2019年9月1日日曜日

「ICS軽井沢文庫だより」第25号

 ~巻頭言~ 「政界にキリストの風を!」

                宮﨑彌男

   
   わたしは渇いている地に水を注ぎ、渇いた父に流れを与える。
   あなたの子孫にわたしの霊を注ぎ、あなたの末にわたしの祝福を与える。
            (イザヤ書44章3節)

G・ファン・プリンステラ
 前回、7月30日号の「巻頭言」で、「キリスト教政党への道」と題して、7月21日の参議院議員選挙の結果、特に、その投票率のついての所感を述べました。2,3の心あるレスポンスをいただきました。かつてミッション・スクールの校長を務められた I 長老は、投票率の悪さには、政治家自身の責任もあるが、「学校教育の担うべき役割」にも「何か重要な欠落があるのではないか」とご指摘、「キリスト教政党への道」については、「大胆な(或いは当然な)」発言と、感想を述べてくださいました。また、S姉は、同日開票された町議会選挙に、主婦でありながら立候補、当選されたことをご報告下さると共に、共に、「キリスト者と政治について深く考えて行きたい」との思いをメールしてくださいました。さらに、F 引退教師も、一度「集まり」を持ちたい、と主旨賛同の意を伝えてくださいました。
 
 もう78才の私にできることは、当面、プラームスマ著『キリストを王とせよ』の翻訳をすることだけです。そうなんですけれども、それでも、主の御言葉にしたがって、主の御業(みわざ)を一歩進めることが、どんな大切なことかと思わされています。今号においても、同書の続きの部分、19世紀ヨーロッパにおける “レヴェイユ”(霊的覚醒)についての項を翻訳しましたので、ご精読ください。
 
 フランス革命(1789年後、19世紀オランダの政界にも様々な風が吹き荒れていました。その中で、改革派教会の牧師であった、アブラハム・カイパーや、長年オランダ議会の議員であった、フルン・ファン・プリンステラ Groen van Prinsterer は、聖なる風を吹き込む必要を覚え、「反革命 AntiRevolutionary 党」(別名、キリスト教歴史 Christian Historical 党)を立ち上げました。カルヴァン主義的なキリスト教の政界に対する「証」(あかし)として、この党を立ち上げました。そして、世紀の代わり目においては、与党として、カイパーが首相の座にも着くこととなります(1901~05年)。
 
 ここで、ちょっと、私たちのイメージを “”から “に変えてみましょう。キリストは、私たちを罪から救うために、「世の光」として、この世に来られました。そして、その十字架の死と復活によって、人類の救いのために必要な一切を成し遂げられました。そのキリストがこう言っておられるのです。「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである」(マタイによる福音書5:14-15)。もし、私たちが、教会という「家」の中でのみ、キリストの光を掲げようとするのであれば、キリストの光は、一般の人々の住む世にあって輝くことはありません。輝いたとしても、ごくごく限定された範囲においてでしょう。やはり、キリストご自身の御言葉に従おうとするのであれば、私たちは、教会の外でも、光を掲げ、光を輝かせなければならないのです。言い換えますならば、政治の世界においてもキリストの光を輝かせなければならないのです。政治の世界においても、キリストの福音は証しされねばならないのです。そのための基本的道筋は、私たちキリスト者が新党を結成し、聖書の教えに適った綱領を公にすることでありましょう。

 
 それで、私の提案は,近い将来に、①聖書の教えに適う一キリスト教政党を立ち上げ,②政権奪取を目指すということです。一度に ②が難しければ、先ずは ①に向かって準備するということでしょう。

 
 キリスト教会の政治に対する姿勢をそろそろ改めなければなりません。アンチテーゼだけではなく、テーゼをも示さなければならないのです。すなわち、時の政権に対して、御言葉に反することを指摘して抗議するだけではなく、御言葉に適う道を指し示し、御言葉を実行することです。このようにして、神の栄光が表され(ウェストミンスター小教理問答1)、キリストの支配が現実となるのです(同102~107)。

 
アブラハム・カイパー
 カルヴァン主義的なキリスト教政党の必要性を信じ、認めていても、支持基盤のことを考えると、「今は無理だ、今はその時期ではない」と考えておられる方もあるかも知れません。しかし、私は、「大丈夫です」と答えたい。サポーター(支持者)は、皆カルヴィニストでなくても良いのです。キリスト者でなくても良いのです。綱領に賛意を表する者は,だれでも党員となれるし、いわんや、「清き一票を投じる」ことができます。綱領を定めるのは、キリスト者の「前衛」Vanguardであり、聖書の教えに適った綱領を作りさえすれば、広く運動を展開することができ、その過程で、更にキリスト教的政治思想を磨き上げ、発信できるのです。
 
