2018年8月25日土曜日

ウェストミンスター大教理問答研究(石丸新)

ウェストミンスター大教理問答におけるサタン

石丸 新

 私が初めてサタンに出会ったのは、物心ついて聖書カルタを手にしたときだった。取り札に描かれたサタンは全身が骸骨で、眼だけが異様に大きく、鎌と刀を手にして、敵を足で踏みにじっていた。地面に血が流れていた。幼い私にとっては、この取り札自体がサタンそのものだった。読み札は記憶に無い。サタンの実在を信じたのはそのときだった。今も変わることがない。サタンに人格のあることを強調して、「ミスター・サタン」と
呼んだ人がある。ある人は言ったー「サタンには手も足もある」。

●大教理問答での用例は次のとおり。
  21 サタンの誘惑による始祖の違反
  27 人類の悲惨の様相
  48 キリストの謙卑のさま
 121 安息日を毀(こぼ)たんとするたくらみ
 191(x2)主の祈りの第二祷
   195(x3)主の祈りの第六祷

●小教理問答での用例は1回のみ:102 主の祈りの第二祷

●信仰告白での用例は7回:1:1、5:6、6:1、17:3、20:1、21:1、25:5、

1.大教理21
 答 私たちの始祖は、自分自身の意志の自由に任されていたところ、サタンの誘惑によ
   、禁じられていた木の実を食べて神の戒めに違反しました。そのことによって
   彼らは、創造された時の無罪状態から堕落しました。(宮﨑訳)
 証拠聖句のうち、Ⅱコリント11:3が告げるところに注目したい。「エバが蛇の悪だくみで欺かれたように・・・・。」サタンは巧妙な手口を駆使して神に背かせる。人を神から引き離す力をサタンは行使する。
 創世記3章の堕落物語には「力」の語こそ用いられないが、蛇に宿るサタンの力は際限なく強い。

2.大教理27
 答 堕落は、人類に神との交わりの喪失、および神の不興と呪いをもたらしました。
   そのため、私たちは生まれながらにして怒りの子、サタンの奴隷であり、この世に
   おいても、来たるべき世においても、あらゆる刑罰を受けて当然の者です。(宮崎訳)
 下線部の証拠聖句Ⅱテモテ2:26は極めて絵画的である。新共同訳では「こうして彼らは
悪魔に生け捕りにされてその意のままになっていても、・・・・。」
 下線部の原文 eis to ekeinou thelema の eis は、悪魔の意志のただ中へと丸め込まれているさまを描き出す。この意をくんで、岩隈は「その意志に屈服させられている」と訳した。  
 アダムにおいて堕落した私たちは、神の目からすれば怒りの子であり、実態はと言え ばサタンの奴隷である。サタンの意志に屈服させられ、サタンに隷属している存在であ
る。
 パウロはⅠテモテ3:7で「悪魔の罠」と言っている。同6:9では「誘惑、罠」とも。
 隷属は、家来となって主君の支配力の下に身を置くさまを言う。サタンへの隷属は
サタンのとりことされ、その力の下でがんじがらめにされているさまを指す。

 クリスマスの讃美歌《もろびとこぞりて》の2節は、現行112番では〈悪魔のひと
やをうちくだきて、捕虜(とりこ)をはなつと主はきませり〉であるが、讃美歌21
の261番では〈悪魔の力をうちくだきて〉となった。
 ハイデルベルク信仰問答問1の答に次のとおり言われる。「この方[イエス・キリスト]は御自分の尊い血をもってわたしのすべての罪を完全に償い、悪魔のあらゆる力からわたしを解放してくださいました。」(吉田訳)
 登家訳では「・・・・まったく悪魔の権力のもとにあったわたしを解放してください ました。」

3.大教理48
 本問の答では、サタンの誘惑と戦うことにおいてキリストが自らを低くされたことが
言われている。戦いの相手は他にも挙げられている。
 48問の趣旨は、46問で明白に述べられていた。キリストがご自分の栄光を空しくし、
自らにしもべのかたちをとられたことの目に見えるさまの一つがサタンの誘惑との戦い
であった。

