2019年10月19日土曜日

「ICS軽井沢文庫だより」第26号

  ~巻頭言~  「『政』とは何か」


宮﨑彌男

 
  前回、「政界にキリストの風を」との巻頭言を記しました。イエス・キリストを信じる信仰に立って発信している「ICS軽井沢文庫だより」としては、「当然」の主張なのですが、肯定/否定/無関心いろいろの反応がありました。それで、今一度、フォローすることにします。
 「政界」の「政」とは、一体何なのでしょうか。
 角川『漢和中辞典』によれば、「政」という漢字は、「正が音を表し、直(まっすぐ)からきている。打って直にする、正すの意」と解字されています。また、字義としては、①「まつりごと」(国家を治めること)が上げられています。さらに、『岩波 国語辞典』を引くと、「まつりごと」【政】は、「主権者が領土・臣民を統治すること。政治」とあり、それに「『祭り事』の意。古くは祭政一致だったから」という補足説明が加えられています。
 政治というのは、古くから、国を「治め」「統治する」ために行われてきたもので、その目的は、「打って直(まっすぐ)にする」「正す」ことにある、というわけです。聖書においても、王による治世の核心が「公正と正義」にあることが明言されています(列王記上10:9、イザヤ書26:10、箴言8:15,16等)。
 わが国の現今の政治はどうでしょうか。公正と正義を旨とする政治が行われているでしょうか。「自民一強」が長く続く中、現政界を動かしているのは、「政」の公正/正義ではなく、権力の座にある者への諸々の忖度(そんたく)の結果としての不正行為の横行、政治家の自己保身の結果としての聖なるヴィジョン(長期展望)の欠如ではないですか。このような公正/正義を旨とする政治感覚のなくなった政界をこのままにしておくならば、それは国民全体の道徳的腐敗を結果します。もう既に顕わになりつつあるのではないですか。
 今こそ、日本の政界はキリストの風を必要としています。イザヤ書9:5,6で、「その名は、『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。その主権は増し、平和には終わりがない。ダビデの王座と其の王国は、公正と正義によって立てられ、支えられる。今より、とこしえに。万軍の主の熱情がこれを成し遂げる」と預言されているキリストの風(霊)を必要としています。

(政治学と聖書) 

 このようなキリストの風を政界に導入するためには、前回述べたように、キリスト教主義の政治綱領を定めた政党を立ち上げることが必要です。そして、その第一歩として、政治学における聖書の規範性を学ぶことが大切です。幸い適当な参考書が見つかりました。H. H. ミーター著、原良三訳『カルヴィニズムーその神学と秩序の理念ー』(新教出版社、1949年)です(注1)。この本は、私が、学生時代、神田の友愛書房という古本屋で購入したものなのですが、長い間、友人に貸しておりました。それが、摂理的な仕方で、山梨栄光教会のI長老、A姉の手を介して、つい先日、私の手元に戻ってきたのです。感動し、感謝しました。
 さわりの部分だけ紹介します。第八章「カルヴィニズム、政治学及び聖書」に次のよう
H. ミーター著『カルヴィニズム』

な文章があります。今回は、抜粋的に引用します。
 「聖書は信仰及び生活万般の事柄にわたるカルヴィニスト(注2)の規準であり、したがって、それは、政治学の分野においても、また同様に規準をなすものである。なぜか。カルヴィニストに従えば、神はいずこにおいても主権的であられる。それゆえ、神の言葉は政治の世界に対してもまた律法(おきて)であり、聖書は神の言葉として信仰並びに行為の規範である故に、カルヴィニストはその政治的諸活動における指導にあたっても、聖書に訴えるのである。
 しかし、カルヴィニストがその諸々の思想をことごとく聖書より引き出すように主張すると考える誤謬を敢えてしてはならない。断じてそのようなことはあり得ない。…神は自己啓示の二つの書をお持ちになった。すなわち、自然の書(自然的諸対象、歴史及び人間の生活)と聖書とである。それゆえに、自然と歴史から、われわれは、政治学の分野に対して多くの重要な事実を学ぶことができる。この諸事実をカルヴィニストは大いに活用する。彼は、諸国家の政治の歴史を跡づける。彼はまた法律学者が国家に関して何を考え、また教えてきたかを研究する。しかしながら、この自然の書が神と真理について、むしろ不完全な見解しか与えなかった故に、われわれはその修正を必要とする。そして、カルヴィニストはこの収支を聖書に発見する。この聖書が自然の書の修正と共に、永遠の諸真理を包有しており、かつ人類社会一般の行動を指導するものなのである。このように、聖書は最後的なアピールの書となり、特別な意味において、政治学に関するカルヴィニストの見解に対して規準となる」(pp.112~113、下線-宮﨑)。

 ここで、ミーターの言う(キリスト教政治学の規範としての)「二つの書」とは、「自然の書」と聖書です。前者,すなわち,「自然の書」とは、「ICS軽井沢文庫だより」9号で,「創造啓示」と呼んでいるもので、「創造の律法(法)による啓示です。これだけでは、罪の影響を被っていますので、キリスト教政治学の健全な営みのためには、聖書による矯正が絶えず必要なのです。キリスト教政治学のための規範は、創造の法と聖書であると言うことができます。

(注1)原著は、H. Henry Meeter, Calvinismーthe Theological and the Political Ideas-(Zondervan publishing House, 1939)。副題のより適切な訳は、「その神学と政治の理念」。

(注2)「改革主義的キリスト者」と読み替えても良い。




 L. プラームスマ著

『キリストを王とせよ―アブラハム・カイパーとその時代―』

宮﨑彌男訳

ー第25号より続くー


第1章 19世紀の精神 


革命と軌を一つにして


イ. 自由主義

 「自由主義」という用語には、注意が必要です。複数の意味があるからです。多くの場合、この言葉には、人間の自由―絆からの自由、伝統や権威からの自由、といった、人を惹きつける含蓄があります。神学的に言えば、19-20世紀の多くの教会に見られる、人間の自律性への傾向性を示すものです。聖書や信条の権威についての伝統的な見解を斥け、自由主義者は人間の理性、経験、感情の至上性を主張します。政治的に言えば、「リベラル」という語は、英国やカナダにおけるホィッグ党に源流を持つ組織の名称です。米国においては、この用語は、他に比べてより進歩的であろうとする政党のメンバーや派閥のことです。
 私は、ここでは、この「自由主義」(liberalism)を、フランス革命の諸原理を穏健に採用したいと願っていた18世紀ヨーロッパの中産階級の哲学を指す言葉として、用いています。これらの自由主義者たちはこの革命の恐怖の支配やその他の行き過ぎには嫌悪を覚えながらも、革命の基本原理、すなわち、いかなる神的啓示からも独立した人間と人間理性の自律性を、躊躇なく受け入れたのです。
 このような自由主義者(librals)と正統的なキリスト者との違いについては、オランダの自由主義政治家、S. ヴァン・ハウテンは次のように言っています。
 「私たちは、真理と正義を知る源泉としての啓示も、教会を代表するどのような権威も認めない。理性の光においてのみ、私たちは、現在と過去における国民の思いがどこにあるかを察知することができる。私たちは、そういった判断をよくわきまえた上で、幸福と繁栄を増進し、悲嘆を回避する。いわゆる「神のことば」ではなく、我らの理性という神の賜物こそが、(信仰者の言葉で言えば)我らの足もとを照らすランプなのである」(注10)
 自由主義は人民主権に味方しますが、それは、すべての人々の味方をするわけではありません。中産階級、すなわち、ブルジョアジーの主権を求めますが、労働者階級、すなわち、プロレタリアートの主権は求めません。それゆえ、自由主義者は、選挙権を、少なくとも、一定の税額を納める市民に限定しました。
 自由主義者の経済原理は、“laissez faire, laissez aller”(自由放任・成り行き任せ)というスローガンに要約されています。その結果、産業革命の時代に、多くの労働者は最悪の労働条件の中で、やっと生きることができたのです。このスローガンの名の下で、女性や子どもは利潤を上げるために用いられることとなりました。
 自由主義者は、神の言葉から逸脱したあらゆる種類の見解には寛容でしたが、1834年にオランダで起きた「分離運動」(Afscheiding)の時に明らかになったように、礼拝の自由を求める正統的な集団に対しては、非寛容でした。彼らは、国が建てた公立学校の子供たちのための現代的な教育は増進しましたが、純粋なキリスト教の教理を教えることには反対しました。彼らは、自由なキリスト教主義学校の設立をほとんど不可能にしてしまったのです。
 アブラハム・カイパーの公共の分野における活動のほとんどすべては、教会、国家、社会における自由主義との継続的な戦いに向けられることとなります。彼は、自由な教会、公立学校と同じ権利と義務を持つ自由なキリスト教主義学校、そして、いわゆる庶民(Kleine luyden)のために必要な社会的法制のための大いなる戦士(champion)となるのです。

