~巻頭言~ ポスト安倍時代に必要な
政治的霊性
宮﨑彌男
「私は福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる
者すべてに救いをもたらす神の力だからです」(ローマの信徒への手紙1:16)
8月28日、最長在任期間を誇った安倍晋三首相が、病気が理由とは言え、辞任を表明しました。私としては、「戦後レジームからの脱却」を唱え、軍備拡大と経済第一の「富国強兵」を旨とした同首相の政策を支持できず、早期退陣を願っていただけに、内心は、良かったとの思いを禁じ得ません。しかし、彼の残した負の遺産は甚大で、しばらくは、ゼロに戻す戦いが続きますが、一方では、いよいよ、キリスト教政党を祈り求める私たちの出番だとの刺激を受けたことも確かです。
キリスト教政党については、「夢か、信仰的ヴィジョンか」と題して、前号にも書いたところです。「『ヴィジョン』とは、『見ること』ですから、ある程度の具体性がないと、『ヴィジョン』とは言えません。私どもの場合、残念ながら、まだ十分の具体性を持つに至っていないので、『ヴィジョン』と言い切るには、少しおこがましい感じがします」と、前号では、書かざるを得なかったのですが、いつまでも、これではいけないと思い、先ずは、第一歩として、アブラハム・カイパーが1879年に設立した、オランダの「反革命党」"Anti-Revolutionary Party"について少し調べてみることにしました。と言っても、残念ながら、私はオランダ語が読めないので、本格的な研究は、他の有能な若い方に譲らざるを得ないのですが…。
「政治的霊性の実践」 |
ここでは、教えられたこと三つを書きとめておきます。
1) いつの時代においても、政治と政治家に求められるのは、神の主権性の告白とその定めへの服従である。
反革命党は、1879年の第一回党大会で21項より成る「綱領」を採択しました。その第3項に曰く、「政治の領域においても、我が党は、神の言葉の永遠の原理を告白する。しかし、国家の権威は、直接的にではなく、教会のいかなる信条によってでもなく、政治に携わる者の良心においてのみ神の言葉ordinancesに束縛される」。このような、聖書と被造世界において啓示されている神の言葉の規範性を認める基本原理に立って、反革命党の「綱領」は、さらに、
① 国家主権の究極的源泉は神にある。
② 宗教改革的信仰を今日の時代において展開する(Cf.カルヴァン『キリスト教綱要』Ⅱにおける十戒の講解等)。
③ 教会と国家の完全な分離。
④ キリスト教的な社会改革を議会を通して、民主主義的手段によって押し進める、
等々を掲げています。」
いつの時代においてもそうですが、とりわけ昨今のわが国の政治と政治家に決定的に欠如しているのは、真の主権者である神とその定めに従おうとする、公正と正義と愛への感受性ではないか(マタイ5:6&「ICS軽井沢文庫だより」26号所収「『政』とは何か」参照)。このように言えば、「公共の場でそのような宗教言語で語っても説得力があるはずはない。それは、あなた自身の価値観から言っていることで、国民すべてに共有できるはずがない」等という反論が出てくるのは目に見えています。それでは、政治の世界では、宗教的/信条的な言語は御法度なのでしょうか。もし、近代政治社会における多元主義 (pluralism)を否定するのであれば、このような反論は成り立つのかも知れません。神の主権性を告白し、正義と公正と愛を主張することは公共の場では許されないのかも知れません。しかし、宗教や思想の多様性を認め、多元主義に立つことは、近代政治の知恵とも言うべきことです。良心に恥じる所のないカルヴィニスト、A・カイパーはこのような政治的多元主義の立場に立って,終生、キリスト教民主主義原理に基づく政治を行ったのです。
2) キリスト教民主主義原理に基づく政治的多元主義の今日的有効性
しかしながら、以上のように、神の主権性の告白や神の定めへの服従を党の政治的綱領の中で主張することが全く合法的で、当然のことであったとしても、カイパーや反革命党がこの点において、批判にさらされることがなかったとは言えないようです。ラングレーによれば、カイパーが1901年に反革命党の党首として、カトリックの政党と連立を組み、首相の座に着いたとき(注2)、議会での第一声は、彼の民主主義的多元主義と、キリスト教民主主義の原理に基づく社会改革の正統性を再確認する演説であったそうです。「彼は、神政政治的な手法で非キリスト教徒を抑圧するのではないか、との表に出ない恐れに対して、賢く語りました。中世から引き継がれた、そのような神政政治への不安は、福音主義キリスト者が政治の中枢的位置に座るとき、決まって表に出てくるものでした。最近の米国でも、1976年の大統領選挙におけるジミー・カーターの例を思い起こすべきです。彼も、カイパーと同様、多元主義と民主主義的改革の立場を鮮明にしなければならなかったのです」(p. 78)。