 これは、政治の領域の運動ですから、特定の既存の教派が全体としてこれを支持することを期待しなくてもよいのです。教派としての「教会」がこの運動を行うのではなく、キリスト教政党が押し進めるのですから、色々の教派の中から参加者/支持者が起こされて然るべきなのです。
 
 激変する世界情勢の中で、日本の果たすべき役割(使命)は何なのか、中長期的展望を示的さなければならないこの時代に、与党も野党も、行き詰まりを見せています。やはり、神の言葉に立つ、キリスト教的政党の出番ではないでしょうか。もし私たちがテーゼ、すなわち、進むべき方向性をわかりやすく示すならば、キリスト者はもとより、一般の人々の中にもかなりの数の支持者を得ることができるのではないでしょうか (注1)。これは、夢物語ではなく、貧しく、虐げられた人々のために十字架にかかって復活された王なるキリストのご命令なのです。
  「イエスは、別のたとえを持ち出して,彼らに言われた。『天の国はからし種
  に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長
  するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる   
  』」(マタイによる福音書13:31-32)。



(注1)  寺島実郎氏は、「安倍 一強」の後で、日本国民がどのような政治を選択するかについて、次のように述べておられます。「確かにわれわれの目の前には不条理な現実があり、安倍政権に象徴されるような、克服する思考力の弱い状況が続いています。しかし、歴史は必ず条理の側に向かうのです。その兆候は既に現れています。例えば、今回の参院選で投票率は48.8%で史上2番目に低い数字を記録し、自民党は比例票を240万票減らして単独過半数を割りました。この結果を見ても、大多数の国民が「安倍自民党以外に選択肢がない」という政治状況に対してフラストレーションを抱いていることは明らかです。裏返して言えば、安倍自民党以外に選択肢があれば政治状況はガラッと変わるということです。そして、歴史は必ず自らを条理の側へ導くリーダーを生み出すものです。安倍政権は構想力の弱い政権であり、官邸主導外交という建前で外務省も腰が引けるような政策ばかりやっていますが、その当然の帰結として日本は行き詰まりつつあり、国民もそのことに気づき始めている。「日本人はいつ目を覚ますのか」ということですが、私にいわせれば、すでに時計の針の音は聞こえ始めています。歴史は思考力の弱い時代をあざ笑いながら動き始めており、現在は不条理から条理への過渡期にあるのです。いま問われているのは、安倍政権がどうしたというレベルの話ではなくて戦後日本の歴史がいよいよ条理の側に向かい始めたということです。ここで、重要なのは、国民に条理を指し示すことであり、歴史に筋道をつけることです。われわれはそのために徹底的な議論をすることが必要なのです」(ゴシックは宮﨑)
 (「『戦後日本』が根底から揺らいでいる」<『月刊日本』2019年9月号、p. 16>

 寺島実郎さんの「歴史は必ず条理の側に向かう」「現在は不条理から条理への過渡期にある」「戦後日本の歴史がいよいよ条理の側に向かい始めた」という、「楽観的」な歴史理解は、神の創造の定めが被造世界の全体を支配し、保持し、統治しつつあることを信じる、私たちのキリスト教有神的世界観に通じるものがあり、同感を禁じ得ません。「主よ、私たちを憐れんでください」。





