスマ『キリストを王とせよーアブラハム・カイパーとその時代ー』第1章「C.進化主義」(pp.18~20)の私訳を掲載の予定でした。もう入力を終えていたのですが、残念なことに、私のパソコン操作ミスにより、全部消えてしまいました。また、出直します。それで、埋め合わせの意味もあって、上掲、本文と(注1)において、アブラハム・カイパー著、H.ヴァン・ダイク訳『われらの綱領』のハーリンクによる紹介文とキリスト教政党の必要性を説くカイパー自身の文章を訳して載せました。いずれも、重要な文章と思いますので、ご了解ください。

【10~12月の活動報告】


10月3日(木)日本キリスト改革派上諏訪湖畔教会に足立正範牧師を訪ねる。足立先生は私と同郷、兵家県の出身で、関西学院大学で春名純人先生からキリスト教哲学を学ばれた方なので、話が弾んだ。信州神学研究会で、諏訪大社の歴史についても少し学んでいたので、教会を訪ねる前に、上社前宮と上社本宮の中間にある「神長官守矢資料館」にも赴く。

10月10日(木)軽井沢「菊水」において、7/28の主日、佐久会堂で礼拝を共にした木村庸五長老(弁護士)夫妻と明石實次さん(医師)に再会、夕食を共にする。二人は、高校が同窓ということで再会へと導かれたのだが、それ以上の絆もある。私はこの学校(県立神戸高校)でキリスト教伝道者となるべく決心し、グルー基金による米国留学へと導かれた。それで、三人が家族ともども、互いの過去・現在・未来について語り合ったというわけである。

10月13日(日)長野佐久教会(長野会堂)にて、礼拝説教奉仕(ヘブライ13:1~6)。台風19号による大雨で千曲川が増水、教会近くの堤防も一部決壊して多くの家屋に床上浸水等の被害が出た。教会は幸い無事で、通常通りの礼拝を守ることができたが、教会員の中には、避難所で一晩を過ごした方もあった。

 10月27日(日)坂戸教会(埼玉県坂戸市)にて、礼拝説教奉仕(ヘブライ13:1~6)。帰途、今回の台風で床上までの浸水被害のあった「川越キングス・ガーデン」を見舞う。入所者は、全員他の施設等に避難しておられ、お会いできなかったが、復旧作業中のスタッフの方に見舞金等を手渡す。

11月4日(月・休甲信地区教師会に出席。

11月10日(日長野佐久教会(長野会堂)にて、礼拝説教奉仕(ヘブライ13:1~6)

11月11日(月)佐々木弘幸師と共に、佐久市平賀に川田殖先生を訪ねる。川田先生はICUの先輩(第1期生)キリスト者で、プラトン学者。山梨医科大学教授、恵泉女学院学園長等、歴任された方であるが、そのような経歴を少しもお見せにならない謙遜な教育者であられる。帰途、コートを忘れたことに気づき、翌朝一番に取りに伺ったところ、どうしても上がれと言われ、また、2時間ばかりおしゃべりしてしまった。1週間ほど経ってからお電話をいただき、お送りした「ICS軽井沢文庫だより」を1~26号全部読んでくださった、その感想として、キリスト教哲学・政治、今の日本に大変必要とされていること、若い人たちの中にも関心ある人は多いはずだから、ぜひ続けるようにと励ましてくださった。これからも、連絡を取り続けたい方の一人である。 

11月29日(金)第7回信州神学研究会、於佐久会堂。「カルヴィニズムより見た日本の天皇制」と題して、発題講演を行う。結語として申し述べたことは次の通り。①日本国と国民生活のすべては契約の神の主権的支配の下にある、②その下での政治体制(君主制か共和制かなど)は、(終末論的には「神の国」に連なるものの) 歴史的相対的なもので、国民の選択(「総意」)による、③『古事記』等神話の有神論的(含・共通恩恵論)解釈の必要性、④カルヴァン主義的立場から天皇制について議論し、世論を喚起しなければ、天皇制は再び政治に利用される可能性がある。大きなテーマであるので、序論的な発題となったが、日本伝道、信州伝道にとって、基本的な重要性を持つ課題なので、今後とも継続的にとりくんでゆきたい。なお、発題レジメご希望の方は,ご一報ください。お送りします。

