2020年11月2日月曜日

「ICS軽井沢文庫だより」第32号

~巻頭言~「伝道は聞くことから」

宮﨑彌男  

(序)
  読者の中で、クリスチャンでない方にとっては、「伝道」(エヴァンジェリズム―福音を語る)という言葉は聞き慣れない言葉なのかも知れません。けれども、実は、「伝道」というのは、おおよそ言葉によって自己表現する私たちの基本的な人間性に通じるところがあるのです。最近、ベストセラーになった『学びを結果に変えるアウトプット大全』の中で、精神科医の樺沢紫苑さんは、学んで(インプット)ばかりで、学んだことを話そう(アウトプット)としない人たちに対して、「インプット:アウトプットの黄金比は 3:7」だと言っておられ;ます。三つ学んだら、七つ話せ、というわけです。これを聖書で言う「伝道」に適用しますと、「私は信じた。それで、わたしは語った」(Ⅱコリント4:13)ということになります。
 それで、今月は、「伝道」について考えて見ましょう。
 
(まずは、私の自分史より) 
 わたしは、「ICS軽井沢文庫だより」第14~16号「“二刀流の伝道者”」で書いたように、①日本における有神的世界観の確立と、②信仰告白・教会政治・善い生活において一つである教会の設立―を目指す日本キリスト改革派教会の教師として、日本伝道に献身している者です。
ハミルトン大学
 日本伝道への献身を表明したのは、およそ60年前の1961年12月に遡ります。たしかこの年の年末、大晦日であったと思いますが、IVCF(キリスト者学生会)主催の学生宣教大会がイリノイ大学(アーバーナ校)で行われ、全世界から集まった1万人近いキリスト者学生たちが一堂に会して聖餐式に与ったのです。講師は、当時の大衆伝道者、ビリー・グラハム師でしたが、説教の後、師は会衆に呼びかけ、世界伝道に献身したい者は、前に出るようにと招かれました。私は、その時、出ない訳にはゆかないと思い、500名程だったでしょうか、その中の一人として前に出ました。ちょうど20才の時でしたが、これが、私の日本伝道への決意表明となりました。
 私は、当時、グルー奨学生として、ハミルトン大学(ニューヨーク州クリントンにあるリベラルアーツ・カレッジ)に留学中でしたが、帰国後は伝道に献身したいとすでに思っていましたので、前に出たのは自然なことではあったのです。ただ、場が場でありましたので、私の思いの中には、「帰国したら、伝道に献身しよう」という思いと共に、「日本に遣わされる」という、日本で生まれ育った者としてはいささか奇妙なアイデンティティが芽生えたことも事実です。
 それで、私は、帰国後、日本伝道のため神戸改革派神学校に入学、1970年に卒業後、日本キリスト改革派教会の教師として任職され、今日に至っています。上記のような経緯がありますので、任地については、日本ならばどこにでも遣わされる所に行くという姿勢で、今日まで、(トロントICSでの二度目の海外留学を経て)熊本(18年)、神戸・灘(7年)、茨城県つくば市(7年)等で、伝道に献身し、従事してきました。
 「日本伝道への献身」と言えば、何か気負っているように思われるかも知れませんが、それは違います。冒頭で述べたように、伝道は聞くことから始まる、と心得ているからです(ローマ10:17参照)。聞いて信じたことを話すだけだから、そこには、特別な「気負い」はありません。「日本伝道」への献身も大げさに聞こえるかも知れませんが、海外の大学で導かれたことでありますので、これ以外の選択はあり得ませんでした。

(伝道は聞くことから)
 「伝道は聞くことから始まる」ということについて、もう少し考えて見ましょう。キリスト教で言う「伝道」の場合、「インプット」と言っても、それは、ただ本を読んだり、人の話を聞くだけではなく、先ず「神の言葉を聞く」ということが、何よりも重要です。このためには、毎日聖書を読み、祈ること、毎週心して説教を聞き、聞いたところを自分自身への神の言葉として受け止め、実行すること等が伝道のために必要です(ウェストミンスター小教理問答90参照)。なお、このこととの関連で、「創造の言葉」(創世記1章、詩編19章、ローマ1:19,20、ヘブライ11:3等々)に聞き従う毎日の生活術については、「ICS軽井沢文庫だより」第9号を、今一度お読みください。
 御言葉を聞いたならば、親しい方に話してみましょう。ただ,その場合「教える」とか「押しつける」といったスタンスではなく、ここでも、「聞く」姿勢で語ることが伝道のためには大切です。言い換えれば、交わりの中で(仲間意識を持って)語ること。そうすれば、伝道は、互いに心を豊かにされるという結果を生むことでしょう。 
 病気の方を見舞うときのことを考えて見ましょう。見舞いに行こうと決めたときには、相手は、病床で苦しんでおられる、弱っておられる、自分は幸い健康だ、御言葉の一つでも差し上げて喜んでもらえれば、などと考え、一種の気負いを持って出かけます。しかし、しばしば経験することですが、見舞いに行った私たちが却って励まされ,喜んで帰ってくるのです。これは、交わりの中で御言葉を差し上げるので、相手の方は御言葉をありがたく思って、感謝を言い表します。それが見舞った私たちにとっては、反対に大きな励ましとなり、喜びとなるからでしょう。ここに伝道の原型があります。心の内にある御言葉を「聞く」姿勢で語る、このような伝道が感謝をもって受け入れられた時、そこには交わりが生まれ、深められ、これによって互いに心豊かにされるのです。
 けれども、聖書にも多く事例が出てきますように、伝道はいつも感謝をもって受けとめられるとは限りません。むしろ、拒否されることの方が多い。しかし、それはそれで、良いのです。その時に交わりは生まれなかったにせよ、真理が語られ、希望が証されたのですから。今は受け入れない方も、時が来れば、喜んで真理を受け入れることになるかも知れないのです。また、「聞く姿勢で」語ったことによって、その方に対する理解が深まり、交わりのための準備もできたのですから。

(日本伝道も「聞く」姿勢で)
 以上述べてきた「伝道は聞くことから」という原理は、「日本伝道」という大きな課題にも適用できます。「日本」に聞くことなしに,真の意味での日本伝道はできないでしょう。19世紀半ばより欧米のプロテスタント諸教会による日本宣教が始められてより,すでに150年以上になりますが、未だに人口のわずか 0.5% の信徒しか生みだしていないという現状を考えれば、反省の余地はないのでしょうか。「日本」に聞く姿勢を持って日本伝道がなされてきたのでしょうか。
 それでは、「『日本』に聞く」とは、何を意味するのでしょうか。その一つは、正に「ICS軽井沢文庫」が目的に掲げていることなのですが、「キリスト教有神的世界観人生観の日本における確立」ということです。宗教、道徳、政治、芸術、経済、社会、言語、歴史、論理、心理、自然科学の諸分野における日本研究が必要です。このような研究を怠るならば、日本のキリスト教会は、西洋の衣をまとった外来宗教の域を出ることなく、広く日本人大衆(庶民)の宗教とはならないのではないでしょうか。
 私自身は、最近、「『日本』に聞く」姿勢を持って、遅ればせながら、日本の歴史を学び直しています。日本伝道に役立つことを信じて。

