2021年12月25日土曜日

「ICS軽井沢文庫だより」第35号

~巻頭言~「病と死に対する勝利」

宮﨑彌男

「これらのことを話したのは、あなたがたが私によって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私はすでに世に勝っている。」

(ヨハネによる福音書16:33)

 クリスマスおめでとうございます。「平和の君」イエス・キリストのご降誕を喜び, 新年のご挨拶を申しあげます。

 待降節の私の説教の中で、入船尊先生の「最期の日々」に触れることがありました。入船先生は、改革派教会から派遣されて、インドネシアで10年間、伝道し、帰国後も神戸改革派神学校で実践神学など講じる傍ら、巡回教師として全国をめぐって奉仕される最中、ガンで倒れ2001年2月18日早朝、 天に召されました。今年は、召天20周年です。

 ガンで召された改革派教会の先輩教師の中で、私が特に親しい交わりをいただいたのは、九州伝道を共にした岩崎洋司先生と、この入船尊先生です。このお二人に共通しているのは、病と死に勝利し、お元気な時以上の伝道を病と死においてなさった!と教会内外の多くの方が語っている、という点です。病と死に勝利して天に凱旋した二人の先輩教師との交友は、私にとって大きな霊的財産となっています。

『生命への道』
 岩崎先生の場合は、九州伝道の同労者であり、日頃から親しい交わりがありましたので、入院中も何度かお見舞いし、葬儀の折にも、(先生のご指名で)後輩の私が説教させていただいたりしたのですが、入船先生の場合は、(2度目の)入院・手術から召される日までが短かったせいでしょうか、病院に伺ったのはたった2度ばかりでした。それで、入船先生の「最後の日々の」のことは、記念文集『生命への道』(入船佐奈江夫人編)に掲載された金沢伝道所の漆崎英之先生の手記から教えられたことです。漆崎先生は神学校教官時代の入船先生の教え子で、特別に親しくしておられ、先生の「最期の日々」、お一人で大変だった佐奈江夫人を助けて、幾日か付き添われたとのことです。私は、感謝と感動をもって、この手記全体を読ませていただいたのですが、そこに私は、正に「病と死に勝利して」召天された入船先生の証し(メッセージ)を読み取ることができたのです。お分かちします。

 漆崎先生はこう記しています。「キリストの復活の命にあずかっている先生にとって、死の問題は既にキリストにあって解決済みであることを私は知った。復活のキリストへの揺るがぬ一貫したカルヴィニストとしての先生のキリスト信仰を死の床で目の当たりにしたとき、キリスト教とは本物の宗教であることを私は知った。そしてこれこそ入船先生が生涯宣べ伝えたかった福音に他ならなかったと思う」(記念文集「生命への道」p.280f)。

 漆崎先生が代筆した入船先生の(教会員宛ての)「病床だより」には、こんな文章もあったとのことです。「…眠ることも、栄養も、排泄も、全部、薬や医療技術に支えられて生きています。すばらしい一般恩恵の恵みです。今、少しずつ、トマトを食べています。私の今の肉体に関する喜びは、かわき(舌)をいやされることです。つまり、口がカラカラになっているために、何かをのむ時は最大の喜びです。今回書いているのは、おもに一般恩恵の喜びです。イエス・キリストによる特別恩恵の喜びは、すでによく語ってきたからです。『世の中に、うまきものあり、冷たき水』。わたしの病床だよりを毎週、週報にのせてください」。召される5日前に書かれたものですが、これは立派な説教です。一般恩恵の恵みについて書いておられるのは、カルヴィニストたる入船先生の面目躍如たるものと言わねばなりません(注1)

 漆崎先生は、病床の入船先生と接する中で、キリスト教とは本物の宗教であることを知った、と言っておられます。本物の宗教ならば、”生老病死”中一番手強い「病」と「死」についても勝利するはずです!そのことを、漆崎先生は(カルヴァン的)キリスト教を奉じる入船先生において、目の当たりに見ることができた、と言っておられるのです。

 (カルヴァン的)キリスト教は、聖書の教えとして、特別恩恵を基礎づける神の一般(共通)をも重要視します。創世記3章において、アダムが、善悪を知る木から取って食べ、罪を犯したとき、アダム(とエバ)は、直ちに死ぬはずでした。主なる神から「…善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」(同2:17)と言われていたからです。しかし、9節によれば、主なる神は直ちに彼らの生命を取り去ることをせず、「どこにいるのか」と声をかけられるのです。最初に一般(共通)恩恵が人類に示され与えられたのはこの時であったと、『共通恩恵』の著者、アブラハム・カイパーは言っています(注2)