12月2日(家内と共に上京、日本同盟キリスト教団椎名町教会に渡邉崇子姉を訪ねる。崇子姉は、私どもが結婚する前に、導かれて参加した「キリスト者青年友好協会」で知り合いになって以来の友人で、彼女も、この会で導かれて、渡邉恭章師と結婚された。(渡邉師は神戸改革派神学校18回卒業生で、私の2年先輩)。この渡邉恭章師は、キリスト教世界観研鑽のため始められた「それでは如何に生きるべき会」(ロゴス会)の初代会長を務められる等、多方面で活躍され、崇子姉と結婚後は、椎名町教会の2代目牧師となられたが、2.000年4月に、がんで召天された。それ以後、崇子姉は、恭章兄の遺業を引き継いで、キリスト教世界観を証しし続けておられる。私どもが,この度伺ったのは、1980年に渡邉恭章師が日本キリスト教民主党を立ち上げ、神奈川1区より,衆議院議員選挙に立候補された時のことをお聞きし、その時の資料などを見せていただくためであった。その時の公報や選挙演説のための原稿、運動中の写真等見せていただいたが、一部は「ICS軽井沢文庫」のために貰い受けた。この時は、2,678票を得ただけで、落選されたが、とにかく、一歩踏み出された、その実行力は決して忘れてはならないと思う。

12月8日(日長野佐久教会(長野会堂)にて、礼拝説教奉仕(ヘブライ13:7~8)。

12月22日(日新潟伝道所にて、クリスマス主日礼拝説教奉仕(ルカ2:1~21)。午後は、愛餐会の後、聖書と讃美歌を交互に読んで歌い交わす「クリスマス讃美礼拝」をささげた。喜ばしいクリスマスであった。

12月29日(日長野佐久教会(佐久会堂)にて、年末礼拝説教奉仕(ヘブライ13:1~6)。


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【「ICS軽井沢文庫」】

「ICS軽井沢文庫」は、日本におけるキリスト教有神的世界観人生観の研鑽と普及のために、2016年6月14日に、軽井沢町追分36-23に設置された文庫です。“ICSInstitute for Christian Studies)は、この文庫が、日本における (改革主義)キリスト教学術研修所(大学院)の設置を目指していることを告白するものです。また、最近は、日本におけるキリスト教政党立ち上げのヴィジョンも与えられつつあります。文庫設置の経緯については、「ICS軽井沢文庫だより」第1号(2016.6.14)をごらん下さい(ラベル「ICS軽井沢文庫だより」第1号をクリック)。シャーローム。


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2019年10月19日土曜日

「ICS軽井沢文庫だより」第26号

  ~巻頭言~  「『政』とは何か」


宮﨑彌男

 
  前回、「政界にキリストの風を」との巻頭言を記しました。イエス・キリストを信じる信仰に立って発信している「ICS軽井沢文庫だより」としては、「当然」の主張なのですが、肯定/否定/無関心いろいろの反応がありました。それで、今一度、フォローすることにします。
 「政界」の「政」とは、一体何なのでしょうか。
 角川『漢和中辞典』によれば、「政」という漢字は、「正が音を表し、直(まっすぐ)からきている。打って直にする、正すの意」と解字されています。また、字義としては、①「まつりごと」(国家を治めること)が上げられています。さらに、『岩波 国語辞典』を引くと、「まつりごと」【政】は、「主権者が領土・臣民を統治すること。政治」とあり、それに「『祭り事』の意。古くは祭政一致だったから」という補足説明が加えられています。
 政治というのは、古くから、国を「治め」「統治する」ために行われてきたもので、その目的は、「打って直(まっすぐ)にする」「正す」ことにある、というわけです。聖書においても、王による治世の核心が「公正と正義」にあることが明言されています(列王記上10:9、イザヤ書26:10、箴言8:15,16等)。
 わが国の現今の政治はどうでしょうか。公正と正義を旨とする政治が行われているでしょうか。「自民一強」が長く続く中、現政界を動かしているのは、「政」の公正/正義ではなく、権力の座にある者への諸々の忖度(そんたく)の結果としての不正行為の横行、政治家の自己保身の結果としての聖なるヴィジョン(長期展望)の欠如ではないですか。このような公正/正義を旨とする政治感覚のなくなった政界をこのままにしておくならば、それは国民全体の道徳的腐敗を結果します。もう既に顕わになりつつあるのではないですか。
 今こそ、日本の政界はキリストの風を必要としています。イザヤ書9:5,6で、「その名は、『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。その主権は増し、平和には終わりがない。ダビデの王座と其の王国は、公正と正義によって立てられ、支えられる。今より、とこしえに。万軍の主の熱情がこれを成し遂げる」と預言されているキリストの風(霊)を必要としています。

(政治学と聖書) 

 このようなキリストの風を政界に導入するためには、前回述べたように、キリスト教主義の政治綱領を定めた政党を立ち上げることが必要です。そして、その第一歩として、政治学における聖書の規範性を学ぶことが大切です。幸い適当な参考書が見つかりました。H. H. ミーター著、原良三訳『カルヴィニズムーその神学と秩序の理念ー』(新教出版社、1949年)です(注1)。この本は、私が、学生時代、神田の友愛書房という古本屋で購入したものなのですが、長い間、友人に貸しておりました。それが、摂理的な仕方で、山梨栄光教会のI長老、A姉の手を介して、つい先日、私の手元に戻ってきたのです。感動し、感謝しました。
 さわりの部分だけ紹介します。第八章「カルヴィニズム、政治学及び聖書」に次のよう
H. ミーター著『カルヴィニズム』

