2020年3月31日火曜日

「ICS軽井沢文庫だより」第28号

~巻頭言~   「軽井沢:空と木と本」


宮﨑彌男

 

「雨も雪も、ひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ、種蒔く人には種を与え、食べる人には糧を与える。そのように、私の口から出る私の言葉も、むなしくは、私のもとに戻らない。それは私の望むことを成し遂げ、私が与えた使命を必ず果たす。
 あなたたちは喜び祝いながら出で立ち、平和のうちに導かれて行く。山と丘はあなたたちを迎え、歓声をあげて喜び歌い、野の木々も手をたたく。」  

(イザヤ書55:10~12)


(新型コロナウィルス蔓延の中で)
 

今年初めに、「新年の抱負」を物してから、三ヶ月がたちました。「今年は旅に出たい」との私の計画は、コロナウィルス日本上陸の波を受けて、今のところ、実現の兆しさえ見えていません。「1~3月の活動報告」を見ていただいてもおわかりのように、この3ヶ月間、遠出といえば、礼拝説教奉仕のため、新潟に三度伺っただけです。高崎で新幹線を乗り継いでゆくのですが、新幹線は窓が開かず、空気の入れ換えができないというので、マスクをつけっぱなし、これでは、もう一つ旅の開放感はありません。
 朝のラジオ「マイあさ」で、札幌の方が話しておられた、アイヌの伝統保存食(何というのかは、忘れましたが)が無性に味わいたくなって、3月になったら行ってみようかと思い立ちましたところ、この計画も、3月になってみると、北海道に緊急事態宣言が出て、夢物語となりました。
 そんなわけで、この3ヶ月間、私にとっての慰めは、ここ軽井沢の空と木と本だけでした。ほぼ毎日の散歩で、この三者を通して、確実に御言葉の恵みに与からせていただいていることは感謝です(上掲、イザヤ書55:10~12をお読みください)。
 について言えば、私は、今、母校の大先輩、矢内原忠雄の本を読み直しています。私は、前号で報告したように、昨年11月29日の「信州神学研究会」で「カルヴィニズムより見た日本の天皇制」と題する発題講演を行いました。天皇制の問題は、言うまでもなく1回の発題講演で終わるようなものではなく、今回の発題もごく序論的なものだったのですが、この発題を準備する中で、内村鑑三とその門下の矢内原忠雄や南原繁等無教会の伝道者・学者たちの天皇制理解に関心をそそられました。そうして、私の伝道者生涯の課題である“日本におけるキリスト教有神的世界観確立と改革派教会の形成”を推進する上で、無教会キリスト教と対話することの重要性を自覚するに至っています。改革派キリスト教と無教会キリスト教との対話(注1)です。そのような対話の共通項あるいは論点となり得る事柄として、(思いつくままですが)次のような諸点を挙げることができます。

(無教会主義と改革主義―対話の共通項/論点)
 
 ①神の共通(一般)恩恵への信仰に基づく歴史観および人物評価(注2)
 ②聖書を神の言葉と信じる“聖書(御言葉)信仰”。
 ③創造論を基軸とした救済論創造の回復としてのあがない(注3)
 ④日本史とその中における天皇(天皇制)の位置づけ。
 ➄無教会主義とは何か(注4)。A.カイパーにおける「有機体として教会と制度としての教会」との比較において。

(敗戦直後の矢内原講演「国家興亡の岐路」)
 
 上述の「信州神学研究会」で、私は参考資料として、矢内原忠雄が、敗戦直後の1946年2月11日に大阪中之島公会堂で行った「国家興亡の岐路」と題する講演録をコピーし配布しました。これは、戦後75年を経た今日に至るまで、何ら有効性を失わない、重要な講演と認識したからです。原本は、1947年4月5日発行の矢内原忠雄著『日本の傷を医す者』(白日書院刊)で、わが家の書棚に眠っていたものです。これからは、「ICS軽井沢文庫」の「矢内原コーナー」に納めます。
当日は、この赤茶けた小冊子より15部コピーしたのですが、コンビニのコピー機では、明るさの調節ができず、赤茶けた紙の色までが濃いグレーに写ってしまって、どうにも文字が読めません。それで、専門のコピー屋さんに行って、色々と調節してもらい、やっと15部刷り上がったのです。その時の喜びたるや、「ハレルヤ、主よ、感謝します!」以外ではありませんでした。それでも、この店の女主人さんは、コピー代は、1枚につき10円、(プラス)仕分け代500円しか取らなかったのです。今の時代に珍しい人情のコピー屋さんでした。
 そんなわけで、この講演録、コピーの増刷はできないことはないのですが、読みにくいので、次号から何回かに分けて、この「ICS軽井沢文庫だより」に入力し、若干の解説も加えてご紹介できれば、と考えています。ご期待下さい。しかし、待ち切れないという方には、すぐにでも買える「岩波新書クラシックス」版、矢内原忠雄著『日本精神と平和国家』と、その解説とも言うべき、赤江達也著『矢内原忠雄―戦争と知識人の使命―』(岩波新書、2017年刊)を読まれることをおすすめします。
 この矢内原講演の後、数ヶ月で、「終戦後既に九ヶ月、敗戦祖国の再建は種々なる構想と方途によりて計られつつあると雖も、聖書に『神家をたて給ふにあらずば、建つる者のの勤労は空しく、神城を守り給ふにあらずば、衛士(えじ)のさめ居るは徒労(むなしきこと)なり』と、あるは真(まことなり」という格調高い文章で始まる「日本基督改革派教会創立宣言」が内外に宣言されます。悔い改めとキリスト信仰によって国を建て直すという精神において、矢内原講演と改革派創立宣言は一つだと私は考えています。しかし、前者には、矢内原が内村鑑三や藤井武から受け継いだ預言者的な洞察と熱意があり、後者には、歴史的改革派信仰による教会形成への強い使命感がみなぎっていますので、両者を併せて読むと、私たち自身も、今の時代/社会への使命感に目覚めさせられます。