3) カイパーのヴィジョンのほとんどは、ギョーム(ウィレム)・フルン・ファン・プリンステラ(1801-1876)から彼が受けたものである。
カイパーを抜きにして、反革命党の誕生とその後の歴史を語ることはできません。これは確かなことです。しかし、同時に、この反革命党の主張と実践が、カイパーにオリジナルなものではなかったことも確かです。カイパーは、この運動の中心的理念を彼の畏友とも言うべきフルン・ファン・プリンステラ(1801-1876)から受けたのです。
G.ファン・プリンステラ |
以上、M. R. ラングレー著『政治的霊性の実践ーアブラハム・カイパーの政治家人生のエピソード、1879年~1918年』を読んだ読後感を記しましたが、私の心の中にある願いは、これをこのままにしておくのではなく、数名の兄弟姉妹たちと読書会を開いて、今日の日本におけるキリスト教政党の可能性を探って行きたいということです(ルカ11:9~10)。それで、次のような条件で参加者を募ります。
1) 本代(コピー代)として、3000円。アマゾンの古書で、2000円~4000円(5冊ばかり、注文できるようですが、コピーすることもできます)。英語やオランダ語が読めなくても、結構です。
2) 共通の前知識のため、「ICS軽井沢文庫だより」1~31号の巻頭言をざっと読んでおいてください。読み易いように、プリントアウトしたものを綴じて、小冊子にすることも考えています。
3) 読書会の日時と場所は、参加者にとって、もっとも集まりやすい日時と場所において行うこととします。
4) この読書会は、(日本における有神的世界観人生観の研鑽と普及のため)に建てられた「ICS軽井沢文庫」の主催とします。
以上です。関心のある方はご一報ください。あるいは、ご意見をお聞かせください。
(注1)ラングレーによれば、「政治的霊性」(political spirituality )とは、「公共的な事項において、罪と恵みが指し示す方向性をわきまえる能力」のこと。これは、「戦術」(tactics)とは違う。「戦術」は、時代と状況によって変わるが、「政治的霊性」は、すべてを神の栄光のためになすべし、とする神よりの召しとして、いつの時代においても、どのような状況下においても変わることはない(『同書』 p. 3)。
(注2)当時のオランダ議会(第二院)の勢力図は、全100議席のうち、反革命党24議席、カトリック政党25議席、その他9議席より成る与党58議席に対して、自由民主同盟9議席、自由同盟18議席、その他15議席より成る野党42議席だった。カイパーは与党の代表として、1901年~1905年、首相を務めた。
水野源三「十字架を仰いだならば」(改訂版)
第30号の記事中、<(注1)水野源三さんについて>を次のように、ご訂正ください。訂正事項は、水野源三さんの詩を英訳されるなど、彼の詩に深い関心を持って、関わってこられた長田秀夫先生(元・日本キリスト改革派長野伝道所牧師)のご指摘によるものです。
水野源三の詩碑 「今日一日も」 |
(注2)このCD、今はなかなか手に入らないのですが、私は、長野佐久教会の姉妹から借りて聞くことができました。
L. プラームスマ著
『キリストを王とせよ―アブラハム・カイパーとその時代―』
宮﨑彌男・宮﨑契一訳
ー第30号より続くー
(訳者について:今回より宮﨑契一兄が翻訳を手伝ってくださっています。同兄の作成した下訳を、宮﨑彌男がチェックし、最終的に、意訳も含めて、読みやすい形に仕上げました。引き続き、ご愛読ください)
第2章 試行錯誤:時代の神学
シュライエルマハーとその学派
シュライエルマハー(Schleiermacher)は彼の生きた時代の子であり、ある程度までは、その時代を代表する神学者でした。すでに私は、ロマン主義運動のことを合理主義に対する必然的な反動であると述べましたが、ある程度まで、また彼の生涯の特定の期間において、シュライエルマハーは正にこの運動の神学者であったのです。
教会史家のネアンダー(Neander)はシュライエルマハーの死後、彼のことをこう述べました。「教会の歴史においては、彼と共に新しい時代が始まるのだ」と。シュライエルマハーの主観主義的神学に反対して強力な反対の声を上げたカール・バルト(Karl Barth)も、彼を「神学にごく稀にしか与えられない英雄」と称えることをやめませんでした。バルトは「神学の領域に限って言えば、それは正に彼の時代であった」(注9)と付け加えたのです。
