2019年6月14日金曜日

「ICS軽井沢文庫だより」第23号

😄ICS軽井沢文庫…3周年😄

宮﨑彌男

    私たちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世
    界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。
(エフェソの信徒への手紙4:12)

 「ICS軽井沢文庫だより」をいつもご愛読いただき、ありがとうございます。おかげさまで、文庫は3周年の日を迎えました。23号まで出すことができました。父なる神のご計画、キリストの恵み、聖霊の御導きを心より感謝いたします。
 私は、来月27日で、満78才となりますが、あと2年は、「たより」を出し続けたいと願っています。何卒、引き続き、ご愛読、ご支援いただきますよう、よろしくお願いします。(ただ、“ご迷惑”と言う方もおありだと思いますので、その場合は、ご一報ください。送付しない様にいたします)。
A.カイパーの評伝
3周年を記念して、一念発起、L. プラースマ著『キリストを王とせよ―アブラハム・カイパーとその時代―』を翻訳・掲載することを思い立ちました。今月号に、始まりの部分を掲載します。原著は、L. Praamsma, Let Christ Be King―Reflections on the Life and Times of Abraham Kuyperー(Jordan Station, Ont.:Paideia Press, 1985)です。ICS軽井沢文庫の片隅に、ひっそりと納まっていたのですが、取り出して読んでみると、何と面白い本か!!どんどんと読み進み、毎日の楽しみとなりました😄。
 著者の Louis Praamsmaは、1910年にオランダで生まれ、1935年~1958年、オランダ改革派教会の牧師、その後、カナダに移住し、1984年に召されるまで、北米キリスト改革派教会の牧師として奉仕された方です。説教者、牧師であると共に、神学者、詩人、また、優れた教会史家であられたとのことです。オランダ語で書かれたものとして、De Kerk van alle tyden: Verkenningen in het landschap van de kerkgeschiedenis(『あらゆる時代の教会―教会史鳥瞰図―』)等があります。『キリストを王とせよ』は、英語で書かれていますが、読みやすい英語なので、翻訳しようかとの思いへと導かれた次第です。
 アブラハム・カイパー(1837~1920)については、当「ICS軽井沢文庫だより」にも、何度か紹介しましたので、おなじみかも知れませんが、19世紀後半から20世紀初頭のオランダで、多方面に亘り活躍した牧師、神学者です。カイパーは、カルヴァン主義的な聖書信仰、キリスト信仰に立って、オランダ改革派(Gereformeerd)教会 、アムステルダム自由大学の創立に関わり、また、政治の分野においても、反革命党の党首として、オランダの首相を務めました。
 カイパーは、彼の時代において、神の言葉と聖霊に従いました。私たちも、今生きているこの時代、この日本において、教会、家庭、国家、学術、芸術等、与えられている諸問題と関わりつつ、神の言葉と聖霊に従って歩みたい。そのために本書は大変参考になると思い、翻訳を思い立った次第です。
 今月号では、第1章の初めの部分のみを訳しましたが、本書全体の「序」のような内容となっています。①「時代の精神」というものがあること、②そのような「時代の精神」を形成するものは何か、③カイパーの時代の「精神」とはどのようなものであったか、ということが問題提起されています。
 私たちの時代の「精神」とはどのようなものなのかを考える参考となります。特に、カイパーが牧師として、「霊的世界から来る神秘的な力に起因する、一般的な動因(動かす力)」に注目を促していることは、示唆的です(エフェソ6:12)。
(2019年6月14日、宮﨑記)