な文章があります。今回は、抜粋的に引用します。
 「聖書は信仰及び生活万般の事柄にわたるカルヴィニスト(注2)の規準であり、したがって、それは、政治学の分野においても、また同様に規準をなすものである。なぜか。カルヴィニストに従えば、神はいずこにおいても主権的であられる。それゆえ、神の言葉は政治の世界に対してもまた律法(おきて)であり、聖書は神の言葉として信仰並びに行為の規範である故に、カルヴィニストはその政治的諸活動における指導にあたっても、聖書に訴えるのである。
 しかし、カルヴィニストがその諸々の思想をことごとく聖書より引き出すように主張すると考える誤謬を敢えてしてはならない。断じてそのようなことはあり得ない。…神は自己啓示の二つの書をお持ちになった。すなわち、自然の書(自然的諸対象、歴史及び人間の生活)と聖書とである。それゆえに、自然と歴史から、われわれは、政治学の分野に対して多くの重要な事実を学ぶことができる。この諸事実をカルヴィニストは大いに活用する。彼は、諸国家の政治の歴史を跡づける。彼はまた法律学者が国家に関して何を考え、また教えてきたかを研究する。しかしながら、この自然の書が神と真理について、むしろ不完全な見解しか与えなかった故に、われわれはその修正を必要とする。そして、カルヴィニストはこの収支を聖書に発見する。この聖書が自然の書の修正と共に、永遠の諸真理を包有しており、かつ人類社会一般の行動を指導するものなのである。このように、聖書は最後的なアピールの書となり、特別な意味において、政治学に関するカルヴィニストの見解に対して規準となる」(pp.112~113、下線-宮﨑)。

 ここで、ミーターの言う(キリスト教政治学の規範としての)「二つの書」とは、「自然の書」と聖書です。前者,すなわち,「自然の書」とは、「ICS軽井沢文庫だより」9号で,「創造啓示」と呼んでいるもので、「創造の律法(法)による啓示です。これだけでは、罪の影響を被っていますので、キリスト教政治学の健全な営みのためには、聖書による矯正が絶えず必要なのです。キリスト教政治学のための規範は、創造の法と聖書であると言うことができます。

(注1)原著は、H. Henry Meeter, Calvinismーthe Theological and the Political Ideas-(Zondervan publishing House, 1939)。副題のより適切な訳は、「その神学と政治の理念」。

(注2)「改革主義的キリスト者」と読み替えても良い。




 L. プラームスマ著

『キリストを王とせよ―アブラハム・カイパーとその時代―』

宮﨑彌男訳

ー第25号より続くー


第1章 19世紀の精神 


革命と軌を一つにして


イ. 自由主義

 「自由主義」という用語には、注意が必要です。複数の意味があるからです。多くの場合、この言葉には、人間の自由―絆からの自由、伝統や権威からの自由、といった、人を惹きつける含蓄があります。神学的に言えば、19-20世紀の多くの教会に見られる、人間の自律性への傾向性を示すものです。聖書や信条の権威についての伝統的な見解を斥け、自由主義者は人間の理性、経験、感情の至上性を主張します。政治的に言えば、「リベラル」という語は、英国やカナダにおけるホィッグ党に源流を持つ組織の名称です。米国においては、この用語は、他に比べてより進歩的であろうとする政党のメンバーや派閥のことです。
 私は、ここでは、この「自由主義」(liberalism)を、フランス革命の諸原理を穏健に採用したいと願っていた18世紀ヨーロッパの中産階級の哲学を指す言葉として、用いています。これらの自由主義者たちはこの革命の恐怖の支配やその他の行き過ぎには嫌悪を覚えながらも、革命の基本原理、すなわち、いかなる神的啓示からも独立した人間と人間理性の自律性を、躊躇なく受け入れたのです。
 このような自由主義者(librals)と正統的なキリスト者との違いについては、オランダの自由主義政治家、S. ヴァン・ハウテンは次のように言っています。
 「私たちは、真理と正義を知る源泉としての啓示も、教会を代表するどのような権威も認めない。理性の光においてのみ、私たちは、現在と過去における国民の思いがどこにあるかを察知することができる。私たちは、そういった判断をよくわきまえた上で、幸福と繁栄を増進し、悲嘆を回避する。いわゆる「神のことば」ではなく、我らの理性という神の賜物こそが、(信仰者の言葉で言えば)我らの足もとを照らすランプなのである」(注10)
 自由主義は人民主権に味方しますが、それは、すべての人々の味方をするわけではありません。中産階級、すなわち、ブルジョアジーの主権を求めますが、労働者階級、すなわち、プロレタリアートの主権は求めません。それゆえ、自由主義者は、選挙権を、少なくとも、一定の税額を納める市民に限定しました。
 自由主義者の経済原理は、“laissez faire, laissez aller”(自由放任・成り行き任せ)というスローガンに要約されています。その結果、産業革命の時代に、多くの労働者は最悪の労働条件の中で、やっと生きることができたのです。このスローガンの名の下で、女性や子どもは利潤を上げるために用いられることとなりました。
 自由主義者は、神の言葉から逸脱したあらゆる種類の見解には寛容でしたが、1834年にオランダで起きた「分離運動」(Afscheiding)の時に明らかになったように、礼拝の自由を求める正統的な集団に対しては、非寛容でした。彼らは、国が建てた公立学校の子供たちのための現代的な教育は増進しましたが、純粋なキリスト教の教理を教えることには反対しました。彼らは、自由なキリスト教主義学校の設立をほとんど不可能にしてしまったのです。
 アブラハム・カイパーの公共の分野における活動のほとんどすべては、教会、国家、社会における自由主義との継続的な戦いに向けられることとなります。彼は、自由な教会、公立学校と同じ権利と義務を持つ自由なキリスト教主義学校、そして、いわゆる庶民(Kleine luyden)のために必要な社会的法制のための大いなる戦士(champion)となるのです。