 ただ、最後に申しあげたいことは、人を救うのは神ご自身である、ということです(ウェストミンスターウ小教理問答29~38参照)。私たちは,神の救いを運ぶ器にしか過ぎないということです。私たちに求められているのは、神の御言葉を聞いて行うことだけです。

 「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって
    始まるのです。」(ローマの信徒への手紙10章17節)



(主張:管義偉首相は学術会議の推薦した会員候補者6名を任命しなかった理由をはっきりと、国民にわかるように、説明しなければなりません)


2020/10/30毎日新聞「余録」

 上掲の新聞切り抜きは、10月30日の毎日新聞一面に載った「余録」です。ソクラテスは自らを「アテナイという馬にまとわりつくアブ」にたとえました。「だがアテナイ市民はうるさいアブをはたくようにソクラテスに死刑を判決し、彼は法に従い、毒杯をあおります」。この場合、「アテナイのアブ」は、「常識に安住する者への真理の探求者による批判や挑発のたとえ」ですが、この度、自らの首相としての判断で学術会議推薦の6名を任命しなかった首相も,よほど「アブ」がうるさかったようです。しかし、一国の首相の学問に対する見識は、その国の政治と文化に深甚な影響を及ぼすこととなりますので、私たちは今回の件を決して見過ごしにはできません。任命拒否の理由を、はっきりと、国民にわかるように説明するか、もしできないのであれば、任命拒否の方針を撤回すべきです。


L. プラームスマ著

  『キリストを王とせよ―アブラハム・カイパーとその時代―』

          宮﨑彌男・宮﨑契一訳

          ー第31号より続くー

 

 第2章 試行錯誤:時代の神学


   この時代、英国では?

  当時のこのような精神は,ヨーロッパ大陸全体に拡がっただけではなく、英国やスコットランドにも広く影響を及ぼしました。スイスにおける霊的覚醒(レベイユ)がスコットランドに端を発するものであったことを、すでに私たちは述べました。チャルマースとその弟子たちは、スコットランド教会における18世紀的伝統主義に対して鋭く反発したのです。
 この時期、英国のシュライエルマッハーとも呼ばれた詩人コールリッジが、英国で文筆活動を行っていました。F. D. モーリスは、より進歩的なキリスト教社会思想の代表者でした。さらに、J. H. ニューマンと、その幾分ロマン主義的ともいえるオックスフォード運動は、英国国教会の起源と歴史的背景に新たな関心をかき立てました。 
 サミュエル・テイラー・コールリッジ(1772-1834)は、その詩作において、サウジーやワーズワースと同様にロマン主義的です。彼はまた、ドイツの哲学者カントとドイツの詩人ゲーテの影響を示す宗教的著作をも残しました。コールリッジは、宗教を本質的に倫理的なものとして提示しました。つまり、実践理性こそが宗教的知識の源泉であるとの主張です。贖罪は、人間の倫理的行為であり、神の客観的行為ではありませんでした。

 コールリッジは学派を形成しませんでしたが、彼は彼より若い多くの神学者たちに影響を与えました。コールリッジは、英国国教会内のブロード・チャーチ/自由主義運動の創始者」(注17)と呼ばれていますが、「19世紀的な特徴を著しく印象づけるものでした。

 ユニテリアン教徒の聖職者の息子であったフレデリック・デニソン・モーリス(1805-1872)は、聖公会の教会に転じ、概ね正統派として歩みました。しかしながら、永遠の刑罰の問題に関する彼の思い(sentiments)異端の疑いを呼び、結局彼は神学教授職を辞するに至ります。彼は、友人であるキングスリーやルドローと共に、自由主義の原理たる“自由放任主義”に反対して、キリスト教社会主義運動を始めました。1850年に彼は友人たちと共に、洋服の仕立、建築、鉄器鋳造等の協同作業場を開設しました。1854年には「労働者学校」を設立し、彼自身もその学校の教授となりました。彼の始めた運動は多くの強い反対にも会いましたが、この運動は英国国教会に永続的影響を及ぼし、労働組合の設立と労働者階級のための教育を促進したのです。

 カイパーはこのようなモーリスの業績を研究し、オランダ下院における初期の演説で、「彼の輝かしい才能と広範囲の活躍」(注18)に言及しました。また、カイパーは、信仰者の母であり、「真理の柱であり土台」でもある真の教会を求めた、ジョン・ヘンリー・ニューマン(1801-1890)にも共鳴しました。

 これら二人の偉大な教会指導者の相違は、ニューマンが彼の理想を古代教会に求め、最終的にその理想がローマカトリック教会で実現されたと考えたのに対し、カイパーは宗教改革の宝物を再発見し、真に改革された改革派教会でその理想を実現しようとした点にありました。両者は共に教理と生活の一致を求めました。ニューマンがそのような一致をローマカトリック教会の伝統と実践に見出したのに対し、カイパーはそのような一致を聖書と宗教改革期の諸信条に見出し、それが当時の人々の言語と生活にふさわしく翻訳されることを望みました。

(注17)Schaff-Herzog's Religious Encyclopedia, Vol. III(1958 edition), p.156.

(注18)A. Kuyper, Eenige kameradviezen uit de jaren 1874 en 1875, p.196; see also Ons Program, pp. 148, 413.


【9~10月の活動報告】


9月6日(日)長野佐久教会(長野会堂)にて、主日礼拝説教奉仕。「アポロとその周辺の人々」(使徒言行録18:18~28)。熱心かつ謙そんにキリストの福音を学び伝えた説教者アポロの周辺にいたキリスト信徒(プリスキラ&アキラ夫妻、エフェソ教会の兄弟たち、アカイア州の兄弟たち)が、このアポロを助け,共に福音を広めようとした、どこまでも前向きの姿勢に大いに励まされた(フィリピ3:13-14,ヘブライ12:1-2 参照)。

 9月13日(日)長野佐久教会(佐久会堂)にて、主日礼拝説教奉仕「平和の神」。ヘブライ13:20~21)。ヘブライ人への手紙の終わりに掲げられている祝祷より、平和について学んだ。私たちがどのような生活状況の中にあっても、揺るぐことのない心の平和を得るための条件(三箇条)は、①イエス・キリストの十字架を思い起こすこと,②聖霊を求めること、③良い働きをなすための道を神様が備えてくださることを信じること、です。ここから,教会、国家、家庭において「平和を実現する」ためのすべての働きが始まります。

9月25日(金第8回信州神学研究会於・佐久会堂。7名が出席。上田在住の長田秀夫先生が「カルヴィニズムと諸宗教ー『縄文時代・宗教の社会性』」と題して発題された。「縄文時代」は、通常、約16,000年前~約3,000年前とされているが、その中の中期(約5,500年前~4,500年前)には、信州等にも縄文文化が栄えたとみられ、多くの土偶や遺物が発掘されている。この時代にまで遡って日本人の生活や文化/宗教を考察することによって,私たちの日本伝道もそれだけ視野が広くなり、深みを帯びてくる。次回は、2月26日(金)、於・佐久会堂。テーマ「カルヴィニズムと芸術」(発題:牧野信成教師)。

