2016年11月23日水曜日

「ICS軽井沢文庫だより」NO.5




ICS軽井沢文庫だより」 NO.5
 201612月31

「待ちつつ働き、働きつつ待つ」宮﨑彌男
-2017年に向けて-
新潟伝道所クリスマス

 「ICS軽井沢文庫だより」第5号をお届けします。
 今年は、何だか、あっという間に年末となったという思いはあるものの、今年のアドベント/クリスマスは、私にとって、例年にも増して恵まれた時となりました。それというのも、11月27日より4回のアドベント主日、そして12月25日のクリスマス礼拝と、毎週のように近隣諸教会で説教奉仕を依頼されたからです。それが一番の恵みであったと思っています。新潟で11/27,12/4,12/25の3回、佐久で12/11、長野で12/18に、それぞれ御言葉の奉仕をさせていただきました。
 その中で、何度か、アドベントの意義に触れる機会があったのですが、「アドベント」とは、ラテン語の[ad+venire]に由来する教会歴の呼称で、その意味は「来臨に備える」ということです。主の来臨には、聖書のメッセージからすれば、「初臨(First Coming,降誕)と「再臨(Second Coming)があるので、この期間、私たちは、主の再臨を待ち望む終末信仰を持って、クリスマスの準備をするのです。特に、再臨を待ち望む終末信仰については、いつ主が来られても喜び迎えることができるように、目を覚まして祈ることが大切であることをおすすめしました。

(恵みの回顧)

 12月29日の「リジョイス-主にある喜び-」に奨励者は、一年間に受けた恵みを回顧することの意義につき、次のように書いておられました。「一日の恵みを思うことは、この1年の恵みを振り返ることに重なる。何と多くの恵みと幸いによってこの年も生かされて来たことだろうか。そして、一年を思うことは、自分の来し方行く末を思うことへとつながる。その生涯にどれだけの恵みを見出すことができるだろうか。恵みは溢れて、現に受けているのに、どれほど受け止めて感謝しているだろうか」と。この「便り」の前号に、近くに熊の目撃情報があってから夜の散歩を控えている旨書きましたが、そのため、30分~1時間を文庫小屋(私にとっての「祷院)で過ごすようになっています。この間、祈りの中で、その日に受けた恵みを数え上げて主に感謝する、それが私の日課となり、生活の力となっているのです。
 同じように、この年を回顧して、主から受けた多くの恵みを、五つばかり記しておきます(順は不同)。
 
 ☆4月 法理念哲学関係の友人、ハリー・シャット氏夫妻をハワイ島ヒロ市近郊に訪ねる。高齢で弱っておられたが、法理念哲学関連の多くの貴重な書物を文庫のためにいただいた。家内も同行。(ホームセンター「コメリ」のくじが当たり、旅費半額免除)
 ☆6月 大地震(4/14,15)に見舞われた熊本教会を家内と共に問安。6/26礼拝説教奉仕、旧知の兄姉・求道者を訪問。
 ☆6月 「まじわり」6月号に、恩師矢内昭二牧師(3月16日召天)の追悼文を書く。12月、家内と共に、「武蔵野シャローム墓苑」(所沢市)を訪ねた。改革派創立宣言に基づく教会の形成という先生の遺志をを継ぎたい
 ☆7月 日本カルヴィニスト教会総会・講演会に出席(於・神港教会)。『キリスト者の世界観』増補版の翻訳に向けて励ましを受ける。
 ☆11月 東関東中会設立10周年記念信徒大会に出席(於・東京基督教大学)。筑波みことば教会の兄姉と久方ぶりに再会。

(主の2017年の展望)

 明日からは、いよいよ2017年、宗教改革500年記念の年です。
 カルヴァンは、『ジュネーブ教会信仰問答「主の祈り」第3祈願の項で、次のように問答するように求めています。
 
