~巻頭言~
「夢か、信仰的ヴィジョンか」
―キリスト教政党設立に向けて―
「ICS軽井沢文庫だより」は、2016年6月に発信始めて以来、今号で30号を数えるに至りました。主の導きを感謝します。本「たより」の文末には、ICS軽井沢文庫設置の目的が、次のように記されています。
「ICS軽井沢文庫は、日本におけるキリスト教有神的世界観人生観の研鑽と普及のために、2016年6月14日に、軽井沢町追分36-23に設置された文庫です。“ICS”(Institute for Christian Studies)は、この文庫が、日本における (改革主義)キリスト教学術研修所(大学院)の設置を目指していることを告白するものです。また、最近は、日本におけるキリスト教政党立ち上げのヴィジョンも与えられつつあります」。
二番目に挙げられている「日本におけるキリスト教政党立ち上げのヴィジョン」については、すでに昨年、3回に亘り、「キリスト教政党への道」(24号)、「政界にキリストの風を」(25号)、「『政』とは何か」(26号)と題して論じました。
石井正治郎先生は、宮城県蔵王町在住、日本キリスト改革派教会の引退教師ですが、かつて、先生がオランダ/アムステルダム近郊の日本人キリスト教会で牧師をしておられた時、お訪ねしたことがあります。その折、一日を割いて、アブラハム・カイパーゆかりの教会や大学(注1)等をご案内下さいました。それ以来、親交をいただき、「ICS軽井沢文庫だより」も創刊時より読み、コメント下さっています。時には、文庫のために献金も頂き、応援して下さっています。先日いただいた、手製のおハガキには、こう書いてありました。
「日本における大学院の設置とキリスト教政党設立、でっかい夢。夢見るヨセフの夢はことごとく実現したからなあ。でっかい夢は結構至極。問題は手順だね。でも、ヨセフの場合、あんまり人間的細工はしなかったねー。…」
でっかい夢!確かにそうです。でも、単なる「夢」ではなく、「信仰的ヴィジョン」である、と私は考えています。「ヴィジョン」とは、「見ること」ですから、ある程度の具体性がないと、「ヴィジョン」とは言えません。私どもの場合、残念ながら、まだ十分の具体性を持つに至っていないので、「ヴィジョン」と言い切るには、少しおこがましい感じがします。
しかし、聖書の定義に従えば、「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」(ヘブライ人への手紙11:1)。ならば、私たちのキリスト教政党設立に向かってのヴィジョンは「信仰的ヴィジョン」と言うことができるのではないでしょうか。「アーメン(確かにそう)」です。神はこのことを望んでおられるのです。現代日本にキリスト教政党が設立されることを!あとは、手順を踏めば良いのです(注2)。もちろん、私個人の働きではありません。多くの同志が起こされることを、確信しています。
(注1)カイパーが、素朴な改革派信徒の信仰に触れて、古くからのカルヴァン主義的な信仰に目覚めたベーストの教会、国会議員としての働きを始めた古都ユトレヒト、カルヴァン主義的な大学としてカイパーが立ち上げたアムステルダム自由大学、等々。
(注2)Kuyper, Abraham: Our Program--A Christian Manifesto (Lexham Press, 2015)、さらには、田原総一朗著『創価学会』(特に第3章「政治進出と池田大作の会長就任」&第7章「公明党の連立参加とその舞台裏」)等は、私たちにとって、参考になります。
~レポート~
「ほのぼの絵はがき」と「十字架を仰いだならば」
