2020年11月2日月曜日

「ICS軽井沢文庫だより」第32号

~巻頭言~「伝道は聞くことから」

宮﨑彌男  

(序)
  読者の中で、クリスチャンでない方にとっては、「伝道」(エヴァンジェリズム―福音を語る)という言葉は聞き慣れない言葉なのかも知れません。けれども、実は、「伝道」というのは、おおよそ言葉によって自己表現する私たちの基本的な人間性に通じるところがあるのです。最近、ベストセラーになった『学びを結果に変えるアウトプット大全』の中で、精神科医の樺沢紫苑さんは、学んで(インプット)ばかりで、学んだことを話そう(アウトプット)としない人たちに対して、「インプット:アウトプットの黄金比は 3:7」だと言っておられ;ます。三つ学んだら、七つ話せ、というわけです。これを聖書で言う「伝道」に適用しますと、「私は信じた。それで、わたしは語った」(Ⅱコリント4:13)ということになります。
 それで、今月は、「伝道」について考えて見ましょう。
 
(まずは、私の自分史より) 
 わたしは、「ICS軽井沢文庫だより」第14~16号「“二刀流の伝道者”」で書いたように、①日本における有神的世界観の確立と、②信仰告白・教会政治・善い生活において一つである教会の設立―を目指す日本キリスト改革派教会の教師として、日本伝道に献身している者です。
ハミルトン大学
 日本伝道への献身を表明したのは、およそ60年前の1961年12月に遡ります。たしかこの年の年末、大晦日であったと思いますが、IVCF(キリスト者学生会)主催の学生宣教大会がイリノイ大学(アーバーナ校)で行われ、全世界から集まった1万人近いキリスト者学生たちが一堂に会して聖餐式に与ったのです。講師は、当時の大衆伝道者、ビリー・グラハム師でしたが、説教の後、師は会衆に呼びかけ、世界伝道に献身したい者は、前に出るようにと招かれました。私は、その時、出ない訳にはゆかないと思い、500名程だったでしょうか、その中の一人として前に出ました。ちょうど20才の時でしたが、これが、私の日本伝道への決意表明となりました。
 私は、当時、グルー奨学生として、ハミルトン大学(ニューヨーク州クリントンにあるリベラルアーツ・カレッジ)に留学中でしたが、帰国後は伝道に献身したいとすでに思っていましたので、前に出たのは自然なことではあったのです。ただ、場が場でありましたので、私の思いの中には、「帰国したら、伝道に献身しよう」という思いと共に、「日本に遣わされる」という、日本で生まれ育った者としてはいささか奇妙なアイデンティティが芽生えたことも事実です。
 それで、私は、帰国後、日本伝道のため神戸改革派神学校に入学、1970年に卒業後、日本キリスト改革派教会の教師として任職され、今日に至っています。上記のような経緯がありますので、任地については、日本ならばどこにでも遣わされる所に行くという姿勢で、今日まで、(トロントICSでの二度目の海外留学を経て)熊本(18年)、神戸・灘(7年)、茨城県つくば市(7年)等で、伝道に献身し、従事してきました。
 「日本伝道への献身」と言えば、何か気負っているように思われるかも知れませんが、それは違います。冒頭で述べたように、伝道は聞くことから始まる、と心得ているからです(ローマ10:17参照)。聞いて信じたことを話すだけだから、そこには、特別な「気負い」はありません。「日本伝道」への献身も大げさに聞こえるかも知れませんが、海外の大学で導かれたことでありますので、これ以外の選択はあり得ませんでした。

