2021年2月17日水曜日

「ICS軽井沢文庫だより」第34号

~巻頭言~    「政治と伝道」 宮﨑彌男 

佐久会堂
 1月31日㈰の午後、佐久会堂で2021年度、(日本キリスト改革派)長野佐久伝道所の会員総会があり、私も現住陪餐会員なので、祈りを持って出席しました。今年の会員総会で重要な議案は、伝道所委員会より出された「2024年(伝道開始70周年)の教会設立を目指して具体的な計画を始めること」との提案でした。私は、この提案に賛成し、賛成意見を述べました。それは、次のような主旨のものです。
 「私は、伝道所委員会からの提案に賛成します。理由は、教会の頭である主イエスの御心であると信じるからです。私たちの『教会規定』によれば、「伝道所」の存在は認められているものの、それは、教会設立に至るまでの、言わば、一時的なものである。教会設立を目指して、会員一同努力することなく、いつまでも伝道所であることに安住するならば、それは、教会の頭である主イエスの御心であるとは言えない。余りに長期間、伝道所であり続けるならば、それは伝道上、決して望ましいことではない。そういう意味で、この度の伝道所委員会より提案に感謝し、賛成をしたい。
 ただ、教会設立には、伝道所からの働きかけと共に、「下からの」霊的な盛り上がり」が必要。それで、私は、教会設立をはっきりと3年後の目標として掲げるに当たり、私たち信徒にとっての課題として、次の三点を挙げたい。
 ①熱心な聖書の学び、②熱心な教理の学び、③熱心な伝道。この中でも、②の「熱心な教理の学び」は、とりわけ、教会設立に向かって準備を始めようとする今の私たちの伝道所にとって、生命的に重要である。①と③はそれにフォローするとも言える。
 長野会堂の一人の姉妹が、「ウ大教理を読み直している、毎週のハイデルベルク信仰問答も楽しみ、吉田隆先生の『ただ一つの慰め』も素晴らしい」と言っておられるのを聞き、大変励まされた。ある宗教改革者が(ルターと記憶しているのですが)、「聖書とは聖書の意味である」と言って、多くの教理問答を書いた。聖書の字面を辿るだけでは、なかなか聖書が人生の指針とならない。聖書から、今日を生きる私たちへの「メッセージ」を聞き取ることが大切。その集積が教会の信仰告白/教理問答なのである。熱心な教理の学びによって、聖書の読み方、学び方も、だんだんとわかってくる。
 それでは、どのように学ぶか、これまで、私ども各自、色々な形で行ってきた教理の学びに加えて、毎週の礼拝との関わりにおいても、教理の学びができれば、一歩前進ではないか。例えば、長野佐久伝道所で説教してくださる牧野牧師はじめ、(私自身も含めて) 引退教師の諸先生方にも、毎週、説教の他に、5分間の教理問答の解説をお願いできないだろうか。こういったことの積み重ねによって、信徒レベルでの教理の学びへの熱心が徐々に喚起され、実質的な意味での教会設立に向けての準備となるに違いない。」
 以上は、1月31日の会員総会における私の発言の主旨ですが、これは、巻頭言の前半に過ぎません。もう一点主張したいことがあるのです。それは、表題に掲げた「政治と伝道」の両方における「教会」の働きを主は求めておられるということです。
 日本キリスト改革派教会は、戦後すぐの、1946年4月29日に創立されました。その時の『日本基督改革派教会宣言』には、二本の柱から成る教会の形成に対する告白と献身が表明されています。この宣言によって、私たちは、戦後75年間、伝道と教会形成に励んできたのです。この二本の柱とは、①有神的人生観世界観の確立と、②信仰告白、教会政治、善き生活において一つである制度教会の設立です。
 ①については、次のように述べています。「今後より良き日本の建設の為に我等は誠心誠意歴史を支配し給ふ全能にして至善なる神の御心に適ふ者とならざる可からず。その誡命(いましめ)の如く神を敬ひ、隣人を愛し、単に精神文化的部面に於てのみならず、『食(くら)ふにも飲むにも、何事をなすにも凡て神の栄光を顕はす事』を以って至高の目的となさゞる可からず。此の有神的人生観乃至世界観こそ新日本建設の唯一の確なる基礎なりとは、日本基督改革派教会の主張の第一点にして、我等の熱心此処に在り」。
 さらに、②については、次のように述べています。「神のみ明かに知り給ふ所謂(いわゆる)『見えざる教会』は全世界に亘り、過去、現在、未来なる全歴史を通し、地上と天上とを貫きて聖なる唯一の公同教会として存在す。然れども、我等は地上に於て、見えざる教会の唯一性が、一つ信仰告白と、一つ教会政治と、一つ善き生活とを具備せる『一つなる見ゆる教会』として具現せらる可きを確信す。是(これ) 日本基督改革派教会の主張の第二点なり」。
 この第二点が今年私たちの伝道所が3年後の目標として掲げた「教会設立」と結び付いていることはおわかりと思います。「見えざる教会」を、教会役員(牧師、長老、 執事等)によって治められ奉仕される「見える教会」として形成するのが教会設立だからです。また教会役員を選ぶのは教会員ですから、教会設立に向けての聖書と教理の学び、さらには、伝道活動のための説教と教会教育も必要なわけです。
 しかし、これらのことが十分になされ、教会が設立されたとしても、それが「神の国」実現のための最終目標であるかと言えば、そうではありません。上に記したような『創立宣言』の第一点からすれば、私たちには、全生活領域で神の栄光を表すという目標が全生涯に亘ってあるはずです。ウ小教理問答がその第一問の答で、「人の主な目的は、神の栄光を表し、永遠に神を喜ぶことです」と言っている通りです(注1)
 このこととの関連で、私は、今日の日本にあって、キリスト教政党(「立憲平和党」?「平和党」?…)を立ち上げることの可能性/必要性を問うてきました(「ICS軽井沢文庫だより」24, 25, 26, 30号等、参照)。また、19世紀後半~20世紀前半、オランダで、カルヴァン主義信仰に立つ「反革命党」を立ち上げ、1901~1905年には首相をも務めたアブラハム・カイパーの「政治的霊性」に学ぶための読書会も始めています(「ICS軽井沢文庫だより」31号)。昨年10月には、新潟で第一回の「カイパー読書会」を行いましたが、今年3月からは、佐久でも開催の予定です。
 まだまだ端緒についたばかりですが、もし「教会」(有機体としての教会ー注2)が政党を立ち上げ、日本の政界にキリストの霊の風を吹き込むことができれば、日本の政治は変わるに違いありません。また、このことを通して、制度教会の伝道も、活性化されるに違いないと思っています。私たちの『創立宣言』においては、第一点(文化、芸術、政治、…)と第二点(宗教、礼拝、伝道、…)は、有機的(生命的)に結び合わされており、キリストの王国において一つ(エフェソ書1:10)だからです。 
 「世界の希望はカルヴィン主義の神にあり。神よ,願くば汝の栄光を仰がしめ給へ。我等与えられし一切を汝に捧ぐれば、汝のみを我等の神、我等の希望と仰がせ給へ。汝が既に我等の内に肇め給ひし大いなる御業(みわざ)を完遂せしめ給へ。アーメン」(1946年4月29日、『日本基督改革派教会創立宣言』締めくくりの祈り)。