問269 「どうして、このみ国を、来たらせ給えとあなたは祈るのですか」。
答 「それは主が1日1日と信徒の数を増し加えてくださるように、また彼らの上にその恵みを日毎に増大させて充ち満つるまでにしてくださるように、また神の真理をますます明らかに示してくださるように、神の義をあらわしその義によって、サタンとその国のもろもろのくらやみが砕かれ、また一切の不義が打ち倒され取り除かれるようにということであります」。

 この答の中で、「一日一日と」「日毎に」「ますます」といった言葉に注目してください。カルヴァンが御国の進展を生き生きと捉え、それが「毎日」のことであることを強調していることがわかります。1年には365日あります。この1日1日に私たちは沢山の恵みをいただきます。それならば、来年1年間に神様からいただく恵みはどれほどでありましょうか。私たちは、日毎に恵みを数え上げ、主を讃美しつつ1年を過ごしたいものです。

 今はなき岡田稔先生(神戸改革派神学校初代校長)が、私の青年時代、西部中会の連合青年会で、「終末信仰に生きるキリスト者は、待ちつつ働き、働きつつ待つんだ」といわれたことを覚えています。再臨を待つだけではない、将来の展望(希望)もなしにただ働くだけでもない。待ちつつ働き、働きつつ待つのだ」。この待ちつつ働き、働きつつ待つ」(ルカ12:35~37)を、来年度「ICS軽井沢文庫」の標語としたい。

(「ICS軽井沢文庫」の活動)

 「ICS軽井沢文庫」の当面の活動は、①改革主義的文書の翻訳、②「ICS軽井沢文庫だより」の発行です。
 ①については、この1か月、アル・ウォルタース&マイケル・ゴヒーン著『キリスト者の世界観』増補版、〈付録・あとがき〉「物語と宣教を媒介する世界観」の中の一項「聖書物語と教会の宣教的使命における私たちの役割」全体を訳したものを付け加えて掲載していますので、ご一読ください。内容はとても良いです。
 ②について。次号の発行は2月初め頃です。 



「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。主人が婚宴から帰って来て戸を開けようと待っている人のようにしていなさい。主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる」
           (ルカによる福音書12:35~37

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389-0115長野県北佐久郡軽井沢町追分36-23 宮﨑彌男・淳子
TelFax 0267-31-6303(携帯) 080-3608-3769
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ICS軽井沢文庫だより」 NO.4 20161123

「アドベントに入る」 宮﨑彌男
 
 秋から冬へと移りゆく季節となりました。もう来週の主の日からアドベント(待降節)入りです。秋の軽井沢は、本当に紅葉が美しく、良い写真を撮って「たより」に掲載しようと、近くを見渡したのですが、残念ながら、もう見頃を過ぎてしまっているようなの
で、また来年度のお楽しみ、ということにさせていただきます。代わりに左に掲げたのは、「初冠雪の浅間」 (113日、信濃追分駅ホームより眺む) です。
 さて、私の最近の日課ですが、午後、1時間くらい自宅付近を散策します。一人で、祈りつつ瞑想しつつ歩くこともありますが、家内と連れだって散歩することもあります。このような時に、説教のアウトラインや適用が思い浮かぶことも多くあり、また、神の国に関わるヴィジョンや計画が示されることもありますので感謝です。ただ、去る1030日の早朝、散歩中に熊を見かけた、という近隣の目撃情報もありましたので、要注意です。このため、しばらくは、暗くなってからの散歩は御法度。それで、夕食後は、文庫の小屋に灯りをともして、祈ったり本を漁ったりすることが多くなっています。小さな石油ストーブを入れているので、ちょっとした 「祈祷院」となっています。