9月27日(日6ヶ月ぶりで、新潟伝道所を訪ね、礼拝説教奉仕。「平和の神」ヘブライ13:20~21)。礼拝後、以前から親しい樋口広祐兄(伝道所委員)に声をかけ、前号の「文庫だより」に書いたラングレーの本の読書会(「カイパー読書会」)の計画について話す。「ぜひ参加したい」ということだったので、次回出張予定の10月25日(日)の午後、新潟伝道所の会堂を借りて,第一回を行うことになった。以後、私の出張に合わせて、月一回開催の予定。坂戸教会・新潟伝道所の牧師、片岡先生も快諾してくださったので、感謝。

10月4日(日長野佐久教会(長野会堂)にて、礼拝説教奉仕。「使徒言行録に学ぶ」(使徒言行録1:1~2)。長く続いたヘブライ人への手紙の学びをひとまず終えて,今後は、使徒言行録を始めから少しずつ学び、説教することする。この日の説教の主旨は、使徒言行録を,ルカによる福音書の第二巻「昇天後のキリストの御業と教え」として読みたい、ということ。特に,主イエスは今日においても生きておられ、私たちの救いのために、(聖霊によって)御業をなしておられることを強調した。

10月11日(日長野佐久教会(佐久会堂)にて、礼拝説教奉仕。「使徒言行録に学ぶ」(使徒言行録1:1~2)。

10月25日(日新潟伝道所にて礼拝説教奉仕。「教会への挨拶と祈り」(ヘブライ13:24~25)。キリストにある信徒一人一人が同じ主にある諸教会/伝道所のために祝福と執り成しの祈りを献げてほしい。月刊『REJOICE』のコーナー[教会をおぼえてお祈りしよう]により、全国各地の教会/伝道所を覚えて祈るならば、今の時代に必要な聖霊による力強い信仰復興のきっかけとなり力となる。また、個人としても、教会としても、恵みを「受ける教会」から、「与える教会」へと成長することともなる。

 昼食後、13:40-15:40、第一回「カイパー読書会」(ICS軽井沢文庫/主催)。出席者:樋口兄、宮﨑。オリエンテーションの後、「ICS軽井沢文庫だより」第31号の巻頭言「ポスト安倍に必要な政治的霊性」(ラングレーの本『政治的霊性の実践―A.カイパーの政治家人生のエピソード』の内容を宮﨑が大雑把にまとめた小論)を読み、懇談。一つの質問は、セオクラシー(神政政治)について。中世ヨーロッパのように、教会の勢力が強かった時代においては、神の支配を政治の場で主張することは可能であったかも知れないが、今日の時代においては、極めて難しい。しかし、近代民主主義の時代においても、キリスト教信仰に適う綱領を持つキリスト教政党は十分に可能であると思われる。カイパーの政治理念は、一貫してキリスト教民主主義であった。今後とも、キリスト教政党の可能性について学んで行きたい。次回は11月22日(日)午後1時半~3時半(ラングレーの本の第1章)、於・新潟伝道所会堂。なお、スマホのボイス・メモに録音しています。


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【ICS軽井沢文庫】

「ICS軽井沢文庫」は、日本におけるキリスト教有神的世界観人生観の研鑽と普及のために、2016年6月14日に、軽井沢町追分36-23に設置された文庫です。“ICSInstitute for Christian Studies)は、この文庫が、日本における (改革主義)キリスト教学術研修所(大学院)の設置を目指していることを告白するものです。また、最近は、日本におけるキリスト教政党立ち上げのヴィジョンも与えられつつあります。文庫設置の経緯については、「ICS軽井沢文庫だより」第1号(2016.6.14)をごらん下さい(ラベル「ICS軽井沢文庫だより」第1号をクリック)。シャーローム。



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2020年9月8日火曜日

「ICS軽井沢文庫だより」第31号

~巻頭言~                    ポスト安倍時代に必要な

  政治的霊性

宮﨑彌男

  「私は福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる

   者すべてに救いをもたらす神の力だからです」(ローマの信徒への手紙1:16)

 
  8月28日、最長在任期間を誇った安倍晋三首相が、病気が理由とは言え、辞任を表明しました。私としては、「戦後レジームからの脱却」を唱え、軍備拡大と経済第一の「富国強兵」を旨とした同首相の政策を支持できず、早期退陣を願っていただけに、内心は、良かったとの思いを禁じ得ません。しかし、彼の残した負の遺産は甚大で、しばらくは、ゼロに戻す戦いが続きますが、一方では、いよいよ、キリスト教政党を祈り求める私たちの出番だとの刺激を受けたことも確かです。
 キリスト教政党については、「夢か、信仰的ヴィジョンか」と題して、前号にも書いたところです。「『ヴィジョンとは、見ることですから、ある程度の具体性がないと、ヴィジョンとは言えません。私どもの場合、残念ながら、まだ十分の具体性を持つに至っていないので、ヴィジョンと言い切るには、少しおこがましい感じがします」と、前号では、書かざるを得なかったのですが、いつまでも、これではいけないと思い、先ずは、第一歩として、アブラハム・カイパーが1879年に設立した、オランダの「反革命党」"Anti-Revolutionary Party"について少し調べてみることにしました。と言っても、残念ながら、私はオランダ語が読めないので、本格的な研究は、他の有能な若い方に譲らざるを得ないのですが…。
「政治的霊性の実践」
 そのように考えて、ICS軽井沢文庫を眺めていましたら、McKendree R. LangleyのThe Practice of Political Spirituality(政治的霊性の実践)が目にとまりました(注1)。副題には、Episodes from the Public Career of Abraham Kuyper, 1879-1918(アブラハム・カイパーの政治家人生のエピソード、1879-1918)とあります。トロントで、親しく講義を受けたH. Evan Runner 先生が熱の籠もった序文を書いておられるので、一読したのですが、日本におけるキリスト教政党を模索する我々にとっては、時宜にかなった本です。
 ここでは、教えられたこと三つを書きとめておきます。