 漆崎先生は、上掲の文中で、「(入船先生にとって)死の問題は既にキリストにあって解決済みであることを私は知った」と書いておられます。おそらく、先生はもうこの段階で、召される時は近い、と自覚しておられたのでしょう。しかし、そのことを恐れたり、悩んだり、悔やんだりされた気配がまるでないのです。漆崎先生は、そのことを一言も伝えておられません。その理由は、いくつかあると思われますが、一つには、祈りの中での先生の主との交わり。この中で、おそらく、先生は、世にあってさらに主と教会に仕えるのも喜ばしい事であるが、召されて主と共にいる事は、もっと喜ばしい事だ、とのパウロ的な心境に到達されたのでありましょう(フィリピ1:21-23)。しかし、もっと深いところでは、恩恵についての先生の人一倍謙遜かつ鋭敏な認識があったのではないでしょうか。死んで当然であった罪人がこれまで、主の恵みによって生かされてきたという、主の一般恩恵への自覚と感謝です。

 罪人にとって死は当然受くべき「罪の報酬」です(ローマ6:23)。アダムの子孫たる人類すべてが受けるべき定めです(ヘブライ9:27) 。 しかし、その当然とも言うべき死も、キリストが敢えて私ども罪人のために死んでくださった事により、「とげ」は取り除かれ(Ⅰコリント15:55)、復活の命への門とされました。ハレルヤを唱えながら凱旋できる…。これが入船先生にとっての死でありました。このような死は「祝福」以外の何ものでしょうか(「ウエストミンスター小教理問答37, 注3)。キリスト者にとっては、病と死の床さえも、神共にいますクリスマスの希望であり、喜びなのです。

 このように考えてきますと、私のような者でも、病と死の床に伏す時、主への感謝と喜びの内に、すなわち、病と死に対する勝利をもって、天に凱旋することができるのではないか、と思えるようになりました。これは、私にとって今年一番の大きな「悟り」でした。そして、読者の皆様とも分かち合いたいと願った次第です。

 召される5日前の2月13日、共にインドネシアで宣教師として伝道された、福音自由教会の栗原先生が入船先生を見舞い、お祈りをされたとき、入船先生は大きく息を吸い込んで、両手を上に挙げ、大きな声で「アーメン」と言われたとのことです(p.277)。これは、病と死に勝利された先生の雄叫び(宣言)であったに違いありません。

  そして、2月18日、主の日の早朝、奥様と二人で、賛美歌273Bをハミングし、インドネシアでよく歌われたと言う「アメージンググレース」を口ずさみ、主を賛美しつつ召されたとのことです(p.267)。先生は、最期の最後まで、伝道者でした(注4)。アーメン、ハレルヤ!


(注1)「一般恩恵」とは、信者・未信者を問わず、すべての人に与えられる神の恩恵のこと(マタイ福音書 5:45、使徒言行録 14:17 etc.)。「共通恩恵」「保持恩恵」とも呼ばれます(この恩恵の重要性については、「ICS軽井沢文庫だより」19~22号等もご参照ください)。これに対して、信者だけに与えられる霊的再生の恵みは「特別恩恵」と呼ばれます(ヨハネ福音書 3:3, 使徒言行録 16:30,31 etc)。入船先生が入院生活の日々、特に一般(共通)恩恵を覚えて、感謝して過ごされたことを、漆崎先生は、さらに次のように記しておられます。「2時頃、先生が目を覚まされ、水と氷を度々求められた。ガーゼにくるんだ氷を美味しそうに先生はすすっておられた。先生が梨を食べたいと言われた。季節はずれで病院の周りにあるお店に梨はなかった。ハーバーランドに行けばあると教えてくれたマスターがあった。大きな梨を見て、先生は「見事な梨じゃの...」と感嘆し、薄く切った梨を「うまいの~、うまいの~」と全身で味わっておられた。そして、面白いことを話された。「漆崎さん、ここはマンションの生活ですよ。だって、あんた。そうでしょ。何不自由ないんですから...家内何ぞは、食事を作らなくてもいいんですよ。私の食事を食べればいいんだから。時間になればちゃんと来るわけですから。部屋は暖かいし...この機械...すごいね...これは一般恩恵の恵みですよ。主は驚くべきお方ですよ...この他にも色々話された後、眠られた。...入院生活の中で、先生は自分に施される医療技術や看護といった一般恩恵の恵みに大いに関心を示された。自分の体に入ってくる点滴の一滴、一滴を見ながら先生は『この点滴のお陰で、私は痛くなくこうした生活ができるのだから、主は驚くべきかな』と感動しておられた」(pp.278~279)。