10月、11月の主な出来事)
102日㈰、23日㈰ 新潟伝道所・説教、ウ大教理問答学習会。
10 9日㈰ 佐久伝道所・ウ大教理問答学習会。
1011,18,25() スマホ・タブレット講習会、於・軽井沢中央公民館(注☆)
10 16日㈰ 長野伝道所・説教奉仕。
1025~27 日本クリスチャン・カレッジ(現・東京基督教大学)1965年卒同期会、於「軽井沢ゆするの家」(注☆☆)
113(木・祝) 日本キリスト改革派東関東中会設立10周年記念信徒大会、於・千葉県印西市・東京基督教大学キャンパス(注☆☆☆)
116日㈰、27日㈰ 新潟伝道所・説教、ウ大教理問答学習会。
118,15,22() スマホ・タブレット講習会、於・軽井沢中央公民館。
1113日㈰ 佐久伝道所・ウ大教理問答学習会。
1120日㈰ 長野伝道所・説教奉仕。
(注☆)長野駅前「平安堂」の古書コーナーで見つけた野口悠紀著『超「超」整理法』に触発されて、9月より出るようになりました(講師:赤井信夫さん)。やはり、パソコンやスマホ等には、われわれ高齢者!も、ある程度の習熟が求められているようです。
(注 ☆☆)
これは、私が出席したというのではなく、家内が幹事 (世話役?) をつとめたので、私が若干準備に係わったということです。出席者、各地より9名。26()には、追分の拙宅&ICS軽井沢文庫にお招きし、文庫の意義等についてお話ししました。この中の幾人か (特に、平林英也さん、高山清彦さん) は、同校在学中に、渡辺公平先生(故人)の謦咳に接し、キリスト教弁証学・哲学に関する講義を受けられたということで、キリスト教世界観に深い理解と関心を示され、話が弾みました。この渡辺公平先生は、改革派教会の創立メンバーの一人で、JCCに移られる前、神戸改革派神学校でも弁証学教授を務められた方です。1965年頃、国際キリスト教大学で安達昌一兄(後に改革派甲府塩部教会牧師、1996年召天)等と共にICUKGKを立ち上げたとき、2,3度お招きし、講義していただいたことがあります。この方面での先生の著作や論文は、今でも貴重なものです。
(注 ☆☆☆)私は、200312~20117月、茨城県つくば市にある筑波みことば伝道所宣教教師を務めましたが、その間、20067月に東関東中会が設立され、その創立メンバーとなりました。以来5年間この新中会に属し、中会的交わりの中で色々お世話になりました。そのような経緯がありお招きいただいたので、出席しました。久方ぶりでつくばの兄弟姉妹たちや、中会の先生方、親しい役員、信徒の方々にお会いし、主にある旧交を温めることができました。挨拶された石丸引退教師の「後期(=光輝!)高齢者」への励ましの言葉は印象的、「私たちの礼拝が主への讃美と信仰告白によって光り輝く」(イザヤ書60:1~3)とのメッセージをいただきました(写真)。

(『キリスト者の世界観創造の回復』(改訂版)付録翻訳の進捗状況)
 前号で予告しておりました、アルバート・ウォルタース著『キリスト者の世界観創造の回復』(改訂版)付録「物語と宣教を媒介する世界観」の翻訳は順調に進んでおり、原著119127頁の訳を、引き続き、「ICS軽井沢文庫」のブログ<ics41.blogspot.jp>に掲載しておりますので、御覧ください。同「改訂版」の、アル・ウォルタース及びマイク・ゴヒーンによる「まえがき」の訳も追加・掲載しましたので、合わせてごらん下さい。「改訂版」の主旨が明確に述べられています。
 この他、ブログには、神戸改革派神学校在学時よりの畏友、藤本千春牧師(現在、東北中会引退教師として青森県八戸市在住)が寄せてくださった「たより」第3号への感想文も、許可を得て掲載させていただいています。

 (メールアドレス変更のご通知)
この度、私のメールアドレスを、()mmiyazk@a011.broada.jpより、()mmiyazk41@gmail.comに変更しました。今後は、新メールアドレスにてお便りくださいますよう、よろしくお願いいたします。なお、旧アドレスも、年内はご使用いただけます。

シャーローム。

「…これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、
 高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座し
 ている者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。」
           (ルカによる福音書1:78,79

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<「たより」第3号へのレスポンス>  青森県八戸市 藤本千春