(注1)アムステルダム自由大学開学講演(1881年)におけるアブラハム・カイパーの次の言葉も参照。人間生活のどこにおいても,万物の主権者であられるキリストが『私のものだ!』と言われないような領域は,1インチ平方たりとも存在しない」。
(注2)制度教会(例えば、日本キリスト改革派教会等の教派とそれに属する大中会や各個教会)とは区別された、神の国としての、広義での「教会」。クリスチャンホーム、キリスト教主義学校、キリスト教政党、等々。


【12月~1月の活動報告】

12月6日(日長野佐久教会(長野会堂)にて、礼拝説教奉仕。「主イエスの証人となる」(使徒言行録1:6~8)。クリスマスは神のおとずれの時(ルカ1:68)。私たちは,神の訪問を受けて、『神われらと共にいます』主の愛(マタイ2:23)を教えられ、隣人を訪問する。伝道とは,出て行くことである(使徒1:8)。(コロナ禍においては、難しいかも知れないが…)。

12月13日(日長野佐久教会(佐久会堂)にて、礼拝説教奉仕。「主イエスの証人となる」(使徒言行録1:6~8)。

12月20日(日長野佐久教会(長野会堂)にて、クリスマス礼拝を守る。説教者は、塩田隆良引退教師、「キリストの光は我らを照らす」(ルカ1:67~80)。コロナウィルス感染予防のため、午後のクリスマス祝会や夕方のクリスマス讃美礼拝もなかったが、礼拝後、教会からプレゼントが配られ、私からも、中根文江姉の「ほのぼの絵はがき」(中根汎信先生による解説付き)を出席者全員に、1セットずつプレゼントした。文江姉の絵はがきには、体の不自由な同姉の、主を信じる創造信仰と福音信仰とが見事に溶け合った、素朴な秀作が多い。

12月25日(金
神の御子は今宵しも
わが家のX'mas concertのあとで

契一・あかり夫妻も加わり、家族4人でクリスマスを祝う。(Christmas dinner with chicken and mush-potato and piano concert by Akari and Keiichi ).