ロ.社会主義と共産主義

 19世紀は、また、マルキシズムの起こった時代でもありました。階級闘争の理念を唱え、プロレタリア社会主義とエリート共産主義を生み出した哲学です。マルキシズムは、自由主義の摘出の子でもありました。これもまた(イエス・キリストとは別の)自由、平等、博愛を求めて戦うのですが、裕福で、礼儀正しく、善意の中産階級の市民のためではなく、その戦いは、とりわけ、下層階級に属する多数の人々、すなわち、プロレタリアートのための戦いでした。
 マルキシズムは、自由主義にも増して根源的に神の御言葉の権威を否定し、これに反対しました。始めは、「宗教は私的生活に属するものである」とのスローガンで始まったのですが、「宗教は人民のアヘンである」と言い始めたとき、その特質が鮮明となりました。
 自由主義は唯物主義的な人生観を主唱してきました。すべての労働を、需要と供給の法則に従うべき商品と考えました。自由主義は、好んで、賃金という鉄の法則について語りました。労働者の賃金は、その家族が生活するに必要な額以上であってはならないというのです。この思想においては、すべての人間関係、理想や宗教は、単に物質的状況の反映にしか過ぎませんでした。
 マルキシズムは、完全に唯物主義的でした。それゆえ、常に、避けることのできない階級闘争が現実となる、というのです。また、それぞれの階級に属する人々は、それぞれの道徳を生み出し、それぞれの偏見から逃れることができない。この結果生まれる終わりなき闘争を終わらせるものは、階級なき社会へと向かう運動でしかない。このような社会の到来がメシア的熱情をもって預言されました。恐るべき世界革命の栄光の結果がこれでした。
 19世紀の最初の社会主義者(社会主義という名称が最初に用いられたのは1830年頃です)は、ユートピア社会主義者と呼ばれていました。しかし、彼らのうちの幾人かは実践的なプログラムを提示しました(フーリエ、ルイ・ブラン等)。
 1948年に、マルクスとエンゲルスは、自分たちの「共産党宣言」を出しました。その中で、彼らは、生産手段の私有化を廃する仕方で富を分かち合うことを提唱しました。この「宣言」は、次のよう熱情的な言葉で終わっています。

   共産主義者は、自分たちの見解と目的を覆い隠すことを潔しとしない。彼ら
   は、公に宣言する。彼らの目的が既存の社会的条件のすべてを力尽くで覆す
   ことによってしか達成できないことを。支配階級よ。共産主義革命の前に震
   え上がるが良い。プロレタリアは、この革命において鉄鎖以外に失うものは
   何もない。プロレタリアが獲得すべきは、全世界である。万国のプロレタリ
   ア、団結せよ。

 なぜ、このような社会主義者、共産主義者の訴えが反響を得たか、多くの理由があります。多くの産業の中心地や、農村地域における労働者の状況は、悲惨極まるものであったのです。
 カイパーは、社会主義には反対でしたが、それが指し示している現実問題のチャレンジには良く気付いていました。彼は、社会的な条件の改善とキリスト教的な労組のために、計画を立て、その必要を熱心に訴えました。

(注10)Groen's Ongeloof en Revolutie(1922)のあとがき(pp. 270-271)においてP. A. Diepenhorstが引用している。