ロ.社会主義と共産主義

 19世紀は、また、マルキシズムの起こった時代でもありました。階級闘争の理念を唱え、プロレタリア社会主義とエリート共産主義を生み出した哲学です。マルキシズムは、自由主義の摘出の子でもありました。これもまた(イエス・キリストとは別の)自由、平等、博愛を求めて戦うのですが、裕福で、礼儀正しく、善意の中産階級の市民のためではなく、その戦いは、とりわけ、下層階級に属する多数の人々、すなわち、プロレタリアートのための戦いでした。
 マルキシズムは、自由主義にも増して根源的に神の御言葉の権威を否定し、これに反対しました。始めは、「宗教は私的生活に属するものである」とのスローガンで始まったのですが、「宗教は人民のアヘンである」と言い始めたとき、その特質が鮮明となりました。
 自由主義は唯物主義的な人生観を主唱してきました。すべての労働を、需要と供給の法則に従うべき商品と考えました。自由主義は、好んで、賃金という鉄の法則について語りました。労働者の賃金は、その家族が生活するに必要な額以上であってはならないというのです。この思想においては、すべての人間関係、理想や宗教は、単に物質的状況の反映にしか過ぎませんでした。
 マルキシズムは、完全に唯物主義的でした。それゆえ、常に、避けることのできない階級闘争が現実となる、というのです。また、それぞれの階級に属する人々は、それぞれの道徳を生み出し、それぞれの偏見から逃れることができない。この結果生まれる終わりなき闘争を終わらせるものは、階級なき社会へと向かう運動でしかない。このような社会の到来がメシア的熱情をもって預言されました。恐るべき世界革命の栄光の結果がこれでした。
 19世紀の最初の社会主義者(社会主義という名称が最初に用いられたのは1830年頃です)は、ユートピア社会主義者と呼ばれていました。しかし、彼らのうちの幾人かは実践的なプログラムを提示しました(フーリエ、ルイ・ブラン等)。
 1948年に、マルクスとエンゲルスは、自分たちの「共産党宣言」を出しました。その中で、彼らは、生産手段の私有化を廃する仕方で富を分かち合うことを提唱しました。この「宣言」は、次のよう熱情的な言葉で終わっています。

   共産主義者は、自分たちの見解と目的を覆い隠すことを潔しとしない。彼ら
   は、公に宣言する。彼らの目的が既存の社会的条件のすべてを力尽くで覆す
   ことによってしか達成できないことを。支配階級よ。共産主義革命の前に震
   え上がるが良い。プロレタリアは、この革命において鉄鎖以外に失うものは
   何もない。プロレタリアが獲得すべきは、全世界である。万国のプロレタリ
   ア、団結せよ。

 なぜ、このような社会主義者、共産主義者の訴えが反響を得たか、多くの理由があります。多くの産業の中心地や、農村地域における労働者の状況は、悲惨極まるものであったのです。
 カイパーは、社会主義には反対でしたが、それが指し示している現実問題のチャレンジには良く気付いていました。彼は、社会的な条件の改善とキリスト教的な労組のために、計画を立て、その必要を熱心に訴えました。

(注10)Groen's Ongeloof en Revolutie(1922)のあとがき(pp. 270-271)においてP. A. Diepenhorstが引用している。


【9月の活動報告】


9月1日(日)家内と共に、長野佐久教会(長野会堂)で、主日礼拝を守る。聖餐式にも与
幼子イエスを抱くシメオン
る。

9月8日(日)長野佐久教会(長野会堂)にて、礼拝説教奉仕。(ヘブライ12:25~29)。

9月16日(月)東部中会信徒修養会(於/川崎市、麻生文化センター)に家内と共に出席。289名が参加。以前は、2泊3日で行われていたが、今は日帰りの「一日信徒修養会」となっている。それでも、修養会は良いもの。老若男女それぞれの世代が、信徒として交わりを深め、広げ、御言葉による訓練を受けるために、主は、修養会を用いてこられた。今後とも大切にしたい。「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び」(詩編133:1)。

9月23日(月・休)友人に誘われて、宝生流/演能空間【烏帽子折】を観能。後半に,牛若と熊坂長範が打ち合う場面があったが、間の取り方など、現代に生きる私たちにも興味深いものがあった。

 9月27日(金)第6回信州神学研究会、於佐久会堂。「原理主義とカルヴィニズム」というテーマで、牧野信成牧師が発題講演。カルヴィニストは、聖書解釈において,ファンダメンタリズムやリベラリズムを排して、第三の道(リフォームド)を模索するとのこと。

9月29日(日長野佐久教会(佐久会堂)にて、礼拝説教奉仕。ヘブライ12:25~29。


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【「ICS軽井沢文庫」】

「ICS軽井沢文庫」は、日本におけるキリスト教有神的世界観人生観の研鑽と普及のために、2016年6月14日に、軽井沢町追分36-23に設置された文庫です。“ICSInstitute for Christian Studies)は、この文庫が、日本における (改革主義)キリスト教学術研修所(大学院)の設置を目指していることを告白するものです。また、最近は、日本におけるキリスト教政党立ち上げのヴィジョンも与えられつつあります。文庫設置の経緯については、「ICS軽井沢文庫だより」第1号(2016.6.14)をごらん下さい(ラベル「ICS軽井沢文庫だより」第1号をクリック)。シャーローム。


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2019年9月1日日曜日

「ICS軽井沢文庫だより」第25号

 ~巻頭言~ 「政界にキリストの風を!」

                宮﨑彌男

   
   わたしは渇いている地に水を注ぎ、渇いた父に流れを与える。
   あなたの子孫にわたしの霊を注ぎ、あなたの末にわたしの祝福を与える。
            (イザヤ書44章3節)

G・ファン・プリンステラ
 前回、7月30日号の「巻頭言」で、「キリスト教政党への道」と題して、7月21日の参議院議員選挙の結果、特に、その投票率のついての所感を述べました。2,3の心あるレスポンスをいただきました。かつてミッション・スクールの校長を務められた I 長老は、投票率の悪さには、政治家自身の責任もあるが、「学校教育の担うべき役割」にも「何か重要な欠落があるのではないか」とご指摘、「キリスト教政党への道」については、「大胆な(或いは当然な)」発言と、感想を述べてくださいました。また、S姉は、同日開票された町議会選挙に、主婦でありながら立候補、当選されたことをご報告下さると共に、共に、「キリスト者と政治について深く考えて行きたい」との思いをメールしてくださいました。さらに、F 引退教師も、一度「集まり」を持ちたい、と主旨賛同の意を伝えてくださいました。
 
 もう78才の私にできることは、当面、プラームスマ著『キリストを王とせよ』の翻訳をすることだけです。そうなんですけれども、それでも、主の御言葉にしたがって、主の御業(みわざ)を一歩進めることが、どんな大切なことかと思わされています。今号においても、同書の続きの部分、19世紀ヨーロッパにおける “レヴェイユ”(霊的覚醒)についての項を翻訳しましたので、ご精読ください。
 
 フランス革命(1789年後、19世紀オランダの政界にも様々な風が吹き荒れていました。その中で、改革派教会の牧師であった、アブラハム・カイパーや、長年オランダ議会の議員であった、フルン・ファン・プリンステラ Groen van Prinsterer は、聖なる風を吹き込む必要を覚え、「反革命 AntiRevolutionary 党」(別名、キリスト教歴史 Christian Historical 党)を立ち上げました。カルヴァン主義的なキリスト教の政界に対する「証」(あかし)として、この党を立ち上げました。そして、世紀の代わり目においては、与党として、カイパーが首相の座にも着くこととなります(1901~05年)。
 
 ここで、ちょっと、私たちのイメージを “”から “に変えてみましょう。キリストは、私たちを罪から救うために、「世の光」として、この世に来られました。そして、その十字架の死と復活によって、人類の救いのために必要な一切を成し遂げられました。そのキリストがこう言っておられるのです。「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである」(マタイによる福音書5:14-15)。もし、私たちが、教会という「家」の中でのみ、キリストの光を掲げようとするのであれば、キリストの光は、一般の人々の住む世にあって輝くことはありません。輝いたとしても、ごくごく限定された範囲においてでしょう。やはり、キリストご自身の御言葉に従おうとするのであれば、私たちは、教会の外でも、光を掲げ、光を輝かせなければならないのです。言い換えますならば、政治の世界においてもキリストの光を輝かせなければならないのです。政治の世界においても、キリストの福音は証しされねばならないのです。そのための基本的道筋は、私たちキリスト者が新党を結成し、聖書の教えに適った綱領を公にすることでありましょう。

 
 それで、私の提案は,近い将来に、①聖書の教えに適う一キリスト教政党を立ち上げ,②政権奪取を目指すということです。一度に ②が難しければ、先ずは ①に向かって準備するということでしょう。

 
 キリスト教会の政治に対する姿勢をそろそろ改めなければなりません。アンチテーゼだけではなく、テーゼをも示さなければならないのです。すなわち、時の政権に対して、御言葉に反することを指摘して抗議するだけではなく、御言葉に適う道を指し示し、御言葉を実行することです。このようにして、神の栄光が表され(ウェストミンスター小教理問答1)、キリストの支配が現実となるのです(同102~107)。

 
アブラハム・カイパー
 カルヴァン主義的なキリスト教政党の必要性を信じ、認めていても、支持基盤のことを考えると、「今は無理だ、今はその時期ではない」と考えておられる方もあるかも知れません。しかし、私は、「大丈夫です」と答えたい。サポーター(支持者)は、皆カルヴィニストでなくても良いのです。キリスト者でなくても良いのです。綱領に賛意を表する者は,だれでも党員となれるし、いわんや、「清き一票を投じる」ことができます。綱領を定めるのは、キリスト者の「前衛」Vanguardであり、聖書の教えに適った綱領を作りさえすれば、広く運動を展開することができ、その過程で、更にキリスト教的政治思想を磨き上げ、発信できるのです。
 
 これは、政治の領域の運動ですから、特定の既存の教派が全体としてこれを支持することを期待しなくてもよいのです。教派としての「教会」がこの運動を行うのではなく、キリスト教政党が押し進めるのですから、色々の教派の中から参加者/支持者が起こされて然るべきなのです。
 
 激変する世界情勢の中で、日本の果たすべき役割(使命)は何なのか、中長期的展望を示的さなければならないこの時代に、与党も野党も、行き詰まりを見せています。やはり、神の言葉に立つ、キリスト教的政党の出番ではないでしょうか。もし私たちがテーゼ、すなわち、進むべき方向性をわかりやすく示すならば、キリスト者はもとより、一般の人々の中にもかなりの数の支持者を得ることができるのではないでしょうか (注1)。これは、夢物語ではなく、貧しく、虐げられた人々のために十字架にかかって復活された王なるキリストのご命令なのです。
  「イエスは、別のたとえを持ち出して,彼らに言われた。『天の国はからし種
  に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長
  するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる   
  』」(マタイによる福音書13:31-32)。



