”二刀流”の伝道者
宮﨑彌男
大谷翔平選手が米国メジャーリーグのエンゼルスでプレーすることになりました。果たして、彼の “二刀流” がメジャーリーグでも通用するのかどうか、注目されています。多くの “超高校級” と言われた野球選手(例えば、王貞治さん)は、高校時代は、投手としても打者としても活躍しましたが、プロ入り後は、打者一本に専念して、世界のホームラン王となりました。大谷選手のユニークな所は、少なくとも日ハムでプレーした最初の2年間は、打者としても投手としても、それなりの成績を上げ、“二刀流” はプロでも可能との期待を抱かせたことです。
さて、実は、私も “二刀流” なのです。牧師/伝道者として、50数年 “プレー” してきましたが、当初から “二刀流” の伝道を目指し、試みてきたことは確かです。今日は、年頭の「文庫だより」ですので、私の50余年の伝道者人生を振り返りつつ、ちょっとそんな話しをさせていただきます。
(日本キリスト改革派教会の「創立宣言」)
そもそも、私が17才の時に導かれて受洗した教会は、「日本キリスト改革派教会」というのですが、この教会は、1946年4月の創立以来、ずっと “二刀流” の伝道を戦後の日本において展開してきているのです。これは、この教会が創立時に公にした「日本基督改革派教会 宣言」において述べられている日本伝道論なのですが、心躍る文章ですので、その部分だけ、ここに引用/掲載させていいただきます。
「終戦後既に九ヶ月、敗戦祖国の再建は種々なる構想と方途によりて計られつつありと雖(いえど)も、聖書に『神家をたて給(たま)ふにあらずば、建つる者の勤労は空しく、神城を守り給ふにあらずば、衛士(えじ)のさめ居(お)るは徒労(むなしきこと)なり』と、あるは真(まこと)なり。宇宙と人類を主宰し給ふ全知全能至聖至愛の神を信ずるに非(あら)ざれば、一国と雖も善く建ち善く保たるる道理なし。…今後より良き日本の建設の為に我等は誠心誠意歴史を支配し給ふ全能にして至善なる神の御心に適(かな)ふ者とならざる可(べ)からず。その誡命(いましめ)の如(ごと)く神を敬ひ、隣人を愛し、単に精神文化的部面に於てのみならず、『食(くら)ふにも飲むにも、何事をなすにも凡(すべ)て神の栄光を顕(あら)はす事』を以つて至高の目的となさざる可(べ)からず。此(こ)の有神的人生観乃至(ないし)世界観こそ新日本建設の唯一の確(たしか)なる基礎なりとは、日本基督改革派教会の主張の第一点にして、我等(われら)の熱心此処(ここ)に在(あ)り。…神のみ明かに知り給(たも)ふ所謂(いわゆる)『見えざる教会』は全世界に亘(わた)り、過去、現在、未来なる全歴史を通じ地上と天上とを貫きて聖なる唯一の公同教会として存在す。然(しか)れども、我等は地上に於(おい)て、見えざる教会の唯一性が、一つ信仰告白と、一つ教会政治と、一つ善き生活とを具備せる『一つなる見ゆる教会』として具現せられる可(べ)きを確信す。是(これ)日本基督改革派教会の主張の第二点なり」(『日本キリスト改革派教会宣言集』より)。
( “二刀流” 日本伝道論)
ここに、 “二刀流” の日本伝道論が繰り広げられているのがおわかりでしょうか。その “一刀”は、日本における有神的(神が共におられる)人生観・世界観の確立と実践であり、もう“一刀”は、信仰告白・教会政治・善き生活において一つである制度教会の樹立です。
私は、神学校入学前の学生時代に、当時日本キリスト改革派東京教会牧師であられた矢内昭二先生より、このような日本伝道論を教えられ、以来、このヴィジョンに導かれて、50年有余、日本伝道に献身してきました。
1967~70年、神戸改革派神学校で、改革派神学による基礎的な伝道訓練を受けた後、1970年11月に教師受按、宝塚、国立(くにたち)、熊本、灘、つくばの諸教会/伝道所で、伝道/牧会に従事してきました。