(注1)「対話」について、R.マウが、次のように述べていることに注意。「…そして、それは、洞察が両者において発展してゆく、本物の対話でなければなりません」(R.マウ著、稲垣久和・岩田三枝子訳『アブラハム・カイパー入門キリスト教世界観・人生観への手引き―』102頁)。なお、「日本基督改革派教会創立宣言」(1946年)も、真のキリスト教会の公同性について、次のように宣言している。「我が日本基督改革派教会は、毫も所謂分派的精神に由来するものに非らず…道に従って成る教会の公同性、一致性は我等の最も重んずる所、我等の教会観の真髄なり。…改革派教会は宗教改革の原則を首尾一貫して主張する真の福音主義(エヴァンゼリカル)たるのみならず、更に真正なる公同性(カトリック)と正統性(オーソドックス)をも保有するものにして、聖書的、使徒的教会の再現を標榜する教会なり
(注2)比較研究のための資料として、例えば、内村鑑三の『代表的日本人』、南原繁の『母』、矢内原忠雄の『余の尊敬する人物』、アブラハム・カイパー著『イスラム教について』等が挙げられる。なお、南原の『母』の背後にある有神的・共通(一般)恩恵的世界観については、村松晋の論文「南原繁の『日本的キリスト教』構想」(『内村鑑三研究
』第52号、2019年4月号、13-17頁を参照)。
(注3)木下裕也「内村鑑三の非戦論―二元論的思考克服の観点から―」(『旧日本基督教会試論―教会・文化・国家―』第6章、特に273~278頁)、A.ウォルタース著(宮﨑彌男訳)『キリスト者の世界観―創造の回復ー』等参照。ここからキリスト教思想・哲学の可能性が生まれる。文化論、学問論、芸術論等を含むキリスト教有神的哲学・神学については、カイパーおよびその流れを汲むキリスト教哲学者(ドーイウェールト、ヴォレンホーフェン、トロント学派等)に学びたい。
(注4)内村鑑三における無教会主義については、最近出た岩野祐介著『無教会としての教会―内村鑑三における「個人・信仰共同体・社会」』(東京・教文館、2013、特に第3章「内村における信仰共同体の問題」)等参照


 L・ プラームスマ著、宮﨑彌男訳

『キリストを王とせよ―アブラハム・カイパーとその時代―』 


―第27号より続くー(今号分は、前号で記しましたように、入力したものが、パソコンの操作ミスで、全部消えてしまいましたので、改めて入力し直したものです。ご苦労様


第1章 19世紀の精神


革命と軌を一つにして


ハ. 進化主義

  進化主義は、ダーウィン以前からありました。すでに、1796年に、ラプラスは、自著『世界体系解説』を出版しましたが、その中で、彼は、神の名に言及することなく、太陽系の存在を説明しようとしました。この本を読んだナポレオンが驚き、その理由を訊ねたところ、彼は、「閣下、そのような仮説を私は必要としないからです」答えた、とのこと。
 このように、ラプラスの意見では、神は、人が必要とするかしないかはともかく、仮説にしか過ぎないのです。時を経ず、チャールズ・ダーウィンも、このような考えを持つようになりました。彼が“ビーグル号”に乗って、有名な航海に出たとき、ダーウィンはまだ自分はクリスチャンだと考えていました。道徳的な問題については、聖書を引用していました。しかし、そのうちに、彼は、聖書の奇跡、とりわけ、創造に関わる奇跡をそのまま受け入れることができなくなります。彼が考えた不変の自然法則を知れば知るほど、そのような信仰を持ち続けることができなくなったのです。
 1859年に、ダーウィンは、『種の起源』という有名な本を出版しました。この中で、彼は三つのことを主張しました。彼は、まず、少なくとも生物界のある領域においては、より単純な有機体からより複雑な有機体への漸進的な進化が起きていることを主張しました。彼は、この進化は“自然淘汰”即ち、適者生存によるものだと説明しました。更に、彼は、人類の起源は動物界に見出されるべきとの考えも公にしました。
 漸進的な進化という考えは野火のように拡がりました。それは、生物学や他の自然科学一般においてのみならず、言語学、法律学、心理学、社会学、経済学を始め、神学の諸部門にまでも適用されることとなりました。
  