【9月の活動報告】


9月1日(日)家内と共に、長野佐久教会(長野会堂)で、主日礼拝を守る。聖餐式にも与
幼子イエスを抱くシメオン
る。

9月8日(日)長野佐久教会(長野会堂)にて、礼拝説教奉仕。(ヘブライ12:25~29)。

9月16日(月)東部中会信徒修養会(於/川崎市、麻生文化センター)に家内と共に出席。289名が参加。以前は、2泊3日で行われていたが、今は日帰りの「一日信徒修養会」となっている。それでも、修養会は良いもの。老若男女それぞれの世代が、信徒として交わりを深め、広げ、御言葉による訓練を受けるために、主は、修養会を用いてこられた。今後とも大切にしたい。「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び」(詩編133:1)。

9月23日(月・休)友人に誘われて、宝生流/演能空間【烏帽子折】を観能。後半に,牛若と熊坂長範が打ち合う場面があったが、間の取り方など、現代に生きる私たちにも興味深いものがあった。

 9月27日(金)第6回信州神学研究会、於佐久会堂。「原理主義とカルヴィニズム」というテーマで、牧野信成牧師が発題講演。カルヴィニストは、聖書解釈において,ファンダメンタリズムやリベラリズムを排して、第三の道(リフォームド)を模索するとのこと。

9月29日(日長野佐久教会(佐久会堂)にて、礼拝説教奉仕。ヘブライ12:25~29。


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【「ICS軽井沢文庫」】

「ICS軽井沢文庫」は、日本におけるキリスト教有神的世界観人生観の研鑽と普及のために、2016年6月14日に、軽井沢町追分36-23に設置された文庫です。“ICSInstitute for Christian Studies)は、この文庫が、日本における (改革主義)キリスト教学術研修所(大学院)の設置を目指していることを告白するものです。また、最近は、日本におけるキリスト教政党立ち上げのヴィジョンも与えられつつあります。文庫設置の経緯については、「ICS軽井沢文庫だより」第1号(2016.6.14)をごらん下さい(ラベル「ICS軽井沢文庫だより」第1号をクリック)。シャーローム。


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2019年9月1日日曜日

「ICS軽井沢文庫だより」第25号

 ~巻頭言~ 「政界にキリストの風を!」

                宮﨑彌男

   
   わたしは渇いている地に水を注ぎ、渇いた父に流れを与える。
   あなたの子孫にわたしの霊を注ぎ、あなたの末にわたしの祝福を与える。
            (イザヤ書44章3節)

G・ファン・プリンステラ
 前回、7月30日号の「巻頭言」で、「キリスト教政党への道」と題して、7月21日の参議院議員選挙の結果、特に、その投票率のついての所感を述べました。2,3の心あるレスポンスをいただきました。かつてミッション・スクールの校長を務められた I 長老は、投票率の悪さには、政治家自身の責任もあるが、「学校教育の担うべき役割」にも「何か重要な欠落があるのではないか」とご指摘、「キリスト教政党への道」については、「大胆な(或いは当然な)」発言と、感想を述べてくださいました。また、S姉は、同日開票された町議会選挙に、主婦でありながら立候補、当選されたことをご報告下さると共に、共に、「キリスト者と政治について深く考えて行きたい」との思いをメールしてくださいました。さらに、F 引退教師も、一度「集まり」を持ちたい、と主旨賛同の意を伝えてくださいました。
 
 もう78才の私にできることは、当面、プラームスマ著『キリストを王とせよ』の翻訳をすることだけです。そうなんですけれども、それでも、主の御言葉にしたがって、主の御業(みわざ)を一歩進めることが、どんな大切なことかと思わされています。今号においても、同書の続きの部分、19世紀ヨーロッパにおける “レヴェイユ”(霊的覚醒)についての項を翻訳しましたので、ご精読ください。
 
 フランス革命(1789年後、19世紀オランダの政界にも様々な風が吹き荒れていました。その中で、改革派教会の牧師であった、アブラハム・カイパーや、長年オランダ議会の議員であった、フルン・ファン・プリンステラ Groen van Prinsterer は、聖なる風を吹き込む必要を覚え、「反革命 AntiRevolutionary 党」(別名、キリスト教歴史 Christian Historical 党)を立ち上げました。カルヴァン主義的なキリスト教の政界に対する「証」(あかし)として、この党を立ち上げました。そして、世紀の代わり目においては、与党として、カイパーが首相の座にも着くこととなります(1901~05年)。
 