(注2)「楽園においてこの少しおかしな現象が起こった。結果的にそのとおりにはならな

カイパー『共通恩恵」』

かった一つの警告について(創世記3章は)書いているからである。罪のない状態において人は、(善悪を知る木について)「この木から取って食べるその日には、あなたは必ず死ぬ」と告げられた(2:17)。にもかかわらず、人は、その木から取って食べるのであるが、その日に彼は死なないのである。反対に、アダムはこの後非常に長く生きるー900年以上も生きるのである。

 我々は、神の言葉が成就しなかった、とは言わない。このことについては後で取り上げるが、アダムとエバがこう告げられたときに理解したに違いないと思われるような仕方では、事が起こらなかった

ことは確かである。アダムが罪を犯したその日に、アダムは死ななかった。この事実は確かである。言わば、アダムは驚くべき執行猶予を受けたのである。それは、彼自身の祈りの答えとしてではなく、神の自由なご意志の決意として受けたのである。アダムがこの日に死なず、その日、そして、その後何百年も生き続けることとなった、このような神のご意志の決意は、個人的に私たちも含めて、すべての人に与えられる一般(共通)恩恵の非常に力強い決意以外の何ものでもないし、それ以下の何ものでもない。

 アダムが罪に落ちたその日に死んだとすれば、どのような結果となったか、一度考えて見るがよい。この世界の歴史はすべてなくなってしまったことであろう。人類の進展はなかったであろう。この世界の歴史はすべてなくなってしまったことであろう。人類の進展はなかったであろう。聖書によれば、堕落前のアダムとエバにはまだ子供はなかった。「その木から取って食べるその日には、あなたは必ず死ぬ」という主の御言葉が文字通り成就したとしたならば、二人の死によって我等人類の根が全く死に絶え、地上に生を受ける者は一人もいなくなったであろう。もし一般(共通)恩恵によってこの地上におけるアダムの存在が思いがけず引き延ばされたとすれば、あなた自身の生涯、あなたの誕生、一人の人間としてのあなたの存在は、ただ単に創造の御業に由来するものではなく、恩恵に根ざす神の決意によるものだということになる。罪の全体的、直接的な結末は、もし引き止められることがなかったならば、ただ一度の死刑判決でもって、全人類を破壊することとなったであろう」(アブラハム・カイパー『共通恩恵』I、p.113)。

 「もし(アダムは)死ぬべきであったにも拘わらず、「あなたがその木から取って食べた日には、必ず死ぬ」との御言葉が告げるような、突然の直接的な終焉を迎えることがなかったとするならば、次の事があきらかである。すなわち、(1) 罪への堕落後、直ちに恩恵の啓示が始まったということ。(2) 死の力とその勝利を抑制したのは、この恩恵に他ならないこと。(3) このような、必然的で不可避であった罪の抑制は何のためだったのか。その目的は何だったのか。それは、① 先ず第一に、サタンに対して神の栄誉を守るためであり、さらに、② 第二に、創造の御業の全体(それも、特に人類のための御業)において、神の秩序を保持するためであり、そして、③ 第三に、永遠の選びの聖定を履行するためであった。①は、パウロがローマ3:26において、『それは、今の時に神が正しい方であること、すなわち神の義を明らかにするためである』と述べている『神義』に関わることである。また、②は、一般恩恵のための広い領域を示すためであり、さらに、③ は、特別恩恵によって実現を見ることとなるのである」(『同書』I、p.261)。

(注 3)  Cf.『ウェストミンスター小教理問答』(問37)信者は、死の時、キリストからどんな祝福を受けますか。(答)信者の霊魂は、死の時、全くきよくされ、直ちに栄光に入ります。信者の体は、依然としてキリストに結びつけられたまま、復活まで墓の中で休みます」(榊原康夫訳)。

(注4)  記念文集『生命への道』には、カルヴァン『キリスト教綱要』の訳者、渡辺信夫先生も追悼文を寄せておられますが、その中で、次のように記しておられます。「もう一つ付け加えたい。最後に牧師たる者の死に方についての教えを私に残してくださったことを感謝している。福音の働き人は生きて福音の証しをするだけでなく、死によっても証し、主の栄光を顕さなければならない」(p.224)。