   イスラエルの歴史は、古代文書に見られる単純素朴な考えから預言者たちの高度
  な一神教に至るまで、ヘブライ的宗教意識の段階的進化として理解することが
  できる。神は、長い進化のプロセスとして人を創造されたように、ご自身を進
  展的に啓示してこられた。その行き着く先がキリストである。20世紀の初頭に
  は、諸宗教の歴史(比較宗教学)においても、同じような形の説明が広く受け
  入れられるようになった(注11)

 進化主義は19世紀の特徴的な思惟パターンの一つでありました。この19世紀は、徹底した資料の研究と、それに付随して、多くの伝統的な考えをお伽話や言い伝え、神話として退ける、洗練された歴史的方法を特徴とする時代でした。それは、また、白人種の伸展、中央アフリカの発見、原始人の言語と習俗の研究が始まった時代でもあり、産業が大きな発展を遂げ、将来の限りない繁栄を約束するかに見えた時代、これと言った世界戦争がなく、一定の平和を享受することのできた時代でもありました。 
 一言で言えば、19世紀は大いなる期待と楽観の時代でした。新時代・新人類の幕開けを告げるかのような時代でありました。この世紀の終わりには、大いなる哲学者ニーチェが、この時代の精神を侮蔑する一方で、大いなる期待感を持って、来たるべき微笑む獅子、超人(Ubermensch)について語るのです。
 カイパーは、色々の形で、進化主義と対決しました。1899年にカイパーの告げた「われわれの19世紀は進化論の催眠術にかかって幕を閉じることとなる」(注12は有名です。
 19世紀の重要な思想家と言えば、徹底した無神論者、ルードヴィッヒ・フォイエルバッハを挙げなければなりません。その著『キリスト教の本質』において、彼は、キリスト教をイリュージョン(幻覚)、神という観念を人間精神の投影と断じました。フォイエルバッハはニーチェに影響を与え、ニーチェは神の死を宣言、キリスト教に由来する一切の価値を廃棄しようとしました。フォイエルバッハは、また、共産主義の生みの親で、ソビエト共産党の公認神学者となった、マルクス、エンゲルスにも影響を与えました。
 19世紀のオランダにおける最も有名な無神論者は、ムルタツーリ(本名:E. Douwes Dekker)です。彼は、このペンネームで、“Ideas” と題する多くの書を公にしました。「夜明け」と称する自由思想家の団体において、彼は、「ムルタツーリ師」と呼ばれていました。この団体は、あらゆる形の宗教に狂信的に反対し、多くの労働者を教会から遠ざけることに成功しました。
 “agnosticism”(不可知論)という言葉は、この同じ時代に英国のT・H ハックスレーによって生み出されました。彼は、この語との関わりで、使徒言行録17:23に言及しています。ハックスレーは、霊であろうが、物質であろうが、その本質を人は捉え尽くすことができず、それゆえ、形而上学は不可能であり、生きてゆく上で人間の主としてなすべきことは、悲惨と無知の軽減に努めることだと確信していました。
 このような不可知論のフランス的な表現を、私たちは、形而上学を知識の領域から完全に閉め出そうとしたコント(1798-1857)の実証主義に見出すことができます。 コントによれば、私たちがおおよそ識別することのできるのは、私たちが経験する現象だけです。コントは、その最晩年、人類の英雄・偉人を崇める神なき宗教を創出しました。

(注11)J. Dillenberger and C. Welch, Protestant Christianity, Interpreted Through Its Development (1954), p. 205.
(注12)「進化」と題するカイパーの講演の冒頭の言葉。


【1~3月の活動報告】


1月1日(水)2020年初日の出を喜ぼうと、家内を誘い、見晴らしの良いところに出かけたが、雲に遮られ、見ることはできなかった。行く道で、「テレビで見ました」という人に出会ったが、そんなのならばいつでも見れると、心の中で蔑むことしきり。今年も、私たちはノア契約(創世記8:22)の主を信じて、一年を過ごしたい。11時より、佐久会堂の元旦礼拝に出席、挨拶を交わす。午後は、年賀状に目を通す。私どものは、やっと昨日出したので、届くのは、2,3日後のことか。

1月5日(日)長野佐久教会(長野会堂)にて、新年主日礼拝奉仕(ヘブライ13:7~17)「十字架の血によって」。新年早々から十字架の説教?! はい、新しい年、新しい思い、新しい力のすべては、主が十字架上で、私たちのために流してくださった「血」のゆえに始まるのです(ローマ5:8)。ハレルヤ!