 ここで、ちょっと、私たちのイメージを “”から “に変えてみましょう。キリストは、私たちを罪から救うために、「世の光」として、この世に来られました。そして、その十字架の死と復活によって、人類の救いのために必要な一切を成し遂げられました。そのキリストがこう言っておられるのです。「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである」(マタイによる福音書5:14-15)。もし、私たちが、教会という「家」の中でのみ、キリストの光を掲げようとするのであれば、キリストの光は、一般の人々の住む世にあって輝くことはありません。輝いたとしても、ごくごく限定された範囲においてでしょう。やはり、キリストご自身の御言葉に従おうとするのであれば、私たちは、教会の外でも、光を掲げ、光を輝かせなければならないのです。言い換えますならば、政治の世界においてもキリストの光を輝かせなければならないのです。政治の世界においても、キリストの福音は証しされねばならないのです。そのための基本的道筋は、私たちキリスト者が新党を結成し、聖書の教えに適った綱領を公にすることでありましょう。

 
 それで、私の提案は,近い将来に、①聖書の教えに適う一キリスト教政党を立ち上げ,②政権奪取を目指すということです。一度に ②が難しければ、先ずは ①に向かって準備するということでしょう。

 
 キリスト教会の政治に対する姿勢をそろそろ改めなければなりません。アンチテーゼだけではなく、テーゼをも示さなければならないのです。すなわち、時の政権に対して、御言葉に反することを指摘して抗議するだけではなく、御言葉に適う道を指し示し、御言葉を実行することです。このようにして、神の栄光が表され(ウェストミンスター小教理問答1)、キリストの支配が現実となるのです(同102~107)。

 
アブラハム・カイパー
 カルヴァン主義的なキリスト教政党の必要性を信じ、認めていても、支持基盤のことを考えると、「今は無理だ、今はその時期ではない」と考えておられる方もあるかも知れません。しかし、私は、「大丈夫です」と答えたい。サポーター(支持者)は、皆カルヴィニストでなくても良いのです。キリスト者でなくても良いのです。綱領に賛意を表する者は,だれでも党員となれるし、いわんや、「清き一票を投じる」ことができます。綱領を定めるのは、キリスト者の「前衛」Vanguardであり、聖書の教えに適った綱領を作りさえすれば、広く運動を展開することができ、その過程で、更にキリスト教的政治思想を磨き上げ、発信できるのです。
 
 これは、政治の領域の運動ですから、特定の既存の教派が全体としてこれを支持することを期待しなくてもよいのです。教派としての「教会」がこの運動を行うのではなく、キリスト教政党が押し進めるのですから、色々の教派の中から参加者/支持者が起こされて然るべきなのです。
 
 激変する世界情勢の中で、日本の果たすべき役割(使命)は何なのか、中長期的展望を示的さなければならないこの時代に、与党も野党も、行き詰まりを見せています。やはり、神の言葉に立つ、キリスト教的政党の出番ではないでしょうか。もし私たちがテーゼ、すなわち、進むべき方向性をわかりやすく示すならば、キリスト者はもとより、一般の人々の中にもかなりの数の支持者を得ることができるのではないでしょうか (注1)。これは、夢物語ではなく、貧しく、虐げられた人々のために十字架にかかって復活された王なるキリストのご命令なのです。
  「イエスは、別のたとえを持ち出して,彼らに言われた。『天の国はからし種
  に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長
  するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる   
  』」(マタイによる福音書13:31-32)。



(注1)  寺島実郎氏は、「安倍 一強」の後で、日本国民がどのような政治を選択するかについて、次のように述べておられます。「確かにわれわれの目の前には不条理な現実があり、安倍政権に象徴されるような、克服する思考力の弱い状況が続いています。しかし、歴史は必ず条理の側に向かうのです。その兆候は既に現れています。例えば、今回の参院選で投票率は48.8%で史上2番目に低い数字を記録し、自民党は比例票を240万票減らして単独過半数を割りました。この結果を見ても、大多数の国民が「安倍自民党以外に選択肢がない」という政治状況に対してフラストレーションを抱いていることは明らかです。裏返して言えば、安倍自民党以外に選択肢があれば政治状況はガラッと変わるということです。そして、歴史は必ず自らを条理の側へ導くリーダーを生み出すものです。安倍政権は構想力の弱い政権であり、官邸主導外交という建前で外務省も腰が引けるような政策ばかりやっていますが、その当然の帰結として日本は行き詰まりつつあり、国民もそのことに気づき始めている。「日本人はいつ目を覚ますのか」ということですが、私にいわせれば、すでに時計の針の音は聞こえ始めています。歴史は思考力の弱い時代をあざ笑いながら動き始めており、現在は不条理から条理への過渡期にあるのです。いま問われているのは、安倍政権がどうしたというレベルの話ではなくて戦後日本の歴史がいよいよ条理の側に向かい始めたということです。ここで、重要なのは、国民に条理を指し示すことであり、歴史に筋道をつけることです。われわれはそのために徹底的な議論をすることが必要なのです」(ゴシックは宮﨑)
 (「『戦後日本』が根底から揺らいでいる」<『月刊日本』2019年9月号、p. 16>