宮崎弥男先生
主の御名を崇めます。お元気でご活躍のこと、すばらしいです。神によって与えられた時間ですので、存分に力を発揮してご活躍下さい。
創立宣言のとおり、真に神を崇める社会を祈り求めていくことは、「主の祈り」の第二の、神の国のための祈りと同じですね。そして、神が創造された秩序としてのこの世界、社会、人間、そして教会の本質を知ることは、本当に福音宣教に不可欠の理解ですね。どうぞ、それらを主の聖なるご意志の明確化として体系化してくださることを希望しています。
私の方は、教会のための奉仕で精一杯で、何も他のことは出来ません。神を信じない社会、そしてその中のカインの文化、それらを神は忍耐して許しています。そして、神を信じる回復された民の集まりは、信仰と礼拝と宣教のために賜物を分かち合っていますが、この世の中に(その民の中に)住んでいるので、その中の制約を受けますし、また、それらを神にある社会秩序に変えていかねばなりません。しかし、その中での正しい国家、国際的関係など、教会員の信仰と神学と力は本当に乏しいものです。しかし、教会と信仰は時代を変革しなければならないでしょう。先生の研究とその実りを祈っています。
毎週のお働き、大変だと思いますが、主がみたまにあって共におられ、力をゆたかに注いでくださいますよう、祈ります。
              遠く青森の地より
                藤本千春
                10月26日 '16

☆☆―大変励まされるお便りをありがとうございました。宮﨑彌男―☆☆ 

2016年11月19日土曜日


『キリスト者の世界観―創造の回復』(改訂版)
―まえがき―

 私のこの小著は発刊以来20年に亘って版を重ね、今日までおよそ8カ国の言語に訳されて、今も世界中のキリスト教大学や学校で広く用いられています。このような結果に至ったことは、私にとっては全くの驚きであり、深い驚嘆と感謝の思いにとらわれています。
 この第2版では、本文に若干の修正(主には、改革主義的世界観の特徴を他のキリスト教伝統と比較して記した箇所で少しばかり表現を改めたこと等)を施したほか、私の友人であり、同僚でもあるマイケル・ゴヒーンと共に記した「あとがき」Postscriptを補充しました。この「あとがき」は、世界観についての考察を聖書の大いなるものがたりと宣教の中心的な重要性との両方に結び合わせようとするもので、とりわけ、NT・ライトとレスリー・ニュービギンの著作に多くを負っています。世界観についての私の考察が正しく理解されるためにはこのようなより広い文脈の中で考える必要のあることを私が強く覚えるようになったのは、何よりも『キリスト者の世界観―創造の回復』(初版)に対するニュービギンの反応に接したことによるものでした。ちなみに、1994年にニュービギンがこの未公刊メモを書き留めたきっかけは、マイクの世話で本書の録音版をお聴きいただいたことによるのです。そのような関係を付けてくれたこと、さらには、総じてニュービギンの著作の重要性に私の目を開かせてくれたことにおいて、私はマイクに多大の恩義を感じており、この第2版に共著者として名を連ねてくれたことを私は感謝しています。『キリスト者の世界観―創造の回復』のこの改訂版はクレイグ・G・バルソロミュー&マイケル・W・ゴヒーン著『ドラマとしての聖書―聖書物語における私たちの役割』(グランド・ラピッズ、ベイカー、2004)と合わせて読んでくださると良いでしょう。
 私は、また、1980年代の初頭、この本を書くように最初に勧め、便宜を図って下さったボブ&マーク・ヴァンダーヴェネン父子に対する私の変わることのない感謝の思いを今一度記しておきたいと思います。
 終わりに、妻アリスへの私の感謝の思いは、この書を今一度深い愛を込めて彼女に贈ること以外によっては十分に表すことができません。
アル・ウォルタース