その間、1972~75年、トロントのキリスト教学術研修所 (Institute for Christian Studies)に留学、改革主義キリスト教哲学/神学を学びました。この研修所については、前月号の「文庫だより」(NO.13)ですでに紹介しましたように、1880年にオランダ・アムステルダムで、アブラハム・カイパーによって創設された改革派総合大学、Free University と理念を同じくする研究/教育機関を北米大陸において設置したいとの一連の改革派信徒のヴィジョンにより、1967年に始められたばかりの研修所でした。私は、その第一回の卒業生だったのですが、1975年に、修士論文「禅仏教の基礎構造ー即非の論理ー」で、M.Phil.の証書を得て帰国、日本キリスト改革派教会の教師として、牧会/伝道の働きに復帰しました。このICSで、私は日本伝道の有神的ヴィジョンを深め広げることができたと感謝しています。
(現役牧師としての働きを振り返って)
このように、私は、2011年7月に定年引退するまで、トロントに留学した3年間を除く38年間、日本キリスト改革派教会の教師として伝道牧会の働きに従事したのですが、果たして “二刀流” の名にふさわしい伝道ができたのか、その切れ味はどんなものであったのか、正直言って、引退教師となった今、反省させられているところです。
右手に、「有神的人生観世界観の確立」という名刀を握り、左手には、もう一つの「信仰告白・教会政治・善き生活において一つである教会の樹立」という伝家の宝刀を、これぞと高く掲げて神の召命に応えようとしたのですが、現実には、バランスの良く取れた戦いができたかどうか、反省せざるを得ないのです。
具体的には、第二点の教会形成の使命が、プロテスタント宣教わずか150年の日本においては、多大のエネルギーを要するものであることがよくわかったということです。たとえば、教会規定に従って教会を建てるためには、長老(教会役員として、牧師と共に教会を治める職務をキリスト教会では「長老」と言っています)の選出が不可欠ですが (使徒言行録14:23等参照)、教会の歴史の浅い日本では、一人の長老を0から育成するには、10年かかると言われますように、様々な条件が整って、初めて教会設立に至るのです。牧師が、教会形成のため、説教・教育・牧会の務めを十分に果たそうとするならば、それで精一杯となり、創立宣言第一点の「有神的人生観世界観の確立」を目指す働きは、追々最小限のものとならざるを得なかったのです。
例えば、わたしは、上記ICS留学時、日本においても、キリスト教学術研修所を立ち上げたいとの願いを与えられていましたが、説教・教育・牧会の務めと並行して、このような研修所の設置に向けて活動することなど、結果論かも知れませんが、とてもできませんでした。ただ、そのような中で、熊本伝道所時代に、九州連合青年会を指導する中で、A.ウォルタースの名著『キリスト者の世界観―創造の回復―』を翻訳・出版できたことは感謝でした。この書物は好評で、第二刷まで売り切れ、現在第二版(増補改訂版)の出版を準備中です。この訳書を読んだ人の多くが、キリスト教信仰による人生観・世界観が飛躍的に広げられ深められた、と喜んでおられます。
(転機)
転機は、2012~14年、“第二次” 熊本伝道の時に訪れました。引退教師として軽井沢に住むようになってもう半年後のことでしたが、2012年4月、私と家内は古巣の熊本教会に戻って代理宣教教師を務めるようにとの招聘をいただいたのです。牧師の転任により「無牧」となるので、ぜひもう一度来て欲しいとのことでした。私どもはこれに応じることにしました。私の仕事は、後任の専任牧師が来られるまでの2~3年、定住の代理牧師となることでした。牧師館に住んで、説教・教育・伝道から会堂管理に至るまで、正規の牧師が行うほぼすべてのことを代理として行うのです。ただ、以前の現役時代と違うのは、大会・中会関連の一切の委員会活動などは除外されていたことでした。それで、私として有り難かったことは、牧師本来の働きとも言うべき、説教や牧会に専念できることでした。教会員も、ほとんどが昔なじみの、気心の知れた方たちでしたので、この2年3ヶ月に及んだ熊本での代理宣教教師としての働きは、思いの外、楽しく、充実したものとなりました。私は、説教、牧会に、これまで覚えたことのないような喜びを感じるようになりました。