 1) いつの時代においても、政治と政治家に求められるのは、神の主権性の告白とその定めへの服従である。
 反革命党は、1879年の第一回党大会で21項より成る「綱領」を採択しました。その第3項に曰く、「政治の領域においても、我が党は、神の言葉の永遠の原理を告白する。しかし、国家の権威は、直接的にではなく、教会のいかなる信条によってでもなく、政治に携わる者の良心においてのみ神の言葉ordinancesに束縛される」。このような、聖書と被造世界において啓示されている神の言葉の規範性を認める基本原理に立って、反革命党の「綱領」は、さらに、
 ① 国家主権の究極的源泉は神にある。
 ② 宗教改革的信仰を今日の時代において展開する(Cf.カルヴァン『キリスト教綱要』Ⅱにおける十戒の講解等)。
 ③ 教会と国家の完全な分離。
 ④ キリスト教的な社会改革を議会を通して、民主主義的手段によって押し進める、
等々を掲げています。」
 いつの時代においてもそうですが、とりわけ昨今のわが国の政治と政治家に決定的に欠如しているのは、真の主権者である神とその定めに従おうとする、公正と正義と愛への感受性ではないか(マタイ5:6&「ICS軽井沢文庫だより」26号所収「『政』とは何か」参照)。このように言えば、「公共の場でそのような宗教言語で語っても説得力があるはずはない。それは、あなた自身の価値観から言っていることで、国民すべてに共有できるはずがない」等という反論が出てくるのは目に見えています。それでは、政治の世界では、宗教的/信条的な言語は御法度なのでしょうか。もし、近代政治社会における多元主義 (pluralism)を否定するのであれば、このような反論は成り立つのかも知れません。神の主権性を告白し、正義と公正と愛を主張することは公共の場では許されないのかも知れません。しかし、宗教や思想の多様性を認め、多元主義に立つことは、近代政治の知恵とも言うべきことです。良心に恥じる所のないカルヴィニスト、A・カイパーはこのような政治的多元主義の立場に立って,終生、キリスト教民主主義原理に基づく政治を行ったのです。

2) キリスト教民主主義原理に基づく政治的多元主義の今日的有効性
 しかしながら、以上のように、神の主権性の告白や神の定めへの服従を党の政治的綱領の中で主張することが全く合法的で、当然のことであったとしても、カイパーや反革命党がこの点において、批判にさらされることがなかったとは言えないようです。ラングレーによれば、カイパーが1901年に反革命党の党首として、カトリックの政党と連立を組み、首相の座に着いたとき(注2)、議会での第一声は、彼の民主主義的多元主義と、キリスト教民主主義の原理に基づく社会改革の正統性を再確認する演説であったそうです。「彼は、神政政治的な手法で非キリスト教徒を抑圧するのではないか、との表に出ない恐れに対して、賢く語りました。中世から引き継がれた、そのような神政政治への不安は、福音主義キリスト者が政治の中枢的位置に座るとき、決まって表に出てくるものでした。最近の米国でも、1976年の大統領選挙におけるジミー・カーターの例を思い起こすべきです。彼も、カイパーと同様、多元主義と民主主義的改革の立場を鮮明にしなければならなかったのです」(p. 78)。

3) カイパーのヴィジョンのほとんどは、ギョーム(ウィレム)・フルン・ファン・プリンステラ(1801-1876)から彼が受けたものである。
 カイパーを抜きにして、反革命党の誕生とその後の歴史を語ることはできません。これは確かなことです。しかし、同時に、この反革命党の主張と実践が、カイパーにオリジナルなものではなかったことも確かです。カイパーは、この運動の中心的理念を彼の畏友とも言うべきフルン・ファン・プリンステラ(1801-1876)から受けたのです。
G.ファン・プリンステラ
ラングレーも言っています。「反革命党の真の父は、歴史家であり政治家であり福音の告白者であった、G. フルン・ファン・プリンステラであります。その原理は彼の主著『不信仰と革命』Unbelief and Revolution(1847)から躍り出てきているかのようです。 フルンは神の真理を、不信仰な時代の攻撃に晒されながらも、見極めようとしました。そして、聖書の時代から近代に至るまで私たちを囲んでいる雲のような証人から励ましを得たのです。とりわけ、彼は強調します、私たちは、今日の時代においても、独自のキリスト教的な見方を構築するように努力せねばならない。これは、聖書に無条件で服するものでなければならない。神の言葉は、政府のため、個人のための法律、倫理、権威、自由の土台である、と。歴史を聖書の眼鏡を通して見るという宗教改革者の原理をフルンは踏襲します。その一方で、人間の偽装自律性の眼鏡を通して歴史を見る世俗的ヒューマニストは、フランス革命こそが大いなる歴史の分水線である、と結論づけました。フルンはこのようなヒューマニストの思想を反聖書的(anti-biblical)であるのみならず、反歴史的(anti-historical)とも呼んでいます」(p. 22)。
 
 以上、M. R. ラングレー著『政治的霊性の実践ーアブラハム・カイパーの政治家人生のエピソード、1879年~1918年』を読んだ読後感を記しましたが、私の心の中にある願いは、これをこのままにしておくのではなく、数名の兄弟姉妹たちと読書会を開いて、今日の日本におけるキリスト教政党の可能性を探って行きたいということです(ルカ11:9~10)。それで、次のような条件で参加者を募ります。
 1) 本代(コピー代)として、3000円。アマゾンの古書で、2000円~4000円(5冊ばかり、注文できるようですが、コピーすることもできます)。英語やオランダ語が読めなくても、結構です。
 2) 共通の前知識のため、「ICS軽井沢文庫だより」1~31号の巻頭言をざっと読んでおいてください。読み易いように、プリントアウトしたものを綴じて、小冊子にすることも考えています。
 3) 読書会の日時と場所は、参加者にとって、もっとも集まりやすい日時と場所において行うこととします。
 4) この読書会は、(日本における有神的世界観人生観の研鑽と普及のため)に建てられた「ICS軽井沢文庫」の主催とします。
 以上です。関心のある方はご一報ください。あるいは、ご意見をお聞かせください。
 
(注1)ラングレーによれば、「政治的霊性」(political spirituality )とは、「公共的な事項において、罪と恵みが指し示す方向性をわきまえる能力」のこと。これは、「戦術」(tactics)とは違う。「戦術」は、時代と状況によって変わるが、「政治的霊性」は、すべてを神の栄光のためになすべし、とする神よりの召しとして、いつの時代においても、どのような状況下においても変わることはない(『同書』 p. 3)
(注2当時のオランダ議会(第二院)の勢力図は、全100議席のうち、反革命党24議席、カトリック政党25議席、その他9議席より成る与党58議席に対して、自由民主同盟9議席、自由同盟18議席、その他15議席より成る野党42議席だった。カイパーは与党の代表として、1901年~1905年、首相を務めた。



水野源三「十字架を仰いだならば」(改訂版)

 
 第30号の記事中、<(注1)水野源三さんについて>を次のように、ご訂正ください。訂正事項は、水野源三さんの詩を英訳されるなど、彼の詩に深い関心を持って、関わってこられた長田秀夫先生(元・日本キリスト改革派長野伝道所牧師)のご指摘によるものです。
水野源三の詩碑
「今日一日も」
(注1)水野源三さんについて… 水野源三さん(1937~1984)は、重度の障害を負いながら、4冊の素晴らしい詩集を残したクリスチャン詩人。彼は、小学校4年の時、赤痢による高熱での脳障害により、目と耳以外のすべての機能を失った。何度も死を願う暗黒の中にあった源三さんに転機が訪れたのは、ある牧師が母親に送った聖書により、彼がイエスによる救いを得たことによる。ある日、源三の母は、コミュニケーションをはかるため作った五十音図から彼のまばたきが示す字を拾っていて、衝撃を受けた。それがちゃんとした詩になっていたからである。不幸のどん底にあった息子が神の恵みを歌う詩人になっていたのである。このようにして、彼の詩は次々に書きとめられ、4冊の詩集(アシュラム社)となった。この出版に尽力したのが、「ちいろば先生」こと、榎本保郎牧師である。この牧師との出会いは彼に決定的な影響を与えた。彼が47才で天に召され、36年になるが、多くの人々が彼の詩集に感動し、多くのCDがリリースされている。この「十字架を仰いだならば」もその一つである。彼が住んでいた、長野県坂城(さかき)町は、彼を町の宝としている」(大塚野百合「CD『十字架を仰いだならば』について」解説文による)。
(注2)このCD、今はなかなか手に入らないのですが、私は、長野佐久教会の姉妹から借りて聞くことができました。

