2020年1月13日月曜日

「ICS軽井沢文庫だより」第27号

  ~巻頭言~   「新年の抱負」


宮﨑彌男

 

「人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する」  

(旧約聖書 箴言19:21)

 
 年頭にあたり、主から示された新年の抱負を述べたいと思います。「主から示された」と言っても、この抱負がすべてこの新しい年に実現するとは限りません。「人の心には多くの計らいがある。(しかし)主の御旨のみが実現する」からです。
 昨年の年末礼拝(於・佐久会堂)で、新約聖書・ヘブライ人への手紙13:1~6により、「兄弟愛をいつも持っていなさい」と題して、御言葉を取り次ぎました。「兄弟愛」と言っても、肉親としての「兄弟愛」ではなく、ここでは、「霊的な意味で、同じ父(なる神)の子供たちとされたクリスチャンが相互に愛し合う愛」(織田昭編『新約聖書ギリシャ語小辞典』p.373)のことです。これは、主イエスの遺言とも言うべき、キリスト者にとっては、何にもまして大切な戒めです(ヨハネ福音書13:34、ヨハネの手紙一3:16を参照)。
冬景色
<書斎の窓から>
ヘブライ人への手紙13:1~6では、このような兄弟愛の実践例として、①旅人をもてなすこと、②困難な状況におかれている人たちを思いやること、③結婚を尊ぶべきこと、④金銭に執着しない生き方、の四つを取り挙げています。この中の① 旅人をもてなすこととの関連で、私は、新しい年に(観光と交わりを目的とした)旅に出ることを、私自身の抱負として語りました。
そんなこともあって、今年は、軽井沢に四六時中たて籠もって客を待つのではなく、西へ東へと伝道行脚の旅に出ようかと思っています。現役の改革派教師を引退して9年目の今年辺りが時間と体力の両面から考えて、最後のチャンスかなと思ったりします。「ICS軽井沢文庫だより」の読者の中にも、或いは、突然(と言っても、通信手段の便利になった今の世のことですから、あらかじめ連絡はしますが)、お邪魔する方がおられるかもしれませんが、その節は、よろしくお願いします。
 ただ、実際問題としては、軽井沢の樹々を眺めながら、本を読んだり、パソコンに入力するような時間が圧倒的に多いと思いますので、今年度の、とりあえずの時間割を作りました。それによりますと、「仕事」をするのは、1週間36時間、1日6時間(午前2時間、午後3時間、夜1時間)で、この1週36時間を適当に割り振って、ざっと言えば、
 
 ①説教(月2,3回)準備…6時間。
 ②プラームスマ『キリストを王とせよ』…5時間。
 ③カイパー『われらの(反革命党)綱領』…5時間。
 ④ウ大教理問答個人訳改訂版…3時間。
 ⑤「ICS軽井沢文庫だより」…5時間。
 ⑥「信州神学研究会ー“カルビニズムと信州伝道”」…10時間。
 ⑦整理整頓、等…2時間。

このようなスケジュールで、やってみようかと思っています。ただ、これは、「決意表明」というような堅苦しいものではなく、「ぐうたら引退教師」の、とりあえずのスケジュールに過ぎないのですが…。
 日野原重明さんと言えば、キリスト者の医師として105歳の生涯を全うされた方ですが、子どもたちに、「いのちとは、時間だよ」と話されたそうです。私が昨年1年間愛用した「日めくり聖句カレンダー」のあとがきで、日本イエス・キリスト教団岡南教会の中島啓一牧師も、このことに触れながら、「私たちも、神様から与えられたいのち、すなわち時間を、主イエスに習って、隣人のために使っていくならば、神様は私たちのいのちをも輝かせてくださいます」と言っておられます。
早春に花が咲くセントウソウ
 私がかつて留学したトロントICS(「キリスト教学術研修所」では、キリスト教哲学のクラスで、キリスト教における時間論の講義がありましたが、そこで教えられたことが私の人生観世界観の重要な枠組みとなっています。それは、キリスト教において時間とは、神の創造律法への人間の応答に他ならない、ということでした(コヘレトの12:13等参照)。キリスト論的に言えば、創造者であり贖い主であるキリストの御言葉に聞き従って生きること、とも言えるでしょう(コロサイの信徒への手紙1:15~20)。極めて実践的な教えです。
 「ICS軽井沢文庫だより」14~16号で書いたように、日本キリスト改革派教会の引退教師として生涯伝道を志す私の姿勢は「二刀流」です。それは、日本キリスト改革派教会の「創立宣言」に基づき、(1)日本における有神的人生観世界観の確立と、(2)聖書的な改革派教会の形成を目的とする伝道です。上に挙げた今年度の時間割から申しますならば、(1)については、主として②③⑤⑦、(2)については、主に①④⑥の時間に行う、と言えるのかもしれません。どちらにも大切な福音伝道の使命があります。世界にも、教会にも。
 