 
私の生涯に大きな影響を与えた本の増補・改訂版に寄稿できることは、私にとってまたとない特権です。私は『キリスト者の世界観創造の回復』が最初に出版されてから間もなくの時にこの書物を読みました。この本は、正に時に適って私の手元に届き、私自身の世界観を深く形成することとなりました。これによって、直ちに私の家族の生活、私の牧会生活は変えられ、さらには、私の研究者としての生涯の歩みにも方向付けが与えられました。これまでの11年間、私はアル・ウォルタースの同僚として、リディーマー・ユニヴァーシティー大学で世界観研究の講座を担当してきました。現在は、トリニティー・ウェスタン大学で改革主義世界観研究のためのジェネヴァ教授職を仰せつかっています。この10年ばかりの間私は、カナダを始め他の多くの国々で多くの人々に世界観について教え語る機会が与えられました。このような人々と交流し語り合う中で私は、この『キリスト者の世界観創造の回復』が正しく理解されるためには、この本をものがたりと宣教の文脈の中に位置付けることの必要性を痛感するようになりました。
 近年において私は、レスリー・ニュービギン、NT・ライト、ブライアン・ウォルシュ及びリチャード・ミドルトンの著作により、世界観の正しい理解のためにものがたり(narrative)と宣教(mission)が重要であることを深く悟るようになりました。元々、これは、私がウェストミンスター神学校で学んでいた時、とりわけ、ヘルマン・リダボスやJH・バーフィンクの著作を読む中で与えられていたものでした。ヘルマン・リダボスに代表されるオランダの改革主義的伝統における贖罪史的な聖書理解において、聖書は、あがないを主題として展開する一すじの物語として、常に理解されていました。さらに、同じ伝統に属するJH・バーフィンクのような宣教学者は、聖書物語における私たちの役割の理解から、宣教学的に重要な結論を引き出しました。リダボスとバーフィンクの両者は、共にアルの思想にも深い影響を与えており、これら二つの要因は『キリスト者の世界観―創造の回復』の隠れた文脈となっているのです。しかしながら、『キリスト者の世界観―創造の回復』を読んだ多くの読者はこのような背景を共有してはいません。それゆえに、この書物が宣教への召しに誠実に応えようとする私たちにとって大きな助けとなる書であることが見過ごしにされてきました。私が願い祈ることは、この「あとがき」がキリスト教世界観の理解を深めることに貢献することです。
 このような機会を与えてくれたアルに感謝します。また、私の生活と思想の形成に大いに与って力のあったその友情と助言指導に心より感謝します。

マイク・ゴヒーン

2016年10月8日土曜日

「ICS軽井沢文庫だより」第3号

ICS軽井沢文庫だより」 NO.3 2016108

2016年 夏から秋へ」 宮﨑彌男
 
 3ヶ月ぶりに「ICS軽井沢文庫だより」第3号をお届けします。
  今年の夏は、雨が多く、台風も次から次へと南の方から襲来したので、何だか本格的な暑さを感じないままで過ぎ去ってしまったような思いがしないでもありません。
 それともう一つ、今年の夏、特に8月は、毎週のように近隣諸教会での説教奉仕等があり、教会奉仕に明け暮れたという事情もあったかも知れません。第一週は新潟伝道所、第二週は佐久伝道所(ウ大教理学習会)、第三週は長野伝道所、第四週は再び新潟伝道所、と詰まっておりましたので、“夏期休暇”はありませんでした。
 それで、旅行と言えば、718(月・祝)に神港教会で行われた日本カルヴィニスト協会の年次総会・講演会に出席のため、関西に行ったことくらいです。この会は、有り難いことに、遠隔地からの参加者には、旅費の半額援助があるのです。それでも、長野から中央線廻りで、会計さんに配慮しながらの旅行を心がけました。
 この会では、KGK総主事の大島重徳さんや東京基督教大学准教授の岩田三枝子さんといった比較的若い人材が講師として、それぞれ、「私の生き方を変えたカルヴィニズムとの出会い」、「キリスト教世界観―東京基督教大学における実践実例を通して―」と題する講演をされたこともあって、例年よりも多くの参加者がありました。カルヴィニスト協会の活力をいささかなりとも感じさせた会合でした。
 この会の質疑応答の時に、私が以前に翻訳・出版した、アルバート・ウォルタース著『キリスト者の世界観―創造の回復―』のことが話題になりました。この本、今は品切れとなっており、再刷となれば、原著改訂版に加えられた付録の翻訳が必要、と申しましたところ、「ぜひやってほしい」との声を多くの方々から聞きました。もとより、すでに一部手がけていたことでもありましたので、神戸からの帰途、先ずはこの仕事を優先させよう、と考えるに至りました。スピアの『カルヴァン主義哲学』(前号参照) は、これを終えてからの課題にしたいと思います。ご了解ください。
 “Worldview between Story and Mission”(「物語と宣教を媒介する世界観」)と題する上記改訂版の付録(Postscript)は、マイケル・ゴヒーンとアルバート・ウォルタースの共著で、原著24頁に及ぶ力作です。意図せざるも、初版に欠けていた宣教(missional)的な視点を加味し、今日のキリスト教会の宣教的課題に応えようとする意図をもって書かれたようです。
 多くの政治家が「日本会議」等の影響下、「改憲」を目指す中で、私たち日本のキリスト教会も、全世界・全宇宙を視野に入れた、霊的な戦いを強いられていますが、この「付録」において展開されている、“物語と“世界観と“宣教についての論述は、大きな示唆を与えてくれます。ご期待ください。