(注1)  寺島実郎氏は、「安倍 一強」の後で、日本国民がどのような政治を選択するかについて、次のように述べておられます。「確かにわれわれの目の前には不条理な現実があり、安倍政権に象徴されるような、克服する思考力の弱い状況が続いています。しかし、歴史は必ず条理の側に向かうのです。その兆候は既に現れています。例えば、今回の参院選で投票率は48.8%で史上2番目に低い数字を記録し、自民党は比例票を240万票減らして単独過半数を割りました。この結果を見ても、大多数の国民が「安倍自民党以外に選択肢がない」という政治状況に対してフラストレーションを抱いていることは明らかです。裏返して言えば、安倍自民党以外に選択肢があれば政治状況はガラッと変わるということです。そして、歴史は必ず自らを条理の側へ導くリーダーを生み出すものです。安倍政権は構想力の弱い政権であり、官邸主導外交という建前で外務省も腰が引けるような政策ばかりやっていますが、その当然の帰結として日本は行き詰まりつつあり、国民もそのことに気づき始めている。「日本人はいつ目を覚ますのか」ということですが、私にいわせれば、すでに時計の針の音は聞こえ始めています。歴史は思考力の弱い時代をあざ笑いながら動き始めており、現在は不条理から条理への過渡期にあるのです。いま問われているのは、安倍政権がどうしたというレベルの話ではなくて戦後日本の歴史がいよいよ条理の側に向かい始めたということです。ここで、重要なのは、国民に条理を指し示すことであり、歴史に筋道をつけることです。われわれはそのために徹底的な議論をすることが必要なのです」(ゴシックは宮﨑)
 (「『戦後日本』が根底から揺らいでいる」<『月刊日本』2019年9月号、p. 16>

 寺島実郎さんの「歴史は必ず条理の側に向かう」「現在は不条理から条理への過渡期にある」「戦後日本の歴史がいよいよ条理の側に向かい始めた」という、「楽観的」な歴史理解は、神の創造の定めが被造世界の全体を支配し、保持し、統治しつつあることを信じる、私たちのキリスト教有神的世界観に通じるものがあり、同感を禁じ得ません。「主よ、私たちを憐れんでください」。





             L. プラームスマ著

『キリストを王とせよ―アブラハム・カイパーとその時代―』

宮﨑彌男訳

ー第24号より続くー


第1章 19世紀の精神 

フランス革命への反動として


ハ. レヴェイユと正統主義


 ヨーロッパで “レヴェイユ” と言われる言葉は、英語の “リヴァイヴァル” を連想させる語ですが、ほぼ同じ意味合いを持っています。どちらも、霊的な命の覚醒という意味の言葉です。しかし、リヴァイヴァルが、通常は、ある町や地方で起こり、それも、限られた期間継続するのに対し、レヴェイユは、ヨーロッパのいくつかの地方(スイス、フランス、ドイツ、オランダ、スコットランド)で、ほぼ同時(19世紀前半) に起き、その影響は、一時期に限られるものではありませんでした。それは、眠った状態の正統主義に対する反動であり、その時代において支配的であった合理主義や自由主義に対する反動でありました。そこには、敬虔主義的、個人主義的な傾向が見られましたが、教会改革から身を引くのではなく、その手始めともなったのです。
 セサル・マランという若い牧師が、1817年に,「人が救われるのは、イエス・キリストによるのみ」という、この時代においては特異な主題について説教したとき、ジュネーブでは、極端な自由主義が隆盛を極めていました。マランは解任されました。それからというもの、同じ主題の説教は、ジュネーブの教会においては、(原罪とか、予定論と共に)禁じられたトピックとなりました。
 マランは新しい教会を立ち上げることを望んではいませんでしたので、自分の家で集会を開いていました。彼は、後で建てた教会堂や、そこに集う信徒を国教会に属するものと考えていました。しかし、1849年に自由福音教会が設立されたのは、ほとんど不可避でした。これに先立つ1847年に、アレクサンドル・ヴィネを牧師とするペイ・ド・ヴォー自由福音教会が活動を始めていたからです。ヴィネは、死に至るほどの病を癒やされ、キリストに回心しました。彼は力ある福音の説教者でしたが、その神学の基礎を、無謬の聖書にではなく、人間の良心の純なる声に置きました。同じような考えが、倫理神学としてオランダに登場したとき、カイパーはこれに反対しました。
 フランスにおけるレヴェイユとの関連で、最も有名な人物は、アドルフ・モナドです。彼は、1832年に、リヨン改革派教会の自由主義的な小会によって、解雇されました。彼は、この上なく雄弁な、キリストの恵みの説教者でした。レヴェイユの中でも、彼は、二つの点で他と違っていました。一つは、改革派教会の中での分裂を望まなかったことです。自由教会が設立されてからも、彼は、分離を望みませんでした。第二に、彼は、ヴィネの影響の下にあって、聖書の霊感を認めながらも、一貫性がありませんでした。
 ドイツにおいては、レヴェイユは、“Erweckungsbewegung”(覚醒運動)と呼ばれました。この運動の最初の兆候は、キールの牧師で、1817年10月31日にルターの95箇条テーゼに自分自身の95箇条を加えたものを再出版した、クラウス・ハルムスの働きに見られます。彼自身のテーゼの第9条は、「我らの時代の教皇とは、信仰の目で見るならば、理性であり、行いの目で見るならば、良心である」となっています。この覚醒期の神学者は、『罪とあがないの教理』において、合理主義の冷たさを攻撃した、A.トールック
です。
 二人のユダヤ教からの改宗者が、この時期に、ドイツにおけるドイツの福音主義陣営において、指導的影響を与えたことは特記すべきことです。一人は、教会史の大著を書いた J. A. ネアンダー(元の名は、デーヴィッド・メンデル)。もう一人は F. J.  シュタール(元の名は、 F. J.ゴルゾーン)。彼は、法律家で、国の教会庁で重要な役職にありましたが、プロシャをキリスト教的国家とする理想を掲げました。シュタールはフルン・ファン・プリンステラやアブラハム・カイパーに影響を与えましたが、カイパーは、フルンがかつて言った、「シュタールはルター主義者だが、私はカルヴィニストだ」に同調していたようです(注8)。
スコットランドにおいては、ロバート・ホールデンとトマス・チャルマースが代表的です。ホールデンは、最初は、フランス革命の思想に惹かれていましたが、1794年に回心し、場所を選ばず、説教し始めました。1816年に、彼はジュネーブに行き、この町におけるレヴェイユの最初の鼓動に関わりを持つこととなります。
  チャルマースは、1815年から1823年までグラスゴーの教会で牧会し、その後は、大学で教えました。1843年に彼はスコットランド自由教会の指導者としての働きを始めます。教会と、さらには社会的政治的分野におけるこのような働きは、後の日のオランダにおけるアブラハム・カイパーの精力的な働きを彷彿とさせるものでした。牧師として彼は貧しい人々の救援組織を作り、都市の恵まれない下層階級の人々の物質的、道徳的、霊的環境改善のため働きました。彼は、執事職を生き返らせ、日曜学校、週日学校を始めました。彼は、教会の自律性、とりわけ牧師任命権を求めました。各個教会が自分自身の牧師を自由に招聘することができないとする、この牧師任命権を議会が持ち続ける決議をしたとき、チャルマースとその支持者たちは、スコットランド長老教会の総会を脱退し、スコットランド自由教会を設立しました。「大いなる情熱と多くの犠牲を払って自由教会の信徒は新しい建物を建て、牧師たちを支え、外国ミッションの開始と維持のために組織を作りました」(注9)。
 オランダでのレヴェイユの最も重要な代表者は、ギョーム・ファン・プリンステラです。何年もの間、彼は、オランダ議会でキリスト教の原理を政治生活に適用しようとする、孤独な戦士でした。フルンは、スイスのレヴェイユが生んだメリエ・ド・ビニエの説教を通して回心しておりました。そのド・ビニエは、スコットランド人、ホールデンの説教を通して先祖の信仰へと導かれていました。その有名な著書、『不信仰と革命』において、フルンはフランス革命の原理を、18世紀啓蒙主義の不信仰の精神を体現するものとして、攻撃しました。
 生涯に亘って、フルンは、国家と教会の、国家と教会の改革のため、その教会の教理の擁護のために戦いました。彼は、また公共生活における神の言葉の権威のために戦いました。下院の一議員として、彼は、自分のことを「政治家にあらず、福音の一宣言者」と呼びました。その生涯の終わりに、彼はカイパーを訪ね、彼自身が蒔いた種を刈り取る、賜物豊かな後継者と呼びました。
 オランダ・レヴェイユの担い手たちは、1834年に H. デ・コックや S. ファン・フェルツェンと言った、勇敢な若い説教者の指導の下でなされた国教会からの離脱運動(アフスヘイディン)からは、少し距離を置いていました。この人たちが迫害されたときには、彼らに味方し、同情を示しましたが、彼ら自身はこれまでどおりの国教会に留まりました。 
 オランダ・レヴェイユの担い手たちが、貴族階級に属する福音主義者であったのに対して、離脱派の人々は、社会的には、概ね下層階級に属していました。しかし、フルンにとって、残念であったのは、レヴェイユの人々が、政治・社会的見解において、どちらかと言えば保守的であったのに対して、離脱の方がより一貫したカルヴァン主義的であったことです。
(注8) Kuyper-Gedenkboek 1897, p. 72
(注9) K. Scott Latourette, A History of Christianity (1953), p. 1193.
                              (次号に続く)