(伝道は聞くことから)
 「伝道は聞くことから始まる」ということについて、もう少し考えて見ましょう。キリスト教で言う「伝道」の場合、「インプット」と言っても、それは、ただ本を読んだり、人の話を聞くだけではなく、先ず「神の言葉を聞く」ということが、何よりも重要です。このためには、毎日聖書を読み、祈ること、毎週心して説教を聞き、聞いたところを自分自身への神の言葉として受け止め、実行すること等が伝道のために必要です(ウェストミンスター小教理問答90参照)。なお、このこととの関連で、「創造の言葉」(創世記1章、詩編19章、ローマ1:19,20、ヘブライ11:3等々)に聞き従う毎日の生活術については、「ICS軽井沢文庫だより」第9号を、今一度お読みください。
 御言葉を聞いたならば、親しい方に話してみましょう。ただ,その場合「教える」とか「押しつける」といったスタンスではなく、ここでも、「聞く」姿勢で語ることが伝道のためには大切です。言い換えれば、交わりの中で(仲間意識を持って)語ること。そうすれば、伝道は、互いに心を豊かにされるという結果を生むことでしょう。 
 病気の方を見舞うときのことを考えて見ましょう。見舞いに行こうと決めたときには、相手は、病床で苦しんでおられる、弱っておられる、自分は幸い健康だ、御言葉の一つでも差し上げて喜んでもらえれば、などと考え、一種の気負いを持って出かけます。しかし、しばしば経験することですが、見舞いに行った私たちが却って励まされ,喜んで帰ってくるのです。これは、交わりの中で御言葉を差し上げるので、相手の方は御言葉をありがたく思って、感謝を言い表します。それが見舞った私たちにとっては、反対に大きな励ましとなり、喜びとなるからでしょう。ここに伝道の原型があります。心の内にある御言葉を「聞く」姿勢で語る、このような伝道が感謝をもって受け入れられた時、そこには交わりが生まれ、深められ、これによって互いに心豊かにされるのです。
 けれども、聖書にも多く事例が出てきますように、伝道はいつも感謝をもって受けとめられるとは限りません。むしろ、拒否されることの方が多い。しかし、それはそれで、良いのです。その時に交わりは生まれなかったにせよ、真理が語られ、希望が証されたのですから。今は受け入れない方も、時が来れば、喜んで真理を受け入れることになるかも知れないのです。また、「聞く姿勢で」語ったことによって、その方に対する理解が深まり、交わりのための準備もできたのですから。

(日本伝道も「聞く」姿勢で)
 以上述べてきた「伝道は聞くことから」という原理は、「日本伝道」という大きな課題にも適用できます。「日本」に聞くことなしに,真の意味での日本伝道はできないでしょう。19世紀半ばより欧米のプロテスタント諸教会による日本宣教が始められてより,すでに150年以上になりますが、未だに人口のわずか 0.5% の信徒しか生みだしていないという現状を考えれば、反省の余地はないのでしょうか。「日本」に聞く姿勢を持って日本伝道がなされてきたのでしょうか。
 それでは、「『日本』に聞く」とは、何を意味するのでしょうか。その一つは、正に「ICS軽井沢文庫」が目的に掲げていることなのですが、「キリスト教有神的世界観人生観の日本における確立」ということです。宗教、道徳、政治、芸術、経済、社会、言語、歴史、論理、心理、自然科学の諸分野における日本研究が必要です。このような研究を怠るならば、日本のキリスト教会は、西洋の衣をまとった外来宗教の域を出ることなく、広く日本人大衆(庶民)の宗教とはならないのではないでしょうか。
 私自身は、最近、「『日本』に聞く」姿勢を持って、遅ればせながら、日本の歴史を学び直しています。日本伝道に役立つことを信じて。

 ただ、最後に申しあげたいことは、人を救うのは神ご自身である、ということです(ウェストミンスターウ小教理問答29~38参照)。私たちは,神の救いを運ぶ器にしか過ぎないということです。私たちに求められているのは、神の御言葉を聞いて行うことだけです。

 「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって
    始まるのです。」(ローマの信徒への手紙10章17節)



(主張:管義偉首相は学術会議の推薦した会員候補者6名を任命しなかった理由をはっきりと、国民にわかるように、説明しなければなりません)


2020/10/30毎日新聞「余録」

 上掲の新聞切り抜きは、10月30日の毎日新聞一面に載った「余録」です。ソクラテスは自らを「アテナイという馬にまとわりつくアブ」にたとえました。「だがアテナイ市民はうるさいアブをはたくようにソクラテスに死刑を判決し、彼は法に従い、毒杯をあおります」。この場合、「アテナイのアブ」は、「常識に安住する者への真理の探求者による批判や挑発のたとえ」ですが、この度、自らの首相としての判断で学術会議推薦の6名を任命しなかった首相も,よほど「アブ」がうるさかったようです。しかし、一国の首相の学問に対する見識は、その国の政治と文化に深甚な影響を及ぼすこととなりますので、私たちは今回の件を決して見過ごしにはできません。任命拒否の理由を、はっきりと、国民にわかるように説明するか、もしできないのであれば、任命拒否の方針を撤回すべきです。


L. プラームスマ著

  『キリストを王とせよ―アブラハム・カイパーとその時代―』

          宮﨑彌男・宮﨑契一訳

          ー第31号より続くー

 

 第2章 試行錯誤:時代の神学


   この時代、英国では?