【2月~11月の活動報告】

 今年度の2月以降、「ICS軽井沢文庫だより」を発信しておりませんでしたので、「活動報告」も滞っておりました。それで、今回は、項目別に活動報告をすることにします。

1)礼拝説教奉仕

  東部中会引退教師として、長野佐久伝道所長野会堂及び佐久会堂で、各月一回の説教奉仕をした。昨年に引き続き、使徒言行録の講解説教。長野佐久伝道所は、3年後の2024年を目処に教会設立を目指しているので、そのことも念頭におきながら、御言葉を説き明かした。各月の説教題と聖書箇所とは、次のとおり。

 2月...「混じり気のないことば」(詩編12:1~9) (4月に那覇伝道所に赴任する宮﨑契一教師が私に替わって奉仕した。感謝!)  2/7長野、2/14 佐久。沖縄伝道のために祈る群れがここ信州にもあることは心強い。

 3月...「熱心に祈る群れ」(使徒言行録1:8~14)、3/7長野、3/28佐久。

 4月...「主の復活の証人」(使徒言行録 1:15~26) 、4/4長野、4/11佐久。

 5月...「あらゆる国の人々へ」(使徒言行録2:1~13)、 5/2長野、5/9佐久。

 6月...「彼らは預言する」(使徒言行録2:14~21)、6/6長野, 6/13佐久。

 7月...「神から証明されたナザレの人イエス」(使徒言行録2:22~24)、 7/4長野、

                        7/11佐久。

 8月...「キリスト信仰に生きる」(使徒言行録2:22~32)、8/1長野、8/8佐久。

   9月...「悔い改めなさい」(使徒言行録2:23~40) 、9/5長野、9/12佐久。

 10月..「三千人ほどが洗礼を受けた」(使徒言行録2:40~41)、10/3長野, 10/10佐久

 11月..「聖霊に満ちた教会」(使徒言行録2:42~47)、11/7長野、11/14佐久。

 この他、2/28, 3/14には新潟伝道所の礼拝でも使徒言行録から説教し、祈りをもって4月より定住伝道者(長谷川はるひ先生)を迎えるよう奨励した。午後には、少人数ながら、「カイパー読書会」を行った。

2)7月22日(木/休日)日本カルヴィニスト協会講演会・総会。於・神戸改革派神学校チャペル。講演会の主題は、「カルヴィニズムと政治」。講師は、東京基督教学園(東京基督教大学) 理事長になられたばかりの朝岡勝先生と、神学校でキリスト教倫理学を教えておられる弓矢健児先生。他に、長谷部真先生が開会礼拝で説教された。朝岡先生は、教会の牧師として政治的な発言をしたり、学びや(超教派の)政治活動をした時に遭遇された様々な経験を踏まえ、カルヴィニズムと政治に関わる問題点を指摘し、今後のあり方を模索しつつ展望された。一方、弓矢先生は、カイパーの『カルヴィニズム』中の第3章「カルヴィニズムと政治的」の内容を丁寧に紹介し、時代的な制約のある事柄のあることも指摘された。私は、質疑/討論の時間に、カイパーにおける「有機体としての教会」と「制度としての教会」の区別と関係性について質問し、その重要性を述べた。

3) 9月20日(月・休日)甲信地区一日修養会が、長野佐久伝道所(両会堂)において、オンライン(Zoom)で行われた。講師は、東京恩寵教会の石原知弘牧師。四年間オランダに留学された先生が、「オランダ改革派の伝統を訪ねて」と題して、興味深い講演をしてくださった。私は、カイパー、バフィンクの死後、1920年代以降のオランダ改革派教会が、どのようにカール・バルトに対峙し、取り組み、乗り越えていったのかについて質問した。先生は、ご自分の著書(『バルト神学とオランダ改革派教会』等)も紹介しながら答えてくださったが、私にとっては、大きな刺激を受ける結果となった。カイパー、バフィンク以後のオランダ改革派教会の歴史については、一部を除いてほとんど知らなかったからである。日本におけるキリスト教有神的世界観人生観の確立を目指す我々にとっては、地平線が広くなった思いである。石原先生からは、今後とも学びたい。