L. プラームスマ著

『キリストを王とせよ―アブラハム・カイパーとその時代―』

宮﨑彌男訳

第1章 19世紀の精神

時代の精神とは 

 近代社会学の創始者、エーミル・デュルケム(1858-1917)は、社会には、大部分の「平均的な人々」に共有されている情感や信条から成る「集合的意識」がある、と確信していました(注1)。社会は(或る方向へと)導き、導かれ、動き、動かされるが、そのような動きは、ある種の精神によって特徴づけられている、と主張したのは、彼が初めてではありませんでした。デュルケム以前、J.G.フォン・ヘルダー(1744-1803)の『人類史の哲学考』にもそのような考えの萌芽を見ることができます。
 初期浪漫主義の代表者の一人であったヘルダーは、人間のGeist(精神)について考えましたが、それは、以後ずっと、より洗練された形で受け継がれて行くこととなります。ヘルダーの影響は、19世紀前半のオランダ・グロニンゲン神学にも見られます。この神学は、巡りめぐって、若き日のカイパーにも影響を与えることとなります。
 それゆえ、カイパーの著作中に、「今の時代の精神」だとか、(カイパーが非常に尊敬した詩人、アイザック・ダ・コスタ流の表現では)「今の世の精神」と言った言葉がしばしば出てくるのは、不思議ではありません※。しかしながら、真の人間性の時代の到来を予期したヘルダーとは違って、カイパーは「今の時代の精神」に、退廃と不信仰に向かう危険な兆候を見ておりました。
ICS軽井沢文庫
カイパーは、かつて、ある種の異端が、見かけ上は結託することもなく、同時的に多くの所で教会に入ってくることがあると、指摘したことがあります。「われわれは、一つの時代の精神について考えるのであるが、宗教改革の時代の精神とフランス革命の時代の精神、あるいは、18世紀の精神と19世紀の精神とを比べると、一つの時代と他の時代との間に本質的な違いのあることを直ちに感じ取るのではないか」と。彼は、また、世論、生活の流儀やファッション、一般的なものの考え方や話し方など、一つの時代の精神を表す様々な要素のあることについて語っています。しかし、このような、表面に現れる様々な事象で、時代精神の力のすべてが充分に説明できるかと言えば、そうでもないのです。それで、カイパーは言います。「このような、言葉で言い表せる様々な事象の背後に、またその中に、私たちの分析できない、一般的な動因(動かす力)があり、それは、霊的世界から来る神秘的な力に起因するものなのである」と。彼は、使徒パウロの言葉を引用していています。「私たちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです」(エフェソ6:12)(注2)。
 このような歴史の見方は、当たっているのではないでしょうか。歴史はいくつかの時期に区分されます。一つの時代の始まりをどこに見出すかは、難しい場合があるますし、移行期が長く続く場合もありますが、特定の時代が、その時代に固有の特徴を持っていることは、否定できない事実です。その特徴は、色々の形で現れます。ある場合は、血筋によるのですが、そればかりではありません。古い要素と新しい要素があります。すべての文明には、連続性と非連続性があります。イエス・キリストの教会には、聖霊の継続的な働きがありますが、そこには、また人の霊による前進と反動、形成と歪曲、従順と不従順があります。さらに、私たちは、「最初から人殺し」と呼ばれている者(ヨハネ8:44)のしわざである、不可解な、隠れた衝動、非合理で、時には圧倒的な力を持つ欲望にも気付かされるのです。
 歴史は決して繰り返しません。歴史的に平行するものはありますし、人間の力で状況を変えることはできませんので、聖書が、「太陽の下、新しいものは何もない」(コヘレト1:9)と言っているとおりなのですが、それでも、私たちは、円を描くように歩んでいるのではありません。時代の進展と共に、私たちは、より複雑で円熟した世界に生きつつあるのです。
 私たちは、アブラハム・カイパーを、彼自身の時代の脈絡の中で知りたいと思います。彼の生きた時代の特徴はどのようなものであったのでしょうか。その時代の精神はどのようなものであったのでしょうか。
 はっきりとした出発点を見出すことはできます。カイパーは、彼の先駆者、フルン・ファン・プリンステラと同様、自分自身の時代を特徴付ける出発点として、常に、1789年のフランス革命という大きな出来事を挙げました。彼らの考えでは、この革命こそ、18世紀の希望と理想の目指す目標であり頂点であると共に、その滅亡と破壊でもありました。
 この革命は、先行する時代の合理主義、理神論、唯物論の行き着く先でありました。また、専制政治、古い封建制度、抑圧された下層民の叫びにおいて明らかになっていた権力乱用に対する審判でもありました。しかし、ロベスピエールによる恐怖政治、ナポレオンの砲弾による統治により、革命もまた、自由、平等、博愛と言った自らの高い理想を戯画に変えてしまったのです。
 19世紀は、第一義的には、フランス革命の恐怖に満ちた側面に対する反動でありましたが、同時に、反動と共に自由主義にも、保守主義と共に社会主義にも、あらゆる形の新しい神学と共に、昔からの神学の復興にも、世俗主義と共に福音主義にも、さらには、不可知論的観念論にも、扉を開くこととなりました。それは多くの偉大な人物を輩出した時代でした。シュライエルマッヘルとへ―ゲル、ダーウィンとマルクス、ビスマルクとグラッドストーン、ニューマンとキルケゴールの時代でした。
 これらの偉大な人物の中に、カイパーの名を加える価値があります。若き日に、カイパーは、この時代の新しい思想のすべてを吸収しました。しかしながら、神が彼を改心させることを良しとされたとき、彼は、与えられている限りの驚くべき知力を尽くしてオランダ改革派教会を新しく造りかえ、オランダにおける神の民とその子等を奴隷の家から解放したのです。教会と国家の両方におけるすべての活動において、カイパーの心の叫びは、「キリストを王とせよ」でありました。
(続く)

※1823年に、ダ・コスタは、『今の世の精神に反対する』を出していた。

(注1)O.Chadwick, The Secularization of  the European Mind in the Nineteenth Century(1975), p.11を見よ。
(注2)A. Kuyper, Het Modernisme(1871); De Gemeene Gratie, Ⅱ(1905), PP.27, 408-411.