L. プラームスマ著

  『キリストを王とせよ―アブラハム・カイパーとその時代―』

          宮﨑彌男・宮﨑契一訳

          ー第30号より続くー

 
(訳者について:今回より宮﨑契一兄が翻訳を手伝ってくださっています。同兄の作成した下訳を、宮﨑彌男がチェックし、最終的に、意訳も含めて、読みやすい形に仕上げました。引き続き、ご愛読ください)


 第2章 試行錯誤:時代の神学


   シュライエルマハーとその学派

 
 シュライエルマハー(Schleiermacher)は彼の生きた時代の子であり、ある程度までは、その時代を代表する神学者でした。すでに私は、ロマン主義運動のことを合理主義に対する必然的な反動であると述べましたが、ある程度まで、また彼の生涯の特定の期間において、シュライエルマハーは正にこの運動の神学者であったのです。
 教会史家のネアンダー(Neander)はシュライエルマハーの死後、彼のことをこう述べました。「教会の歴史においては、彼と共に新しい時代が始まるのだ」と。シュライエルマハーの主観主義的神学に反対して強力な反対の声を上げたカール・バルト(Karl Barth)も、彼を「神学にごく稀にしか与えられない英雄」と称えることをやめませんでした。バルトは「神学の領域に限って言えば、それは正に彼の時代であった」(注9と付け加えたのです。
 言葉の限りを尽くしてシュライエルマハーの汎神論に異議を唱えたカイパーでさえ(注10、後には、次のように彼を称えました。

彼が舞台に登場した時、彼は、神学がほとんど哲学のひもによって絞め殺されそうになって、墓地の片すみに横たわり、幾人かのためらう友人たちによって、何とか歴史とヒューマニズムからもぎ取られた花で飾られているのを見出した。神学は宗教の方法に従う中で、両者共にその名声を失った。教会や教会生活に関わるすべては混乱状態にあった。しかし、それはまさに、シュライエルマハーがもはや耐えられないことであったのである。彼の考えでは、宗教的生活とは、彼自身の魂を装飾する宝石であり、教会の人々にとってのいのちの息に他ならなかった。彼はそのような宗教の名誉の回復をしたいと思った。そして、そのような名誉の回復は、教養あるドイツ国民の学問上の自尊心を満足させない限り、できないことなので、国民の間にその声が聞かれるような神学を創造することこそが彼の野心となり、また、熱情ともなったのである(注11)。

 カイパーは19世紀初頭における、神学の荒廃した位置の概略を述べるために、これらの言葉を用いました。この時代、多くの人々の考えでは、合理主義はどのような超自然的啓示の可能性と妥当性をも破壊してしまっていました。超自然主義は既に敗北した地位を守ろうと無駄に努力をしたのです。カント(Kant)の信奉者たちは、理性の要請として宗教の
場を保とうとしましたが、彼らは神知識と神礼拝を、義務の声に聞き従う責務と取り替えました。言い換えれば、彼らは宗教の占めるべき場を道徳性に替えてしまったのです。浪漫主義に関しては、それは尊重すべき歴史の領域へと郷愁をもって回帰したのですが、その過程において、しばしば宗教から美学への移行がありました。つまり、そこでは、宗教は、レンブラントの絵や印象的なケルン大聖堂と同じ仕方で、私たちの情緒に触れるべきものとされるのです。
 これが、シュライエルマハーの日々呼吸していた精神的風土でした。応答として彼は「宗教論―宗教を軽んずる教養人への講話」(Address on Religion to Its Cultured Despisers)を書きましたが、そこで彼はこのように述べています。

宗教は世界または神についての知識でも科学でもない。宗教は知識ではないが、知識や科学を認める。宗教はそれ自体において愛情affectionであり、有限の中での無限の啓示であり、神はその中において見出され、それは神の中に見出される(注12

 つまり、宗教とは愛情affectionであり、感情でありました。バルトが、「シュライエルマハーの神学は感情の神学、より正確には、敬虔な感情の神学である。それは、また、意識の神学であり、より正確には、敬虔な意識の神学である。」と言ったとおりです(注13
 この講話で、シュライエルマハーは、何事をも感情や美的感覚の見地から説明しようとした浪漫主義に非常に近づいているのですが、彼自身の感情の概念は特別な宗教性を持つものでした。後の体系的な著作の中で、彼はそれを「絶対依存の感情」と呼んでいます。
 これまで、シュライエルマハーは学派を形成しなかったと言われてきました(注14しかしながら、彼以後のすべての神学は彼に依拠しているとも言われてきたのです。「彼の教義学は誰にも採用されなかった。しかし、彼の影響は、自由主義、穏健派、信条主義など、すべての神学思想の学派、さらには、ローマ・カトリック、ルター派、改革派など、すべての教会にまで及んだ。彼と最も近い関係にあったのは、『調停神学者』vermittlungs-theologenと呼ばれた人々であった」(注15
 シュライエルマハーの信奉者には2種類ありました。一方ではシュライエルマハーは「現代神学の父」(注16と呼ばれました。多くの神学者たちは、彼の神学の主観的な要素を強調するの余り、超自然啓示のすべての痕跡を否定するに至りました。このような仕方で彼らは現代の意識に歩調を合わせたのです。
 また、他方では、保守派の存在もありました。多くの正統派の神学者もまた、シュライエルマハーに影響を受けたのです。彼らは聖書や信仰規準の内容を守ろうとしたのですが、人間の感情、すなわち、聖書と信仰告白が人間の心に引き起こす共感に訴えることによってそのことを行いました。これらの神学者たちは、またいくぶん聖書に批判的でもありました。カイパーが、彼のかつての半正統派の友人たちにさえ、容赦のない否を突きつけねばならなかったのは、まさにこの点であったのです。

(注9K. Barth, Die Protestantische Theologie , pp. 378-380.
(注10A. Kuyper, De Vleeschwording des Woords (1887), p. 60.
(注11A. Kuyper, Encyclopaedie der heilige Godgeleerdheid, Vol. I (1908-2), p. 351.
(注12B. M. G. Reardon, Religious Thought in the Nineteenth Century1966, p. 44.
(注13K. Barth, Die Protestantische Theologie , pp. 400.
(注14Barth, p. 377.
(注15H. Bavinck, Gereformeerde Dogmatiek, Vol. I (1918), p. 140.
(注16Dillenberger and Welch, Protestant Christianity, p.189.