言葉の限りを尽くしてシュライエルマハーの汎神論に異議を唱えたカイパーでさえ(注10)、後には、次のように彼を称えました。
彼が舞台に登場した時、彼は、神学がほとんど哲学のひもによって絞め殺されそうになって、墓地の片すみに横たわり、幾人かのためらう友人たちによって、何とか歴史とヒューマニズムからもぎ取られた花で飾られているのを見出した。神学は宗教の方法に従う中で、両者共にその名声を失った。教会や教会生活に関わるすべては混乱状態にあった。しかし、それはまさに、シュライエルマハーがもはや耐えられないことであったのである。彼の考えでは、宗教的生活とは、彼自身の魂を装飾する宝石であり、教会の人々にとってのいのちの息に他ならなかった。彼はそのような宗教の名誉の回復をしたいと思った。そして、そのような名誉の回復は、教養あるドイツ国民の学問上の自尊心を満足させない限り、できないことなので、国民の間にその声が聞かれるような神学を創造することこそが彼の野心となり、また、熱情ともなったのである(注11)。
カイパーは19世紀初頭における、神学の荒廃した位置の概略を述べるために、これらの言葉を用いました。この時代、多くの人々の考えでは、合理主義はどのような超自然的啓示の可能性と妥当性をも破壊してしまっていました。超自然主義は既に敗北した地位を守ろうと無駄に努力をしたのです。カント(Kant)の信奉者たちは、理性の要請として宗教の
場を保とうとしましたが、彼らは神知識と神礼拝を、義務の声に聞き従う責務と取り替えました。言い換えれば、彼らは宗教の占めるべき場を道徳性に替えてしまったのです。浪漫主義に関しては、それは尊重すべき歴史の領域へと郷愁をもって回帰したのですが、その過程において、しばしば宗教から美学への移行がありました。つまり、そこでは、宗教は、レンブラントの絵や印象的なケルン大聖堂と同じ仕方で、私たちの情緒に触れるべきものとされるのです。
これが、シュライエルマハーの日々呼吸していた精神的風土でした。応答として彼は「宗教論―宗教を軽んずる教養人への講話」(Address on Religion to Its Cultured Despisers)を書きましたが、そこで彼はこのように述べています。
宗教は世界または神についての知識でも科学でもない。宗教は知識ではないが、知識や科学を認める。宗教はそれ自体において愛情affectionであり、有限の中での無限の啓示であり、神はその中において見出され、それは神の中に見出される(注12) 。
つまり、宗教とは愛情affectionであり、感情でありました。バルトが、「シュライエルマハーの神学は感情の神学、より正確には、敬虔な感情の神学である。それは、また、意識の神学であり、より正確には、敬虔な意識の神学である。」と言ったとおりです(注13) 。
この講話で、シュライエルマハーは、何事をも感情や美的感覚の見地から説明しようとした浪漫主義に非常に近づいているのですが、彼自身の感情の概念は特別な宗教性を持つものでした。後の体系的な著作の中で、彼はそれを「絶対依存の感情」と呼んでいます。
これまで、シュライエルマハーは学派を形成しなかったと言われてきました(注14)。しかしながら、彼以後のすべての神学は彼に依拠しているとも言われてきたのです。「彼の教義学は誰にも採用されなかった。しかし、彼の影響は、自由主義、穏健派、信条主義など、すべての神学思想の学派、さらには、ローマ・カトリック、ルター派、改革派など、すべての教会にまで及んだ。彼と最も近い関係にあったのは、『調停神学者』vermittlungs-theologenと呼ばれた人々であった」(注15)。
シュライエルマハーの信奉者には2種類ありました。一方ではシュライエルマハーは「現代神学の父」(注16)と呼ばれました。多くの神学者たちは、彼の神学の主観的な要素を強調するの余り、超自然啓示のすべての痕跡を否定するに至りました。このような仕方で彼らは現代の意識に歩調を合わせたのです。
また、他方では、保守派の存在もありました。多くの正統派の神学者もまた、シュライエルマハーに影響を受けたのです。彼らは聖書や信仰規準の内容を守ろうとしたのですが、人間の感情、すなわち、聖書と信仰告白が人間の心に引き起こす共感に訴えることによってそのことを行いました。これらの神学者たちは、またいくぶん聖書に批判的でもありました。カイパーが、彼のかつての半正統派の友人たちにさえ、容赦のない否を突きつけねばならなかったのは、まさにこの点であったのです。
(注9)K. Barth, Die Protestantische Theologie , pp. 378-380.