4.大教理 121
 第四の戒めの冒頭に「心に留めよ」との言葉がおかれているのはなぜか、と本問は
問う。
 答を大別すれば、①安息日を覚えることは大きな益だから。
 ②私たちが安息日をすぐに忘れがちだから。
 ②に三つの細目がある。その第三は「サタンがその手下どもを用いて、安息日の栄光、
そしてその記憶をすら消し去って,不信仰と不敬虔が全面的に支配する世の中にしようと
大いに骨折っているからです。」(宮﨑訳)
 下線部は、原文では Satan with his instruments much labour である。主語が三人称
単数で現在のことを言うのに、なぜ labours としないのか、ネイティブでない身には分からない。ここは、Ward の現代英語版では、Satan with his agents seeks by all means
となっている。

 ここでの instruments を「手先」とする訳本もあるが、鈴木訳の「さまざまな手練
手管」には、思わず目を見張った。人をだましたり操ったりする腕前のこと。なお、
much labour も、鈴木訳では「躍起になる」で、翻訳の極意を垣間見る思いがした。
 サタンは狡猾で、あらゆる手を用いる。先ずは人を迷わせ、その隙をついて自分の言う
ことを信じさせる。そうして神から引き離そうとする。常に虎視眈々とうかがっている。
複数形の agents は、ありとあらゆる手段、やり口を言い表している。証拠聖句の
ネヘミヤ13:15-23は、安息の戒めをおろそかにさせようとするサタンの手口が、あらゆる
商品の売買に及んでいるさまを描き出しているーー穀物、ぶどう酒、ぶどうの実、いちじく、食品、魚。
 サタンは安息日遵守をおろそかにさせるという蟻の穴を手始めとして、信仰者の週日、
そして全生涯を破滅に陥れようとして、日夜働いている。今、この時もうごめいている。
サタンは細部に宿る。

5.大教理 191
 (1)主の祈りの第二の祈願をささげるにあたり認めることとして、「自分自身、さら
  には全人類が生まれながら罪とサタンの支配下にあること」が挙げられている
  (宮﨑訳)。
   原文の under the dominion of を「支配下」と訳した。罪が力を振るい、サタン
  が力を総動員する、そのような状況下に全人類は置かれている。ここでの支配下は、
  罪とサタンの権力下にほかならない。

 (2)第二祷で祈るべきことの冒頭に置かれるのが、「罪とサタンの支配が打ち滅ぼさ
  れ」である(宮﨑訳)。原文では、the Kingdom of sin and Satan may be
      destroyedであるので、「罪とサタンの王国」とする訳本もある。

 (3)第二祷で祈るべきことの最後に置かれるのが、「キリストが全世界において御力
  の支配を行き届かせることを喜んでしてくださるように、とのこと」である(宮﨑
  訳)。原文では、that he would be pleased so to exercise the kingdom of his
      power in all the world である。
   古語 kingdom は王位、王権の意で用いられるので、ここを「王権」とする訳も
  ある(松谷訳)。一方、一般の辞書でも説明されているとおり、kingdom は神
  [キリスト]の霊的支配を意味する。私は、「支配」に傾く。 改革派委員会訳では支
  配、鈴木訳では支配力。
   罪とサタンとが実効支配している現実にキリストが主権をもって斬り込んで、ご自
  身の力の支配を世界の隅々にまで打ち立ててくださる。その意味で、「支配力」の
  訳語は意を伝えている。
   直ぐに頭に浮かぶのがパウロの言明であるー「御父は、わたしたちを闇の力か
  から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました」(コロサイ
  1:13)。下線部を保坂は「御子の王国的支配の下へと」と訳した。ここでは、
  「○○から」と「△△への」の対比が著しい。絵画的でもある。
   罪とサタンは常に変わることなく、聖なる神への抵抗勢力である。
   告白20:1では、キリスト者が、今のこの悪しきと、サタンへの隷属と、
  支配とから救い出されていることが明言されている。この箇所の証拠聖句の一つが
  コロサイ1:13である。

