2017年4月1日土曜日

ICS軽井沢文庫だより No.8

「注意深く御言葉に傾聴せよ」
                        宮﨑彌男       


庭の福寿草
全国的には、次々と桜の開花宣言がなされているようですが、ここ軽井沢では、標高1,000㍍という準高地のせいか、なかなか本格的な春がやって来ません。先日、3/27(月)の朝には、30㎝もの積雪があり、季節外れの雪景色となりました。待ちきれずに、3/20(月)の春分の日、私たちは二人で追分宿の方にまで、10,000万歩をあるき、早春の日差しを楽しみました。立ち寄ったカフェ・レストランの内庭に咲いていた福寿草が春の到来を告げていて、良い散歩となりました。家に戻ってくると、うちの庭にも福寿草が咲いていました(写真)。
 さて、私は、2014年6月に「ウェストミンスター大教理問答」の新訳を教文館より出版しましたが、その折に、共同研究、その他、色々の形でご協力いただいた石丸新先生 (東関東中会引退教師)とは、その後もずっと、更なる改訳を視野に入れた手紙のやりとりが続いています。「ウ基準の学びには終わりがない」とは先生のよく言われることですが、改訳に向けての学びを通して多くの新しい(フレッシュな)霊的刺激を受けることは確かです。
 1月21日付の書信で、先生は、ウェストミンスター信仰基準に計18回出てくるdiligence, diligent, diligently の訳し方について、メモ書き (内容的には「論述」に近い)を提供してくださっています。その中の一つなのですが、ウ小教理90、ウ大教理157、同160に出てくる with diligenceは、これまで、「勤勉…をもって」とか 「勤勉に」、「熱心に」 と訳されることが多かったのですが,先生は、「注意を払い」 または「注意を傾けて」と訳すべきことを主張しておられます。diligenceは、今日でこそ「勤勉」とか「熱心」という意味で用いられることが多いのですが、元々は「注意深さ」を意味する言葉であったようです(水垣渉・袴田康裕著『ウ小教理問答講解』pp.143-144を参照)。それで、私自身も、ウ大教理157では、「注意力を集中し」(て御言葉を読まなければなりません)、あるいは、同160では、「注意力」(と準備と祈りとをもってこれに傾聴すること)と訳しています。
 このように「注意を払い」と訳す方が、直前の「これに傾聴する」(attend thereuntoupon it)との繋がりも良くなります。また、証拠聖句として挙げられている箴言8:34や使徒17:11とも良くマッチします。それで、改革派教会の憲法委員会でウ小教理の改訳を出されるときには、ぜひご一考いただきたいと思っています。袴田康裕先生が最近出された新訳『ウェストミンスター小教理問答』では、この箇所については、
「勤勉…をもって」となっておりますが、私どもとしては、やはり、「注意を払って」御言葉に傾聴することを強調したい。
 私は、御言葉に注意深く聞くことこそが,今日における教会の霊的更新(リニューアル)のために基本的に重要なこと認識しています。教会の礼拝・諸集会において、信徒各自の家庭礼拝や個人的でボーションにおいて、あるいは、御言葉が語られる領域を更に広げて、神の創造啓示(「一般啓示」)に耳を傾ける霊的洞察力において、御言葉に注意深く傾聴することこそが,今日の私たち信徒に求められているのです。
 「神の創造啓示に耳を傾ける」ことについては、正に「ICS軽井沢文庫」におけるキリスト教哲学研究に関わることでありますので、改めて取り上げることにしますが、ここでは、日々の家庭礼拝において、引退教師としての私(と家内)が「注意深く」御言葉に傾聴することを心がけておりますことを、僭越ながら一つの実践例として紹介させていただきます。
 家庭(夫婦)礼拝は、毎朝朝食前の20分間、日本キリスト改革派教会教育機関誌委員会発行の「リジョイス―主にある喜びー」を用いて行っています。通常の礼拝順序は:
  □ジュネーブ詩編歌
  □聖書(&ハイデルベルク信仰問答)
  □解説と奨励(「リジョイス」の日課による)  
  □「いのちのパン」(子どものための勧め)
  □祈り(含・全国の教会/伝道所のための祈り)
 更に、家庭(夫婦)夕拝を、毎晩9時30分から約15分間、スター・ミード著、佐藤強・魚本つる子訳『主を知り,主を喜ぶ~子どもから大人まで~』(教理問答による日々のデボーション)を用いて行っています。この書物は、一昨年10月、正統長老教会(OPC)日本ミッションから発行されたものですが、日本語訳もわかりやすく、内容も充実しています。私どもは、毎晩、その日の教理問答(ウ小教理)の解説と聖書箇所を読んで、学んだことを分かち合い、その後で、祈ります。家庭夕拝にぴったりの書物で、皆様方にも心よりおすすめします。訳者の一人である佐藤強先生(TEL/FAX :0465-43-3573、e-mail:tsuyoshi-sato423@nifty.com)に連絡すれば、\2,300+税で送ってくださると思います。
 なお、ついでながら、「リジョイス」の申込先は→ 那加教会内 今井捷利さん(FAX 078-330-3371、e-mail:rcjrejoice@gmail.com)です。
 私ども夫婦にとって、これら朝夕2回の家庭(夫婦)礼拝は、軽井沢での引退教師としての毎日の生活の、なくてはならない枠組み(支柱)となっています。御言葉を注意深く聞き、語り合う,楽しく有意義なひとときとなっています。このことを感謝をもって報告し、皆様方もそれぞれの事情にあった仕方で、日々御言葉を読んで、祈るひとときを守られることをおすすめします。
 私の九州での先輩同労者、岩崎洋司先生が口癖のように言っておられた「クリスチャンであっても,毎日聖書を読んでいる人と,そうでない人とでは、数年の内に(霊性上)大きな違いが出てくる」を思い起こしています。
 今年は宗教改革500年の年です。Sola Scriptura!           
                        