12月26日(土来年の年賀状に次のように記す。「昨年は、新しい政権が誕生しましたが、冒頭、新首相は,日本学術会議の推薦候補者6名を任命拒否し、国会でも,遂にその理由を明らかにしませんでした。最大の問題点は,国会での答弁に学術/学問への敬意と謙虚さが感じられなかったことです。戦後75年、わが国はここまで来たかという思いです。私どもの敷地に立つ『ICS軽井沢文庫』には、『主を畏れることは知識の初め』(箴言1:7)との聖句が掲げられています。今年も,この御言葉に導かれつつ,歩みたいと思います」。

12月27日(日新潟伝道所にて、礼拝説教奉仕。主イエスの証人となる(使徒言行録1:6~8 )。午後,第3回「カイパー読書会」を行う予定であったが、新型コロナウィルス感染予防のため、資料の配布のみとし、読書会は中止となった。次回は、1月17日㈰の予定。 

1月3日(日長野佐久教会(長野会堂)にて、新年礼拝説教奉仕。「主イエスの昇天と再臨」(使徒言行録1:9~11)。キリストは昇天されるに当たり、弟子たちに対し「地の果てに至るまで、我が証人となる」と御言葉を賜った。この召しに応えて、弟子たちは、聖霊の力をいただいて、主の証人として全世界に遣わされた。その記録が使徒言行録である。もし、私たちも、見える形で昇天されたキリストを見上げるなら、①熱心な聖書の学びと、②熱心な教理の学び、③熱心な伝道精神へと導かれる。ここに、“下から盛り上がる”教会設立への道がある。このような私たちの伝道と教会形成への熱心を主は再臨時にねぎらい祝福して下さる。

1月10日(日長野佐久教会(佐久会堂)にて、礼拝説教奉仕。「主イエスの昇天と再臨」(使徒言行録1:9~11)。

1月17日(日新潟伝道所で礼拝説教奉仕の予定で、準備していたが、大雪とコロナ感染予防のため、残念ながら、新潟への出張を見合わさざるを得なくなる。新潟伝道所の礼拝は、オンライン中継で、母教会の坂戸教会の礼拝と結んで守られた。午後開催予定であった「カイパー読書会」も休会。

1月24日(日長野佐久教会(長野会堂)にて、主日礼拝を守る。説教者は、牧野信成牧師、「教会は死んでいるか」(ヨハネの黙示録3:1~6)。

1月31日(日長野佐久教会(長野会堂)にて、主日礼拝を守る。説教者は、長田秀夫引退教師、「神の国と神の義」(マタイによる福音書6:25~34)。礼拝後、佐久会堂に移動し、今年度の長野佐久伝道所定期会員総会に出席(午後1時半~4時)。伝道所委員会より「2024年(伝道開始70周年)の教会設立を目指して具体的な計画を始めること」との提案があり、私は賛成意見を述べた。提案は、満場一致で可決された。この件については、「巻頭言」
をご参照下さい。



※ L. プラームスマ著『キリストを王とせよ―アブラハム・カイパーとその時代―』         ( 宮﨑彌男・宮﨑契一訳)は、今月は、休ませていただきます。


※ 「ICS軽井沢文庫だより」第33号(2020年12月25日)「伝道は出て行くこと」をお読みくださる方は、ラベル「ICS軽井沢文庫だより 第33号」をクリックし、タイトルの下の「続きを読む」をクリックしてください。なぜか、本文の表示部分が隠れてしまっていますので、…。



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【ICS軽井沢文庫】

「ICS軽井沢文庫」は、日本におけるキリスト教有神的世界観人生観の研鑽と普及のために、2016年6月14日に、軽井沢町追分36-23に設置された文庫です。“ICSInstitute for Christian Studies)は、この文庫が、日本における (改革主義)キリスト教学術研修所(大学院)の設置を目指していることを告白するものです。また、最近は、日本におけるキリスト教政党立ち上げのヴィジョンも与えられつつあります。文庫設置の経緯については、「ICS軽井沢文庫だより」第1号(2016.6.14)をごらん下さい(ラベル「ICS軽井沢文庫だより」第1号をクリック)。シャーローム。



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