2017年5月6日土曜日

ICS軽井沢文庫だより No.9

「軽井沢と創造啓示」 宮﨑彌男

窓からの眺め

(はじめに) 
 軽井沢は、春、夏、秋、冬、四季それぞれに素晴らしい。目に優しい緑、おいしい空気、心地よい風。散歩に出かけると、たいがい癒されます。家の中で仕事をしていても、窓から外を眺めると、樹齢何十年?に及ぶような太く、高い木がそびえていて、私どもの思いを、瞬間的にでも、天高く引き上げてくれます。
 私は、軽井沢の緑と空気と風が好きです。ここにいると、不思議に本がよく読めます。客を迎えると、話が弾みます。ここに来て(もうすぐ)6年の感想です。感謝です。
 「ICS軽井沢文庫だより」の先月号に、「注意深く御言葉に傾聴すること」について書きました。教会の礼拝・諸集会、家庭礼拝、個人のデボーションにおいて語られる神の言葉に注意深く耳を傾けることが、教会の霊的リニューアルのために必要、ということでありました。その折、もう一つ大切なこととして、神の創造啓示に耳を傾ける霊的洞察力の必要なことも書き加えておりました。今日はこのことを取り挙げます。

(神の創造啓示とは)
 神の創造啓示(creation revelation)とは、詩編19:2~5で、ダビデが、
  「天は神の栄光を物語り、
  大空は御手の業を示す。
  昼は昼に語り伝え、
  夜は夜に知識を送る。
  話すことも,語ることもなく、
  声は聞こえなくても、
  その響きは全地に、
  その言葉は世界の果てに向かう」、
と歌っていますように、
神が、創造と摂理の御業を通して私たちに語っておられる御言葉(啓示)のことです。「創造の律法(法)」(creation-law)による啓示、と言うこともできるでしょう 。
 これまで、改革派教会においては、伝統的にこの創造啓示のことを「一般啓示」と呼び、キリストによる罪からの救いを啓示する「特別啓示」と対比させてきました。しかし、残念ながら、この「一般啓示」という呼称では、創造啓示の持つ豊かさが十分に表されているとは言えません。特に、神さまの創造律法の “統一性における多様性” (diversity in unity)については、全くと言ってもよいほどに言い表してはいないのです。

(創造律法の統一性と多様性)
 創造律法の“統一性”(unity)については、神の口から出る御言葉(詩編33:4~6等)であることにおいて、例えば、十戒において要約されている道徳律法と一つです。その道徳律法の要約は「愛」でありますから(ローマ13:8~10、ウ小教理39~42)、創造律法も、「愛」において統一されています。このことについて、私は、九州伝道における先輩同労者、岩崎洋司牧師がかつて言われた「キリストの愛が宇宙を支えている」との言葉を思い巡らしています。岩崎洋司先生は、九州開拓伝道の最中で召されたのですが、先生のヴィジョンは実に宇宙大に大きく、同時にキリストの愛の細やかさをも持ち合わせておられたことを私は思い返しています(注)。神の創造律法は、キリストの愛においてすべて成就しているのです(マタイ5:17~20)。
 創造律法の“多様性”(diversity)については、オランダの神学者、アブラハム・カイパーが神さまの律法の「領域主権性」という言葉で言い表してから、改革派教会の霊的知的財産となって今日に至っています。彼は、「カルヴィニズム講義」と題する1898年のプリンストン講演において、キリスト者が世界観、宗教(教会)、政治、学問、芸術、等の諸領域において、御言葉に従って神のご要求に応えるべきことを訴えました。これに応えて、キリスト教(カルヴァン主義)哲学を展開したのが、ドーイウェールト、フォレンホーフェン等、オランダの「法理念哲学者」であり、トロントのICS(キリスト教学術研修所)です。私どもの「ICS軽井沢文庫」は、日本においてこの聖書的キリスト教哲学を研鑽、展開、普及させるために、昨年オープンしました(「ICS軽井沢文庫だより」No.1参照)。この小さな文庫の他にも、日本の各地で同じ趣旨の運動が起こされることを祈り、願っています
 神様の創造律法の “(統一性における)多様性” につき、私たちの身近なところで思い浮かべることのできるのは、
 ⑴ 結婚のための神様の創造律法
 ⑵ 子育てのための神様の創造律法
 ⑶ 学校のための神様の創造律法
 ⑷ 教会のための神様の創造律法
 ⑸ 政治のための神様の創造律法
等々です。
 神様の創造律法の対象は、その名のごとく、神様の創造の御業と同じように広いのですが、この律法に耳を傾けることは、情報化の時代と言われる今日の時代/社会において、何よりもその重要性を増しつつあると言わねばなりません。新聞、雑誌、本、ラジオ、テレビ、インターネット、正に情報の洪水です。その中で、私たちは、「すべてを吟味して、良いものを大事にする」(Ⅰテサロニケ5:21)ように求められているのです。マスコミの報道についても、私たちは真実な報道とフェイクな (でっち上げの) 報道を見分けなければなりません。その規準こそが、聖書において啓示されている神の創造律法です。