【8月の活動報告】


8月6日 (火)金戸清高兄、憲子姉が来訪。お二人は、私どもの熊本伝道所牧師時代、共に礼拝を守り、伝道と教会形成に労した、同志たち。特に、清高兄は、熊本にある九州ルーテル学院大学の教授で、「日本文学とキリスト教」を教えておられる。

8月11日(日)長野佐久教会(長野会堂)にて、礼拝説教奉仕。(ヘブライ12:18~24)。

8月12日(月)近くの、御代田町「のぞみの村」に休暇滞在中のドイツ人宣教師、エルケ・シュミッツ姉(German Alliance Mission)来訪。散歩中に知り合った仲であるが、TCUの稲垣久和先生など、共通の友人・知人多いのに驚く。「ICS軽井沢文庫」を見ていただいた。キリスト教界は狭くて、広い。

8月18日(日)長野佐久教会(佐久会堂)礼拝後の男子会において、助言教師として、『信徒の手引き』(「時の管理」)を学ぶ。

月21日(水)長野佐久教会の祈祷会に出席後、「ほっとぱーく浅科」で、佐々木弘幸先生ご夫妻と、昼食を共にする。山梨栄光教会の岩間孝吉長老が送ってくださった、山梨県の「教会一致懇談会」の資料を分かち合いながら、同県下のキリスト教伝道について、語り合う。この「教会一致懇」の新年初週祈祷会は50年も続いているとのこと!主にある、その志に心打たれる。主を讃美せよ。

8月23日(金) 甲斐市の安達正子姉、北軽井沢の富田渥子姉と共に来訪、キリスト教政党の必要性、可能性等について語り合う。


「ICS軽井沢文庫だより」の印刷方法

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【「ICS軽井沢文庫」】

「ICS軽井沢文庫」は、日本におけるキリスト教有神的世界観人生観の研鑽と普及のために、2016年6月14日に、軽井沢町追分36-23に設置された文庫です。“ICSInstitute for Christian Studies)は、この文庫が、日本における (改革主義)キリスト教学術研修所(大学院)の設置を目指していることを告白するものです。また、最近は、日本におけるキリスト教政党立ち上げのヴィジョンも与えられつつあります。文庫設置の経緯については、「ICS軽井沢文庫だより」第1号(2016.6.14)をごらん下さい(ラベル「ICS軽井沢文庫だより」第1号をクリック)。


【連絡先】

389-0115長野県北佐久郡軽井沢町追分36-23 宮﨑彌男・淳子

TelFax 0267-31-6303(携帯) 080-3608-3769

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2019年7月30日火曜日

「ICS軽井沢文庫だより」第24号

 ~巻頭言~  キリスト教政党への道

宮﨑彌男

  

      呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え、私たちの神のために、

  荒れ地に広い道を神のために通せ。谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低

  くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。主の栄光がこうして現

  れるのを、肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される。

(イザヤ書40章1~5節)


 参議院議員選挙が終わりました。皆さんは、どの候補者、どの政党に投票されました
7月23日 毎日新聞
か。今回の選挙は,国政選挙であったにも拘わらず、投票率の低さが顕著であったようです。争点がもうひとつもうひとつはっきりしなかったこと、各政党が声高に訴えた割には、これからの日本をこのような方向に導いて行くという、長期展望を示さなかったと言うことがあったようです。
 それでも、私たち、大部分の国民は投票所に行って、投票したのですが、この候補者、この政党に投票すれば、日本は良くなる、と確信して投票したのか、と問われたならば、どう答えたでしょうか。私たちの多くは、「棄権するよりは良い」と思って投票所に行ったのではないでしょうか。
 
 しかし、「キリストを王とする」信仰(ウェストミンスター小教理26,102、同大教理45,191)に生きる私たちキリスト者がいつまでも、このような消極的な投票行為/政治との関わりで満足していて良いのか、自問自答せざるを得ません。
 私は、先日、7月15日(月/休)に神港教会で開催された日本カルビニスト協会の定例会に出席するため、神戸に行きました。「ICS軽井沢文庫だより」第23号を20部ばかり持参し、プラームスマ著『キリストを王とせよ―アブラハム・カイパーとその時代―』の翻訳・連載の予定を告げましたところ、期待する声がことのほか多くありました。アブラハム・カイパーに対する関心の強さを知りました。カイパーがカルビニズムの有神的世界観を教会の中に閉じ込めないで、学術、芸術、政治、労働等の諸分野にまで積極的に広め、深め、20世紀初頭のオランダにおいて、「反革命党」を率いて、首相まで務めた、神学者/活動家であったからです。上掲書翻訳・連載の目的の一つは、私の思いの中では、日本におけるカルヴァン主義的なキリスト教政党の可能性を探ることです。
 この書の翻訳・連載に思い至った経緯については、前号に記しました。それを読まれた,牧野牧師曰く、「あの本は良い本です。われわれも,昔、神戸改革派神学校の「カルヴィニズム」のクラス(市川康則先生担当)で読みました。翻訳する価値のある本です」と。市川先生に確かめたところ、その通りとのことでした。驚き、励まされました。
 以下に,この書の目次を掲げておいます。連載をご期待下さい。

『キリストを王とせよ―アブラハム・カイパーとその時代―』【目次】
  1.19世紀の精神
  2.試行錯誤:時代の神学
  3.オランダの状況
  4.若き日のカイパー
  5.教区教会での回心
  6.平和を乱す者
  7.覚え書き
  8.大いなる企て
  9.教会の改革者
  10. 地の塩―カイパーと社会問題
  11. カイパー教授
  12. 新世界にて
  13.  二つの恩寵
  14. 我らの王なるキリスト
  15. 側線
  16.   仕上げ
  
 L. プラームスマ著

『キリストを王とせよ―アブラハム・カイパーとその時代―』

 宮﨑彌男訳

ー第23号より続くー

第1章 19世紀の精神 

フランス革命への反動として

イ. 王政復古と保守主義
 大革命とその後のナポレオンによる施政は全ヨーロッパを席捲し、従来の制度や習慣や思考を完全に破壊するような結果となっていましたが、しばらくの時が経つと、多くの人々は、ヨーロッパの以前の状態を取り戻したいと思うようになりました。1815年以降の数年間は、復古期で、それは、ロシア皇帝アレクサンドル一世の神聖同盟によって体現されているかのように思われました。また、それは、毫も変わらぬ現状維持を求めたと言われるオーストリアの外相メッテルニヒにおいても受肉されており、ナポレオン失脚後は、「メッテルニヒの時代」とも呼ばれたほどです。
 しかしながら、神聖同盟は、前の時代の絶対主義や貴族的特権への単なる復帰ではありませんでした。それは、宗教的な霊感を受けたものでした。なぜならば、アレクサンドル皇帝は、敬虔主義的な男爵夫人フォン・クリュデネルの深い影響下にあったからです。神聖同盟の基礎と意図についての皇帝の宣言文は、まるで信仰告白のようです。
   オーストリア皇帝、プロイセン国王、並びにロシア皇帝は、これら三国の、
   相互関係における正しい政策が、あがない主なる神の永遠の宗教において教え
   られている至高の真理に基づくものでなければならない、との心からなる確
   信に導かれ、厳かに宣言する。世に対して布告するこの勅令の唯一の目的は
   どこにあるのか。それは、聖なる宗教の規定、正義と愛と平和の命令(これ
   らは、人間の制度を保持し、その組織を正常化する、古くからの手段である
   がゆえに、私的生活においてのみならず、諸侯の決定にも影響を及ぼし、そ
   の活動を導くべきである)にしたがって、彼らが、それぞれの国の政府にお
   いて、また、他のいかなる政府との公的関係においても、行動すべきである
   ということにこそある。
 これに、神聖同盟の三つの原理が続く。次のとおりである。
   三国の王侯は、お互いを、同じ家族の3つの枝、すなわち、オーストリア、プ
   ロイセン、ロシアを治める神の代表と考え、告白する。三侯とその臣民の所
   属するキリスト教的国家は、すべての権能を持つお方以外の何者をも、真の主
   権者として仰ぐことをしない。なぜならば、このお方、すなわち、我らの神、
   あがない主イエス・キリスト、至高の御言葉、いのちの言葉、このお方の内に
   のみ、愛、知識、無限の知恵の宝の一切が見出されるからである(注3)。
 実に崇高な響きを持つ原理の表明です。これを採択した人々の誠実さを疑うことはできないでしょう。しかし、このような原理を、どのように実行に移すことができたのでしょうか。一国のための神の御心はどこで、どのようにして見出すことができたのでしょうか。その国の現実の必要を知り、そのために必要な法律を制定することができたのは王侯たちだけだったのでしょうか。
 革命前の時代の絶対主義に替わるものとして、神聖同盟の諸侯は、paternalism(家父長制)とlegitimism(王統主義)の原理を確立しました。家父長制の意図するところは、最善の場合、王侯が臣民に対して、父親となることでしたが、それは、また、臣民が統治のあり方について発言をする可能性を排除するものでもあったのです。王統主義は、現実の歴史的状況が神の御心によるものであり、それゆえに変更されてはならないことを意味するものでした。
 このような土壌の中で、19世紀の保守主義が根を下ろすこととなります。シャトーブリアンが、重要な記事を書いた、フランスの有力な月刊誌 "Le Conservateur"(保守主義者)は、ブルボン王家を擁護し、自由主義者を攻撃しました。1830年以降、英国のトーリー党は保守党と呼ばれるようになりました。ドイツにおいては、ビスマルクを支持したジェントリーや上流/中流階級の人々の中に保守主義者が目立つ様になっていました。
 19世紀のオランダでは、1880年頃までは、多くのキリスト者は、保守派の政党を支持していました。この党は、キリスト教的な原理よりも、現状維持を旨とする傾向が強く、しばしば、日和見主義に陥る危険性がありました。
 カイパーは、歴史を重んじる見地から、この保守主義に賛意を表したのですが、同時に、そのような雰囲気の中で息つくことができないという理由で、自分とその支持者たちが保守派となることは不可能と宣言しました。それだけではなく、カイパーは、聖なる神の栄誉よりも、政治的な勝利を優先させようとする、保守派の功利主義にも与し得ませんでした。