【5月の活動報告】


5月6日 (月、休)長野佐久伝道所の一日修養会、於・長野会堂。佐久から10名、長野から6名、計16名が出席。伝道65年を振り返ってのインタビューを中心とした(牧野牧師作成の) DVDを鑑賞、分団に分かれて、今後の伝道について語り合った。二つの群れの一体感を覚えることのできた、良い修養会だった。

5月12日(日) 長野佐久教会(長野会堂)にて礼拝説教奉仕。(ヘブライ12:4~11)。

5月14日(火)~16日(木) 遠刈田溫泉(宮城県蔵王町)に石井正治郎先生ご夫妻を訪ねる。先生は、『新キリスト教辞典』中〈アブラハム・カイパー〉の項の執筆者、カルビニズムに熱心な信仰の先輩である。ICS軽井沢文庫のためにも、多額の献金をしてくださった。2000年に「キリスト教と文化」のコンファレンスのためオランダに行ったときには、先生ご夫妻もオランダ日本人教会の牧師をしておられ、カイパーがカルビニズムに回心した Beesd の教会に案内してくださった。今回は家内も一緒だったので、牧子夫人も、われわれの四方山話に参加され、共に交わりを深めることができた。14日(火)には、亘理在住の林茂雄先生ご夫妻をも3年ぶりに訪問。先生も、すでに現役を引退しておられるが、賀川豊彦の神戸貧民窟伝道に触発されて伝道者となられた経緯など、話してくださった。

5月18日(土)牧野先生の運転で新潟へ。新潟伝道所の献堂式に出席。新潟は、2015年~16年、月1,2回、説教奉仕した教会である。若い信徒/求道者が熱心に聞いて下さり、午後には、ウ大教理問答の学びも行うことができた。久しぶりで親しい方々にお会いし、会堂が与えられたことを共に喜んだ。これからも祈り続けたい開拓伝道所である。

5月24日(金) 第5回信州神学研究会、於長野佐久教会(長野会堂)。長田秀夫先生が、「カルビニズムと諸宗教」との年間メインテーマの下、「日本の宗教の土台としての古代神道」と題する発題講演をしてくださった。出席者は5名と少なかったが、良く準備された講演で、私たちが日本で伝道していながら、神道や神社について、いかに知らないかを知らされた。天皇家と神道との深い結び付きを知るにつけても、カルビニズムに立って、神道や天皇制について研究することの重要性について考えさせられた。レジメの必要な方は、ご一報ください。なお、次回は、9月27日、「原理主義について」(牧野信成先生)、於・佐久会堂。

5月26日(日) 長野佐久教会(佐久会堂)にて礼拝説教奉仕。(ヘブライ12:4~11)。

5月29日(水)~31日(金)東京、大阪へ(行脚旅行))
  29日(水)草加松原教会に、日本キリスト改革派教会の現大会議長、川杉安美先生を訪問。改革派教会の現状と今後の方向性、特に改革派創立宣言の今日的重要性等について、2時間ばかり語り合った。その後、銀座地下で、ヨーロッパから帰ったばかりのY兄と夕食を共にする。。
  30日(木)~31日(金)小学校のクラス会で、藤田美術館展「曜変天目茶碗と仏教美術のきらめき」開催中の奈良国立博物館へ。NHKTVで2度に亘り特集・紹介されただけあって、なかなかの盛況、展示物も見応えのあるものが多く、遠路駆けつけた甲斐があった。夜は、宮﨑の先祖が、江戸末期以来最近まで、金物問屋をやっていたという、船場近くのホテルに泊まり、翌朝、その周辺(今は何もなかったが)を散策、心斎橋から難波あたりまで足を伸ばす。大阪ミナミの爛熟文化、今の私には、ちょっと入り込めそうにはない?!

「ICS軽井沢文庫だより」の印刷方法

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【「ICS軽井沢文庫」】

「ICS軽井沢文庫」は、日本におけるキリスト教有神的世界観人生観の研鑽と普及のために、2016年6月14日に、軽井沢町追分36-23に設置された文庫です。“ICSInstitute for Christian Studies)は、この文庫が、日本における (改革主義)キリスト教学術研修所(大学院)の設置を目指していることを告白するものです。文庫設置の経緯については、「ICS軽井沢文庫だより」第1号(2016.6.14)をごらん下さい(ラベル「ICS軽井沢文庫だより」第1号をクリック)。


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