(いよいよ「ICS軽井沢文庫」のブログを立ち上げました)
 
去る9月24()午後、思いがけず、島先克臣さん・夏子さんご夫妻が私どもを訪ねてくださいました。島先さんは、これまで、牧会やフィリピンでの宣教活動に従事されたことがあり、キリスト教世界観に立つ理解の普及に熱心な方です。
当日は、私どもの住まいより10分くらいの宿泊施設に泊まっておられたと言うことでお訪ねくださったのです。ICS軽井沢文庫を見ていただいたり、色々情報交換を行うなど、楽しい時を過ごしたのですが、ホームページの立ち上げのことを話したところ、今は無料で簡単にできると言われ、さっそくグーグルのブロガーで、「ICS軽井沢文庫」のブログを立ち上げてくださいました。何と事が早く進むことでしょうか!!
それで、皆さん、「ICS軽井沢文庫」で検索していただくと、出ますので、一度試してみてください。パソコン、大の苦手の私ですので、まだ、整っていないところもあり、これからも、島先さんや近所のパソコン教室主宰の赤井さんに世話になりながら、私なりに充実させてゆきたいと願っています。
 まずは、「ICS軽井沢文庫だより」をこのブログに掲載します。大体、月一くらいで「たより」を書くつもりです。そして、次に、翻訳原稿を、できるだけ区切りの良い所で、できた所まで掲載します。そして、必要かつ可能ならば、出版を目指します。その他、他の方の執筆された記事を、許可を得て掲載することなども、検討したいと思っています。
 なお、「たより」につきましては、前号で申しましたように、メールや郵送ご希望の方は、別途お送りしますので、お申し出ください。

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2016年10月5日水曜日

ICS軽井沢文庫だより NO.2 2016716

「カルヴァン主義哲学をあなたに」 宮﨑彌男
 
 「ICS軽井沢文庫だより」第2号をお届けします。
 第1号をお送りしたのは、614日でしたので、そろそろ第2号かなということで、ワープロに向かっています。第1号に対しては、多くの方から、親切なレスポンスをいただき、御礼申し上げます。
 ある先輩の先生からは、「さあ!いつまで(何号まで)続くかな?」と若干辛目の感想もいただきましたが、「とっても良いこと」と期待してくださる方たちも多く、励まされています。改革派教会の引退教師となってからすでに5年が経とうとしていますが、“伝道者生涯現役”を志している者としては、やはり、御言葉を“読み聴き黙想する”入力活動だけでは、健康維持は期待できず、少しは(御言葉の奉仕やこのような「たより」など)“発信”も必要かと心得ている次第です。