  当時のこのような精神は,ヨーロッパ大陸全体に拡がっただけではなく、英国やスコットランドにも広く影響を及ぼしました。スイスにおける霊的覚醒(レベイユ)がスコットランドに端を発するものであったことを、すでに私たちは述べました。チャルマースとその弟子たちは、スコットランド教会における18世紀的伝統主義に対して鋭く反発したのです。
 この時期、英国のシュライエルマッハーとも呼ばれた詩人コールリッジが、英国で文筆活動を行っていました。F. D. モーリスは、より進歩的なキリスト教社会思想の代表者でした。さらに、J. H. ニューマンと、その幾分ロマン主義的ともいえるオックスフォード運動は、英国国教会の起源と歴史的背景に新たな関心をかき立てました。 
 サミュエル・テイラー・コールリッジ(1772-1834)は、その詩作において、サウジーやワーズワースと同様にロマン主義的です。彼はまた、ドイツの哲学者カントとドイツの詩人ゲーテの影響を示す宗教的著作をも残しました。コールリッジは、宗教を本質的に倫理的なものとして提示しました。つまり、実践理性こそが宗教的知識の源泉であるとの主張です。贖罪は、人間の倫理的行為であり、神の客観的行為ではありませんでした。

 コールリッジは学派を形成しませんでしたが、彼は彼より若い多くの神学者たちに影響を与えました。コールリッジは、英国国教会内のブロード・チャーチ/自由主義運動の創始者」(注17)と呼ばれていますが、「19世紀的な特徴を著しく印象づけるものでした。

 ユニテリアン教徒の聖職者の息子であったフレデリック・デニソン・モーリス(1805-1872)は、聖公会の教会に転じ、概ね正統派として歩みました。しかしながら、永遠の刑罰の問題に関する彼の思い(sentiments)異端の疑いを呼び、結局彼は神学教授職を辞するに至ります。彼は、友人であるキングスリーやルドローと共に、自由主義の原理たる“自由放任主義”に反対して、キリスト教社会主義運動を始めました。1850年に彼は友人たちと共に、洋服の仕立、建築、鉄器鋳造等の協同作業場を開設しました。1854年には「労働者学校」を設立し、彼自身もその学校の教授となりました。彼の始めた運動は多くの強い反対にも会いましたが、この運動は英国国教会に永続的影響を及ぼし、労働組合の設立と労働者階級のための教育を促進したのです。

 カイパーはこのようなモーリスの業績を研究し、オランダ下院における初期の演説で、「彼の輝かしい才能と広範囲の活躍」(注18)に言及しました。また、カイパーは、信仰者の母であり、「真理の柱であり土台」でもある真の教会を求めた、ジョン・ヘンリー・ニューマン(1801-1890)にも共鳴しました。

 これら二人の偉大な教会指導者の相違は、ニューマンが彼の理想を古代教会に求め、最終的にその理想がローマカトリック教会で実現されたと考えたのに対し、カイパーは宗教改革の宝物を再発見し、真に改革された改革派教会でその理想を実現しようとした点にありました。両者は共に教理と生活の一致を求めました。ニューマンがそのような一致をローマカトリック教会の伝統と実践に見出したのに対し、カイパーはそのような一致を聖書と宗教改革期の諸信条に見出し、それが当時の人々の言語と生活にふさわしく翻訳されることを望みました。

(注17)Schaff-Herzog's Religious Encyclopedia, Vol. III(1958 edition), p.156.

(注18)A. Kuyper, Eenige kameradviezen uit de jaren 1874 en 1875, p.196; see also Ons Program, pp. 148, 413.


【9~10月の活動報告】


9月6日(日)長野佐久教会(長野会堂)にて、主日礼拝説教奉仕。「アポロとその周辺の人々」(使徒言行録18:18~28)。熱心かつ謙そんにキリストの福音を学び伝えた説教者アポロの周辺にいたキリスト信徒(プリスキラ&アキラ夫妻、エフェソ教会の兄弟たち、アカイア州の兄弟たち)が、このアポロを助け,共に福音を広めようとした、どこまでも前向きの姿勢に大いに励まされた(フィリピ3:13-14,ヘブライ12:1-2 参照)。

 9月13日(日)長野佐久教会(佐久会堂)にて、主日礼拝説教奉仕「平和の神」。ヘブライ13:20~21)。ヘブライ人への手紙の終わりに掲げられている祝祷より、平和について学んだ。私たちがどのような生活状況の中にあっても、揺るぐことのない心の平和を得るための条件(三箇条)は、①イエス・キリストの十字架を思い起こすこと,②聖霊を求めること、③良い働きをなすための道を神様が備えてくださることを信じること、です。ここから,教会、国家、家庭において「平和を実現する」ためのすべての働きが始まります。

