2019年3月16日土曜日

「ICS軽井沢文庫だより」第22号

創世記1-2章こそ契約宗教の原点

宮﨑彌男


今年も、庭に福寿草が咲きました。もうひと月ほど前に芽を出し、開花し始めたものが、今は暖かな春の陽を浴びて満開、勢いよく周囲に“福寿”のエネルギーをまき散らしています。少し離れたところにも、新しく芽を出した福寿草の小さな集団を見つけました。こちらは、今満開のものと比べると、こじんまりとしていますが、何となく、優雅なたたずまいです。家内に聞いてみると、前者は、野生の福寿草を庭に移し替えたもの、後者はおばさんちの庭で、育ったものを貰ってきたとのことです。野生と育成の違いですね。
 どちらが良いですか?どちらも! 確かに、勢いは、野生の方が良いですね。けれども、庭で育った福寿草には、上品なところがあるようです。こんな風に、庭に咲いた福寿草を見比べておりましたら、家内がふきのとうとタラの芽を近くのスーパーでみつけたので、天ぷらにしよう、と言いながら戻ってきました。俄然夕食が楽しみになりました😊。…余りにも美味しかったので、パクパク食べてしまい、春の気分を味わいながら、というところまで行かなかったのですが…。それでも、“春が来た” こと、感謝です😊。
 
 ところで、聖書の中で、最初に野の草花のことが出てくるのは、創世記1:11-12です。今月は、「契約宗教の原点としての創世記1-2章」ということで、今一度、ノア契約の意義について考えて見ることにしましょう。
 先月、「ICS軽井沢文庫だより」第21号を公開しましたところ、知人のU兄よりコメントをいただきました。曰く、「<ICS軽井沢文庫だより>最新版をありがとうございます。新年を祝う意味についてたいへん教えられました。なるほどと思いました。ノア契約がもとになっているとは考えてもみませんでした(というより、新年を祝う意味など考えたこともありませんでしたので)。先生の書かれたものをベースに私も考えてみたいと思います 
 
 このように積極的なレスポンスをいただき、嬉しくなって、私は、「<ICS軽井沢文庫だより>をお読みいただき、感謝です。ノア契約が、創造契約(特に創世記1:28,2:4-17)の(洪水後の)更新(再宣布)であること等については、<注4>に言及したDumbrelの本の第1章で、説得的に論じられています」と、すぐにメールで応えました。しかし、私は、実のところ、まだ、Dumbrelの本(『契約と創造』Covenant and Creation)第1章「創造における契約」の始め3分の1くらいまでしか読んでおりませんでしたので、責任上、慌てて、残りのページを今読み進めているところです。そうしますと、何と素晴らしい内容の章であるか、発見しつつあり、感動ものです😄。(今朝、読み終えました!3/16)。 
 
 本章(あるいは、本書全体かも知れません)におけるDumbrelの主張は、かいつまんで言えば、こういうことです。聖書において「契約」という言葉が最初に出てくるのは、創世記6:18「わたしはあなた(筆者注、ノア)と契約を立てる」においてであるが、そこで (契約を)「立てる」と訳されているヘブライ語は、初めて結ぶ契約の「締結」(inauguration)ではなく、すでに結ばれていた契約の確認(confirmaton)を意味する動詞である;どの契約の確認かと言えば、創世記1:26-28とその展開としての同2:4b-17の確認であった、ということです。Dumbrelは、このことを主張するために、緻密で説得的な釈義をしています。特に、ヘブライ語の (契約を)「結ぶ」(カーラト)と「立てる」(ヘーキーム)の用法上の違いについて、反対論も紹介しつつ、浮き彫りにしています。つまり、前者は、契約を初めて「結ぶ」場合に用いられるのに対して、後者は、すでに結ばれた契約をもう一度「立てる」場合に用いられている、ということです。ぜひ、同書の15-23頁<創世記6:18が先行契約の確認であることの意味論的根拠>をご参照ください。
 
 締めくくりの部分だけ、一部、翻訳、掲載しておきます。
 「要約すれば、<カーラト・ベリース>(契約を結ぶ)という表現形態は、一度も、契約の更新には用いられていないようで、旧約聖書においては、2当事者間の新規契約締結時に用いられる独特の表現形態である。<ヘーキーム・ベリート>(契約を立てる)は、これとよく似ているが、契約の継続について語る場合に用いられる用語である。この違いを曖昧にしようとしても、それぞれの文脈の明らかな主張から目をそらすこととなり、良い結果は得られない。これが意味するところは、創世記6:18において「契約」と呼ばれる創造の御業(訳者・注)には、そこに始まって、イエスによる新しい創造の導入、さらには、その再臨による完全な実現に至る、神の事業計画が含意されているということなのである。もう一つ言えることは、聖書の中に出てくる色々の契約を知るための様式批評的な区分けをしても、その内容については何も知ることはできない、ということである。聖書の契約がその形態において約束的(アブラハム契約、ダビデ契約)であっても、命令的(シナイ契約)であっても、あるいは、古代近東の契約に幾分似たものであっても、聖書神学におけるその最終的な意義は、それが指し示している目的によって決定されるからである。神の命令による、その目的とは、創造から新しい創造に至る道筋の構想にほかならない」(『同書』22-23頁、下線は訳者による)。
 