(注10)A. Kuyper, De Vleeschwording des Woords (1887), p. 60.
(注11)A. Kuyper, Encyclopaedie der heilige Godgeleerdheid, Vol. I (1908-2), p. 351.
(注12)B. M. G. Reardon, Religious Thought in the Nineteenth Century(1966), p. 44.
(注13)K. Barth, Die Protestantische Theologie , pp. 400.
(注14)Barth, p. 377.
(注15)H. Bavinck, Gereformeerde Dogmatiek, Vol. I (1918), p. 140.
(注16)Dillenberger and Welch, Protestant Christianity, p.189.
【7~8月の活動報告】
7月5日(日)長野佐久教会(長野会堂)にて、主日礼拝説教奉仕(ヘブライ13:22~23)「勧めの言葉」。私どもにとって「口に苦い」言葉であっても、耐え忍んで聞くことにより、福音は私たちの生活を変える力となる。説教を聞く者に求められるのは、「注意力と準備とと祈りをもってこれに傾聴すること」「信仰、愛、素直さ、気構えをもって,真理を神の言葉として受け入れること」(ウエストミンスター大教理問答160)。
7月12日(日)長野佐久教会(佐久会堂)にて、主日礼拝説教奉仕(ヘブライ13:12~16)「教会生活の三要素」。キリストの流された「血」によって、罪の赦しをいただいた私たちは、「礼拝」と「良い行い」と「施し」において、「賛美のいけにえ」を神に献げる。ここにキリスト者の生き様がある。午後、北軽井沢在住の富田渥子姉来訪、宮﨑契一兄、あかり姉も交え、教会生活について語り合う。
7月25日(土)ICS軽井沢文庫に隣接する第二文庫が完成。追分宿でアンティーク「カレン」を切り盛りしておられるおじさんと親しくなり,手作りの立派な文庫小屋を造ってもらった。本の収納に少しばかりゆとりができた。
8月2日(日)長野佐久教会(長野会堂)にて、礼拝説教奉仕(ヘブライ13:24~25)「教会への挨拶と祈り」。キリストにある信徒ひとりひとりがキリストにある諸教会/伝道のために祈りを献げよう。日本の教会が力をいただく第一歩である。
7月5日(日)長野佐久教会(長野会堂)にて、主日礼拝説教奉仕(ヘブライ13:22~23)「勧めの言葉」。私どもにとって「口に苦い」言葉であっても、耐え忍んで聞くことにより、福音は私たちの生活を変える力となる。説教を聞く者に求められるのは、「注意力と準備とと祈りをもってこれに傾聴すること」「信仰、愛、素直さ、気構えをもって,真理を神の言葉として受け入れること」(ウエストミンスター大教理問答160)。
7月12日(日)長野佐久教会(佐久会堂)にて、主日礼拝説教奉仕(ヘブライ13:12~16)「教会生活の三要素」。キリストの流された「血」によって、罪の赦しをいただいた私たちは、「礼拝」と「良い行い」と「施し」において、「賛美のいけにえ」を神に献げる。ここにキリスト者の生き様がある。午後、北軽井沢在住の富田渥子姉来訪、宮﨑契一兄、あかり姉も交え、教会生活について語り合う。
7月25日(土)ICS軽井沢文庫に隣接する第二文庫が完成。追分宿でアンティーク「カレン」を切り盛りしておられるおじさんと親しくなり,手作りの立派な文庫小屋を造ってもらった。本の収納に少しばかりゆとりができた。
8月2日(日)長野佐久教会(長野会堂)にて、礼拝説教奉仕(ヘブライ13:24~25)「教会への挨拶と祈り」。キリストにある信徒ひとりひとりがキリストにある諸教会/伝道のために祈りを献げよう。日本の教会が力をいただく第一歩である。
8月9日(日)長野佐久教会(佐久会堂)にて、礼拝説教奉仕(ヘブライ13:15~17)「指導者たちに従いなさい」。現役の牧師としては説きづらいテーマに違いないが、引退教師として語った。神様の前に責任を持つ者として,日々聖徒のために祈り牧会する指導者が喜んでその務めを果たすことができるように、協力することは、教会の健全な成長のために、また、私たちの全生活が主への賛美となるために,
必須のことである。