9月25日(金第8回信州神学研究会於・佐久会堂。7名が出席。上田在住の長田秀夫先生が「カルヴィニズムと諸宗教ー『縄文時代・宗教の社会性』」と題して発題された。「縄文時代」は、通常、約16,000年前~約3,000年前とされているが、その中の中期(約5,500年前~4,500年前)には、信州等にも縄文文化が栄えたとみられ、多くの土偶や遺物が発掘されている。この時代にまで遡って日本人の生活や文化/宗教を考察することによって,私たちの日本伝道もそれだけ視野が広くなり、深みを帯びてくる。次回は、2月26日(金)、於・佐久会堂。テーマ「カルヴィニズムと芸術」(発題:牧野信成教師)。

9月27日(日6ヶ月ぶりで、新潟伝道所を訪ね、礼拝説教奉仕。「平和の神」ヘブライ13:20~21)。礼拝後、以前から親しい樋口広祐兄(伝道所委員)に声をかけ、前号の「文庫だより」に書いたラングレーの本の読書会(「カイパー読書会」)の計画について話す。「ぜひ参加したい」ということだったので、次回出張予定の10月25日(日)の午後、新潟伝道所の会堂を借りて,第一回を行うことになった。以後、私の出張に合わせて、月一回開催の予定。坂戸教会・新潟伝道所の牧師、片岡先生も快諾してくださったので、感謝。

10月4日(日長野佐久教会(長野会堂)にて、礼拝説教奉仕。「使徒言行録に学ぶ」(使徒言行録1:1~2)。長く続いたヘブライ人への手紙の学びをひとまず終えて,今後は、使徒言行録を始めから少しずつ学び、説教することする。この日の説教の主旨は、使徒言行録を,ルカによる福音書の第二巻「昇天後のキリストの御業と教え」として読みたい、ということ。特に,主イエスは今日においても生きておられ、私たちの救いのために、(聖霊によって)御業をなしておられることを強調した。

10月11日(日長野佐久教会(佐久会堂)にて、礼拝説教奉仕。「使徒言行録に学ぶ」(使徒言行録1:1~2)。

10月25日(日新潟伝道所にて礼拝説教奉仕。「教会への挨拶と祈り」(ヘブライ13:24~25)。キリストにある信徒一人一人が同じ主にある諸教会/伝道所のために祝福と執り成しの祈りを献げてほしい。月刊『REJOICE』のコーナー[教会をおぼえてお祈りしよう]により、全国各地の教会/伝道所を覚えて祈るならば、今の時代に必要な聖霊による力強い信仰復興のきっかけとなり力となる。また、個人としても、教会としても、恵みを「受ける教会」から、「与える教会」へと成長することともなる。

 昼食後、13:40-15:40、第一回「カイパー読書会」(ICS軽井沢文庫/主催)。出席者:樋口兄、宮﨑。オリエンテーションの後、「ICS軽井沢文庫だより」第31号の巻頭言「ポスト安倍に必要な政治的霊性」(ラングレーの本『政治的霊性の実践―A.カイパーの政治家人生のエピソード』の内容を宮﨑が大雑把にまとめた小論)を読み、懇談。一つの質問は、セオクラシー(神政政治)について。中世ヨーロッパのように、教会の勢力が強かった時代においては、神の支配を政治の場で主張することは可能であったかも知れないが、今日の時代においては、極めて難しい。しかし、近代民主主義の時代においても、キリスト教信仰に適う綱領を持つキリスト教政党は十分に可能であると思われる。カイパーの政治理念は、一貫してキリスト教民主主義であった。今後とも、キリスト教政党の可能性について学んで行きたい。次回は11月22日(日)午後1時半~3時半(ラングレーの本の第1章)、於・新潟伝道所会堂。なお、スマホのボイス・メモに録音しています。


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【ICS軽井沢文庫】

「ICS軽井沢文庫」は、日本におけるキリスト教有神的世界観人生観の研鑽と普及のために、2016年6月14日に、軽井沢町追分36-23に設置された文庫です。“ICSInstitute for Christian Studies)は、この文庫が、日本における (改革主義)キリスト教学術研修所(大学院)の設置を目指していることを告白するものです。また、最近は、日本におけるキリスト教政党立ち上げのヴィジョンも与えられつつあります。文庫設置の経緯については、「ICS軽井沢文庫だより」第1号(2016.6.14)をごらん下さい(ラベル「ICS軽井沢文庫だより」第1号をクリック)。シャーローム。



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