 この年、2020年を、私はぜひ「キリスト教政党元年」の年にしたいと願っています。今の日本におけるキリスト教政党の必要性については、昨年7月の参議院議員選挙後の「ICS軽井沢文庫だより」24~26号の「巻頭言」に、すでに3回に亘って書きました。多くの方から、賛同、否定的、あるいは「どちらとも言えない」といったご意見/反応をいただきましたが、否定的なご意見の多くは、キリスト教の伝統のある欧米諸国においてはともかく、日本では難しいのではないか、ということでした。しかし、最近英訳が出版された、アブラハム・カイパーの『われらの綱領』(Our Program)等を見れば、どの時代の、どの国においても、キリスト教政党の形成が必要なことがわかってきます(例えば、『同書』§312「党形成の義務」pp.364-365等参照、注1)。
 ちなみに、この英訳書の裏表紙にはこう書かれています。「アブラハム・カイパーがその生涯の初期に書いたこの著作は、近代民主主義社会における最初のキリスト教政党の理論的根拠となり、新しい近代的な政治のあり方を示すものである。『われらの綱領』により、私たちは、カイパーが、政治が特殊なエリートの仕事ではなく、公共の事柄であると考え、公共政治は個別の問題に限って活動すべきものではなく、不断の行動を求めるものであると主張し、理性や全体の合意に基づく自由主義政治よりも、多様な世界観を前提とする議会での討議の重要性を指摘したことを知らされる。政治史におけるこのような記念碑的業績が、今日に至るまで、如何に重要性を失っていないか、私たちは驚きを禁じ得ない。この本を読んだ者は、自分も政治の世界で発言したくなるのではないか」(アムステルダム・自由大学歴史学教授・公文書保管人、ジョージ・ハーリンク)。

(注1)カイパーは、キリスト教における政党作りの基本原理について、次のように述べている。「確かに、キリスト教信仰は、(キリストにある)」共通の起源、相互に分かち合う責任、やがて来たるべき王国を思い起こすことにより、共同体(community)、組合(union)、組織(organization)を志向する。キリストご自身が、万物の有機的再生(organic recapitulation)のかたち(image)であり、霊感(inspiration)であり、受肉(incarnation)である。個人主義、あるいは、(nation)を複数の個人の集合体(aggregate)とする間違った考えを産みだしたのは、キリスト教ではなく、それとは全く反対の立場である。自分自身を特別な者と考え、それ故に、自分だけの特別な立場を持ち、そこに留まろうとするのがキリスト教的な姿勢なのではない。全く反対である。自分の考えは他の人たちの確信するところと融合するまでは、検証されたことにならないと考えるのがキリストに者にふさわしい。地位の高低に関わりなく、他の人々との自覚的、具体的な交流がなければ、人は力を失ってしまう。最も小さい者と手をつなぐ方が、最も優秀な者と決別するよりも良いと知るべきだ。それこそが、生ける神への信仰に根ざす深い原理の要請に適うことである」(『われらの綱領』p.365)。


※本号には、「巻頭言」に続いて、L.プラームスマ『キリストを王とせよーアブラハム・カイパーとその時代ー』第1章「C.進化主義」(pp.18~20)の私訳を掲載の予定でした。もう入力を終えていたのですが、残念なことに、私のパソコン操作ミスにより、全部消えてしまいました。また、出直します。それで、埋め合わせの意味もあって、上掲、本文と(注1)において、アブラハム・カイパー著、H.ヴァン・ダイク訳『われらの綱領』のハーリンクによる紹介文とキリスト教政党の必要性を説くカイパー自身の文章を訳して載せました。いずれも、重要な文章と思いますので、ご了解ください。

【10~12月の活動報告】


10月3日(木)日本キリスト改革派上諏訪湖畔教会に足立正範牧師を訪ねる。足立先生は私と同郷、兵家県の出身で、関西学院大学で春名純人先生からキリスト教哲学を学ばれた方なので、話が弾んだ。信州神学研究会で、諏訪大社の歴史についても少し学んでいたので、教会を訪ねる前に、上社前宮と上社本宮の中間にある「神長官守矢資料館」にも赴く。

10月10日(木)軽井沢「菊水」において、7/28の主日、佐久会堂で礼拝を共にした木村庸五長老(弁護士)夫妻と明石實次さん(医師)に再会、夕食を共にする。二人は、高校が同窓ということで再会へと導かれたのだが、それ以上の絆もある。私はこの学校(県立神戸高校)でキリスト教伝道者となるべく決心し、グルー基金による米国留学へと導かれた。それで、三人が家族ともども、互いの過去・現在・未来について語り合ったというわけである。

10月13日(日)長野佐久教会(長野会堂)にて、礼拝説教奉仕(ヘブライ13:1~6)。台風19号による大雨で千曲川が増水、教会近くの堤防も一部決壊して多くの家屋に床上浸水等の被害が出た。教会は幸い無事で、通常通りの礼拝を守ることができたが、教会員の中には、避難所で一晩を過ごした方もあった。

