2018年9月1日土曜日

「ICS軽井沢文庫だより」第18号

「“徴税人”の平和―今年の8・15―」

宮﨑彌男


「…徴税人(ちょうぜいにん)は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人(つみびと)のわたしを憐れんでください。言っておくが、義(ぎ)とされて家に帰ったのは、この人…」(ルカによる福音書 18:13,14)。

 今年の8月15日(73回目の敗戦記念日)、皆様方は、どのように、平和への誓いを新たにされたでしょうか。わたしは、日本同盟基督教団東御キリスト教会で行われた「東信平和祈祷会」に出席し、集まった近隣諸教会の方々と、祈りを共にしました。祈りに先だっ
て、長野佐久伝道所の牧野信成牧師が説教されました。今年の「8・15」にふさわしい平和のメッセージを聖書から取り次いでくださいましたので、この「たより」の読者にもお分かちしたいと思い、全文、ラベル「2018年 8・15 平和祈祷会説教」に掲載させていただきました。ぜひお読みください。
 私が特に教えられたこと。

平和のメッセージ?!
1)神がキリストにあってお与えくださる「平和」こそが、すべての平和の原点であること。

「このイエスの譬えは、人間による人間の評価ではなく、神がどのような評価を人間に与えるかを教えています。この譬えの驚きは、徴税人がファリサイ派に勝るとして、社会通念を転覆させたところにあります。ファリサイ派に対する「当てつけ」ですけれども、そこにこそ人が気づかなければならない事があるわけです。徴税人は、もちろん常日頃の振る舞いが評価されたわけではありません。彼は自他共に認める通りの罪人です。けれども、彼は正しく自分を知っています。自分のありのままを見つめて、自分は救い難い罪人だということに心を痛めています。この徴税人のへりくだる様子が丁寧に描かれているのは、それを私たちがじっくりとなぞるようにして心に留めるために違いありません。彼は「遠くに立って、目を天にあげようともせず、胸を打ちながら」こう言いました。「神様、罪人のわたしを憐れんでください」。自分が救い難い罪人であると知っているとは、こういうことだと描いて見せています。「僕は罪人、あなたも罪人、人間は皆罪人」という罪についての表面的な知識ではないわけです。そこには自分が罪人であることの恥と痛みと恐れが息づいていて、それでも神に向かわざるを得ないから、「憐れんでください」との最小限の言葉が絞り出されます」

 ここに言われています「徴税人」(注1)の平和は、私たちが誰であっても、神からいただくことのできる「神からの平和」です。神は「罪人」に対する「憐れみ」の御心ゆえに、信じる者すべてにお与えくださるのです(ローマ3:21)。神からいただく平和、これこそがすべての「平和」の原点です。人間の罪が引き起こすあらゆる悲惨(戦争、飢餓、病苦、自然災害、虐待等々)の中でも、揺るぐことのないものです。神の与える平和だからです。
 
 もう一つ、この直後の聖書の箇所に出てくる「子供たち」への祝福と平和が語られます。「子供たち」について、牧野先生は、「子どもは案外エゴイストですけれども、イエスに触っていただくことを特別に嫌がる理由も持ちません。親に連れてこられるがまま、イエスを通して神に祝福されるがままです。うぬぼれるでもなく、他人を見下すでもなく、神に受け入れていただくままに、自分を明け渡す人が、神の国の住人です」と言っておられます。ここで子供たちがイエスから受けた祝福と平和も、「徴税人」の場合と同じ、神から与えられた平和です。これこそがすべての「平和をつくり出す」(マタイ5:9) 原点です。 