4) 11月16日~17日  日本キリスト改革派教会定期大会に出席(陪席)。於・刈谷市あいおいホール。コロナ禍で大会の開催も危ぶまれていた中で、議長書記団は開催に踏み切ったのであるが、出席は正議員/準議員に限られるとの通達であった。引退教師に過ぎない私には、当然のことながら、議員資格はなく、行くことなど考えていなかったのであるが、送られてきた議案書を見て、この第76回定期大会がが、5年後の2026年に創立80周年を迎える我が日本キリスト改革派教会にとって、大変重要な大会となることを悟らされた。それで、陪席でも、と思って常任書記長の坂井孝宏先生に電話したところ、渋々陪席を許してくださった。それで、片道5時間かかったが、中央線経由で、刈谷まで行き、会議を傍聴することができた。また、会議の合間に多くの、昔懐かしい教師や長老と顔を合わせ、言葉を交わして、交わりを喜ぶ事ができた。楽しい二日間の大会であった。議事としては、私が重大な関心を持っていたのは、①80周年にウェストミンスター信仰規準の「教会公認訳」を出すとの憲法委員会(第一部会)による報告と提案、そして、②70周年以降の課題検討委員会より出された「80周年宣言を作成すること」の提案であった。特に、②については、提案理由として、「過去の諸宣言を参考にして教派のアイデンティティー(固有性)の確認、また継承すると共に、新たなヴィジョンの提示のために宣言が必要と判断したため」と記されていたので、これは、私たち日本キリスト改革派教会の今後の伝道についての基本的路線を決める重要な宣言となると考えた。さすがにこの提案が議場に出された時には、多くの質問や意見が出され、3,40分間の討論がなされた。残念ながら、私には発言権もなかったので、黙って聞いているしかなかったのであるが、後で、過去40年ばかり改革派教師として伝道してきた経験から発する意見/要望として短くまとめたものを、常任書記長に提出し、また、新しく選出された「80周年宣言作成委員会」にも取り次いで貰うことにした。80周年には、日本伝道への意欲を燃え上がらせるような、良い宣言が出されるように祈りたいと思う。大会には出かけた甲斐があった。

5)「信州神学研究会」

 「信州神学研究会」は、甲信地区改革派の教師/信徒の交わりと研鑽を目的として、3年前に始まり、通常、年4回行い、今年11月で12回目を数えるに至った。基本テーマは「カルヴィニズムと信州伝道」。当番の教師/信徒が自由にテーマを選んで発題し、懇談の時を持っている。今年は以下のような主題で行った。出席者は7~8名であるが、出席の教師/信徒にとっては、貴重な交わりと研鑽の時となっている。各回のレジメなどご希望の方は、書記の宮﨑まで連絡をください。なお午前の研究発表の部分は、YouTubeでも発信しています。

 2021.2.26 「カルヴィニズムの教会論ーRBカイパをーを読み直す」(牧野信成教師)

 2021.5.28       「キリスト教政党の必要性ー信州伝道との関連でー」(宮﨑彌男教師)

 2021.9.24 「<世界哲学史>を読んで」(足立正範教師)

 2021.11.26 「アルベルタス・ピータルス 『日本宣教の諸問題』」(長田秀夫教師)

 次回は、2022.2.25 「聖書が教える結婚」(牧野有子姉)の予定。


 6)「カイパー読書会」

 オランダのカンペンで勉強してこられた、ハレファ・スルヤ先生(大阪・茨木聖書教会)の呼びかけで、「カイパー読書会」が始まり、私もオンラインで参加させていただいています。第一回は、6月25日(金)で、毎月第4金曜日の夜8時から行われています。今は、カイパーの『共通恩恵論』Common Grace の英訳を、一回に4,5章ずつ読んでいます。スルヤ先生が最初に内容をサマライズしてくださる事が多いのですが、その後、質問したり、それぞれの関心事を分かち合ったりしています。顧問は、TCU の稲垣久和先生で、現在は、7,8 名が参加しています。11月の会では、後半、私が「キリスト教政党の必要性」について、「信州神学研究会」で発表したものの中から一部、カイパーの共通恩恵論に関わる部分を紹介させていただきました。


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【ICS軽井沢文庫】

「ICS軽井沢文庫」は、日本におけるキリスト教有神的世界観人生観の研鑽と普及のために、2016年6月14日に、軽井沢町追分36-23に設置された文庫です。“ICSInstitute for Christian Studies)は、この文庫が、日本における (改革主義)キリスト教学術研修所(大学院)の設置を目指していることを告白するものです。また、最近は、日本におけるキリスト教政党立ち上げのヴィジョンも与えられつつあります。文庫設置の経緯については、「ICS軽井沢文庫だより」第1号(2016.6.14)をごらん下さい(ラベル「ICS軽井沢文庫だより」第1号をクリック)。シャーローム。