 1月12日(日)長野佐久教会(佐久会堂)にて、礼拝説教奉仕(ヘブライ13:1~6)「すべての人結婚を重んずべし」。国民的課題となった少子化の問題について、責任の一端はキリスト教会がその子女(“契約”の子供たち)に対し情熱を持って結婚を勧めなくなったことにあります。昔は、世話好きのおじさんおばさんたちが、信徒の子ら同士が何とか結ばれるように走りまわったものです。あの熱心、あの情熱を取り戻すために、どうしたらよいのでしょうか。聖書は強調します。「すべての人結婚を重んずべし」と。

1月19日(日新潟伝道所にて、主日礼拝説教奉仕(ヘブライ人への手紙12:1~3)「十字架の主を見つめながら」。新潟伝道所は、新潟駅南口から、高架の線路沿いに東へ15分ばかり歩き、馬越の信号を渡った所にあります。昨年、新会堂が建ちました。今年は、新しく、若い伝道所委員も選ばれるとのこと。楽しみです。

1月26日(日長野佐久教会の定期会員総会が長野会堂で行われた。牧野牧師が1月15日に脳梗塞で急遽入院され、リハビリ等のため、なお入院中であるので、大工原信幸委員が議長を務められた。滞りなく、無事に会員総会を行うことができ、感謝であった。牧野先生には,婚約中の姉妹が岐阜から来られ、お世話等してくださっているので、感謝である。主の御癒しを祈りたい。

2月2日(日長野佐久教会(長野会堂)にて、礼拝説教奉仕(ヘブライ13:1~6)「教会生活の三要素」。特に,賛美の喜びを強調した。良い働きも献げ物も賛美の心から出てくると、すばらしい。

2月9日(日長野佐久教会(佐久会堂)にて、礼拝説教奉仕(ヘブライ13:1~6)「金銭に執着しない生き方―主はあなたを見捨てない―」。午後、男子会で、「信徒の手引き」を読む」。

2月22日(土牧野先生は、本日、午前中に退院、牧師館に戻られ、午後1時半より、井上有子姉と結婚誓約式を挙げられた。司式は濱民雄引退教師、立会は相場郁朗長老夫妻。私も列席して、お二人の結婚を祝福した。有子姉は、中部中会引退教師である井上二郎先生の長女で、私の大学の後輩でもあるが、これで、晴れて牧野夫人として牧師館に入居し、色々の形で教会にもご奉仕くださることとなる。主の導きを覚えて感謝する。

2月23日(日) 新潟伝道所にて、主日礼拝説教奉仕(ヘブライ人への手紙12:4~13)「主の鍛錬」。新型コロナウィルスの感染が広がる中、マスクを着用しての礼拝奉仕でしたが、説教台と会衆席が十分離れていたので、さすがに説教の時だけは、外して語りました。

3月1日(日長野佐久教会(長野会堂)にて、礼拝説教奉仕(ヘブライ13:15~17)「指導者たちに従いなさい」。

3月8日(日長野佐久教会(佐久会堂)にて、礼拝説教奉仕(ヘブライ13:7~8)「彼らの生涯の終わりを見て」。礼拝後、「世界祈祷日の集い」でジンバブエの教会のために祈る。

3月29日(日) 新潟伝道所にて、主日礼拝説教奉仕(ヘブライ人への手紙12:12~17)「聖なる生活を追い求めなさい」。きよい生活を求めることと、仲間を大切にする隣人愛の実践は一つのこと。



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「ICS軽井沢文庫」は、日本におけるキリスト教有神的世界観人生観の研鑽と普及のために、2016年6月14日に、軽井沢町追分36-23に設置された文庫です。“ICSInstitute for Christian Studies)は、この文庫が、日本における (改革主義)キリスト教学術研修所(大学院)の設置を目指していることを告白するものです。また、最近は、日本におけるキリスト教政党立ち上げのヴィジョンも与えられつつあります。文庫設置の経緯については、「ICS軽井沢文庫だより」第1号(2016.6.14)をごらん下さい(ラベル「ICS軽井沢文庫だより」第1号をクリック)。シャーローム。


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