2022年8月30日火曜日

「ICS軽井沢文庫だより」第36号

~巻頭言~

  「今年の 8・15」

ー平和を身近なこととして実践するー

宮﨑彌男

 

 「幻がなければ民は堕落する。教えを守る者は幸いである」(箴言29章18節)

「私から学んだこと,受けたこと,私について聞いたこと、見たことを実行しなさい。そう  すれば、平和の神はあなたがたと共におられます」(フィリピの信徒への手紙4章9節

 今年の8月15日は、戦後77回目の「敗戦記念日」でした。ロシアのウクライナ侵攻に始まるウクライナ戦争の継続、中国による対台湾軍事的支配への新たな脅威、新型コロナウイルス第7波の到来、等々の中で迎えた今年の8・15は、日本の過去・現在・未来を考える私たちにとって重要な意味を持っていたように思います。

 特に、私が注目したのは、(1)8月6~15日、TBS系のテレビ番組  NO WARプロジェクト つなぐ、つながる" と、(2)近くに住まわれる、櫻井のり子姉・櫻井孝昌兄からいただいたお二人の報告論文「日系アメリカ人二世たちの恩返し」(金城学院大学キリスト教文化研究所紀要17)でした。

 (1) 8月14(日)午後2~4,「TBSテレビ」で放映された特別番組「戦争と嘘=フェイク」は、残念ながら,わが家のテレビでは受信できなかったのですが、テーマには大きな関心があり、もし見られた方があれば、内容の一端でもお知らせいただければ、幸いです。しかし、同じく,このプロジェクトの一環として8月13日(土)に放映された、TBS(6チャンネル)の「報道特集」では、ほぼ同じ主題が,① ウクライナと戦争報道、②77年前の戦争と(日本の)メディア、の2部構成で,きめ細かな取材に基づいて、特集されており、有益な特集番組でした。録画して、2度繰り返して見ましたが、私の印象としては、ウクライナの公共放送は、戦時下にあっても,国とメディアとの関係を正しく考えようとしており、ジャーナリズムの規範性から逸脱することがないようにと努めているようで、啓発される所が多かったです。

 政府とメディアとの関係については、戦時下ウクライナの公共放送(「ススピーリネ」)を取材した金平茂紀氏の質問に答えて,「テレビ・ラジオ放送国民会議」議長のオルハ・ヘラシミウクさんは,こう答えていました。「日本では、第二次世界大戦時に,メディアは制限され、戦況を正しく伝えることが出来なかったと聞いています。ウクライナでは、状況が全く異なります。報じられているのは検閲ではなく、必要不可欠な対策なのです」と。また、「ススピーリネ」のチェルノティツキー会長が(戦時下でも)「ジャーナリズムの規範を厳守することが一番大切」と言われたこと、これは、聖書的な表現で言い換えれば、(戦時下でも,ジャーナリズムは)「人間に従うよりは,神に従うべき」ということになるでしょう(使徒言行録4:19, 5:29)。ウクライナまで足を運んで取材した金平キャスタ―は,「戦時中でも、真実を犠牲にしてはならないことをつくづく確信しました」と、番組を結んでおられました。アーメン。

(2)Youth is not youth if it is satisfied to have things alone.


 
もう一つ、我が国の将来を見通す上で、チャレンジを与えられたのは、日本における「若者たち」"youth"への伝道的教育的使命の重大性です。毎日の散策中に、いつも笑顔で挨拶される方があり、思い切って話しかけてみたところ、1941年に日米戦争が始まって間もなく,在米日系人収容所に入れられた一人の日系人青年(グレン・久米川さん)の生涯について記した報告論文をくださいました。その冒頭には、有刺鉄線で囲まれた収容所で、戦争当事国からの移民の子というだけの理由で,ひどい差別的な扱いを受けたその青年が、戦争終結も間近の高校卒業式で行った卒業生総代スピーチの一部が紹介されていました。

 「私たちはこれから先に横たわっている大きな任務を当惑しながらみている。世界は戦争と混乱によって損なわれ、社会的、経済的、政治的な再構築を必要としている。戦争が終わった今、国家間の争いの原因ともなる多くのことが残されている。多くのくすぶっているこれらの火種は、新しい文明のゴールに向かって進んでいく若い世代によって消し止められなければ大火になるだろう。この迷路から導き出すことが出来るのは、全ての国の若者たちである。私たちは世界の現状をはっきり見て,広く考え、公正に判断し、大胆に行動することによって、より良い社会を目指すことができる。世界は若い我々の広い心、エネルギー、勇気、理想主義を必要としている。もし、これからの社会で起こる事態をそのまま放置して満足しているならば、そのような若者は若者とは言えない。豊かで充実した暮らしをしたいという夢をみんなが描いている。しかし、それは自動車や高い賃金などではなく、人々がその生まれや地位によって差別されず、社会の構成員として平等に認められることである。大きなものではなく、より良いものを作るために共に働こう。より良いものとそのための変化を受け入れよう。それを実現するためには犠牲も伴う。私たちは破壊された世界を堅固で公正な世界に再構築し、新しい世界を発見してゆく努力をすべき世代である。それは奉仕の精神で行うべきことである。昨日の夢を離れて、明日の真実をの夢を実現しよう。」