(調和した “二刀流” )
そうすると、不思議なことに、私の心の中で、創立宣言の第一点と第二点、すなわち、有神的人生観世界観の確立・実践と教会形成は、一つの使命として自覚されるようになったのです。トロントICSで学んだキリスト教哲学/神学は、牧師としての私にとってなくてはならないものとして説教等に生かされるようになり、また、牧会伝道を通して教えられるすべてのことは、私の神学/哲学/世界観を深め、いっそう地に着いたものとするように思われました。私は、もはや、以前のように、第二点(教会形成)に力を入れると、第一点(有神的人生観世界観の確立/実践)がおろそかになると言ったような考え方をしなくなりました。むしろ、相互に強化し合うような関係にあるのではないかと思うようになっています。“二刀流” のたとえに戻るならば、私は “二刀流” をやめて、“一刀流” で行こうとしているのではありません。あくまでも “二刀流” なのですが、この二刀の間に調和があることに気付き始めているということなのです。
次号では、このような “二刀流”の伝道を、引退後の今、どのように行っているのか、また今後の目標と計画等について、お分かちしたいと願っています。
「主御自身が建ててくださるのでなければ、家を建てる人の労苦はむなしい。
主御自身が守ってくださるのでなければ、町を守る人が目覚めているのもむなし い」。 (詩編127編1,2節)
上記「“二刀流”の伝道者」でも触れたように、私は、1978~1996年、宣教教師として、また、2012~2014年、代理宣教教師として、都合20有余年、熊本市の教会で伝道/牧会しました。その熊本教会が今年40周年となるというので、昨年8月26~27日、「40年を振り返り、これからを考える」というテーマで「修養会」を行いました。「ICS軽井沢文庫だより」NO.11にその報告文を載せています。私は、この修養会に招かれて、「熊本伝道所の40年を振り返って」と題する講演をしました。この講演のレジメもこのブログに掲載することにしました。右の欄のラベル表より「熊本伝道所の40年を振り返って」をクリックして、ご覧ください。
希望者に次の書物をプレゼントします。
「ICS軽井沢文庫」を開き、ラベル「ICS軽井沢文庫だより」第14号を選択します。次にパソコン右上のオプション設定のマーク(縦3つ)をクリック、印刷を選択する。左欄のオプションを両面印刷にし、詳細設定の中の倍率を150、背景のグラフィックもオンにしてください。印刷ボタンを押すと OKです。同様に、他のすべてのラベルも、選択して、印刷することができます。
【連絡先】
( “二刀流” 日本伝道論)
ここに、 “二刀流” の日本伝道論が繰り広げられているのがおわかりでしょうか。その “一刀”は、日本における有神的(神が共におられる)人生観・世界観の確立と実践であり、もう“一刀”は、信仰告白・教会政治・善き生活において一つである制度教会の樹立です。
私は、神学校入学前の学生時代に、当時日本キリスト改革派東京教会牧師であられた矢内昭二先生より、このような日本伝道論を教えられ、以来、このヴィジョンに導かれて、50年有余、日本伝道に献身してきました。
1967~70年、神戸改革派神学校で、改革派神学による基礎的な伝道訓練を受けた後、1970年11月に教師受按、宝塚、国立(くにたち)、熊本、灘、つくばの諸教会/伝道所で、伝道/牧会に従事してきました。
トロントのICS |
(現役牧師としての働きを振り返って)