 10月27日(日)坂戸教会(埼玉県坂戸市)にて、礼拝説教奉仕(ヘブライ13:1~6)。帰途、今回の台風で床上までの浸水被害のあった「川越キングス・ガーデン」を見舞う。入所者は、全員他の施設等に避難しておられ、お会いできなかったが、復旧作業中のスタッフの方に見舞金等を手渡す。

11月4日(月・休甲信地区教師会に出席。

11月10日(日長野佐久教会(長野会堂)にて、礼拝説教奉仕(ヘブライ13:1~6)

11月11日(月)佐々木弘幸師と共に、佐久市平賀に川田殖先生を訪ねる。川田先生はICUの先輩(第1期生)キリスト者で、プラトン学者。山梨医科大学教授、恵泉女学院学園長等、歴任された方であるが、そのような経歴を少しもお見せにならない謙遜な教育者であられる。帰途、コートを忘れたことに気づき、翌朝一番に取りに伺ったところ、どうしても上がれと言われ、また、2時間ばかりおしゃべりしてしまった。1週間ほど経ってからお電話をいただき、お送りした「ICS軽井沢文庫だより」を1~26号全部読んでくださった、その感想として、キリスト教哲学・政治、今の日本に大変必要とされていること、若い人たちの中にも関心ある人は多いはずだから、ぜひ続けるようにと励ましてくださった。これからも、連絡を取り続けたい方の一人である。 

11月29日(金)第7回信州神学研究会、於佐久会堂。「カルヴィニズムより見た日本の天皇制」と題して、発題講演を行う。結語として申し述べたことは次の通り。①日本国と国民生活のすべては契約の神の主権的支配の下にある、②その下での政治体制(君主制か共和制かなど)は、(終末論的には「神の国」に連なるものの) 歴史的相対的なもので、国民の選択(「総意」)による、③『古事記』等神話の有神論的(含・共通恩恵論)解釈の必要性、④カルヴァン主義的立場から天皇制について議論し、世論を喚起しなければ、天皇制は再び政治に利用される可能性がある。大きなテーマであるので、序論的な発題となったが、日本伝道、信州伝道にとって、基本的な重要性を持つ課題なので、今後とも継続的にとりくんでゆきたい。なお、発題レジメご希望の方は,ご一報ください。お送りします。

12月2日(家内と共に上京、日本同盟キリスト教団椎名町教会に渡邉崇子姉を訪ねる。崇子姉は、私どもが結婚する前に、導かれて参加した「キリスト者青年友好協会」で知り合いになって以来の友人で、彼女も、この会で導かれて、渡邉恭章師と結婚された。(渡邉師は神戸改革派神学校18回卒業生で、私の2年先輩)。この渡邉恭章師は、キリスト教世界観研鑽のため始められた「それでは如何に生きるべき会」(ロゴス会)の初代会長を務められる等、多方面で活躍され、崇子姉と結婚後は、椎名町教会の2代目牧師となられたが、2.000年4月に、がんで召天された。それ以後、崇子姉は、恭章兄の遺業を引き継いで、キリスト教世界観を証しし続けておられる。私どもが,この度伺ったのは、1980年に渡邉恭章師が日本キリスト教民主党を立ち上げ、神奈川1区より,衆議院議員選挙に立候補された時のことをお聞きし、その時の資料などを見せていただくためであった。その時の公報や選挙演説のための原稿、運動中の写真等見せていただいたが、一部は「ICS軽井沢文庫」のために貰い受けた。この時は、2,678票を得ただけで、落選されたが、とにかく、一歩踏み出された、その実行力は決して忘れてはならないと思う。

12月8日(日長野佐久教会(長野会堂)にて、礼拝説教奉仕(ヘブライ13:7~8)。

12月22日(日新潟伝道所にて、クリスマス主日礼拝説教奉仕(ルカ2:1~21)。午後は、愛餐会の後、聖書と讃美歌を交互に読んで歌い交わす「クリスマス讃美礼拝」をささげた。喜ばしいクリスマスであった。

12月29日(日長野佐久教会(佐久会堂)にて、年末礼拝説教奉仕(ヘブライ13:1~6)。


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【「ICS軽井沢文庫」】

「ICS軽井沢文庫」は、日本におけるキリスト教有神的世界観人生観の研鑽と普及のために、2016年6月14日に、軽井沢町追分36-23に設置された文庫です。“ICSInstitute for Christian Studies)は、この文庫が、日本における (改革主義)キリスト教学術研修所(大学院)の設置を目指していることを告白するものです。また、最近は、日本におけるキリスト教政党立ち上げのヴィジョンも与えられつつあります。文庫設置の経緯については、「ICS軽井沢文庫だより」第1号(2016.6.14)をごらん下さい(ラベル「ICS軽井沢文庫だより」第1号をクリック)。シャーローム。


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