【連絡先】

389-0115長野県北佐久郡軽井沢町追分36-23 宮﨑彌男・淳子

TelFax 0267-31-6303(携帯) 080-3608-3769

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2021年2月17日水曜日

「ICS軽井沢文庫だより」第34号

~巻頭言~    「政治と伝道」 宮﨑彌男 

佐久会堂
 1月31日㈰の午後、佐久会堂で2021年度、(日本キリスト改革派)長野佐久伝道所の会員総会があり、私も現住陪餐会員なので、祈りを持って出席しました。今年の会員総会で重要な議案は、伝道所委員会より出された「2024年(伝道開始70周年)の教会設立を目指して具体的な計画を始めること」との提案でした。私は、この提案に賛成し、賛成意見を述べました。それは、次のような主旨のものです。
 「私は、伝道所委員会からの提案に賛成します。理由は、教会の頭である主イエスの御心であると信じるからです。私たちの『教会規定』によれば、「伝道所」の存在は認められているものの、それは、教会設立に至るまでの、言わば、一時的なものである。教会設立を目指して、会員一同努力することなく、いつまでも伝道所であることに安住するならば、それは、教会の頭である主イエスの御心であるとは言えない。余りに長期間、伝道所であり続けるならば、それは伝道上、決して望ましいことではない。そういう意味で、この度の伝道所委員会より提案に感謝し、賛成をしたい。
 ただ、教会設立には、伝道所からの働きかけと共に、「下からの」霊的な盛り上がり」が必要。それで、私は、教会設立をはっきりと3年後の目標として掲げるに当たり、私たち信徒にとっての課題として、次の三点を挙げたい。
 ①熱心な聖書の学び、②熱心な教理の学び、③熱心な伝道。この中でも、②の「熱心な教理の学び」は、とりわけ、教会設立に向かって準備を始めようとする今の私たちの伝道所にとって、生命的に重要である。①と③はそれにフォローするとも言える。
 長野会堂の一人の姉妹が、「ウ大教理を読み直している、毎週のハイデルベルク信仰問答も楽しみ、吉田隆先生の『ただ一つの慰め』も素晴らしい」と言っておられるのを聞き、大変励まされた。ある宗教改革者が(ルターと記憶しているのですが)、「聖書とは聖書の意味である」と言って、多くの教理問答を書いた。聖書の字面を辿るだけでは、なかなか聖書が人生の指針とならない。聖書から、今日を生きる私たちへの「メッセージ」を聞き取ることが大切。その集積が教会の信仰告白/教理問答なのである。熱心な教理の学びによって、聖書の読み方、学び方も、だんだんとわかってくる。
 それでは、どのように学ぶか、これまで、私ども各自、色々な形で行ってきた教理の学びに加えて、毎週の礼拝との関わりにおいても、教理の学びができれば、一歩前進ではないか。例えば、長野佐久伝道所で説教してくださる牧野牧師はじめ、(私自身も含めて) 引退教師の諸先生方にも、毎週、説教の他に、5分間の教理問答の解説をお願いできないだろうか。こういったことの積み重ねによって、信徒レベルでの教理の学びへの熱心が徐々に喚起され、実質的な意味での教会設立に向けての準備となるに違いない。」
 以上は、1月31日の会員総会における私の発言の主旨ですが、これは、巻頭言の前半に過ぎません。もう一点主張したいことがあるのです。それは、表題に掲げた「政治と伝道」の両方における「教会」の働きを主は求めておられるということです。
 日本キリスト改革派教会は、戦後すぐの、1946年4月29日に創立されました。その時の『日本基督改革派教会宣言』には、二本の柱から成る教会の形成に対する告白と献身が表明されています。この宣言によって、私たちは、戦後75年間、伝道と教会形成に励んできたのです。この二本の柱とは、①有神的人生観世界観の確立と、②信仰告白、教会政治、善き生活において一つである制度教会の設立です。
 ①については、次のように述べています。「今後より良き日本の建設の為に我等は誠心誠意歴史を支配し給ふ全能にして至善なる神の御心に適ふ者とならざる可からず。その誡命(いましめ)の如く神を敬ひ、隣人を愛し、単に精神文化的部面に於てのみならず、『食(くら)ふにも飲むにも、何事をなすにも凡て神の栄光を顕はす事』を以って至高の目的となさゞる可からず。此の有神的人生観乃至世界観こそ新日本建設の唯一の確なる基礎なりとは、日本基督改革派教会の主張の第一点にして、我等の熱心此処に在り」。
 さらに、②については、次のように述べています。「神のみ明かに知り給ふ所謂(いわゆる)『見えざる教会』は全世界に亘り、過去、現在、未来なる全歴史を通し、地上と天上とを貫きて聖なる唯一の公同教会として存在す。然れども、我等は地上に於て、見えざる教会の唯一性が、一つ信仰告白と、一つ教会政治と、一つ善き生活とを具備せる『一つなる見ゆる教会』として具現せらる可きを確信す。是(これ) 日本基督改革派教会の主張の第二点なり」。
 この第二点が今年私たちの伝道所が3年後の目標として掲げた「教会設立」と結び付いていることはおわかりと思います。「見えざる教会」を、教会役員(牧師、長老、 執事等)によって治められ奉仕される「見える教会」として形成するのが教会設立だからです。また教会役員を選ぶのは教会員ですから、教会設立に向けての聖書と教理の学び、さらには、伝道活動のための説教と教会教育も必要なわけです。
 しかし、これらのことが十分になされ、教会が設立されたとしても、それが「神の国」実現のための最終目標であるかと言えば、そうではありません。上に記したような『創立宣言』の第一点からすれば、私たちには、全生活領域で神の栄光を表すという目標が全生涯に亘ってあるはずです。ウ小教理問答がその第一問の答で、「人の主な目的は、神の栄光を表し、永遠に神を喜ぶことです」と言っている通りです(注1)
 このこととの関連で、私は、今日の日本にあって、キリスト教政党(「立憲平和党」?「平和党」?…)を立ち上げることの可能性/必要性を問うてきました(「ICS軽井沢文庫だより」24, 25, 26, 30号等、参照)。また、19世紀後半~20世紀前半、オランダで、カルヴァン主義信仰に立つ「反革命党」を立ち上げ、1901~1905年には首相をも務めたアブラハム・カイパーの「政治的霊性」に学ぶための読書会も始めています(「ICS軽井沢文庫だより」31号)。昨年10月には、新潟で第一回の「カイパー読書会」を行いましたが、今年3月からは、佐久でも開催の予定です。
 まだまだ端緒についたばかりですが、もし「教会」(有機体としての教会ー注2)が政党を立ち上げ、日本の政界にキリストの霊の風を吹き込むことができれば、日本の政治は変わるに違いありません。また、このことを通して、制度教会の伝道も、活性化されるに違いないと思っています。私たちの『創立宣言』においては、第一点(文化、芸術、政治、…)と第二点(宗教、礼拝、伝道、…)は、有機的(生命的)に結び合わされており、キリストの王国において一つ(エフェソ書1:10)だからです。 
 「世界の希望はカルヴィン主義の神にあり。神よ,願くば汝の栄光を仰がしめ給へ。我等与えられし一切を汝に捧ぐれば、汝のみを我等の神、我等の希望と仰がせ給へ。汝が既に我等の内に肇め給ひし大いなる御業(みわざ)を完遂せしめ給へ。アーメン」(1946年4月29日、『日本基督改革派教会創立宣言』締めくくりの祈り)。