             L. プラームスマ著

『キリストを王とせよ―アブラハム・カイパーとその時代―』

宮﨑彌男訳

ー第24号より続くー


第1章 19世紀の精神 

フランス革命への反動として


ハ. レヴェイユと正統主義


 ヨーロッパで “レヴェイユ” と言われる言葉は、英語の “リヴァイヴァル” を連想させる語ですが、ほぼ同じ意味合いを持っています。どちらも、霊的な命の覚醒という意味の言葉です。しかし、リヴァイヴァルが、通常は、ある町や地方で起こり、それも、限られた期間継続するのに対し、レヴェイユは、ヨーロッパのいくつかの地方(スイス、フランス、ドイツ、オランダ、スコットランド)で、ほぼ同時(19世紀前半) に起き、その影響は、一時期に限られるものではありませんでした。それは、眠った状態の正統主義に対する反動であり、その時代において支配的であった合理主義や自由主義に対する反動でありました。そこには、敬虔主義的、個人主義的な傾向が見られましたが、教会改革から身を引くのではなく、その手始めともなったのです。
 セサル・マランという若い牧師が、1817年に,「人が救われるのは、イエス・キリストによるのみ」という、この時代においては特異な主題について説教したとき、ジュネーブでは、極端な自由主義が隆盛を極めていました。マランは解任されました。それからというもの、同じ主題の説教は、ジュネーブの教会においては、(原罪とか、予定論と共に)禁じられたトピックとなりました。
 マランは新しい教会を立ち上げることを望んではいませんでしたので、自分の家で集会を開いていました。彼は、後で建てた教会堂や、そこに集う信徒を国教会に属するものと考えていました。しかし、1849年に自由福音教会が設立されたのは、ほとんど不可避でした。これに先立つ1847年に、アレクサンドル・ヴィネを牧師とするペイ・ド・ヴォー自由福音教会が活動を始めていたからです。ヴィネは、死に至るほどの病を癒やされ、キリストに回心しました。彼は力ある福音の説教者でしたが、その神学の基礎を、無謬の聖書にではなく、人間の良心の純なる声に置きました。同じような考えが、倫理神学としてオランダに登場したとき、カイパーはこれに反対しました。
 フランスにおけるレヴェイユとの関連で、最も有名な人物は、アドルフ・モナドです。彼は、1832年に、リヨン改革派教会の自由主義的な小会によって、解雇されました。彼は、この上なく雄弁な、キリストの恵みの説教者でした。レヴェイユの中でも、彼は、二つの点で他と違っていました。一つは、改革派教会の中での分裂を望まなかったことです。自由教会が設立されてからも、彼は、分離を望みませんでした。第二に、彼は、ヴィネの影響の下にあって、聖書の霊感を認めながらも、一貫性がありませんでした。
 ドイツにおいては、レヴェイユは、“Erweckungsbewegung”(覚醒運動)と呼ばれました。この運動の最初の兆候は、キールの牧師で、1817年10月31日にルターの95箇条テーゼに自分自身の95箇条を加えたものを再出版した、クラウス・ハルムスの働きに見られます。彼自身のテーゼの第9条は、「我らの時代の教皇とは、信仰の目で見るならば、理性であり、行いの目で見るならば、良心である」となっています。この覚醒期の神学者は、『罪とあがないの教理』において、合理主義の冷たさを攻撃した、A.トールック
です。
 二人のユダヤ教からの改宗者が、この時期に、ドイツにおけるドイツの福音主義陣営において、指導的影響を与えたことは特記すべきことです。一人は、教会史の大著を書いた J. A. ネアンダー(元の名は、デーヴィッド・メンデル)。もう一人は F. J.  シュタール(元の名は、 F. J.ゴルゾーン)。彼は、法律家で、国の教会庁で重要な役職にありましたが、プロシャをキリスト教的国家とする理想を掲げました。シュタールはフルン・ファン・プリンステラやアブラハム・カイパーに影響を与えましたが、カイパーは、フルンがかつて言った、「シュタールはルター主義者だが、私はカルヴィニストだ」に同調していたようです(注8)。
スコットランドにおいては、ロバート・ホールデンとトマス・チャルマースが代表的です。ホールデンは、最初は、フランス革命の思想に惹かれていましたが、1794年に回心し、場所を選ばず、説教し始めました。1816年に、彼はジュネーブに行き、この町におけるレヴェイユの最初の鼓動に関わりを持つこととなります。
  チャルマースは、1815年から1823年までグラスゴーの教会で牧会し、その後は、大学で教えました。1843年に彼はスコットランド自由教会の指導者としての働きを始めます。教会と、さらには社会的政治的分野におけるこのような働きは、後の日のオランダにおけるアブラハム・カイパーの精力的な働きを彷彿とさせるものでした。牧師として彼は貧しい人々の救援組織を作り、都市の恵まれない下層階級の人々の物質的、道徳的、霊的環境改善のため働きました。彼は、執事職を生き返らせ、日曜学校、週日学校を始めました。彼は、教会の自律性、とりわけ牧師任命権を求めました。各個教会が自分自身の牧師を自由に招聘することができないとする、この牧師任命権を議会が持ち続ける決議をしたとき、チャルマースとその支持者たちは、スコットランド長老教会の総会を脱退し、スコットランド自由教会を設立しました。「大いなる情熱と多くの犠牲を払って自由教会の信徒は新しい建物を建て、牧師たちを支え、外国ミッションの開始と維持のために組織を作りました」(注9)。
 オランダでのレヴェイユの最も重要な代表者は、ギョーム・ファン・プリンステラです。何年もの間、彼は、オランダ議会でキリスト教の原理を政治生活に適用しようとする、孤独な戦士でした。フルンは、スイスのレヴェイユが生んだメリエ・ド・ビニエの説教を通して回心しておりました。そのド・ビニエは、スコットランド人、ホールデンの説教を通して先祖の信仰へと導かれていました。その有名な著書、『不信仰と革命』において、フルンはフランス革命の原理を、18世紀啓蒙主義の不信仰の精神を体現するものとして、攻撃しました。
 生涯に亘って、フルンは、国家と教会の、国家と教会の改革のため、その教会の教理の擁護のために戦いました。彼は、また公共生活における神の言葉の権威のために戦いました。下院の一議員として、彼は、自分のことを「政治家にあらず、福音の一宣言者」と呼びました。その生涯の終わりに、彼はカイパーを訪ね、彼自身が蒔いた種を刈り取る、賜物豊かな後継者と呼びました。
 オランダ・レヴェイユの担い手たちは、1834年に H. デ・コックや S. ファン・フェルツェンと言った、勇敢な若い説教者の指導の下でなされた国教会からの離脱運動(アフスヘイディン)からは、少し距離を置いていました。この人たちが迫害されたときには、彼らに味方し、同情を示しましたが、彼ら自身はこれまでどおりの国教会に留まりました。 
 オランダ・レヴェイユの担い手たちが、貴族階級に属する福音主義者であったのに対して、離脱派の人々は、社会的には、概ね下層階級に属していました。しかし、フルンにとって、残念であったのは、レヴェイユの人々が、政治・社会的見解において、どちらかと言えば保守的であったのに対して、離脱の方がより一貫したカルヴァン主義的であったことです。
(注8) Kuyper-Gedenkboek 1897, p. 72
(注9) K. Scott Latourette, A History of Christianity (1953), p. 1193.
                              (次号に続く)