このように、私は、2011年7月に定年引退するまで、トロントに留学した3年間を除く38年間、日本キリスト改革派教会の教師として伝道牧会の働きに従事したのですが、果たして “二刀流” の名にふさわしい伝道ができたのか、その切れ味はどんなものであったのか、正直言って、引退教師となった今、反省させられているところです。
右手に、「有神的人生観世界観の確立」という名刀を握り、左手には、もう一つの「信仰告白・教会政治・善き生活において一つである教会の樹立」という伝家の宝刀を、これぞと高く掲げて神の召命に応えようとしたのですが、現実には、バランスの良く取れた戦いができたかどうか、反省せざるを得ないのです。
具体的には、第二点の教会形成の使命が、プロテスタント宣教わずか150年の日本においては、多大のエネルギーを要するものであることがよくわかったということです。たとえば、教会規定に従って教会を建てるためには、長老(教会役員として、牧師と共に教会を治める職務をキリスト教会では「長老」と言っています)の選出が不可欠ですが (使徒言行録14:23等参照)、教会の歴史の浅い日本では、一人の長老を0から育成するには、10年かかると言われますように、様々な条件が整って、初めて教会設立に至るのです。牧師が、教会形成のため、説教・教育・牧会の務めを十分に果たそうとするならば、それで精一杯となり、創立宣言第一点の「有神的人生観世界観の確立」を目指す働きは、追々最小限のものとならざるを得なかったのです。
例えば、わたしは、上記ICS留学時、日本においても、キリスト教学術研修所を立ち上げたいとの願いを与えられていましたが、説教・教育・牧会の務めと並行して、このような研修所の設置に向けて活動することなど、結果論かも知れませんが、とてもできませんでした。ただ、そのような中で、熊本伝道所時代に、九州連合青年会を指導する中で、A.ウォルタースの名著『キリスト者の世界観―創造の回復―』を翻訳・出版できたことは感謝でした。この書物は好評で、第二刷まで売り切れ、現在第二版(増補改訂版)の出版を準備中です。この訳書を読んだ人の多くが、キリスト教信仰による人生観・世界観が飛躍的に広げられ深められた、と喜んでおられます。
(転機)
改革派熊本教会 |
(調和した “二刀流” )
そうすると、不思議なことに、私の心の中で、創立宣言の第一点と第二点、すなわち、有神的人生観世界観の確立・実践と教会形成は、一つの使命として自覚されるようになったのです。トロントICSで学んだキリスト教哲学/神学は、牧師としての私にとってなくてはならないものとして説教等に生かされるようになり、また、牧会伝道を通して教えられるすべてのことは、私の神学/哲学/世界観を深め、いっそう地に着いたものとするように思われました。私は、もはや、以前のように、第二点(教会形成)に力を入れると、第一点(有神的人生観世界観の確立/実践)がおろそかになると言ったような考え方をしなくなりました。むしろ、相互に強化し合うような関係にあるのではないかと思うようになっています。“二刀流” のたとえに戻るならば、私は “二刀流” をやめて、“一刀流” で行こうとしているのではありません。あくまでも “二刀流” なのですが、この二刀の間に調和があることに気付き始めているということなのです。
次号では、このような “二刀流”の伝道を、引退後の今、どのように行っているのか、また今後の目標と計画等について、お分かちしたいと願っています。
「主御自身が建ててくださるのでなければ、家を建てる人の労苦はむなしい。
主御自身が守ってくださるのでなければ、町を守る人が目覚めているのもむなし い」。 (詩編127編1,2節)
【 石丸新先生にょる「ウ大教理問答における『神を見る』」を読んで 】