   大教理191と並行する小教理102には、次のトリオが整然と現れる。
    that Satan's kingdom may be destroyed
            that the kingdom of grace may be advanced
            that the kingdom of glory may be hastened
   明治13年(1880)発行『新約全書』馬太(マタイ)伝第六章の「主の祈り」を、
  日本の教会は140年近くの長きにわたって用いてきた。表記に多少の変更が加えられ
  てはきたが。明治13年版では、thy Kingdom に爾国(みくに)の訳語が当てられて
  いた。爾は汝(なんじ)のこと。後に御国(みくに)となる。
   ウエストミンスター小教理問答の日本語訳を一覧すれば、明治9年以来、表記の
  異同はあるものの、ほぼ、サタンの国、恵みの国、栄光の国と訳されてきた。
   これを、サタンの王国、恵の王国、栄光の王国としたのは、1978年の榊原訳が
  最初である。1963年改革派委員会訳大教理191「罪とサタンの王国」に倣ってか。
   1997年の鈴木訳は、サタンの支配、恵みの支配、栄光の国とした。
   2002年松谷訳、2009年春名訳、2015年袴田訳はいずれも、サタンの王国、恵み
  の王国、栄光の王国。
   王国とは、王が自らの権力で支配する国であることから、そこで自明なのは、
  他の原理をくまなく排除する支配力そのものである。

6.大教理195
 (1)主の祈りの第六祷をなすにあたり認めるべきことが三つ挙げられるが、その
       第二点は次のとおりーーー「サタンと世と肉とが,強引に自分の方へと私たちを
   引き寄せて、罠にかけようと身構えていること」(宮﨑訳)。
    サタン・世・肉のトリオに注目したい。告白1:1に早くも姿を現す-「肉の
   腐敗とサタンとこの世の敵意」。
    同じく告白5:6では「肉」の語こそ用いられないものの「自分自身の欲望と
   世の誘惑とサタンの力に引き渡される」。
    同17:3では「サタンとこの世との誘惑や、自らの内に残っている腐敗」。
    上に見るとおり、肉は罪の腐敗面を言い表している。神に対しては背反、自分
   に対しては腐敗。

    大教理191ではサタンの支配力が前面に出ていた。195でも変わることがないが、
   195では、このサタンに肉の欲、肉の腐れが直結されていることを注視しなければ
   ならない。世も同様に,自分の欲の欲するままに行動する姿を映し出している。心に
   入り込んでいる欲望が問題なのだ。証拠聖句のルカ21:34とマルコ4:19の
   告げるとおりである。

    サタンと世と肉とが、強引に自分の方へと私たちを引き寄せようと身構えてい
   る。下線部の動詞 drawが大教理155に用いられているのに気付いた。神の御霊が、
   御言葉の朗読、特に御言葉の説教を有効な手段としてお用いになる目的の一つと
   して挙げられているのが、「罪人を自分自身から引き離してキリストへと引き寄せ
   る」ことである。エチオピアの高官の例を証拠聖句として挙げるとおり、罪人で
   ある自分は、先ずは自分本位の勝手気ままな聖書の読み方、また聖書解釈をしよう
   とする、そのような自分から解放されなければならない。その解放は御霊の業に
   ほかならない。それが、罪人を「自分自身から引き離し」との句で明らかにされて
   いる。下線部の動詞はdrive。
    原文では、driving them out of themselvesと
         drawing them unto Christ の対比が著しい。
    「罪人を自分自身から引き離し」を「罪人を自分自身からひき剥がし」とすれ
   ば、実感がこもる。

    サタンは常に、世と肉とを仲間に引き込み、手を組んで巧妙に動き回る。

   (2)主の祈りの第六祷で祈るべきことの前段に、「神が…、肉を従わせ、
     サタンを抑制し」とある。(1)のサタン・世・肉が(2)では肉・サタン
     となった。
     「肉」は神に背いて堕落した人間の罪の姿、特に汚れを言い表す。罪に
     汚れた人間の腐敗そのものが肉である。サタンはこの肉を狙って攻撃を
     仕掛けてくる。よって、神が肉を従わせてくださるように、と祈り求める。
      証拠聖句の詩編119:133「どのような悪もわたしを支配しませんように」
     を唱えて、神の聖なる支配を願い求める。
      次いで、神がサタンを抑制してくださるように、と祈る。サタンは肉と
     世とを家来にして働くが、それはすべて神の許しの範囲内でのことである。
     したがって、神がサタンの活動を抑制して、サタンの目的のすべてを達成
     させないでください、と祈るのである。
      神が肉を従わせ、サタンを抑制してくださるようにとの祈りの直前に
     置かれるのが、神が世界とその中にあるすべてのものを支配してくださるよう
     にとの祈りである。直後に置かれるのは、万事を統御してくださるようにとの
     祈りである。神の主権を告白する祈りといえる。

      神の全能の働きに信頼を傾けてなす祈りは、神が備えてくださっている恵み
     の手段を目を覚まして用いることに直結されている。大教理154問では恵み
     の外的手段は何かが示された。195問のこの箇所では,この手段を最大限の
     注意を払って自覚的に用いることが求められている.牧会的な勧めといえる。
    