【7~8月の活動報告】


7月5日(日)長野佐久教会(長野会堂)にて、主日礼拝説教奉仕(ヘブライ13:22~23)「勧めの言葉」。私どもにとって「口に苦い」言葉であっても、耐え忍んで聞くことにより、福音は私たちの生活を変える力となる。説教を聞く者に求められるのは、「注意力と準備とと祈りをもってこれに傾聴すること」「信仰、愛、素直さ、気構えをもって,真理を神の言葉として受け入れること」(ウエストミンスター大教理問答160)。

 7月12日(日)長野佐久教会(佐久会堂)にて、主日礼拝説教奉仕(ヘブライ13:12~16)「教会生活の三要素」。キリストの流された「血」によって、罪の赦しをいただいた私たちは、「礼拝」と「良い行い」と「施し」において、「賛美のいけにえ」を神に献げる。ここにキリスト者の生き様がある。午後、北軽井沢在住の富田渥子姉来訪、宮﨑契一兄、あかり姉も交え、教会生活について語り合う。
第二文庫(右側)

7月25日(土ICS軽井沢文庫に隣接する第二文庫が完成。追分宿でアンティークカレン」を切り盛りしておられるおじさんと親しくなり,手作りの立派な文庫小屋を造ってもらった。本の収納に少しばかりゆとりができた。

8月2日(日長野佐久教会(長野会堂)にて、礼拝説教奉仕(ヘブライ13:24~25)「教会への挨拶と祈り」。キリストにある信徒ひとりひとりがキリストにある諸教会/伝道のために祈りを献げよう。日本の教会が力をいただく第一歩である。

8月9日(日長野佐久教会(佐久会堂)にて、礼拝説教奉仕(ヘブライ13:15~17)「指導者たちに従いなさい」。現役の牧師としては説きづらいテーマに違いないが、引退教師として語った。神様の前に責任を持つ者として,日々聖徒のために祈り牧会する指導者が喜んでその務めを果たすことができるように、協力することは、教会の健全な成長のために、また、私たちの全生活が主への賛美となるために,
必須のことである。


「ICS軽井沢文庫だより」の印刷方法

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【ICS軽井沢文庫】

「ICS軽井沢文庫」は、日本におけるキリスト教有神的世界観人生観の研鑽と普及のために、2016年6月14日に、軽井沢町追分36-23に設置された文庫です。“ICSInstitute for Christian Studies)は、この文庫が、日本における (改革主義)キリスト教学術研修所(大学院)の設置を目指していることを告白するものです。また、最近は、日本におけるキリスト教政党立ち上げのヴィジョンも与えられつつあります。文庫設置の経緯については、「ICS軽井沢文庫だより」第1号(2016.6.14)をごらん下さい(ラベル「ICS軽井沢文庫だより」第1号をクリック)。シャーローム。



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2020年7月1日水曜日

「ICS軽井沢文庫だより」第30号

~巻頭言~  

「夢か、信仰的ヴィジョンか」

 ―キリスト教政党設立に向けて―

 
 「ICS軽井沢文庫だより」は、2016年6月に発信始めて以来、今号で30号を数えるに至りました。主の導きを感謝します。本「たより」の文末には、ICS軽井沢文庫設置の目的が、次のように記されています。
 「ICS軽井沢文庫は、日本におけるキリスト教有神的世界観人生観の研鑽と普及のために、2016年6月14日に、軽井沢町追分36-23に設置された文庫です。“ICSInstitute for Christian Studies)は、この文庫が、日本における (改革主義)キリスト教学術研修所(大学院)の設置を目指していることを告白するものです。また、最近は、日本におけるキリスト教政党立ち上げのヴィジョンも与えられつつあります」。
 二番目に挙げられている日本におけるキリスト教政党立ち上げのヴィジョン」については、すでに昨年3回に亘り、「キリスト教政党への道」(24号)「政界にキリストの風を」(25号)「『政』とは何か」(26号)と題して論じました。
 石井正治郎先生は、宮城県蔵王町在住、日本キリスト改革派教会の引退教師ですが、かつて、先生がオランダ/アムステルダム近郊の日本人キリスト教会で牧師をしておられた時、お訪ねしたことがあります。その折、一日を割いて、アブラハム・カイパーゆかりの教会や大学(注1)等をご案内下さいました。それ以来、親交をいただき、「ICS軽井沢文庫だより」も創刊時より読み、コメント下さっています。時には、文庫のために献金も頂き、応援して下さっています。先日いただいた、手製のおハガキには、こう書いてありました。
 「日本における大学院の設置とキリスト教政党設立、でっかい夢。夢見るヨセフの夢はことごとく実現したからなあ。でっかい夢は結構至極。問題は手順だね。でも、ヨセフの場合、あんまり人間的細工はしなかったねー。…」
 でっかい夢!確かにそうです。でも、単なる「夢」ではなく、「信仰的ヴィジョン」である、と私は考えています。「ヴィジョン」とは、「見ること」ですから、ある程度の具体性がないと、「ヴィジョン」とは言えません。私どもの場合、残念ながら、まだ十分の具体性を持つに至っていないので、「ヴィジョン」と言い切るには、少しおこがましい感じがします。
 しかし、聖書の定義に従えば、「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」(ヘブライ人への手紙11:1)。ならば、私たちのキリスト教政党設立に向かってのヴィジョンは「信仰的ヴィジョン」と言うことができるのではないでしょうか。「アーメン(確かにそう)」です。神はこのことを望んでおられるのです。現代日本にキリスト教政党が設立されることを!あとは、手順を踏めば良いのです(注2)もちろん、私個人の働きではありません。多くの同志が起こされることを、確信しています。

(注1)カイパーが、素朴な改革派信徒の信仰に触れて、古くからのカルヴァン主義的な信仰に目覚めたベーストの教会、国会議員としての働きを始めた古都ユトレヒト、カルヴァン主義的な大学としてカイパーが立ち上げたアムステルダム自由大学、等々。
注2Kuyper, Abraham: Our Program--A Christian Manifesto (Lexham Press, 2015)、さらには、田原総一朗著『創価学会』(特に第3章「政治進出と池田大作の会長就任」&第7章「公明党の連立参加とその舞台裏」)等は、私たちにとって、参考になります。