先月号に、石丸新先生の研究メモ「ウエストミンスター大教理問答における『神を見る』の入力が終わった旨記しましたが、改めて読んでみまして、やっぱり素晴らしいです。「神を見る」と言えば、神秘主義者にでもならなければ、自分などとても無理と思われるかも知れません。けれども、聖書やウ大教理等を引きながら、この研究メモを読むと、自然にフォローできて、神を「見上げる」ようになります。ただ、石丸先生によれば、86問の答は委員会訳の「神のみ顔を仰ぎ…」よりも、新しい宮﨑訳の「神のみ顔を見て…」の方がよいとのことです。私たちは、地上にある限りは、神を見上げるのですが、「死の直後に至高の天に受け入れられた者は、そこで神を見る。…垂直ではなく、水平に」と書いておられます。神に関わることについて必要以上の敬意表現は、却って真の神との交わりから自分たちを遠ざけることになるのかも知れません。右の欄のラベル「ウエストミンスター大教理問答における『神を見る』」をクリック、できれば、プリントアウトしてお読みください。
【熊本教会修養会講演レジメ】
上記「“二刀流”の伝道者」でも触れたように、私は、1978~1996年、宣教教師として、また、2012~2014年、代理宣教教師として、都合20有余年、熊本市の教会で伝道/牧会しました。その熊本教会が今年40周年となるというので、昨年8月26~27日、「40年を振り返り、これからを考える」というテーマで「修養会」を行いました。「ICS軽井沢文庫だより」NO.11にその報告文を載せています。私は、この修養会に招かれて、「熊本伝道所の40年を振り返って」と題する講演をしました。この講演のレジメもこのブログに掲載することにしました。右の欄のラベル表より「熊本伝道所の40年を振り返って」をクリックして、ご覧ください。
【本のプレゼント】
希望者に次の書物をプレゼントします。
松田輝一先生とやゑ夫人の記念文集です。松田輝一先生(1905~1998)は、神戸長田教会、恵泉教会で長く牧師として奉仕されたほか、長田幼稚園の園長として、やゑ夫人と共に幼児教育にも献身された方です。わたしは、青年時代に米国で先生とお会いしてより、先生が92才で召されるまで、親しい交わりをいただきました。先生は、生涯、どんな若者にも負けない求道心旺盛な牧者/伝道者/教育者でした。私が伝道者となるためにご指導いただいた数少ない恩師の一人です。やゑ夫人(1910~1998)も、私の熊本時代、何度も達筆のお手紙で励ましてくださいました。
②『心やすし、神によりて安し』―粂野栄子 信仰の旅路 白寿まで―
②『心やすし、神によりて安し』―粂野栄子 信仰の旅路 白寿まで―
粂野栄子姉(1910~2009)は、上記やゑ姉の双子の姉妹で、私も青年時代同じ教会で何かとお世話になりました。やゑ姉と同じように、字も達筆でしたが、加えて絵もお上手でしたので、色紙に日本画と聖句を書いては、プレゼントしてくださいました。しかし、何よりも、生き生きとした信仰の持ち主で、そのことがこの記念文集を本当に読み甲斐のある本にしています。
ご希望の方には、着払いで送(贈)りますので、ご連絡ください。両方でも もちろん良いですし、一冊のみご希望の場合は、どちらをご希望かお知らせください。なお、この度のご提供は、記念文集の編集者である、先生のご長男、松田高志氏(神戸女学院大学名誉教授)のご好意によるものです。
ご希望の方には、着払いで送(贈)りますので、ご連絡ください。両方でも もちろん良いですし、一冊のみご希望の場合は、どちらをご希望かお知らせください。なお、この度のご提供は、記念文集の編集者である、先生のご長男、松田高志氏(神戸女学院大学名誉教授)のご好意によるものです。
【「ICS軽井沢文庫だより」の印刷のために】
「ICS軽井沢文庫」を開き、ラベル「ICS軽井沢文庫だより」第14号を選択します。次にパソコン右上のオプション設定のマーク(縦3つ)をクリック、印刷を選択する。左欄のオプションを両面印刷にし、詳細設定の中の倍率を150、背景のグラフィックもオンにしてください。印刷ボタンを押すと OKです。同様に、他のすべてのラベルも、選択して、印刷することができます。