「熊本伝道所の40年を振り返って」
2017年8月26日(土)
宮﨑彌男
(東部中会引退教師)
序 私の自己紹介…
・①1978年1月~1996年3月(18年間)、熊本伝道所宣教教師、②2012年4月~2014年6月(2年3ヶ月)、同定住代理宣教教師。計20年と3ヶ月(熊本伝道所40年の歴史のちょうど半分を小生が牧師として担わせていただいた。本当に光栄なことであった、と主と皆様方に感謝している。特に70才を越えてから,再び呼んでいただいて、引退教師として奉仕させていただいた②は、私と家内にとっては、幸いな時であった。と感謝している。
Ⅰ.熊本伝道の出発点(原点)
・日本キリスト改革派教会による熊本伝道は、日本キリスト改革派長丘教会(伝道所)の熊本集会から始まる。1974年12月13日~1977年4月3日、毎月1回、常葉謙二長老ご夫妻宅で家庭集会。長丘教会の岩崎洋司牧師が出張奉仕。これが契機となって,日本キリスト改革派教会による熊本伝道が1978年1月1日の主の日に,正式に始められ、私が宣教教師として遣わされた。
・岩崎洋司先生の九州伝道のヴィジョン…有神的人生観世界観の確立と改革派教会の形成。これが改革派教会による九州伝道/熊本伝道の出発点/原点である。Cf. 岩崎洋司「九州の開拓伝道に寄せて」(中央宣教研究所『紀要』第8号、10,28-29頁)、「創立二十周年記念宣言」「回顧」の項。(資料1)。
・聖書における有神的世界観と教会の使命…詩編24編に学ぶ。
[1節]私たちが住んでいるこの「世界」とはどんな所か。主が「ご自身のもの」として、ご支配なさっている所なのだ。
[2節]…基礎工事は、主がなさった。それ故に,堅固な土台は据えられている。「潮の流れ」もこの土台を壊すことはない。
[3-6節]…しかし、その上に築かれる人間の歴史/文化/生活はアダムにおける罪の故に、揺らいだり壊されたりすることがある。それ故に十字架の死と復活によって罪と死の力に打ち勝たれたキリストによる救いが必要である(創世記3:15)。キリストは贖いを成し遂げ、これを土台として教会を建てられた(マタイ16:18)。
[7-10節]…教会の形成と完成のために主は力強く働き給う。
この詩編24編が証しているように、有神的人生観世界観の確立とそのための教会の樹立を、私たちは二つの別個の使命としてではなく、一つの目的として、その実現のために祈り励む。
Ⅱ.教会形成の課題
・教会役員の育成と伝道の課題…伝道の進展と教会形成において一番重要なことは、教会役員(教師/長老/執事)の育成である(使徒20:,31,32、『熊本伝道所十五年の歩み(1978~1993)』25頁(資料2)。熊本伝道所40年の歴史の中で、未だに教師と2名以上の長老から成る小会(長老会)を設置できないでいることは、私自身の率直な反省事項であると共に、地方伝道の難しさでもある。
・教師と教会役員
教師…自ら伝道すると共に,役員を育成しなければならない(二重の使命、Ⅰテモテ5:17)。
教会役員(長老、執事)…「世の働き」(職業)に従事しつつ、教会で牧会/奉仕する(二重の使命、教会員の祈りによって支えられなければならない)。
・使徒20:32に学ぶ。
御言葉には,教会を建てあげ、教会員に嗣業(クレイロノミア)を受け継がせる力がある。「教会は、壊さない限り、建つ」(榊原康夫)。Cf. 長田秀夫「地方伝道で学んだこと」(『成長する教会』1989年度東北中会修養会記録)(資料3)。
Ⅲ.熊本大地震と執事的愛の奉仕
・「ゆるっとセンター」、asobeba、「あみあみの会」等、新しいプログラムが始められたことの意義…地域のニードに応えるキリストの教会。
・ルカ10:25~37(「善いサマリア人」のたとえ)に学ぶ。
「隣人を自分のように愛せよ」についてのイエスの教え…イエスの目線はもっぱら「追い剥ぎに襲われた人」に注がれている。主エスにとっての一番の関心は、この人が何を必要としていたか、にあった。サマリア人(当時のユダヤ人にとっては異端者)は、この人を見て「憐れに思い」彼を「助けた」。イエスは、私たちに対して言われる。「行って、あなたも同じようにしなさい」と。これが、隣人愛であり、永遠のいのちである。Cf.吉田隆「“執事的宣教”とは何か―その重要性と課題」(『紀要:ミッション』第10号、2015年3月31日)(資料4)。