 神の共通(一般)恩恵(創世記8:21-22、マタイ5:45、使徒言行録14:17)に基づく契約の重さを、改めて覚えさせられます。ノア契約(創世記6:18)は、創世記1-2章の創造契約に遡り、その更新(再確認、再宣布)であるとのこと。また、この創造契約は、キリストによる新しい契約に至るすべての(恵みの)契約の土台となっているとのこと。聖書の宗教の全体がこの恵みの契約に貫かれているのです😊。「恵み深い主に感謝せよ.慈しみはとこしえに」(詩編136:1)と、賛美せざるを得ません。
 
(訳者注)創世記1-2章に記されている主の創造の御言葉とその結果としての創造の秩序が「創造の契約」と呼び得ることについては、エレミヤ書33:20-21, 25-26における「契約」の用例等を参照。この点については、最近日本語訳で読めるようになった、O・パーマー・ロバートソン著、高尾直友訳『契約があらわすキリスト―聖書契約論入門』の第二章で詳しく論じられている。 

【2月~3月前半の活動報告】


2月7日 (木)~9日(土)神戸出張旅行。3つの目的がありました。
  2月8日 (金)に行われた、母校、神戸改革派神学校の「全校祈祷日」行事に全日程出席。午前中は、引退教師(神学校1970年卒、私と同期!)の望月明先生が「主の召し…説教者として」、「主の召し…群れの指導者として」と題する二つの講演をされ、大いに啓発された。説教者は、聖書の釈義をした上で、群れのために神の言葉を取り次がねばならないこと、伝道と教会形成のための戦略(ストラテジー)を立てることの重要性、伝道・牧会における良き同伴者(配偶者、教会役員、地域の協力者)の必要性、等々。いずれも、今後の伝道進展のために真剣に取り組まねばならない主題である。午後には、グループに分かれての祈りの時もあり、充実した「全校祈祷日」であった。
 ② 石丸新先生が執筆を始められた「ウエストミンスター小教理邦訳メモ」の草稿を(先生に頼まれたわけではないが)、吉田隆校長と袴田康裕教授に届ける必要があった。私たちの日本キリスト改革派教会には、2026年の創立80周年を目指して「ウエストミンスター信仰基準」の新しい教会訳を出版したいとの計画があるが、石丸先生のウ小教理問答研究は、これを念頭に置いたものである。ウ大小教理問答に対する同師の情熱のこもった研究メモである。こういった研究が教会全体の教理教育への熱心を盛り上げて行くようにと願うものです。
 ③ 大工原照富兄・泰子姉に同行。大工原兄は、私の普段出席している長野佐久伝道所(佐久会堂)の会員であるが、今年91才。かねがね神戸の神学校と神港教会に訪ねたいとの願いを持っておられた。奥様の泰子姉も神戸在住の辛鐘國先生を見舞いたいということで、真冬の老兵三人 (合わせて254才!) の神戸旅行となりました。お二人の元気だったこと、わたし以上でした😊。なお、辛先生は、長く神戸改革派神学校でギリシャ語等を教えられ、全校祈祷日にもお葉書を寄せて下さいましたが、2月末に召天されたとのことです。

2月10日(日) 長野佐久教会(長野会堂)にて、礼拝説教奉仕(ヘブライ11:29~31)。

2月17日(日)長野佐久教会(佐久会堂)男子会にて『信徒の手引き』第1章「神の民として教会に生きる」を学ぶ(助言教師として指導)。

2月22日(金) 第4回信州神学研究会、於長野佐久教会(長野会堂)。「カルヴィニズムとイスラーム」と題して発題講演。要旨:今日の世界情勢を知るためには、イスラームの正しい理解が不可欠。近代西欧の啓蒙主義的な物差しでイスラームの問題を解明することはできない。イスラム原理主義?としての「イスラム国家」(IS)。カリフ不在のイスラム圏で、敬虔なイスラム教徒は居場所を失っている。新しいパラダイムとしての「敵対的共存」(内藤正典) について、イスラムフォビア(恐怖症)を捨てよ。教育、伝道、介護等において学ぶべき所がある。イスラームへの伝道は、"friendship" evangelismではなく、"friendly" evangelismで! 次回は、5月24日、「カルヴィニズムと日本の宗教」(長田秀夫先生)、於・佐久会堂。 

3月10日(日) 長野佐久教会(長野会堂)にて、礼拝説教奉仕。(ヘブライ11:32~40)。



「ICS軽井沢文庫だより」の印刷のために

「ICS軽井沢文庫」<ics41.blogspot.jp>を開き、ラベル「ICS軽井沢文庫だより」第22号 (右列21番目を選択します。次に、パソコン画面右上のオプション設定のマーク(縦3つ)をクリック、印刷を選択する。左欄のオプションを両面印刷にし、詳細設定の中の倍率を150背景のグラフィックもオンにしてください。印刷ボタンを押すと OKです。同様に、他のすべてのラベルも、選択して、印刷することができます。

【「ICS軽井沢文庫」】

「ICS軽井沢文庫」は、日本におけるキリスト教有神的世界観人生観の研鑽と普及のために、2016年6月14日に、軽井沢町追分36-23に設置された文庫です。“ICSInstitute for Christian Studies)は、この文庫が、日本における (改革主義)キリスト教学術研修所(大学院)の設置を目指していることを告白するものです。文庫設置の経緯については、「ICS軽井沢文庫だより」第1号(2016.6.14)をごらん下さい(ラベル「ICS軽井沢文庫だより」第1号をクリック)。


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389-0115長野県北佐久郡軽井沢町追分36-23 宮﨑彌男・淳子

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