(創造啓示に与る道) 
 ちなみに、創造啓示との関わりにおける、最近の私自身の情報収集の手段は次のとおりです。(順序が大切)
  ⑴ 聞くこと。
  ⑵ 読むこと。
  ⑶ 見ること。
  ⑷ 触れること。
 については、ラジオを聞くことに最近ハマッテいます。特にNHKラジオ第1の「マイあさラジオ」(5:00~)を,インターネット・ラジオ「らじる」で聞くことは、私の毎朝の習慣になっています。年齢相応と言うべきなのでしょうか。5:37の「健康ライフ」と6:43の「社会の見方・私の視点」は、必ず(旅先でも!)聞くようにしています。この時間帯、担当者が良いからでしょうか、多くのテレビ・ニュース番組のように、政権に遠慮/忖度するようなこともなく、安心して聞いていられます。
  次に「読むこと」。新聞、雑誌、本などです。元々,私は本好きの方ですが、目が疲れ易くなってきましたので、朝方とか、ちょっと昼寝をした後で、読むことが多いです。何と言っても、キリスト教有神的 “思想” 形成のためには、それなりの読書は不可欠と認識していますので、目の健康が守られるように祈るばかりです。
春のよそおい
 ⑶ その次に「見ること」。私は、高校時代に、ある感動的な映画(その題名は思い出せないのですが)を見て、キリスト教の伝道者になりたいと思うようになったという経験がありますので、映画が人の生き方を変える力を持っていることを否定しません。にもかかわらず、聖書が御言葉を「聞くこと」を、救われる恵みの手段として第一に掲げていますので(ローマ10:17等)、「見ること」は、やはりその次です。
 テレビは、「見ること」と「聞くこと」が一緒に押し寄せて来るので、大変な情報量です。それゆえ、質の悪い番組の場合、相当にダメージを受けるので、気をつけなければなりません。反対に,真実を伝える映画やドキュメンタリーは見逃せません。 
 ⑷ そして、最後に「触れること」。同じ相撲や野球を見るのでも、テレビで見るのと、実際に、国技館(本当は、私は地方巡業にしか行ったことはないのですが)や球場に行って見るのとでは、大違いです。映像というものがいかに部分的なものに過ぎないか、行くたびに知らされます。そういう意味でも、「旅に出る」ことは、神さまの創造啓示に与る最高の時です。ただ、「何でも見てやろう」と思っても、年齢制限がありますので、「無理はしない、疲れないように」を一応のモットーとしています。歴史と地理が一体となるような旅が一番いいなと思うのですが、これも、そんなに、いつもいつもできるわけではありません。

 とにかく、これからは、私たちキリスト者が、何にもまして、神さまの創造啓示に耳を傾けるべき時代です。これは必ず教会を活性化します。ただそのためには、聖書啓示と創造啓示を一体的に捉える方法を学び取ることが大切です。次回では、そういったことを取り上げたいと思います。
 
(注)「…福岡開拓伝道が1968年9月に始まったばかりの頃だと思うが、その頃、私は神戸改革派神学校の学生であった。岩崎洋司先生は、中会等で神戸に来られた時、神学校の寄宿舎に宿泊し、夜などふらりと神学生の部屋を訪ねてお茶を飲んで行かれることがよくあった。そのような時に、『キリストの愛が宇宙を支えている』というようなお話をうかがって、この先生は大きなヴィジョンを持っておられる方だな、と思った。それから約十年後に、この先生と一緒に九州伝道にたずさわることになった。熊本へ赴任後最初に先生をお訪ねした時、週報第一号をお見せした。まだ教会には裁断機がなかったので、大きなB4版の週報であった。先生曰く「大阿蘇のような週報だな」。この一言をなぜか家内も私もよく覚えている。この大阿蘇で、その年の夏、長丘・熊本合同の第一回九州修養会を持つことになった。その時「羊児」先生が詠まれた詩(うた)の中に次の一句がある。「祈り合う小さき群、われら今、ここに、山波は雲に連なる。わが父のみもと」。ここに、洋司先生の大きなヴィジョンは天地の造り主なる父の神の偉大さに由来するものであり、同時にそれは、キリストを通して「小さき」ものに注がれる愛と無関係ではないことが示されている。…」(宮崎弥男「教会設立のお祝いの言葉」 (1994年、日本キリスト改革派長丘教会発行『丘の上の羊たち―伝道開始25周年記念ー 』37-38頁)より)




「主の御言葉は正しく,御業はすべて真実。
 主は恵みの業と裁きを愛し、地は主の慈しみに満ちている
 御言葉によって天は造られ、主の口の息吹によって天の万象は造られた。
 主は大水の水をせき止め、深淵の水を倉に納められた」。
                   (詩編33編4~7節)

 ※次号の発行&ブログの更新は6月初め頃です。



【連絡先】

389-0115長野県北佐久郡軽井沢町追分36-23 宮﨑彌男・淳子
TelFax 0267-31-6303(携帯) 080-3608-3769
Eメールmmiyazk41@gmail.com
   ブログ「ICS軽井沢文庫」<ics41.blogspot.jp>