中根汎信牧師と文江夫人の合作「ほのぼの絵はがき」をご存じですか。暑中見舞いやクリスマスカードで、拝見していたのですが、先日、第1~6集をまとめて送っていただきました。正に「ほのぼの絵はがき」で、心いやされ、この世界が神によって造られ、キリストの愛の下にあることがよくわかるようになります。中根先生(大垣在住の引退教師)は、私の神学生時代からの友人で、「ICS軽井沢文庫だより」の読者でもあります。文江夫人が3年前に頚髄損傷の重傷を負われ、首から下が不自由になったのですが、その後手術やリハビリによって、徐々に上半身の機能が回復、字や絵を描くこともできるようになりました。けがをする前は、絵の趣味などなかったのですが、手が動くようになってすぐに絵を描き始めました。それに中根先生が解説文をつけたのが今回の「ほのぼの絵はがき」集です。これを<第1~6集>として絵はがきにされたのは、四日市教会の伊藤治郎兄(j-itoh@cty-net.ne.jp)ですが、1集200円で購入することができます。
この「ほのぼの絵はがき」と深い所で連動していると私が思ったのが水野源三さん(注1)の詩集を島塚光さんが作曲CD化された「十字架を仰いだならば」(注2)です。神の創造された自然の中に、創造主・あがない主の恵みと慈しみを見る目を持っておられるところに二人の共通性があります。「ほのぼの絵はがき」第6集にある「外は雪、お茶でもどうぞ」と、源三さんの「粉雪」は、雪を見る感性において、似通ったものがあります。「外は雪、お茶でもどうぞ」について、中根先生のコメント:
このような雪を眺めていると、なぜか楽しい気分になります。雪の日でも、ぽかぽかした暖かさすら感じます。ポインセチアの赤い色のせいでしょうか。…おや、鳩時計も3時を指していますね。暖かいお茶に、ほんのり甘いおせんべいもありますので、ご一緒にいかかですか」。
一方、水野源三さんの「粉雪」…十字架と復活のイエスを信じる信仰ゆえに、源三さんは、降りしきる雪の中にも、「静けさ」を体感することができました。この「静けさ」は、モネの「睡蓮」にも見られる静けさだと言った人もいます(大塚野百合「CD『十字架を仰いだならば』について」解説文)。
「粉雪が静かに降り、姿も見えない。誰も通らない。主よ、あなたと私
だけです。主よ、御姿を仰がせたまえ。
粉雪が静かに降り、何も見えない。何も聞こえない。主よ、あなたと私
だけです。主よ、御言葉を慕わせたまえ。
粉雪が静かに降り、道も見えない。道もわからない。主よ、あなたと私
だけです。主よ、御心を求めさせたまえ」。
主イエスの十字架と復活を信じる信仰は、私たちの自然を見る目をも変えてしまいます。そこには、「暖かさ」があり、「静けさ」があるのです。
「十字架を仰いだならば」 |
(注1)水野源三さんについて… 水野源三さん(1937~1984)は、重度の障害を負いながら、4冊の素晴らしい詩集を残したクリスチャン詩人。彼は、小学校4年の時、脳性小児麻痺におかされ、目と耳以外のすべての機能を失った。何度も死を願う暗黒の中にあった源三さんに転機が訪れたのは、ある牧師が母親に送った聖書により、彼がイエスによる救いを得たことによる。その牧師とは、三浦綾子さんがその伝道者生涯を「ちいろば先生」として描いた、榎本保郎牧師である。この牧師との出会いは彼に決定的な影響を与えた。ある日、源三の母は、コミュニケーションをはかるため作った五十音図から彼のまばたきが示す字を拾っていて、衝撃を受けた。それがちゃんとした詩になっていたからである。不幸のどん底にあった息子が神の恵みを歌う詩人になっていたのである。このようにして、彼の詩は次々に書きとめられ、4冊の詩集となった。彼が47才で天に召され、36年になるが、多くの人々が彼の詩集に感動し、多くのCDがリリースされている。この「十字架を仰いだならば」もその一つである。彼が住んでいた、長野県坂城(さかき)町は、彼を町の宝としている」(大塚野百合「CD『十字架を仰いだならば』について」解説文による)。
(注2)このCD、今はなかなか手に入らないのですが、私は、長野佐久教会の姉妹から借りて聞くことができました。
矢内原忠雄「国家存亡の危機」
(次号より、連載)
L. プラームスマ著
『キリストを王とせよ―アブラハム・カイパーとその時代―』
宮﨑彌男訳
ー第29号-2より続くー
第2章 試行錯誤:時代の神学
超自然主義