ロ. 浪漫主義と歴史主義
 浪漫主義は、フランス革命の合理主義的要素への反動であると同時に、その非合理主義的要素の片割れでもある、と言われてきました〈注5〉。いずれにしても、19世紀前半のヨーロッパにおける文学、芸術、哲学、神学における大きな潮流であったことは確かです。理性よりも情緒を、知性よりも直感を、固定化された思惟よりも想像力を強調した潮流でありました。
 1802年にフランスの浪漫主義作家、ド・シャトーブリアンは、"Genie du Christianisme, ou beautes de la religion Chretienne" (「キリスト教の精髄、キリスト教宗教の美しさ」)を出版しましたが、その中で、彼は「私の確信は心から発するものだ。私は泣いた、そして信じた」と書きました。また、この本の中で、彼は、キリスト教信仰がヨーロッパにおける芸術と文明の主要な源泉であることは歴史が証明している、と論じました。このような浪漫主義の霊感の下、多くの歴史的な研究、伝記、思索、小説が世に出ました。そして、このような思潮と歴史主義を隔てる距離はほんのわずかにしか過ぎませんでした。
 今日、歴史主義と言えば、歴史的現象のすべては時間的な関係性の中で起こること、―恒常的な変化、可変性、相対性を意味するものとして考えることができるのかも知れません(注6)。歴史哲学を意味する用語として用いられる場合もあるでしょう(注7)。私はここでは、19世紀前半に、浪漫主義の影響の下、にわかに芽を吹き出した、歴史に対する多大の関心という意味においてのみ、この言葉を用いています。このような歴史に対する関心のよって来る源泉、またその結果として、多くの古典が再出版されたことを挙げることが出来ます。
 カイパーは、浪漫主義、歴史主義の影響を受けました。一方では、厳格で一貫性のある論理を求める論客でしたが、もう一方では、特に晩年において、情緒に駆られて活動を展開する傾向が顕著となり、誹謗する人たちは、何度も彼のことをドラマ主義者だと言って非難したほどです。想像力豊かなカイパーの講演は生き生きとした実例に満ちていました。彼の想像力は、時には、慎重な歴史的判断の境界線を踏み越える結果を生みました※。オランダ王室のオランニェ・ナサウ家に関することになれば、熱い愛国心に駆られることもまれではありませんでした。
 もし、教会の改革と国家を神への奉仕奉仕に導くという召しのために献身しなかったとすれば、カイパーは19世紀最大の歴史家の一人となっていたかも知れません。ポーランドの宗教改革者、ア・ラスコの著作や、ユニウス、およびボエチウスの選集等の出版は、この分野における彼の能力を示すものです。

(注3) E. Gewin,"Juliana von Krudener," in Pietistische Portretten (1922), pp.50-53.
(注4) A. Kuyper, Ons Program (1880 edition), pp.402, 403.
(注5) H. G. Schenk, De geest van de Romantiek (1966, p. 13) を見よ。
(注6) E. Troeltsch, Der Historismus und seine Problem (1922) を見よ。
(注7) M. C. d'Arcy, The Meaning and Matter of History (1959), p. 9 を見よ。

※英国出身のオランダ人神学者、アレクサンダー・コムリーについての小伝は、小説風に書かれたものであるが、カイパーは、所々、自らの想像力に任せて書いている。The Catholic Presbyterian(1882年1,3,4月号)を見よ。A.G.Honig, Alexander Comrie. 1892, pp.19ffも参照。


【6-7月の活動報告】


6月9日 (日)長野佐久教会(長野会堂)にてペンテコステ(聖霊降臨日)礼拝説教奉仕。(創世記11:1~9、使徒言行録2:1~13)。聖霊のいます所には、一致がある。聖霊は一致の霊であることを説く。

6月15日(土) 6月12日に召天された長田礼子姉(長田秀夫牧師夫人)の葬儀(午後2時、
於長野佐久教会・長野会堂、司式:牧野信成牧師)に出席。同姉は、日本キリスト改革派教会創立者の一人でカルビニズムの熱心な信奉者でもあられた松尾武牧師の長女で、その信仰を受け継ぎ、ご主人の長田牧師を終生支えられた。私どもも、近くに住む者として、親しい交わりをいただいた。三男の喜樹さんに「独り住まいとなったお父さん淋しくなられたね,大丈夫かな」と訊ねたところ、「お母さんは、体が不自由になってから、充分に家事ができないので、親父に家事全般を伝授しておいたので、親父は、それほど困ってないようだ。…さすがは、母さんですよ」と言っておられた。先日、佐久会堂の夕拝に出席された当の秀夫先生も,ご挨拶の中で、「私は何も困っていないし、皆が心配してくださるほどには、淋しい思いもしておりません」と。→やはり、礼子さんの死は、突然のようであったけれども、配慮の行き届いた、完璧に近い召天だったのだ、と納得したことでした。主を讃えよ!ただ、牧野牧師曰く、「それでも、79才で独り住まいの長田先生のために祈りましょう。

6月22日(土) 宮﨑契一牧師と川田あかり姉の婚約式(於・川越バプテスト教会)に、家内と共に出席。ご両親と初めてお会いしたが、お父上の川田道行師も、東京キリスト神学校を出られた牧師である。あかり姉とは、東京基督教大学で知り合ったとのこと。司式をしてくださったのは、日本バプテスト教会連合南桜井教会の丸山光師であったが、ウォルタースの『キリスト者の世界観』も読んでおられ、良い交わりをいただいた。

7月1日(月)“うぐいすの森”の住人、佐々木弘幸先生ご夫妻を、山荘「慰留恵」に再度訪問。先生は,以前,山梨県の南部町で牧会伝道されたことがあるが、この町で、明治の初期に、志ある若者を集め、漢学・英学・数学を教授した近藤喜則の「蒙軒学舎」とそこに招かれたカナダ・メソジストのC.S.イビー宣教師について興味深いお話を伺う。「ICS軽井
沢文庫」も有神的人生観世界観の研究・教育のため、このような学校ができないものか、
と夢を描く。上記、松尾武先生も、1953年に、「双恵学園」を埼玉県浦和市に開校、キリスト教有神的世界観に基ずく一貫教育を目指されたが、10年後の1963年には、残念ながら閉校となった経緯がある。なお、「蒙軒学舎」については、渡邊修孝著『蒙軒学舎物語』(南部中学校発行)、「双恵学園」については、『日本基督改革派教会史―途上にある教会―』pp.168~172を参照。

7月14日(日) 長野佐久教会(長野会堂)にて礼拝説教奉仕。(ヘブライ12:12~17)。

7月15日(月/休) 日本カルヴィニスト協会定例講演会・総会(於・日本キリスト改革派神港教会)に出席。講演は、「カルヴィニズムと芸術」(吉田実先生)先生、「春名純人『キリスト教哲学序論―超越論的理性批判―』刊行の意義」(市川康則先生)、「文楽とキリスト教」(森田美芽先生)の三つであったが、いずれも、内容の濃いものであった。本号・巻頭言も参照。

7月28日(日) 長野佐久教会(佐久会堂)にて礼拝説教奉仕。(ヘブライ12:12~17)。木村庸五長老(湖北台教会)と青年時代からの友人、明石實次さんも出席された。


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2019年6月14日金曜日

「ICS軽井沢文庫だより」第23号

😄ICS軽井沢文庫…3周年😄

宮﨑彌男

    私たちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世
    界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。
(エフェソの信徒への手紙4:12)

 「ICS軽井沢文庫だより」をいつもご愛読いただき、ありがとうございます。おかげさまで、文庫は3周年の日を迎えました。23号まで出すことができました。父なる神のご計画、キリストの恵み、聖霊の御導きを心より感謝いたします。
 私は、来月27日で、満78才となりますが、あと2年は、「たより」を出し続けたいと願っています。何卒、引き続き、ご愛読、ご支援いただきますよう、よろしくお願いします。(ただ、“ご迷惑”と言う方もおありだと思いますので、その場合は、ご一報ください。送付しない様にいたします)。
A.カイパーの評伝
3周年を記念して、一念発起、L. プラースマ著『キリストを王とせよ―アブラハム・カイパーとその時代―』を翻訳・掲載することを思い立ちました。今月号に、始まりの部分を掲載します。原著は、L. Praamsma, Let Christ Be King―Reflections on the Life and Times of Abraham Kuyperー(Jordan Station, Ont.:Paideia Press, 1985)です。ICS軽井沢文庫の片隅に、ひっそりと納まっていたのですが、取り出して読んでみると、何と面白い本か!!どんどんと読み進み、毎日の楽しみとなりました😄。
 著者の Louis Praamsmaは、1910年にオランダで生まれ、1935年~1958年、オランダ改革派教会の牧師、その後、カナダに移住し、1984年に召されるまで、北米キリスト改革派教会の牧師として奉仕された方です。説教者、牧師であると共に、神学者、詩人、また、優れた教会史家であられたとのことです。オランダ語で書かれたものとして、De Kerk van alle tyden: Verkenningen in het landschap van de kerkgeschiedenis(『あらゆる時代の教会―教会史鳥瞰図―』)等があります。『キリストを王とせよ』は、英語で書かれていますが、読みやすい英語なので、翻訳しようかとの思いへと導かれた次第です。
 アブラハム・カイパー(1837~1920)については、当「ICS軽井沢文庫だより」にも、何度か紹介しましたので、おなじみかも知れませんが、19世紀後半から20世紀初頭のオランダで、多方面に亘り活躍した牧師、神学者です。カイパーは、カルヴァン主義的な聖書信仰、キリスト信仰に立って、オランダ改革派(Gereformeerd)教会 、アムステルダム自由大学の創立に関わり、また、政治の分野においても、反革命党の党首として、オランダの首相を務めました。
 カイパーは、彼の時代において、神の言葉と聖霊に従いました。私たちも、今生きているこの時代、この日本において、教会、家庭、国家、学術、芸術等、与えられている諸問題と関わりつつ、神の言葉と聖霊に従って歩みたい。そのために本書は大変参考になると思い、翻訳を思い立った次第です。
 今月号では、第1章の初めの部分のみを訳しましたが、本書全体の「序」のような内容となっています。①「時代の精神」というものがあること、②そのような「時代の精神」を形成するものは何か、③カイパーの時代の「精神」とはどのようなものであったか、ということが問題提起されています。
 私たちの時代の「精神」とはどのようなものなのかを考える参考となります。特に、カイパーが牧師として、「霊的世界から来る神秘的な力に起因する、一般的な動因(動かす力)」に注目を促していることは、示唆的です(エフェソ6:12)。
(2019年6月14日、宮﨑記)