  このような卒業生総代スピーチをもって収容所内の高校を卒業したグレン・久米川さんは、その後、全米日系学生再配置会議(NJASRC)より奨学金を得て、マサチューセッツ州にあるベイツ大学に進学、さらに、ブラウン大学に進み、生涯、ロードアイランド州立大学の教授として、地域の町造り等のために尽くしました。また、自ら受けた奨学金の「恩返し」として、東南アジアからの難民の子供たち等を支援するNSRC Fund(二世再配置記念奨学基金)の会長をも務めました。

 

 私は、77年前のグレン・久米川さんのこのスピーチを読み、これをこのまま、ウクライナ戦後の世界を担ってゆかなければならない、今日の日本の若者たち(“youth”)と重ね合わせて,考えざるを得ませんでした。このスピーチの言葉の数々が,時代と密着しつつ、時代を超えた普遍性を持つ内容だったからではないでしょうか。特に、「もし、これからの社会で起こる事態をそのまま放置して満足しているならば、そのような若者は若者とは言えない」(Youth is not youth if it is satisfied to have things alone.)は、名句です。

 我田引水かも知れませんが、私自身として反省させられたことは、「ICS軽井沢文庫」の主宰者として、日本における(改革主義)キリスト教学術研修所(大学院)の設置を目指し、また、最近は、日本におけるキリスト教政党立ち上げのヴィジョンをも与えられながら、未だ、ただ一人の「若者」"youth"の献身者、協力者も得ていないと言うことです。この分だと,私自身の高齢化と共に、このヴィジョンも立ち消えになってしまうのかも知れない。そのことを主はお許しになるのでしょうか。断じて!





「イエスの名によるいやし(救い)」

   ー最近の説教よりー

「今日私たちが取り調べを受けているのは、病人に対する善い行いと,その人が何によっていやされたかということについてであるならば、あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです」(使徒言行録4:9-10)

 昨年12月から今年の前半にかけて、日本キリスト改革派長野佐久教会では、使徒言行録3~5章により「イエスの名による救いいやし)」について学んできました。この箇所には、いく度となく、この「救い(いやし)」について、一人の男性のいやしと、このことについての使徒たちの教えが出てくるのですが、私たちそれぞれの毎日の生活に関わることなので、今一度振り返って,お分かちすることにします。

 一連の説教の中で私が繰り返し宣べたことは、イエスの名には人をいやす(救う)力がある、ということでした。

 先ず、少なくとも使徒言行録3~5章においては、「いやす」「救う」とは、同じ事であることを知りましょう。5:9で「いやされた」と訳されている原文の用語は、セソウタイですが、この言葉は,「救われた」とも訳せる言葉です。事実、この人の場合、足やくるぶしが強くなって歩くことができるようになった(3:7)という身体の「いやし」を授かっただけではなく、以後ずっと使徒たちに付き従って、証しをしている(4:14)ところから、「救われて」キリストの教会の一員となったことは明らかです。彼は、身体の機能回復と共にキリストを信じる信仰によって永遠の命に生きる者とされたのです。

 この人の信仰は、長年の教会生活によって培われた、成熟した信仰ではありませんでした。神殿の門の傍らで施しを乞うていたとき、通りかかったペトロとヨハネを見て,ひょっとすれば、自分で立ち上がることができるようにして貰えるかも知れない、と思っただけだったかも知れません。「からし種一粒のような」(マタイ17:20)小さな信仰であったのかも知れない。しかし、それでもいいのです。それでも彼はいやされました。「イエスの名によるいやし」は、小さな信仰でも、イエスを信じるならば、日常的な場面でいただくことのできるものなのです。

 どのような形で「いやされる(救われる)」か,は千差万別です。この男性のように、直ちに、奇跡的に足やくるぶしが強くなって,歩くことができるようになる場合もあります(使徒言行録3:6-8, 14:8-10)。完全な回復のためには,医学的、その他の治療など、いやしのプロセスが必要で、時間のかかることもあります。あるいは、この世では、完全な回復を望むことができず、来るべき世に持ち越し、ということもあるでしょう。しかし、聖書の(主イエスの)約束は、必ず、完全な回復の日が来るということです(イザヤ書35:3-6、使徒言行録3:20-21等々)。

 私たちにとって、「いやし(救い)」とは、何でしょうか。それは、私たちの「栄光の希望」(コロサイ書1:27)である主イエス・キリストと信仰によって結ばれ、希望と愛の内に生きるということです。主が私たちと共にいてくださることを知るときに,どんな状況にあっても,元気を回復することができます。主があなた共におられますように。

「あなたがたは,主キリスト・イエス論文を受け入れたのですから、キリストに結ばれて歩みなさい」。 (コロサイ書 2:6)

  

   



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【ICS軽井沢文庫】

「ICS軽井沢文庫」は、日本におけるキリスト教有神的世界観人生観の研鑽と普及のために、2016年6月14日に、軽井沢町追分36-23に設置された文庫です。“ICSInstitute for Christian Studies)は、この文庫が、日本における (改革主義)キリスト教学術研修所(大学院)の設置を目指していることを言い表すものです。また、最近は、日本におけるキリスト教政党立ち上げのヴィジョンも与えられつつあります。文庫設置の経緯については、「ICS軽井沢文庫だより」第1号(2016.6.14)をごらん下さい(ラベル「ICS軽井沢文庫だより」第1号をクリック)。シャーローム。



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