~レポート~

「ほのぼの絵はがき」と「十字架を仰いだならば」


 中根汎信牧師と文江夫人の合作「ほのぼの絵はがき」をご存じですか。暑中見舞いやクリスマスカードで、拝見していたのですが、先日、第1~6集をまとめて送っていただきました。正に「ほのぼの絵はがき」で、心いやされ、この世界が神によって造られ、キリストの愛の下にあることがよくわかるようになります。中根先生(大垣在住の引退教師)は、私の神学生時代からの友人で、「ICS軽井沢文庫だより」の読者でもあります。文江夫人が3年前に頚髄損傷の重傷を負われ、首から下が不自由になったのですが、その後手術やリハビリによって、徐々に上半身の機能が回復、字や絵を描くこともできるようになりました。けがをする前は、絵の趣味などなかったのですが、手が動くようになってすぐに絵を描き始めました。それに中根先生が解説文をつけたのが今回の「ほのぼの絵はがき」集です。これを<第1~6集>として絵はがきにされたのは、四日市教会の伊藤治郎兄(j-itoh@cty-net.ne.jp)ですが、1集200円で購入することができます。
 この「ほのぼの絵はがき」と深い所で連動していると私が思ったのが水野源三さん(注1)の詩集を島塚光さんが作曲CD化された「十字架を仰いだならば」(注2)です。神の創造された自然の中に、創造主・あがない主の恵みと慈しみを見る目を持っておられるところに二人の共通性があります。「ほのぼの絵はがき」第6集にある「外は雪、お茶でもどうぞ」と、源三さんの「粉雪」は、雪を見る感性において、似通ったものがあります。「外は雪、お茶でもどうぞ」について、中根先生のコメント:
「外は雪、お茶でもどうぞ」
「(そこには)薄暗い鉛色の空から、音もなくしんしんと降り続ける雪というイメージはありません。雪が木立といっしょになって踊っているように見えませんか。
 このような雪を眺めていると、なぜか楽しい気分になります。雪の日でも、ぽかぽかした暖かさすら感じます。ポインセチアの赤い色のせいでしょうか。…おや、鳩時計も3時を指していますね。暖かいお茶に、ほんのり甘いおせんべいもありますので、ご一緒にいかかですか」
 一方、水野源三さんの「粉雪」…十字架と復活のイエスを信じる信仰ゆえに、源三さんは、降りしきる雪の中にも、「静けさ」を体感することができました。この「静けさ」は、モネの「睡蓮」にも見られる静けさだと言った人もいます(大塚野百合「CD『十字架を仰いだならば』について」解説文)。
   「粉雪が静かに降り、姿も見えない。誰も通らない。主よ、あなたと私
   だけです。主よ、御姿を仰がせたまえ。
    粉雪が静かに降り、何も見えない。何も聞こえない。主よ、あなたと私
   だけです。主よ、御言葉を慕わせたまえ。
    粉雪が静かに降り、道も見えない。道もわからない。主よ、あなたと私
   だけです。主よ、御心を求めさせたまえ」。
 主イエスの十字架と復活を信じる信仰は、私たちの自然を見る目をも変えてしまいます。そこには、「暖かさ」があり、「静けさ」があるのです。
「十字架を仰いだならば」

(注1)水野源三さんについて… 水野源三さん(1937~1984)は、重度の障害を負いながら、4冊の素晴らしい詩集を残したクリスチャン詩人。彼は、小学校4年の時、脳性小児麻痺におかされ、目と耳以外のすべての機能を失った。何度も死を願う暗黒の中にあった源三さんに転機が訪れたのは、ある牧師が母親に送った聖書により、彼がイエスによる救いを得たことによる。その牧師とは、三浦綾子さんがその伝道者生涯を「ちいろば先生」として描いた、榎本保郎牧師である。この牧師との出会いは彼に決定的な影響を与えた。ある日、源三の母は、コミュニケーションをはかるため作った五十音図から彼のまばたきが示す字を拾っていて、衝撃を受けた。それがちゃんとした詩になっていたからである。不幸のどん底にあった息子が神の恵みを歌う詩人になっていたのである。このようにして、彼の詩は次々に書きとめられ、4冊の詩集となった。彼が47才で天に召され、36年になるが、多くの人々が彼の詩集に感動し、多くのCDがリリースされている。この「十字架を仰いだならば」もその一つである。彼が住んでいた、長野県坂城(さかき)町は、彼を町の宝としている」(大塚野百合「CD『十字架を仰いだならば』について」解説文による)。
(注2)このCD、今はなかなか手に入らないのですが、私は、長野佐久教会の姉妹から借りて聞くことができました。

    

     矢内原忠雄「国家存亡の危機」

           (次号より、連載) 

 

      L. プラームスマ著

  『キリストを王とせよ―アブラハム・カイパーとその時代―』

            宮﨑彌男訳

          ー第29号-2より続くー


 第2章 試行錯誤:時代の神学


 超自然主義


 合理主義への対抗思想として先ず第一に挙げられるのは、神の啓示は超自然的であることを合理的に証明しようとする超自然主義です。啓示の事実は、前提として受け入れられるのですが、同時に自然神学の可能性と必然性も肯定されます。人間の合理的認識と神の啓示の真理との間には矛盾がないことを示すために可能な限りの努力がなされます。
 英国教会のバトラー監督はこの分野における先駆者的存在です。オランダの神学者ムントヒンヘやファン・オーステルゼーは、その足跡に、ある程度まで従った人たちです。バトラー監督(1692-1752)は、『宗教の類比ー自然宗教と啓示宗教』(1736)と題する本を書きましたが、その中で彼は、これら二つの形態の宗教間に類似性があることを示そうとしました。その主な議論は、蓋然性probabilityと安定性securityを基礎とするものでした。彼の主張は、キリスト教宗教が数学的方法によって証明できないことを認めるにしても、他の分野におけるわれわれの結論も精々のところ、蓋然性によるものではないか、もしそうならば、神の啓示の真理を無視するよりも、その導きに従う方がより安全ではないかというものでした。
 グロニンゲンの教授、ムントヒンヘ(1752-1824)は、神の啓示の合理性をその進展性、人の成長段階への適合性、さらには、人類への教育的資質に見出そうとしました。彼は、キリストが神の怒りを満足させたとする教理を「不適切かつ非合理的」と批判し、「冒涜的」とさえ断じました。
 オランダの弁証学者、J. J. ファン・オーステルゼー(1817-1882)は、決して世俗的な意味での超自然主義者であったわけではありません。むしろ、彼は、陳腐な超自然主義と、等しく陳腐な合理主義の両方に反対していました(注7)。彼は、心を尽くして、飼い葉桶と十字架の福音を説きました。しかしながら、彼は、啓示の事実を実証するための根拠を理性に求める弁証学派の創始者また代表者ともなったのです。その結果として、彼は、しばしば、改革派教会の信条から逸脱することとなりました。カイパーと対立する時もありました。1873年に彼は、カイパーに対して書いています。「われわれは、事実を変えることはできない。この点で、われわれは、基本的に対立している。私は、感謝の握手をもってあなたと別れたい」と(注8)
 ファン・オーステルゼーのような人たちは、キリスト教の本質的な価値を擁護しようとしました。しかし、その弁証の仕方が、余りにも合理主義的であったので、胎動しつつあった近代主義との大いなる戦いにおいて真の力とはならなかったのです。

(注7)J. C. Rullmann, in Christlijke Encyclopaedie, first edition, Vol. IV, p. 441.
(注8)P. Kasteel, Abraham Kuyper (1938), p.44.


 

【5~6月の活動報告】


5月3日(日)長野佐久教会(長野会堂)にて、主日礼拝説教奉仕(ヘブライ13:17~19)「私たちのために祈ってほしい」。神は教会に御言葉の宣教者を遣わしてくださる。彼らのために祈る事がどんなに必要か!!