 寺島実郎さんの「歴史は必ず条理の側に向かう」「現在は不条理から条理への過渡期にある」「戦後日本の歴史がいよいよ条理の側に向かい始めた」という、「楽観的」な歴史理解は、神の創造の定めが被造世界の全体を支配し、保持し、統治しつつあることを信じる、私たちのキリスト教有神的世界観に通じるものがあり、同感を禁じ得ません。「主よ、私たちを憐れんでください」。





             L. プラームスマ著

『キリストを王とせよ―アブラハム・カイパーとその時代―』

宮﨑彌男訳

ー第24号より続くー


第1章 19世紀の精神 

フランス革命への反動として


ハ. レヴェイユと正統主義


 ヨーロッパで “レヴェイユ” と言われる言葉は、英語の “リヴァイヴァル” を連想させる語ですが、ほぼ同じ意味合いを持っています。どちらも、霊的な命の覚醒という意味の言葉です。しかし、リヴァイヴァルが、通常は、ある町や地方で起こり、それも、限られた期間継続するのに対し、レヴェイユは、ヨーロッパのいくつかの地方(スイス、フランス、ドイツ、オランダ、スコットランド)で、ほぼ同時(19世紀前半) に起き、その影響は、一時期に限られるものではありませんでした。それは、眠った状態の正統主義に対する反動であり、その時代において支配的であった合理主義や自由主義に対する反動でありました。そこには、敬虔主義的、個人主義的な傾向が見られましたが、教会改革から身を引くのではなく、その手始めともなったのです。
 セサル・マランという若い牧師が、1817年に,「人が救われるのは、イエス・キリストによるのみ」という、この時代においては特異な主題について説教したとき、ジュネーブでは、極端な自由主義が隆盛を極めていました。マランは解任されました。それからというもの、同じ主題の説教は、ジュネーブの教会においては、(原罪とか、予定論と共に)禁じられたトピックとなりました。
 マランは新しい教会を立ち上げることを望んではいませんでしたので、自分の家で集会を開いていました。彼は、後で建てた教会堂や、そこに集う信徒を国教会に属するものと考えていました。しかし、1849年に自由福音教会が設立されたのは、ほとんど不可避でした。これに先立つ1847年に、アレクサンドル・ヴィネを牧師とするペイ・ド・ヴォー自由福音教会が活動を始めていたからです。ヴィネは、死に至るほどの病を癒やされ、キリストに回心しました。彼は力ある福音の説教者でしたが、その神学の基礎を、無謬の聖書にではなく、人間の良心の純なる声に置きました。同じような考えが、倫理神学としてオランダに登場したとき、カイパーはこれに反対しました。
 フランスにおけるレヴェイユとの関連で、最も有名な人物は、アドルフ・モナドです。彼は、1832年に、リヨン改革派教会の自由主義的な小会によって、解雇されました。彼は、この上なく雄弁な、キリストの恵みの説教者でした。レヴェイユの中でも、彼は、二つの点で他と違っていました。一つは、改革派教会の中での分裂を望まなかったことです。自由教会が設立されてからも、彼は、分離を望みませんでした。第二に、彼は、ヴィネの影響の下にあって、聖書の霊感を認めながらも、一貫性がありませんでした。
 ドイツにおいては、レヴェイユは、“Erweckungsbewegung”(覚醒運動)と呼ばれました。この運動の最初の兆候は、キールの牧師で、1817年10月31日にルターの95箇条テーゼに自分自身の95箇条を加えたものを再出版した、クラウス・ハルムスの働きに見られます。彼自身のテーゼの第9条は、「我らの時代の教皇とは、信仰の目で見るならば、理性であり、行いの目で見るならば、良心である」となっています。この覚醒期の神学者は、『罪とあがないの教理』において、合理主義の冷たさを攻撃した、A.トールック
です。
 二人のユダヤ教からの改宗者が、この時期に、ドイツにおけるドイツの福音主義陣営において、指導的影響を与えたことは特記すべきことです。一人は、教会史の大著を書いた J. A. ネアンダー(元の名は、デーヴィッド・メンデル)。もう一人は F. J.  シュタール(元の名は、 F. J.ゴルゾーン)。彼は、法律家で、国の教会庁で重要な役職にありましたが、プロシャをキリスト教的国家とする理想を掲げました。シュタールはフルン・ファン・プリンステラやアブラハム・カイパーに影響を与えましたが、カイパーは、フルンがかつて言った、「シュタールはルター主義者だが、私はカルヴィニストだ」に同調していたようです(注8)。
スコットランドにおいては、ロバート・ホールデンとトマス・チャルマースが代表的です。ホールデンは、最初は、フランス革命の思想に惹かれていましたが、1794年に回心し、場所を選ばず、説教し始めました。1816年に、彼はジュネーブに行き、この町におけるレヴェイユの最初の鼓動に関わりを持つこととなります。
  チャルマースは、1815年から1823年までグラスゴーの教会で牧会し、その後は、大学で教えました。1843年に彼はスコットランド自由教会の指導者としての働きを始めます。教会と、さらには社会的政治的分野におけるこのような働きは、後の日のオランダにおけるアブラハム・カイパーの精力的な働きを彷彿とさせるものでした。牧師として彼は貧しい人々の救援組織を作り、都市の恵まれない下層階級の人々の物質的、道徳的、霊的環境改善のため働きました。彼は、執事職を生き返らせ、日曜学校、週日学校を始めました。彼は、教会の自律性、とりわけ牧師任命権を求めました。各個教会が自分自身の牧師を自由に招聘することができないとする、この牧師任命権を議会が持ち続ける決議をしたとき、チャルマースとその支持者たちは、スコットランド長老教会の総会を脱退し、スコットランド自由教会を設立しました。「大いなる情熱と多くの犠牲を払って自由教会の信徒は新しい建物を建て、牧師たちを支え、外国ミッションの開始と維持のために組織を作りました」(注9)。
 オランダでのレヴェイユの最も重要な代表者は、ギョーム・ファン・プリンステラです。何年もの間、彼は、オランダ議会でキリスト教の原理を政治生活に適用しようとする、孤独な戦士でした。フルンは、スイスのレヴェイユが生んだメリエ・ド・ビニエの説教を通して回心しておりました。そのド・ビニエは、スコットランド人、ホールデンの説教を通して先祖の信仰へと導かれていました。その有名な著書、『不信仰と革命』において、フルンはフランス革命の原理を、18世紀啓蒙主義の不信仰の精神を体現するものとして、攻撃しました。
 生涯に亘って、フルンは、国家と教会の、国家と教会の改革のため、その教会の教理の擁護のために戦いました。彼は、また公共生活における神の言葉の権威のために戦いました。下院の一議員として、彼は、自分のことを「政治家にあらず、福音の一宣言者」と呼びました。その生涯の終わりに、彼はカイパーを訪ね、彼自身が蒔いた種を刈り取る、賜物豊かな後継者と呼びました。
 オランダ・レヴェイユの担い手たちは、1834年に H. デ・コックや S. ファン・フェルツェンと言った、勇敢な若い説教者の指導の下でなされた国教会からの離脱運動(アフスヘイディン)からは、少し距離を置いていました。この人たちが迫害されたときには、彼らに味方し、同情を示しましたが、彼ら自身はこれまでどおりの国教会に留まりました。 
 オランダ・レヴェイユの担い手たちが、貴族階級に属する福音主義者であったのに対して、離脱派の人々は、社会的には、概ね下層階級に属していました。しかし、フルンにとって、残念であったのは、レヴェイユの人々が、政治・社会的見解において、どちらかと言えば保守的であったのに対して、離脱の方がより一貫したカルヴァン主義的であったことです。
(注8) Kuyper-Gedenkboek 1897, p. 72
(注9) K. Scott Latourette, A History of Christianity (1953), p. 1193.
                              (次号に続く)