L. プラームスマ著

『キリストを王とせよ―アブラハム・カイパーとその時代―』

宮﨑彌男訳

第1章 19世紀の精神

時代の精神とは 

 近代社会学の創始者、エーミル・デュルケム(1858-1917)は、社会には、大部分の「平均的な人々」に共有されている情感や信条から成る「集合的意識」がある、と確信していました(注1)。社会は(或る方向へと)導き、導かれ、動き、動かされるが、そのような動きは、ある種の精神によって特徴づけられている、と主張したのは、彼が初めてではありませんでした。デュルケム以前、J.G.フォン・ヘルダー(1744-1803)の『人類史の哲学考』にもそのような考えの萌芽を見ることができます。
 初期浪漫主義の代表者の一人であったヘルダーは、人間のGeist(精神)について考えましたが、それは、以後ずっと、より洗練された形で受け継がれて行くこととなります。ヘルダーの影響は、19世紀前半のオランダ・グロニンゲン神学にも見られます。この神学は、巡りめぐって、若き日のカイパーにも影響を与えることとなります。
 それゆえ、カイパーの著作中に、「今の時代の精神」だとか、(カイパーが非常に尊敬した詩人、アイザック・ダ・コスタ流の表現では)「今の世の精神」と言った言葉がしばしば出てくるのは、不思議ではありません※。しかしながら、真の人間性の時代の到来を予期したヘルダーとは違って、カイパーは「今の時代の精神」に、退廃と不信仰に向かう危険な兆候を見ておりました。
ICS軽井沢文庫
カイパーは、かつて、ある種の異端が、見かけ上は結託することもなく、同時的に多くの所で教会に入ってくることがあると、指摘したことがあります。「われわれは、一つの時代の精神について考えるのであるが、宗教改革の時代の精神とフランス革命の時代の精神、あるいは、18世紀の精神と19世紀の精神とを比べると、一つの時代と他の時代との間に本質的な違いのあることを直ちに感じ取るのではないか」と。彼は、また、世論、生活の流儀やファッション、一般的なものの考え方や話し方など、一つの時代の精神を表す様々な要素のあることについて語っています。しかし、このような、表面に現れる様々な事象で、時代精神の力のすべてが充分に説明できるかと言えば、そうでもないのです。それで、カイパーは言います。「このような、言葉で言い表せる様々な事象の背後に、またその中に、私たちの分析できない、一般的な動因(動かす力)があり、それは、霊的世界から来る神秘的な力に起因するものなのである」と。彼は、使徒パウロの言葉を引用していています。「私たちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです」(エフェソ6:12)(注2)。
 このような歴史の見方は、当たっているのではないでしょうか。歴史はいくつかの時期に区分されます。一つの時代の始まりをどこに見出すかは、難しい場合があるますし、移行期が長く続く場合もありますが、特定の時代が、その時代に固有の特徴を持っていることは、否定できない事実です。その特徴は、色々の形で現れます。ある場合は、血筋によるのですが、そればかりではありません。古い要素と新しい要素があります。すべての文明には、連続性と非連続性があります。イエス・キリストの教会には、聖霊の継続的な働きがありますが、そこには、また人の霊による前進と反動、形成と歪曲、従順と不従順があります。さらに、私たちは、「最初から人殺し」と呼ばれている者(ヨハネ8:44)のしわざである、不可解な、隠れた衝動、非合理で、時には圧倒的な力を持つ欲望にも気付かされるのです。
 歴史は決して繰り返しません。歴史的に平行するものはありますし、人間の力で状況を変えることはできませんので、聖書が、「太陽の下、新しいものは何もない」(コヘレト1:9)と言っているとおりなのですが、それでも、私たちは、円を描くように歩んでいるのではありません。時代の進展と共に、私たちは、より複雑で円熟した世界に生きつつあるのです。
 私たちは、アブラハム・カイパーを、彼自身の時代の脈絡の中で知りたいと思います。彼の生きた時代の特徴はどのようなものであったのでしょうか。その時代の精神はどのようなものであったのでしょうか。
 はっきりとした出発点を見出すことはできます。カイパーは、彼の先駆者、フルン・ファン・プリンステラと同様、自分自身の時代を特徴付ける出発点として、常に、1789年のフランス革命という大きな出来事を挙げました。彼らの考えでは、この革命こそ、18世紀の希望と理想の目指す目標であり頂点であると共に、その滅亡と破壊でもありました。
 この革命は、先行する時代の合理主義、理神論、唯物論の行き着く先でありました。また、専制政治、古い封建制度、抑圧された下層民の叫びにおいて明らかになっていた権力乱用に対する審判でもありました。しかし、ロベスピエールによる恐怖政治、ナポレオンの砲弾による統治により、革命もまた、自由、平等、博愛と言った自らの高い理想を戯画に変えてしまったのです。
 19世紀は、第一義的には、フランス革命の恐怖に満ちた側面に対する反動でありましたが、同時に、反動と共に自由主義にも、保守主義と共に社会主義にも、あらゆる形の新しい神学と共に、昔からの神学の復興にも、世俗主義と共に福音主義にも、さらには、不可知論的観念論にも、扉を開くこととなりました。それは多くの偉大な人物を輩出した時代でした。シュライエルマッヘルとへ―ゲル、ダーウィンとマルクス、ビスマルクとグラッドストーン、ニューマンとキルケゴールの時代でした。
 これらの偉大な人物の中に、カイパーの名を加える価値があります。若き日に、カイパーは、この時代の新しい思想のすべてを吸収しました。しかしながら、神が彼を改心させることを良しとされたとき、彼は、与えられている限りの驚くべき知力を尽くしてオランダ改革派教会を新しく造りかえ、オランダにおける神の民とその子等を奴隷の家から解放したのです。教会と国家の両方におけるすべての活動において、カイパーの心の叫びは、「キリストを王とせよ」でありました。
(続く)

※1823年に、ダ・コスタは、『今の世の精神に反対する』を出していた。

(注1)O.Chadwick, The Secularization of  the European Mind in the Nineteenth Century(1975), p.11を見よ。
(注2)A. Kuyper, Het Modernisme(1871); De Gemeene Gratie, Ⅱ(1905), PP.27, 408-411.

【5月の活動報告】


5月6日 (月、休)長野佐久伝道所の一日修養会、於・長野会堂。佐久から10名、長野から6名、計16名が出席。伝道65年を振り返ってのインタビューを中心とした(牧野牧師作成の) DVDを鑑賞、分団に分かれて、今後の伝道について語り合った。二つの群れの一体感を覚えることのできた、良い修養会だった。

5月12日(日) 長野佐久教会(長野会堂)にて礼拝説教奉仕。(ヘブライ12:4~11)。

5月14日(火)~16日(木) 遠刈田溫泉(宮城県蔵王町)に石井正治郎先生ご夫妻を訪ねる。先生は、『新キリスト教辞典』中〈アブラハム・カイパー〉の項の執筆者、カルビニズムに熱心な信仰の先輩である。ICS軽井沢文庫のためにも、多額の献金をしてくださった。2000年に「キリスト教と文化」のコンファレンスのためオランダに行ったときには、先生ご夫妻もオランダ日本人教会の牧師をしておられ、カイパーがカルビニズムに回心した Beesd の教会に案内してくださった。今回は家内も一緒だったので、牧子夫人も、われわれの四方山話に参加され、共に交わりを深めることができた。14日(火)には、亘理在住の林茂雄先生ご夫妻をも3年ぶりに訪問。先生も、すでに現役を引退しておられるが、賀川豊彦の神戸貧民窟伝道に触発されて伝道者となられた経緯など、話してくださった。

5月18日(土)牧野先生の運転で新潟へ。新潟伝道所の献堂式に出席。新潟は、2015年~16年、月1,2回、説教奉仕した教会である。若い信徒/求道者が熱心に聞いて下さり、午後には、ウ大教理問答の学びも行うことができた。久しぶりで親しい方々にお会いし、会堂が与えられたことを共に喜んだ。これからも祈り続けたい開拓伝道所である。

5月24日(金) 第5回信州神学研究会、於長野佐久教会(長野会堂)。長田秀夫先生が、「カルビニズムと諸宗教」との年間メインテーマの下、「日本の宗教の土台としての古代神道」と題する発題講演をしてくださった。出席者は5名と少なかったが、良く準備された講演で、私たちが日本で伝道していながら、神道や神社について、いかに知らないかを知らされた。天皇家と神道との深い結び付きを知るにつけても、カルビニズムに立って、神道や天皇制について研究することの重要性について考えさせられた。レジメの必要な方は、ご一報ください。なお、次回は、9月27日、「原理主義について」(牧野信成先生)、於・佐久会堂。

5月26日(日) 長野佐久教会(佐久会堂)にて礼拝説教奉仕。(ヘブライ12:4~11)。

5月29日(水)~31日(金)東京、大阪へ(行脚旅行))
  29日(水)草加松原教会に、日本キリスト改革派教会の現大会議長、川杉安美先生を訪問。改革派教会の現状と今後の方向性、特に改革派創立宣言の今日的重要性等について、2時間ばかり語り合った。その後、銀座地下で、ヨーロッパから帰ったばかりのY兄と夕食を共にする。。
  30日(木)~31日(金)小学校のクラス会で、藤田美術館展「曜変天目茶碗と仏教美術のきらめき」開催中の奈良国立博物館へ。NHKTVで2度に亘り特集・紹介されただけあって、なかなかの盛況、展示物も見応えのあるものが多く、遠路駆けつけた甲斐があった。夜は、宮﨑の先祖が、江戸末期以来最近まで、金物問屋をやっていたという、船場近くのホテルに泊まり、翌朝、その周辺(今は何もなかったが)を散策、心斎橋から難波あたりまで足を伸ばす。大阪ミナミの爛熟文化、今の私には、ちょっと入り込めそうにはない?!