<「たより」第7号へのレスポンス>安達正子さん(山梨県甲斐市、介護福祉士)

宮崎先生 
 ICS軽井沢文庫7号を読ませていただきました。いつも楽しみに読ませていただいています。有難うございました。 
 さまざまなことが起きて世界中が騒然としている今日この頃です。 
 またあの忌まわしい時代に戻ってしまうのかという漠たる不安を抱えながら過ごしている者にとって真の希望と確固たる安心感を与えてくださる文章でした。 
 頼るのはキリストにある確かな希望ですね。改めて深く心に刻みました。
 安達正子

☆☆安達さま、前月号の「希望に生きる」へのレスポンスをありがとうございました。時代がどちらの方に向かっているのかわからない、不透明な様相を呈する中で、にもかかわらず、真実な希望を説くことができるのは,御言葉の上にしっかりと立つ教会とキリスト者だけですね。信仰・希望・愛に生きたいものです。☆☆宮﨑彌男
 
『キリスト者の世界観ー創造の回復』増補版・付録の翻訳

先月は、原著140~143頁、「“霊”と霊性、「聖書物語と今日の生き方を媒介する世界観の役割」,「結び」の三つの項を訳し終え、これで「付録」部分、全訳・完了しました。今後は、増補・改訂版の出版に向けて努力します。お祈りに覚えてください。ラベル<『キリスト者の世界観―創造の回復』付録>をクリックしてごらん下さい。

☆ 宣教において遭遇する戦いにおいて忠実たらんとする教会は生きた霊性を育て培う必要があるのです」(「“霊”と霊性」)。
☆「世界観は自動車のギア装置のようなものです。ギア装置は、エンジンの力と、地に接して車を動かすゴムのタイヤの間を媒介する働きをします。聖書についての世界観的な思索は、福音の力とその影響下に置かれる人間生活との間を媒介します」(聖書物語と今日の生き方を媒介する世界観の役割)
☆「万物は神の創造によるものです。どんなものも罪の破壊力と無関係ではありません。すべてのものは“霊”により、キリストにあってなされつつある神の更新の御業に参与しています」(同上)。

※次号の発行&ブログの更新は5月初め頃です。

「ここのユダヤ人たちは,テサロニケのユダヤ人よりも素直で,非常に熱心に御言葉を受け入れ、そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた」。
                   (使徒言行録17章11節)


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