ヨハネ、ペトロ、ヤコブ
by M.Cupido

2)それでは、今の政治の現実の中で、私たちはどのように「平和をつくり出す」ことができるのか。 

「…政治はいつも現実的な方向へ流れていきます。けれども、神が御言葉を通して私たちに新しい命をくださったことが真実であり、キリストが世の終わりまで歴史を導いて行かれることが本当であるならば、私たちは「現実的」という言葉に惑わされないで、キリストが実現する平和のために働くより他はありません歴史家たちが、キリスト教会は必ずしも戦争に反対してこなかった、と書物に記します。それは事実だとしても、それはキリストが戦争に反対しなかったこととは違います。すでに軍隊が力をもってしまってい国々にあって、現実的なこととして戦争を論じざるを得なかった。そして、教会も戦争に加担してきた。だから、我々もそうするということにはなりません。なぜなら、私たちは歴史に従うのではなく、歴史に学びながら聖書に従うからです。聖書から語りかける、生けるキリストに従うのが教会だからです」。

確かに、先の戦争の最中、日本のキリスト教会は「必ずしも戦争に反対してこなかった」という「歴史の現実」があります(注2)。しかし、それは、「事実だとしても、それはキリストが戦争に反対しなかったこととは違います」。私たちは歴史に従うのではなく、歴史に学びながら聖書に従うものなのです。
 いかにキリストの教会と言えども、歴史の流れを変えることは容易なことではありません。しかし、それでも、キリストの御言葉を,平和の福音として宣べ伝えることは教会に託された使命なのです。

 わたしは、この平和祈祷会に先立つ8月6日に東京恩寵教会で行われた「思想とキリスト教研究会」主催の講演会に出席する機会を得ました。牧師で大学の先生でもあられる黒川知文氏が「戦争の時代における無教会運動―塚本虎二・金沢常雄・矢内原忠雄・石原兵衛―」と題して、講演をされました。この講演のテーマ(問題提起)は「アジア・太平洋戦争の中で無教会運動はどのように対応したのか」というもので、そのために講師は、戦時中に出された無教会(注3)伝道者の信仰雑誌(1931-1945)を同時代史料として調べ、B4・12頁から成る資料にまとめてくださいました。
 無教会の伝道者は、戦時下、どのように平和の福音を説き、また実践したのか。私ども、今日の時代に生きるキリスト者としても、興味ある主題です。例えば、矢内原忠雄は、1937年7月の盧溝橋事件によって始まった日中戦争の最中、東京帝国大学で植民政策等を教えていましたが、『中央公論』に発表した「国家の理想」が政治当局によって問題とされ、退職を余儀なくされます(いわゆる「矢内原事件」)。退職した矢内原は、敗戦までの8年間職を失いましたが、信仰雑誌『嘉信』を発行して福音を説き、土曜学校を開いて、聖書と学問を教え、戦時中もキリスト教伝道者として活動しました。
 矢内原は、戦争が開始されるまでは、「絶対的非戦論」を展開しましたが、1941年に太平洋戦争が起きた後は、反戦の旗を振るよりも、むしろ、十字架の旗をもって「戦う者双方のあいだ」に立ち、キリストによる平和を説き教えることに専心したようです。黒川教授は、矢内原忠雄の生き方から学ぶべきこととして、第一に、平和時においては、徹底して戦争に反対すること、そして、第二に、戦争が起きた場合には、さらに積極的に福音宣教に従事すること、を上げておられます(注4)ここに、教会として「歴史に学ぶ」道があるのかも知れません。
 いずれにせよ、私たちは、神が、へりくだる徴税人”と“神の国の子供たち”にお与えくださった大いなる平和を喜び噛みしめ、「時がよくても悪くても、御言葉を宣べ伝える」(Ⅱテモテ4:1,2)ことに励みたい。

(注1)「徴税人(ちょうぜいにん)」:当時、ユダヤは、ローマ帝国の支配下にありましたが、そのローマ政府から税金の取り立てを委託されたのが「徴税人」でした。割り当てられた額以上に取り立てて私腹を肥やす場合も多く、ユダヤ人から憎まれ、彼らは、教会や社会で、「罪人(つみびと)」と呼ばれ、蔑まれていましたが、イエスは彼らをも神の国の住民として受け入れられました。