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【「ICS軽井沢文庫」】

「ICS軽井沢文庫」は、日本におけるキリスト教有神的世界観人生観の研鑽と普及のために、2016年6月14日に、軽井沢町追分36-23に設置された文庫です。“ICSInstitute for Christian Studies)は、この文庫が、日本における (改革主義)キリスト教学術研修所(大学院)の設置を目指していることを告白するものです。文庫設置の経緯については、「ICS軽井沢文庫だより」第1号(2016.6.14)をごらん下さい(ラベル「ICS軽井沢文庫だより」第1号をクリック)。


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389-0115長野県北佐久郡軽井沢町追分36-23 宮﨑彌男・淳子

TelFax 0267-31-6303(携帯) 080-3608-3769

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2019年3月16日土曜日

「ICS軽井沢文庫だより」第22号

創世記1-2章こそ契約宗教の原点

宮﨑彌男


今年も、庭に福寿草が咲きました。もうひと月ほど前に芽を出し、開花し始めたものが、今は暖かな春の陽を浴びて満開、勢いよく周囲に“福寿”のエネルギーをまき散らしています。少し離れたところにも、新しく芽を出した福寿草の小さな集団を見つけました。こちらは、今満開のものと比べると、こじんまりとしていますが、何となく、優雅なたたずまいです。家内に聞いてみると、前者は、野生の福寿草を庭に移し替えたもの、後者はおばさんちの庭で、育ったものを貰ってきたとのことです。野生と育成の違いですね。
 どちらが良いですか?どちらも! 確かに、勢いは、野生の方が良いですね。けれども、庭で育った福寿草には、上品なところがあるようです。こんな風に、庭に咲いた福寿草を見比べておりましたら、家内がふきのとうとタラの芽を近くのスーパーでみつけたので、天ぷらにしよう、と言いながら戻ってきました。俄然夕食が楽しみになりました😊。…余りにも美味しかったので、パクパク食べてしまい、春の気分を味わいながら、というところまで行かなかったのですが…。それでも、“春が来た” こと、感謝です😊。
 
 ところで、聖書の中で、最初に野の草花のことが出てくるのは、創世記1:11-12です。今月は、「契約宗教の原点としての創世記1-2章」ということで、今一度、ノア契約の意義について考えて見ることにしましょう。
 先月、「ICS軽井沢文庫だより」第21号を公開しましたところ、知人のU兄よりコメントをいただきました。曰く、「<ICS軽井沢文庫だより>最新版をありがとうございます。新年を祝う意味についてたいへん教えられました。なるほどと思いました。ノア契約がもとになっているとは考えてもみませんでした(というより、新年を祝う意味など考えたこともありませんでしたので)。先生の書かれたものをベースに私も考えてみたいと思います 
 
 このように積極的なレスポンスをいただき、嬉しくなって、私は、「<ICS軽井沢文庫だより>をお読みいただき、感謝です。ノア契約が、創造契約(特に創世記1:28,2:4-17)の(洪水後の)更新(再宣布)であること等については、<注4>に言及したDumbrelの本の第1章で、説得的に論じられています」と、すぐにメールで応えました。しかし、私は、実のところ、まだ、Dumbrelの本(『契約と創造』Covenant and Creation)第1章「創造における契約」の始め3分の1くらいまでしか読んでおりませんでしたので、責任上、慌てて、残りのページを今読み進めているところです。そうしますと、何と素晴らしい内容の章であるか、発見しつつあり、感動ものです😄。(今朝、読み終えました!3/16)。 
 
 本章(あるいは、本書全体かも知れません)におけるDumbrelの主張は、かいつまんで言えば、こういうことです。聖書において「契約」という言葉が最初に出てくるのは、創世記6:18「わたしはあなた(筆者注、ノア)と契約を立てる」においてであるが、そこで (契約を)「立てる」と訳されているヘブライ語は、初めて結ぶ契約の「締結」(inauguration)ではなく、すでに結ばれていた契約の確認(confirmaton)を意味する動詞である;どの契約の確認かと言えば、創世記1:26-28とその展開としての同2:4b-17の確認であった、ということです。Dumbrelは、このことを主張するために、緻密で説得的な釈義をしています。特に、ヘブライ語の (契約を)「結ぶ」(カーラト)と「立てる」(ヘーキーム)の用法上の違いについて、反対論も紹介しつつ、浮き彫りにしています。つまり、前者は、契約を初めて「結ぶ」場合に用いられるのに対して、後者は、すでに結ばれた契約をもう一度「立てる」場合に用いられている、ということです。ぜひ、同書の15-23頁<創世記6:18が先行契約の確認であることの意味論的根拠>をご参照ください。
 
 締めくくりの部分だけ、一部、翻訳、掲載しておきます。
 「要約すれば、<カーラト・ベリース>(契約を結ぶ)という表現形態は、一度も、契約の更新には用いられていないようで、旧約聖書においては、2当事者間の新規契約締結時に用いられる独特の表現形態である。<ヘーキーム・ベリート>(契約を立てる)は、これとよく似ているが、契約の継続について語る場合に用いられる用語である。この違いを曖昧にしようとしても、それぞれの文脈の明らかな主張から目をそらすこととなり、良い結果は得られない。これが意味するところは、創世記6:18において「契約」と呼ばれる創造の御業(訳者・注)には、そこに始まって、イエスによる新しい創造の導入、さらには、その再臨による完全な実現に至る、神の事業計画が含意されているということなのである。もう一つ言えることは、聖書の中に出てくる色々の契約を知るための様式批評的な区分けをしても、その内容については何も知ることはできない、ということである。聖書の契約がその形態において約束的(アブラハム契約、ダビデ契約)であっても、命令的(シナイ契約)であっても、あるいは、古代近東の契約に幾分似たものであっても、聖書神学におけるその最終的な意義は、それが指し示している目的によって決定されるからである。神の命令による、その目的とは、創造から新しい創造に至る道筋の構想にほかならない」(『同書』22-23頁、下線は訳者による)。
 
 神の共通(一般)恩恵(創世記8:21-22、マタイ5:45、使徒言行録14:17)に基づく契約の重さを、改めて覚えさせられます。ノア契約(創世記6:18)は、創世記1-2章の創造契約に遡り、その更新(再確認、再宣布)であるとのこと。また、この創造契約は、キリストによる新しい契約に至るすべての(恵みの)契約の土台となっているとのこと。聖書の宗教の全体がこの恵みの契約に貫かれているのです😊。「恵み深い主に感謝せよ.慈しみはとこしえに」(詩編136:1)と、賛美せざるを得ません。
 
(訳者注)創世記1-2章に記されている主の創造の御言葉とその結果としての創造の秩序が「創造の契約」と呼び得ることについては、エレミヤ書33:20-21, 25-26における「契約」の用例等を参照。この点については、最近日本語訳で読めるようになった、O・パーマー・ロバートソン著、高尾直友訳『契約があらわすキリスト―聖書契約論入門』の第二章で詳しく論じられている。 

【2月~3月前半の活動報告】


2月7日 (木)~9日(土)神戸出張旅行。3つの目的がありました。
  2月8日 (金)に行われた、母校、神戸改革派神学校の「全校祈祷日」行事に全日程出席。午前中は、引退教師(神学校1970年卒、私と同期!)の望月明先生が「主の召し…説教者として」、「主の召し…群れの指導者として」と題する二つの講演をされ、大いに啓発された。説教者は、聖書の釈義をした上で、群れのために神の言葉を取り次がねばならないこと、伝道と教会形成のための戦略(ストラテジー)を立てることの重要性、伝道・牧会における良き同伴者(配偶者、教会役員、地域の協力者)の必要性、等々。いずれも、今後の伝道進展のために真剣に取り組まねばならない主題である。午後には、グループに分かれての祈りの時もあり、充実した「全校祈祷日」であった。
 ② 石丸新先生が執筆を始められた「ウエストミンスター小教理邦訳メモ」の草稿を(先生に頼まれたわけではないが)、吉田隆校長と袴田康裕教授に届ける必要があった。私たちの日本キリスト改革派教会には、2026年の創立80周年を目指して「ウエストミンスター信仰基準」の新しい教会訳を出版したいとの計画があるが、石丸先生のウ小教理問答研究は、これを念頭に置いたものである。ウ大小教理問答に対する同師の情熱のこもった研究メモである。こういった研究が教会全体の教理教育への熱心を盛り上げて行くようにと願うものです。
 ③ 大工原照富兄・泰子姉に同行。大工原兄は、私の普段出席している長野佐久伝道所(佐久会堂)の会員であるが、今年91才。かねがね神戸の神学校と神港教会に訪ねたいとの願いを持っておられた。奥様の泰子姉も神戸在住の辛鐘國先生を見舞いたいということで、真冬の老兵三人 (合わせて254才!) の神戸旅行となりました。お二人の元気だったこと、わたし以上でした😊。なお、辛先生は、長く神戸改革派神学校でギリシャ語等を教えられ、全校祈祷日にもお葉書を寄せて下さいましたが、2月末に召天されたとのことです。