合理主義への対抗思想として先ず第一に挙げられるのは、神の啓示は超自然的であることを合理的に証明しようとする超自然主義です。啓示の事実は、前提として受け入れられるのですが、同時に自然神学の可能性と必然性も肯定されます。人間の合理的認識と神の啓示の真理との間には矛盾がないことを示すために可能な限りの努力がなされます。
英国教会のバトラー監督はこの分野における先駆者的存在です。オランダの神学者ムントヒンヘやファン・オーステルゼーは、その足跡に、ある程度まで従った人たちです。バトラー監督(1692-1752)は、『宗教の類比ー自然宗教と啓示宗教』(1736)と題する本を書きましたが、その中で彼は、これら二つの形態の宗教間に類似性があることを示そうとしました。その主な議論は、蓋然性probabilityと安定性securityを基礎とするものでした。彼の主張は、キリスト教宗教が数学的方法によって証明できないことを認めるにしても、他の分野におけるわれわれの結論も精々のところ、蓋然性によるものではないか、もしそうならば、神の啓示の真理を無視するよりも、その導きに従う方がより安全ではないかというものでした。
グロニンゲンの教授、ムントヒンヘ(1752-1824)は、神の啓示の合理性をその進展性、人の成長段階への適合性、さらには、人類への教育的資質に見出そうとしました。彼は、キリストが神の怒りを満足させたとする教理を「不適切かつ非合理的」と批判し、「冒涜的」とさえ断じました。
オランダの弁証学者、J. J. ファン・オーステルゼー(1817-1882)は、決して世俗的な意味での超自然主義者であったわけではありません。むしろ、彼は、陳腐な超自然主義と、等しく陳腐な合理主義の両方に反対していました(注7)。彼は、心を尽くして、飼い葉桶と十字架の福音を説きました。しかしながら、彼は、啓示の事実を実証するための根拠を理性に求める弁証学派の創始者また代表者ともなったのです。その結果として、彼は、しばしば、改革派教会の信条から逸脱することとなりました。カイパーと対立する時もありました。1873年に彼は、カイパーに対して書いています。「われわれは、事実を変えることはできない。この点で、われわれは、基本的に対立している。私は、感謝の握手をもってあなたと別れたい」と(注8)。
(注7)J. C. Rullmann, in Christlijke Encyclopaedie, first edition, Vol. IV, p. 441.
(注8)P. Kasteel, Abraham Kuyper (1938), p.44.
【連絡先】
グロニンゲンの教授、ムントヒンヘ(1752-1824)は、神の啓示の合理性をその進展性、人の成長段階への適合性、さらには、人類への教育的資質に見出そうとしました。彼は、キリストが神の怒りを満足させたとする教理を「不適切かつ非合理的」と批判し、「冒涜的」とさえ断じました。
オランダの弁証学者、J. J. ファン・オーステルゼー(1817-1882)は、決して世俗的な意味での超自然主義者であったわけではありません。むしろ、彼は、陳腐な超自然主義と、等しく陳腐な合理主義の両方に反対していました(注7)。彼は、心を尽くして、飼い葉桶と十字架の福音を説きました。しかしながら、彼は、啓示の事実を実証するための根拠を理性に求める弁証学派の創始者また代表者ともなったのです。その結果として、彼は、しばしば、改革派教会の信条から逸脱することとなりました。カイパーと対立する時もありました。1873年に彼は、カイパーに対して書いています。「われわれは、事実を変えることはできない。この点で、われわれは、基本的に対立している。私は、感謝の握手をもってあなたと別れたい」と(注8)。
ファン・オーステルゼーのような人たちは、キリスト教の本質的な価値を擁護しようとしました。しかし、その弁証の仕方が、余りにも合理主義的であったので、胎動しつつあった近代主義との大いなる戦いにおいて真の力とはならなかったのです。
(注7)J. C. Rullmann, in Christlijke Encyclopaedie, first edition, Vol. IV, p. 441.