(注1)アムステルダム自由大学開学講演(1881年)におけるアブラハム・カイパーの次の言葉も参照。人間生活のどこにおいても,万物の主権者であられるキリストが『私のものだ!』と言われないような領域は,1インチ平方たりとも存在しない」。
(注2)制度教会(例えば、日本キリスト改革派教会等の教派とそれに属する大中会や各個教会)とは区別された、神の国としての、広義での「教会」。クリスチャンホーム、キリスト教主義学校、キリスト教政党、等々。


【12月~1月の活動報告】

12月6日(日長野佐久教会(長野会堂)にて、礼拝説教奉仕。「主イエスの証人となる」(使徒言行録1:6~8)。クリスマスは神のおとずれの時(ルカ1:68)。私たちは,神の訪問を受けて、『神われらと共にいます』主の愛(マタイ2:23)を教えられ、隣人を訪問する。伝道とは,出て行くことである(使徒1:8)。(コロナ禍においては、難しいかも知れないが…)。

12月13日(日長野佐久教会(佐久会堂)にて、礼拝説教奉仕。「主イエスの証人となる」(使徒言行録1:6~8)。

12月20日(日長野佐久教会(長野会堂)にて、クリスマス礼拝を守る。説教者は、塩田隆良引退教師、「キリストの光は我らを照らす」(ルカ1:67~80)。コロナウィルス感染予防のため、午後のクリスマス祝会や夕方のクリスマス讃美礼拝もなかったが、礼拝後、教会からプレゼントが配られ、私からも、中根文江姉の「ほのぼの絵はがき」(中根汎信先生による解説付き)を出席者全員に、1セットずつプレゼントした。文江姉の絵はがきには、体の不自由な同姉の、主を信じる創造信仰と福音信仰とが見事に溶け合った、素朴な秀作が多い。

12月25日(金
神の御子は今宵しも
わが家のX'mas concertのあとで

契一・あかり夫妻も加わり、家族4人でクリスマスを祝う。(Christmas dinner with chicken and mush-potato and piano concert by Akari and Keiichi ).