結び
・「主を愛し、教会を愛しなさい」…この「愛の律法」は、私たちに対する十字架の主の「命令」であると同時に、また「賜物」(Ⅰコリント12:31)であることを覚えよう。
(資料1~4)
(資料1) 岩崎洋司「九州の開拓伝道に寄せて」(中央宣教研究所『紀要』第8号、10,28-29頁)。
「(開拓の理念) 九州開拓伝道の開始は68年9月でしたが、その精神的基点は66年4月の二十周年記念大会にあったと言えます。この大会では、記念宣言と共に説教と三つの記念講演がありました。あの二十周年宣言は創立宣言をふまえ更にこれを教会論として徹底した改革派の教会理念の白眉また結晶と言うべき歴史的宣言でありましたし、また説教と三つの講演もそれぞれ、改革派教会の現状と将来を踏まえて躍進する教会の原理とそのヴィジョンとをうたった素晴らしいものでした。これらを含めて、二十周年記念大会の理念こそ、九州開拓の基本理念であったと言うことができます。…ここに示されている二点は、余りにも有名な創立宣言で示された改革派教会の主張の二点です。即ち,第一点は、有神的人生観乃至世界観の確立と第二点は聖書的使徒的教会の樹立,以上の二点です。さて,私は最初、この創立宣言を読みこの二点を知ったとき、余りの素晴らしさに目を見張ったことを想い出します。特に第一点は,戦前の教会では、全く聞かれなかったことです。九州伝道においても,この二点を生かそうと思ったことは当然です。それで、看板にも改革派の時を大きく書きました」。
「創立二十周年記念宣言」「回顧」の項
「思えば、昭和21年4月28日、荒廃焦土の祖国に、神のみ旨にかなう国家と教会の建設を願うわが日本基督改革派教会が創立されたことは、神の深きみ旨によるところである。まことに、キリスト教有神論こそ新日本建設の唯一の基礎であるとして、信条的にも教会政治的にも宗教改革の正統を継ぐ教会を樹立しようとする改革派教会が日本人のみの手によって誕生したことは、わが国キリスト教史を飾る画期的事件であった」。
(資料2)『 熊本伝道所十五年の歩み(1978~1993)』(別途配布済み)。
(資料3) 長田秀夫「地方伝道で学んだこと」(『成長する教会』1989年度東北中会修養会記録)(別途配布済み)。
(資料4) 吉田隆「“執事的宣教”とは何か―その重要性と課題」(『紀要:ミッション』第10号、2015年3月31日)
「[そして、この度の震災を通して、私が何べんも何べんも思い巡らされました御言葉が、あの『善きサマリア人』の譬えであります。あの『善きサマリア人』の譬えというのは、サマリア人というユダヤ人が毛嫌いしておりました異端者でありますね。その異端者が親切にしてあげた、隣人になったという物語として痛烈なユダヤ人批判と言いましょうか、非常に衝撃的な教えになっているわけであります。今回この御言葉を、様々巡らせる中で、一つたいへん深く教えられましたのは、あの譬え話の中でですね、イエス様の視点がどこにあるかということです。イエス様の視点が、実は倒れている人のところにあるのではないかというふうに気付かされました。倒れている人にとってですね、そこに祭司が通ろうが、レビ人が通ろうが、関係ないんです。タイトルは関係ないんです。倒れている人にとっては、助けてくれる人が全てなんです。助けてくれる人が善い人なんです。その倒れている人の視線にイエス様が寄りそっておられる。その人が何を信じていようが、どういう宗教であろうが、どういう社会的な地位を持っていようが関係ない。倒れている人にとっては、助けてくれる人が善い人である。その倒れている人の視点でイエス様が見ておられる。正に、イエス様が倒れてらっしゃる。そのことを改めて教えられました。私たちの神さまはこういう方です。決して天高くから見ているわけではない。神さまの視点はそういう所にはありません。倒れている人から見ています。お腹を空かせている人から見ています。抑圧されている人から神様は見ていらっしゃる。この世界を。そして私たちキリスト者を。そのことに気付かされました。」
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