    (3)主の祈りの第六祷で祈るべきことの後段に、「サタンが私たちの足の下に
      踏みにじられ」が挙げられる。この後段は終末の完成を確かに見通しての
      祈りである。
      (2)では「サタンを抑制し」と言われたが、(3)では「サタンが踏みに
      じられ」となった。終末における決定的壊滅を指してのことである。
      証拠聖句ローマ16:30「……神は間もなく、サタンをあなたがたの足の
      下で打ち砕かれるでしょう。」
      下線部は諸訳での「速やかに」に傾く.遅れることなくの意。

       大教理89問に目を配れば、審判の日に、悪しき者は「……地獄に投げ
      入れられ、悪魔とその使いたちと共に、体と魂の両面にわたり、言い尽くす
      ことのできない苦悶をもって、永遠に罰せられます。」この箇所の証拠聖句
      Ⅱテサロニケ1:8,9に見える「神を認めない者や、わたしたちの主イエス
      の福音に聞き従わない者」が、本問での「悪しき者」の定義だと思う。
       終わりの日に,悪しき者は悪魔と共に,永遠に罰せられる。
      悪魔の決定的な敗北は、義人すなわち聖徒たちの不動の勝利と対比されて
                  いる。

       大教理195答「サタンが踏みにじられ」の別の証拠聖句ゼカリヤ3:2に
      注目したい。「主の御使いはサタンに言った。『サタンよ、主はおまえを
      責められる。……』」なお続く3:3は「また、御使いはヨシュアに言った。
      『わたしはお前の罪を取り去った。晴れ着を着せて貰いなさい。』」
      何たる対比であろうか。

       悪魔/サタンの客観的実在と人格性とを信じる者にして初めて,霊の戦い
      に勝利することができる。この勝利は活けるキリストの力による。

     【付】ウエストミンスター信条での悪魔
       ウエストミンスター信条で devil が用いられるのは、3例のみ。
      いずれの例でも「悪魔」と訳される。
      ●大教理89 審判の日に悪魔は永遠に罰せられる。上記6.(3)で触れた
       とおり。
      ●大教理105 第一戒で禁じられていることの一つとして「すべて悪魔と
       同盟したり、相談したり、その提言に耳を貸したりすること」が挙げられ
       る。(宮﨑訳)「耳を貸したり」の証拠聖句 使徒5:3では、「サタン
       に心を奪われ」。
      ●大教理192 主の祈りの第三祷にあたり認めるべきことの一つに挙げられ
       るのが「肉の欲すること,悪魔の意図することを行う方向性に完全に
       染まっている者であること」(宮﨑訳)である。
        悪魔の意図することは、すなわち私たちを神から引き剥がし,完全に
       引き離して自分の支配下に引きずり込もうとするたくらみにほかならない
       い。
        ここでも、「肉の欲すること」と「悪魔の意図すること」が単なる
       並列の域を超えて,合体していることに注目したい。
        大教理195では、サタンと世と肉の一体を見た。同じ195で、肉と
       サタンが一息で言われていることを目にした。
        192と195を併せて読めば、サタンと悪魔が瓦換可能であることが
       見えてくる。ちなみに、告白1:1で諸訳が「肉の腐敗とサタンとこの世
       の敵意」とするところを、改革派委員会訳は「肉の腐敗と悪魔や世の
       敵意」と言い表している。「悪魔」とする訳本は他にもある。

        1954年版『讃美歌』を一覧すれば、驚くことに「サタン」の用例
       は無かった。頻出するのは「悪魔」「あくま」である。
         27, 112, 150, 158, 198, 255, 267, 281, 382, 387, 397,
                           408, 528
                        日曜学校で歌ったものに「わたしはちいさいひ」がある。
        (1965年初版『ふくいん子どもさんびか』86番)その3節は、
          あくまがふいても ひかりましょう
          あくまがふいても ひかりましょう
          ひかれ ひかれ ひかれ
        日本の教会は、新約聖書で一貫して用いられている「悪魔」を、
       讃美歌でももっぱら使ったようだ。もっとも、明治21年の
       『新撰讃美歌』では、全274曲中、70, 79, 133の3曲に「サタン」の
       用例が見られる。



       

       
             




   

   

   
   





  

  



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