(注8)P. Kasteel, Abraham Kuyper (1938), p.44.
【5~6月の活動報告】
5月3日(日)長野佐久教会(長野会堂)にて、主日礼拝説教奉仕(ヘブライ13:17~19)「私たちのために祈ってほしい」。神は教会に御言葉の宣教者を遣わしてくださる。彼らのために祈る事がどんなに必要か!!
5月10日(日)長野佐久教会(佐久会堂)にて、主日礼拝説教奉仕(ヘブライ13:7~16)「十字架の血によって」。新約聖書における「血」は、罪の赦しをもたらす主のいけにえ(犠牲)を表す教会用語。私たちも自分中心の生き方をやめて、キリスト中心に生きることによって、主のご受難に与る者とされる。
5月24日(日)長野佐久教会(長野会堂)では、主日礼拝後、豊野霊園教会墓地に行き、墓前礼拝を行った。現在は、昨年6月に召天された長田礼子姉だけが埋葬されている。司式:牧野信成牧師。その後、昨年10月の台風19号による水害で1階部分がほぼ水没した賛育会豊野病院を訪ね、後日、復興のための献金をお送りした。
5月30日(土)長男、宮﨑契一牧師と川田あかり姉の結婚式が、午前11時より、軽井沢「恵みシャレー」の礼拝堂で行われた。司式:牧野信成牧師、立会:小峯明牧師夫妻。新型コロナウィルス感染拡大防止のため、新郎新婦とその家族、関係者のみの出席となったが、緑溢れる軽井沢での祝福された結婚式であった。私は、親族代表挨拶という形で、伝道に旅立つ二人を祝福した。
6月7日(日)長野佐久教会(長野会堂)にて、礼拝説教奉仕(ヘブライ13:20~21)「平和の神」。キリストを死者の中からよみがえらせた平和の神が、私たち教会に聖霊を降(くだ)し、諸々の良い働きが出来るように万事整えてくださる。
5月3日(日)長野佐久教会(長野会堂)にて、主日礼拝説教奉仕(ヘブライ13:17~19)「私たちのために祈ってほしい」。神は教会に御言葉の宣教者を遣わしてくださる。彼らのために祈る事がどんなに必要か!!
5月10日(日)長野佐久教会(佐久会堂)にて、主日礼拝説教奉仕(ヘブライ13:7~16)「十字架の血によって」。新約聖書における「血」は、罪の赦しをもたらす主のいけにえ(犠牲)を表す教会用語。私たちも自分中心の生き方をやめて、キリスト中心に生きることによって、主のご受難に与る者とされる。
5月24日(日)長野佐久教会(長野会堂)では、主日礼拝後、豊野霊園教会墓地に行き、墓前礼拝を行った。現在は、昨年6月に召天された長田礼子姉だけが埋葬されている。司式:牧野信成牧師。その後、昨年10月の台風19号による水害で1階部分がほぼ水没した賛育会豊野病院を訪ね、後日、復興のための献金をお送りした。
5月30日(土)長男、宮﨑契一牧師と川田あかり姉の結婚式が、午前11時より、軽井沢「恵みシャレー」の礼拝堂で行われた。司式:牧野信成牧師、立会:小峯明牧師夫妻。新型コロナウィルス感染拡大防止のため、新郎新婦とその家族、関係者のみの出席となったが、緑溢れる軽井沢での祝福された結婚式であった。私は、親族代表挨拶という形で、伝道に旅立つ二人を祝福した。
6月7日(日)長野佐久教会(長野会堂)にて、礼拝説教奉仕(ヘブライ13:20~21)「平和の神」。キリストを死者の中からよみがえらせた平和の神が、私たち教会に聖霊を降(くだ)し、諸々の良い働きが出来るように万事整えてくださる。