【8月の活動報告】


8月6日 (火)金戸清高兄、憲子姉が来訪。お二人は、私どもの熊本伝道所牧師時代、共に礼拝を守り、伝道と教会形成に労した、同志たち。特に、清高兄は、熊本にある九州ルーテル学院大学の教授で、「日本文学とキリスト教」を教えておられる。

8月11日(日)長野佐久教会(長野会堂)にて、礼拝説教奉仕。(ヘブライ12:18~24)。

8月12日(月)近くの、御代田町「のぞみの村」に休暇滞在中のドイツ人宣教師、エルケ・シュミッツ姉(German Alliance Mission)来訪。散歩中に知り合った仲であるが、TCUの稲垣久和先生など、共通の友人・知人多いのに驚く。「ICS軽井沢文庫」を見ていただいた。キリスト教界は狭くて、広い。

8月18日(日)長野佐久教会(佐久会堂)礼拝後の男子会において、助言教師として、『信徒の手引き』(「時の管理」)を学ぶ。

月21日(水)長野佐久教会の祈祷会に出席後、「ほっとぱーく浅科」で、佐々木弘幸先生ご夫妻と、昼食を共にする。山梨栄光教会の岩間孝吉長老が送ってくださった、山梨県の「教会一致懇談会」の資料を分かち合いながら、同県下のキリスト教伝道について、語り合う。この「教会一致懇」の新年初週祈祷会は50年も続いているとのこと!主にある、その志に心打たれる。主を讃美せよ。

8月23日(金) 甲斐市の安達正子姉、北軽井沢の富田渥子姉と共に来訪、キリスト教政党の必要性、可能性等について語り合う。


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