(法理念哲学入門書の出版計画) 
文庫につきましては、まだまだ、“充実”とは言えない未整理の所も多いのですが、ソフト面での充実を、少しずつ考え始めています。その一つは、J. M. Spier, What Is Calvinistic Philosophy?(カルヴァン主義哲学とは何か)の日本語訳出版です。この書物の邦訳については、すでに、1967年に活水社書店から出版された石黒直男訳『カルヴァン主義哲学』があります。この訳書には、巻末に語句の索引などもついており、改革派教会の長老が精魂込めて訳されただけあって、得がたい価値ある本であることは間違いありません。しかし、それでも、今日の読者のためには、もう一度訳し直す必要があると思っています。
 私は、1989年に、A・ウォルタース著『キリスト者の世界観~創造の回復~』を翻訳・出版したとき、次には法理念哲学の入門書を出版したいと考えていました。それで、現在英語で手に入る2,3の入門書を読んでみましたが、いずれも欧米の読者のために書かれたもので、日本の読者に馴染んでいただけるか、という危惧がありました。その点、上記のスピアーの入門書(オランダ語の原著を、Fred H. Kloosterが英語に訳したもの)は、先ず“簡潔”で、さらには、原著者がオランダの諸教会で牧会に従事した牧師であることにもよると思われますが、信仰生活をより豊かにするという方向性において“奨励的”であること。この2点により、この書物を選びました。

(誰にでもわかる法理念哲学) 
ところで、法理念哲学(philosophy of law-idea)は、特にA. カイパー(1837-1920)の神学的伝統の中で養われたH. ドーイウェールト(1894-1965)とD. H. Th. フォレンホ-フェン(1892-1978)によって創始され、今日に至るまで、国際的にも多くの支持者/共鳴者を得ておりますが、日本ではまだまだよく知られているとは言えません。色々の理由があると思われますが、用語の問題はその一つです。英語で読むと、それほど難しいとは思わないのですが、日本語訳で読むと、難しいという印象を受ける方が多いようです。私たち多くの者が哲学用語に慣れていないということがあるかと思いますが、やはり的確な日本語への翻訳が望まれるところです。
 法理念哲学は、天地の造り主なる神様が、その(創造・贖い・希望の)「法」によって万物を治めておられるという聖書のメッセージの上に立つ哲学ですから、本当は、子供でも大人でもお年寄りでも、すぐにわかるものなのです。(この点、カルヴァンの『キリスト教綱要』や『ウェストミンスター信仰基準』も同じでしょう)。しかし、日本語に訳しますと、用語の問題に阻まれ、広く学ばれていないのは、残念です。
 私としては、上記石黒直男訳を始め、すでにドーイウェールト哲学と取り組んでこられた春名純人先生、稲垣久和先生、市川康則先生等の業績を参考にしながら、翻訳ができればと願っている次第です。ただ、私は哲学の専門家ではなく、説教・牧会に長く従事してきた牧師でありますので、この度のカルヴァン主義哲学入門書の翻訳についても、牧師の訳を心がけたいと思っています。
 トロントICSで習ったH. ハート先生は、授業の中で、ヨハネによる福音書1:1の「ホ・ロゴス」は、聖書的に言えば、「WORD=御言葉」、哲学的に言えば、「LAW=法」だと言われました。御言葉に従うことと、創造の法(creation-law)に従うこととが一体とされる神学/哲学が熱心に学ばれ、実践されるならば、日本の伝道にも大きな地平が開かれてくると信じています。
 
(今後のこと)
次号からは、上記「カルヴァン主義哲学とは何か」を、1章ずつ順不同で取りあげ、翻訳または内容の紹介/解説を試みたいと願っています。ご期待ください。
なお、「たより」の送付の仕方については、近い将来、ホームページを立ち上げ、その中で、ブログの更新という形で「たより」を続けることができれば、と考えています。しかし、そのようにできるまでは、郵送、メール配信、その他の方法に頼るしかありません。
もし、受信ご希望の方で、メール配信の可能な方は、メールアドレスをお知らせください。郵送ご希望の方は、郵送料ご負担(後ほど纏めてで結構です)ということで、郵送先をお知らせいただければ、喜んでお送りします。さらに、別途、こちらから勝手に差し上げる方もあるかも知れませんが、しばらくは、お許しいただければ幸いです。
それでは、梅雨明けも間近です。お身体お大事になさってください。

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」。
       (ヨハネによる福音書1:15
                               


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