(注2) 現に、私たちの教会は、「創立30周年記念宣言」(1976年)の序文において、「戦時下に私たち日本の教会は、…聖戦の名のもとに遂行された戦争の不当性とりわけ隣人諸国とその兄弟教会への不当な侵害に警告する見張りの勤めを果たし得ず、かえって戦争に協力する罪を犯しました」と告白しています(『宣言集』26頁)。 

(注3)「無教会」…内村鑑三(1861-1930)によって創始され、日本の教会に大きな影響を与えた、聖書主義・福音主義のグループ。西欧のキリスト教が教会の制度面(職制、礼典、組織等)を重んじる余り、教会に固有の霊性が阻害されることを批判、日本の土壌に合った「無教会主義」を主張した。内村以後、藤井武、塚本虎二、矢内原忠雄、南原繁、政池仁、関根正雄、高橋三郎等によって受け継がれた。

(注4) 黒川知文「矢内原忠雄と戦争」(『幸いな人』2018年8月号、pp.10-11)による。



【8月の活動報告】


8月5日(日) 佐々木弘幸引退牧師ご夫妻来訪。大学で森林学専攻後牧師となられた自然愛好派。「ICS軽井沢文庫だより」第12号掲載の拙訳詩「木」(F・W・タミンガ作)を介して意気投合、楽しい語らいの3時間であった。 
8月6日(月) 思想とキリスト教研究会、於・東京恩寵教会。講師:黒川知文教授(中央学院大学教養学部)「戦争の時代における無教会運動―塚本虎二・金沢常雄・矢内原忠雄・石原兵衛―」。猛暑、汗だくだく。
8月12日(日) 長野佐久教会(佐久会堂)にて説教奉仕(ヘブライ11:17~19)。鵜殿博喜兄(元明治学院大学長)・慶子姉ご出席。慶子姉が難病治療中にもかかわらず、お元気で主の恵みの証をしてくださったので、一同大感激。
8月15日(水)  8・15 平和祈祷会。於・日本同盟基督教団東御キリスト教会。牧野信成牧師説教(「神の国の子供たち」ルカ18:9-17)。
樋口兄
新潟/新会堂建設現場
8月19日(日) 新潟伝道所にて説教奉仕(ヘブライ11:29-31)。4/29以来の新潟出張奉仕。会堂建設用地も案内して貰った。現在、基礎工事中。新潟では、長谷川はるひ神学生が夏期伝道中であったが、この日は、坂戸教会での奉仕ということで、お会いできなかった。同姉は、以前『キリスト者の世界観』(初版)を読んで、大いに益を受けたということで、今回、新版も注文してくださった。この本の愛読者は世代を超えている。
8月21日(火) ロゴス会(キリスト教世界観のための親交会)代表、山川暁兄が来訪。会誌は発行しているものの、集まることが少なくなっている現状を憂い、会の活性化のためにいろいろ話し合った。有意義な語らいの時。
なお、長野佐久伝道所の祈祷会(佐久:水曜朝、長野:木曜夜)では、牧野牧師の解説(説教)により、「ウォルタース『キリスト者の世界観』を学んできたが、「あとがき」部分(pp.177-211、物語と宣教を媒介する世界観)を残すのみとなっている。同師によるレジメ希望者は、宮崎まで。牧野先生の後任として最近赴任された弓矢健児先生の西神教会でも、祈祷会で同書を学ばれるとのこと、10冊注文をいただいた。感謝。

【ウエストミンスター大教理問答の研究】

 石丸新先生の「ウエストミンスター大教理問答におけるサタン」の打ち込み作業をほぼ終え、掲載の予定を立てていましたが、パソコンの不具合が生じ、残念ながら、見合わさざるを得なくなりました。今少しお待ちください。

【レスポンス/コメント、感謝!】

 前号は,創刊2周年ということで、励ましのお手紙やお葉書をいただき、「役立ててください」と,切手同封のものもあり、嬉しく励まされました。ありがとうございました。追々紹介もさせていただきます。


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