2月10日(日) 長野佐久教会(長野会堂)にて、礼拝説教奉仕(ヘブライ11:29~31)。

2月17日(日)長野佐久教会(佐久会堂)男子会にて『信徒の手引き』第1章「神の民として教会に生きる」を学ぶ(助言教師として指導)。

2月22日(金) 第4回信州神学研究会、於長野佐久教会(長野会堂)。「カルヴィニズムとイスラーム」と題して発題講演。要旨:今日の世界情勢を知るためには、イスラームの正しい理解が不可欠。近代西欧の啓蒙主義的な物差しでイスラームの問題を解明することはできない。イスラム原理主義?としての「イスラム国家」(IS)。カリフ不在のイスラム圏で、敬虔なイスラム教徒は居場所を失っている。新しいパラダイムとしての「敵対的共存」(内藤正典) について、イスラムフォビア(恐怖症)を捨てよ。教育、伝道、介護等において学ぶべき所がある。イスラームへの伝道は、"friendship" evangelismではなく、"friendly" evangelismで! 次回は、5月24日、「カルヴィニズムと日本の宗教」(長田秀夫先生)、於・佐久会堂。 

3月10日(日) 長野佐久教会(長野会堂)にて、礼拝説教奉仕。(ヘブライ11:32~40)。



「ICS軽井沢文庫だより」の印刷のために

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2019年2月1日金曜日

「ICS軽井沢文庫だより」第21号

なぜ新年を祝う?

ー主の契約の恵みー

宮﨑彌男

 
 もう新年になって1ヶ月が過ぎましたが、今年の正月は、どのように過ごされましたか。私は、1月1日の朝、白味噌雑煮で新年を祝った後、午前11時から行われた、佐久会堂の元旦礼拝に家内と共に出席、新年の挨拶を交わして、昼過ぎに帰ってきました。
 帰ってきましたら、ネコちゃんが2匹迎えてくれましたので,思わず、「おめでとう」と言ってしまいました。我が家には、もうかれこれ3,4年の間、母親ネコのカナちゃんが、動物好きの家内から、朝夕の2回、ご飯(ペットフードと花鰹)を貰っていて、時間になったらやってくるのです。カナちゃんは,長年、軽井沢/追分に住み着いている、やさしい「野良さん」なのですが、2年程前に,子ネコを沢山生んだので、家内が浅間動物病院に持っていって、子ネコの貰い手を募集してもらい、避妊手術を施してもらったのです。それ以来、ウチが養っている、というのが、このカナちゃんのストーリーです。最近、もう1匹、クロも、時々寄ってくるようになり、最初は、「カナのご飯を奪うな!」と、追い返していたのですが、カナもやさしくて、何とか受け入れているようなので、今は、黙認状態といったところです。
 私どもが元旦礼拝から帰ってきたとき、この2匹のネコちゃんが,ニャーオ!と迎えてくれたので、私は、思わず、親しみを覚え、「おめでとう」と言ってしまったのです。でも、後からちょっと考えて見ると、「よくぞ言ったものだ」と思わざるを得ないのです。昨年、はす向かいの千葉さんちの柴犬ベルちゃんが亡くなったとき、おはぎを買ってきて「慰めた」(「ICS軽井沢文庫だより」19号参照)のと同じく、ノア契約の御言葉(創世記8:22)を思い起こしてのことでした。

 主は、宥(なだ)めの香りをかいで、御心に言われた。
 「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いとき
  から悪いのだ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、
  二度とすまい。
   地の続く限り、種まきも刈り入れも、
   寒さも暑さも、夏も冬も、
   昼も夜も、やむことはない」、
   (創世記8:21~22)。
 
 人間の甚だしい罪(創世記6:5, 11-12)にも拘わらず、神は、すぐに地を滅ぼすことをなさらず、「種蒔きと刈り入れ」、「寒さと暑さ」、「夏と冬」、そして「昼と夜」を絶やすことをしないと決意し、「二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない」(同9:11)との契約を立てられました。その契約のしるしは、「雲の中に現れる虹」でした(同9:12~17)。神は、ただただ御自身の造られた被造物へのあわれみの故に、「地の続く限り」滅ぼすことはすまい、と厳かに契約されたのです。これがノア契約と呼ばれるものです。
 実は、このノア契約こそ、全人類が、来る年ごとに、畏れかしこみつつ覚えて、感謝し、祝うべき神の「永遠の契約」(同9:16)なのです(注1)。この恵みを寿(ことほ)ぎ、私たちは、新年を祝うのです。お互いに、また、動植物とも喜びを分かち合いながら、祝うのです。そんなわけで、私は、今年の年賀状に創世記8:22の聖句と金斗絃作の絵画「箱舟に乗り込む」を掲げて送りましたところ、「昨年は災害の多かった年だったから、ぴったりの聖句で、良い年賀状ができたわね」と家内に言われ、なるほどと思いました。それも確かなのですが、「正月には、ノア契約の恵みを覚えよう」という、契約論的な意味合いが込められていることも確かなのです。
 「ICS軽井沢文庫だより」19号でご紹介しましたように、神学者アブラハム・カイパーは、ノア契約の意義の基本的重要性を強調していますが(注2)、そのとおりです。ノア契約は、創世記1,2章の創造契約の更新(再宣布)であり(注3)、後のアブラハム契約(創世記15:18)、シナイ契約(出エジプト記24:1-8)、ダビデ契約(サムエル記下7章23:1-5)、さらには、イエス・キリストによる「新しい契約」(ルカ22:20)の土台となるものです(注4)。それゆえに、正月を迎えるたびにこの契約を畏れかしこみつつ覚えて、感謝し、祝うことは,実に私たち(キリスト者も含めて)全人類にとって大切なことなのです。
 あらためて、(遅ればせながら)新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

(注1) 今日の日本においては、前年,身内に死去した者があったりして,喪に服している者が新年を祝うことを慎むべきとの考え方が根強くある。これは、必ずしも、聖書のキリスト教有神的契約思想から出てきたものではない。ノア契約は、上記のごとく、ただただ神のあわれみによる恵みの契約である。それは、人の死をも命に変える神の慈しみに基礎づけられている。イエスは,一人息子を亡くしたナインのやもめを「憐れに思い」、「もう泣かなくともよい」と言って一人息子を起き上がらせ、母親にお返しになった(ルカによる福音書7:11~17)。主の「憐れみ」は,人の死をも命に変える力を持つ。ノア契約は、そのような主の憐れみによる契約である。イエス・キリストを信じるならば、たとえ喪に服している時であっても、主の憐れみの故に、新年を祝うことができるのだ。
(注2)「希望に生きる私たちー動物たちと共に―」注1参照。(A.カイパー『共通恩恵論』Ⅰ、p.11)
(注3) 例えば、創世記1:28における命令が、ノア契約(同9:1-2)において更新(再宣布)されていることに注意。。
(注4) Dumbrell, William J., Covenant and Creation--An Old Testament Covenant Theology--(Exeter, Paternoster Press, 2013). p.6以下参照。

【12月,1月の活動報告】


12月9日(日) 長野佐久教会(佐久会堂)にて説教奉仕(ヘブライ11:29~31)。午後、男子会。『信徒の手引き』第1章「神の民として教会に生きる」を学ぶ(助言教師として指導)。

12月23日(日) クリスマス礼拝。濱民雄引退教師が説教奉仕された。牧野牧師は、長野会堂。礼拝後、愛餐会・祝会。1年間の恵みを回顧して、私は、「ICS軽井沢文庫だより」を、2018年度も、14~20号まで出すことのできたことを報告した。教会でも、だんだんと認知されてきたようだ。長野佐久教会のホームページでも見ることが出来る(佐久市「地域と交流」欄)。<rcjnaganosaku.jimdo.com>
 
12月24日(月、休) 午後5時から、クリスマス・キャンドル・サービス。牧野信成牧師は、マタイ2:1-12により、
聖書神学に裏付けられた、豊かなクリスマス・メッセージを取り次いでくださった。近隣の方も、ご婦人が2名ばかり、案内チラシを見て参加された。御言葉が実を結びますように。帰省中の宮崎契一先生も出席。

12月30日(日) 長野佐久教会(長野会堂)にて、礼拝説教奉仕。創世記8:20~22、9:8~17より、年末礼拝の御言葉を取り次いだ。。説教題:「ノア契約と私たち」。

1月27日(日)長野佐久教会(長野会堂)にて、礼拝説教奉仕(ヘブライ11:23~27)。
大雪の予報が出たため、前日の土曜午後に,急遽旅装を整え、御代田より、しなの鉄道の快速電車で長野へ。駅近くのビジネスホテルに一泊、主の日の礼拝奉仕に備えた。当日は、大雪ではなかったが、それでも、道路はかなりの積雪、滑らぬように気をつけながらの移動であった。長田喜樹兄が柳原駅まで迎えに出てくれたので、余裕を持って礼拝に臨むことができた。やはり,思い立ったらすぐに出るのがよいようだ。主が助けてくださる。礼拝後は、同じく喜樹兄の車で、山室委員も同乗、佐久会堂まで移動、なんとか、午後2時開会の会員総会に間に合った。大雪予報のため、乗り物に乗りっぱなしの大変な伝道旅行となった。感謝! 



※本「ICS軽井沢文庫だより」第21号は、筆者の日程上の都合等により、1ヶ月遅れとなりました。お詫びします。おゆるしください。―宮﨑彌男―

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