【8月の活動報告】


8月6日 (火)金戸清高兄、憲子姉が来訪。お二人は、私どもの熊本伝道所牧師時代、共に礼拝を守り、伝道と教会形成に労した、同志たち。特に、清高兄は、熊本にある九州ルーテル学院大学の教授で、「日本文学とキリスト教」を教えておられる。

8月11日(日)長野佐久教会(長野会堂)にて、礼拝説教奉仕。(ヘブライ12:18~24)。

8月12日(月)近くの、御代田町「のぞみの村」に休暇滞在中のドイツ人宣教師、エルケ・シュミッツ姉(German Alliance Mission)来訪。散歩中に知り合った仲であるが、TCUの稲垣久和先生など、共通の友人・知人多いのに驚く。「ICS軽井沢文庫」を見ていただいた。キリスト教界は狭くて、広い。

8月18日(日)長野佐久教会(佐久会堂)礼拝後の男子会において、助言教師として、『信徒の手引き』(「時の管理」)を学ぶ。

月21日(水)長野佐久教会の祈祷会に出席後、「ほっとぱーく浅科」で、佐々木弘幸先生ご夫妻と、昼食を共にする。山梨栄光教会の岩間孝吉長老が送ってくださった、山梨県の「教会一致懇談会」の資料を分かち合いながら、同県下のキリスト教伝道について、語り合う。この「教会一致懇」の新年初週祈祷会は50年も続いているとのこと!主にある、その志に心打たれる。主を讃美せよ。

8月23日(金) 甲斐市の安達正子姉、北軽井沢の富田渥子姉と共に来訪、キリスト教政党の必要性、可能性等について語り合う。


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【「ICS軽井沢文庫」】

「ICS軽井沢文庫」は、日本におけるキリスト教有神的世界観人生観の研鑽と普及のために、2016年6月14日に、軽井沢町追分36-23に設置された文庫です。“ICSInstitute for Christian Studies)は、この文庫が、日本における (改革主義)キリスト教学術研修所(大学院)の設置を目指していることを告白するものです。また、最近は、日本におけるキリスト教政党立ち上げのヴィジョンも与えられつつあります。文庫設置の経緯については、「ICS軽井沢文庫だより」第1号(2016.6.14)をごらん下さい(ラベル「ICS軽井沢文庫だより」第1号をクリック)。


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