12月26日(土来年の年賀状に次のように記す。「昨年は、新しい政権が誕生しましたが、冒頭、新首相は,日本学術会議の推薦候補者6名を任命拒否し、国会でも,遂にその理由を明らかにしませんでした。最大の問題点は,国会での答弁に学術/学問への敬意と謙虚さが感じられなかったことです。戦後75年、わが国はここまで来たかという思いです。私どもの敷地に立つ『ICS軽井沢文庫』には、『主を畏れることは知識の初め』(箴言1:7)との聖句が掲げられています。今年も,この御言葉に導かれつつ,歩みたいと思います」。

12月27日(日新潟伝道所にて、礼拝説教奉仕。主イエスの証人となる(使徒言行録1:6~8 )。午後,第3回「カイパー読書会」を行う予定であったが、新型コロナウィルス感染予防のため、資料の配布のみとし、読書会は中止となった。次回は、1月17日㈰の予定。 

1月3日(日長野佐久教会(長野会堂)にて、新年礼拝説教奉仕。「主イエスの昇天と再臨」(使徒言行録1:9~11)。キリストは昇天されるに当たり、弟子たちに対し「地の果てに至るまで、我が証人となる」と御言葉を賜った。この召しに応えて、弟子たちは、聖霊の力をいただいて、主の証人として全世界に遣わされた。その記録が使徒言行録である。もし、私たちも、見える形で昇天されたキリストを見上げるなら、①熱心な聖書の学びと、②熱心な教理の学び、③熱心な伝道精神へと導かれる。ここに、“下から盛り上がる”教会設立への道がある。このような私たちの伝道と教会形成への熱心を主は再臨時にねぎらい祝福して下さる。

1月10日(日長野佐久教会(佐久会堂)にて、礼拝説教奉仕。「主イエスの昇天と再臨」(使徒言行録1:9~11)。

1月17日(日新潟伝道所で礼拝説教奉仕の予定で、準備していたが、大雪とコロナ感染予防のため、残念ながら、新潟への出張を見合わさざるを得なくなる。新潟伝道所の礼拝は、オンライン中継で、母教会の坂戸教会の礼拝と結んで守られた。午後開催予定であった「カイパー読書会」も休会。

1月24日(日長野佐久教会(長野会堂)にて、主日礼拝を守る。説教者は、牧野信成牧師、「教会は死んでいるか」(ヨハネの黙示録3:1~6)。

1月31日(日長野佐久教会(長野会堂)にて、主日礼拝を守る。説教者は、長田秀夫引退教師、「神の国と神の義」(マタイによる福音書6:25~34)。礼拝後、佐久会堂に移動し、今年度の長野佐久伝道所定期会員総会に出席(午後1時半~4時)。伝道所委員会より「2024年(伝道開始70周年)の教会設立を目指して具体的な計画を始めること」との提案があり、私は賛成意見を述べた。提案は、満場一致で可決された。この件については、「巻頭言」
をご参照下さい。



※ L. プラームスマ著『キリストを王とせよ―アブラハム・カイパーとその時代―』         ( 宮﨑彌男・宮﨑契一訳)は、今月は、休ませていただきます。


※ 「ICS軽井沢文庫だより」第33号(2020年12月25日)「伝道は出て行くこと」をお読みくださる方は、ラベル「ICS軽井沢文庫だより 第33号」をクリックし、タイトルの下の「続きを読む」をクリックしてください。なぜか、本文の表示部分が隠れてしまっていますので、…。



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【ICS軽井沢文庫】

「ICS軽井沢文庫」は、日本におけるキリスト教有神的世界観人生観の研鑽と普及のために、2016年6月14日に、軽井沢町追分36-23に設置された文庫です。“ICSInstitute for Christian Studies)は、この文庫が、日本における (改革主義)キリスト教学術研修所(大学院)の設置を目指していることを告白するものです。また、最近は、日本におけるキリスト教政党立ち上げのヴィジョンも与えられつつあります。文庫設置の経緯については、「ICS軽井沢文庫だより」第1号(2016.6.14)をごらん下さい(ラベル「ICS軽井沢文庫だより」第1号をクリック)。シャーローム。



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389-0115長野県北佐久郡軽井沢町追分36-23 宮﨑彌男・淳子

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