 5月10日(日)長野佐久教会(佐久会堂)にて、主日礼拝説教奉仕(ヘブライ13:7~16)「十字架の血によって」。新約聖書における「血」は、罪の赦しをもたらす主のいけにえ(犠牲)を表す教会用語。私たちも自分中心の生き方をやめて、キリスト中心に生きることによって、主のご受難に与る者とされる。

5月24日(日長野佐久教会(長野会堂)では、主日礼拝後、豊野霊園教会墓地に行き、墓前礼拝を行った。現在は、昨年6月に召天された長田礼子姉だけが埋葬されている。司式:牧野信成牧師。その後、昨年10月の台風19号による水害で1階部分がほぼ水没した賛育会豊野病院を訪ね、後日、復興のための献金をお送りした。

5月30日(土長男、宮﨑契一牧師と川田あかり姉の結婚式が、午前11時より、軽井沢「恵みシャレー」の礼拝堂で行われた。司式:牧野信成牧師、立会:小峯明牧師夫妻。新型コロナウィルス感染拡大防止のため、新郎新婦とその家族、関係者のみの出席となったが、緑溢れる軽井沢での祝福された結婚式であった。私は、親族代表挨拶という形で、伝道に旅立つ二人を祝福した。

6月7日(日長野佐久教会(長野会堂)にて、礼拝説教奉仕(ヘブライ13:20~21)「平和の神」。キリストを死者の中からよみがえらせた平和の神が、私たち教会に聖霊を降(くだ)し、諸々の良い働きが出来るように万事整えてくださる。



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2020年5月1日金曜日

「ICS軽井沢文庫だより」第29号ー2

~巻頭言~   「グリーンイースター」


宮﨑彌男

 

「山々よ,すべての丘よ、実を結ぶ木よ、杉の林よ、
野の獣よ、すべての家畜よ、地を這うものよ、
翼ある鳥よ、…主をほめよ。」
(詩編148:9,10,13)

 グリーンイースターって何だ?それは、日本語で言えば、「緑の復活節」ということになるでしょうか。英語の辞書で green の項を引くと、用例の一つとして green Christmas が出てきます。雪の降らないクリスマスのことをgreen Christmas と言うのだそうです。そうしますと、green easterは、雪の降らないイースター、すなわち、「緑の復活節」ということになるでしょうか。 
 今年のイースター(4月12日)は、新型コロナウィルス感染予防のため,ということで、外出を控えるようにとの行政上の要請があり、教会でも、礼拝集会を開催することができず、自宅で礼拝を守った所も多くあったようです。そんなわけで,少し静かなイースターだったのですが、それだけに、郵便ポストやメールボックスに「イースターおめでとう」のカードやメールを見つけたときには、喜び一入でした。
 そのような中で,一つご紹介したいのは、私のトロント時代、共に学んだ友人Perry Reckerからのイースターメールでした(注)。それには、今年のイースターのために彼が編訳したという Okke Jager(オランダ・カンペンの神学者・ラジオ説教者)のイースターメッセージ、A Green Easter が添付されていました。オランダ語から英語に翻訳されたものだけに、日本人の私には、一読、よくわからなかったのですが、辞書を引き引き,読み返して見ると、“究極のイースターメッセージ” を読み取ることができました。英語から日本語に重訳してでも、皆さんに提供できれば良いのですが、それは、今後の課題として、ポイントだけご紹介しておきます。共にグリーンイースターを喜ぶためです。
 
 冒頭の文章はこうです。「イースターに雪が降ることはめったにありません。ほぼ毎年、イースターは緑の季節です。詩編148編の作者が『実を結ぶ木よ、杉の林よ、…主をほめよと歌っていますが、イースターは、私たちがそのように歌うのに、とりわけふさわしい時です先月号の「ICS軽井沢文庫だより」(第28号)の冒頭の聖句や出だしの文章とよく似ているので、驚きました。やはり、イースターの喜びは,どこでも、だれでも同じなのですね。
 それで、ここでは、私の印象に残っている箇所を選び、そのおおまかなサマリーだけをご紹介します。O.イエガーは申します。福音書はすべてキリスト復活後に書かれたものだから、すべての記事をキリストの復活に遡って読むことができるのだ、と。例えば、ルカが、天の大軍が現れて「地には平和」と賛美した、と記した時、ルカはキリストの復活によって天地が終末に向かって動き始めていたことを喜んでいたと想像をめぐらすことができる。復活のキリストの言動を書き記している使徒言行録1章でも、ルカは昇天と再臨に触れずにはおかない(9~11節)。
 このように聖書を読むと、キリストの復活は,私たちに将来起こるべき恵みの数々の始まりであることがわかる。イエスの遺体がなくなっていた「空っぽの墓」から出るとき、私たちはそこに贖われた大宇宙への入り口を見る。エマオの先にあるのも、贖われた宇宙である。エマオの一室にしか復活のイエスを見ないものは第二戒(偶像を造るな)を破る者だ。キリストは、すでにこの時から、新しい地の再建を始めておられるのだから。復活のキリストこそ第二のアダムだ。この方は、この時すでに、1アサリオンで売られている2羽の雀(マタイ10:29)を知っておられたに違いない。マリアの目から、朝露のような涙を拭われたイエス(ヨハネ20:17)は、もともと野の花を着飾ることのできたお方なのである。私たちは、マリアが間違ってイエスを園丁だと思ったと言うが、実のところ、主は新しい地の園丁なのだ。
 私たちの生活を振り返って見ると、体は疲れ果てた兎のように、空しく、精気を失っているのではないか。しかし、イースターはそのような体を、もう一度しなやかな体に作り替えることができる。神は鹿のような足を与え(イザヤ35:6)、鷲のように飛びかける新しく若々しい力を私たちのものとしてくださる(同40:31)。情緒面でも元気になる。萎縮してしまった心はまた生気を取り戻す。私たちの目にキリストは喜びとなり、イースターには「緑はあなたのためだよ」と祝福してくださる。イースターには、金で舗装された通りの交差する広場にいるような気持ちになるだろう。これまでなかったような長期の休暇が空の墓のある庭で始まる。この墓から戻ってきた婦人たちは少しばかり若返ったように感じたのではないか。イースターには、呼吸することが、体の必要のためだけではなく、歓びの祝宴となる。
 さらに続けて O.イエガーは申します。大きな石が脇へ転がされたとき、顕わになったのは、イエスの墓だけではなかった。私たちの生活全体が同時にそこで顕わになったのだ。すべてがもはや見かけ上のことではなくなり、命を吹き返した信仰によって、私たちは新しい可能性と機会をそこかしこに見ることができるようになった。すべてを、死に至る事として見ないで、むしろ、神の心に導く事として見るようになるからだ。
 アテネには、年老いた者たちのための神殿があった。人々はそこに子供たちを連れて行った。これは良いことだと思った人が真面目な人たちの中にもいたようだ。若い時に、人生とは死に向かう行程に過ぎないことを知らせるためだ、と。一方、エルサレムの神殿は若者のために建てられていた。そこは、年老いたアンナが祈りの拠点としていたところだが、後には幼子イエスを迎える場所となる。アンナが神殿に入った時には、先ず顔を、日の沈む西方に向けて、生涯の終わりには自分も死ななければならないことを一瞬思ったかも知れない。神と会うことは死に直面することでもあった。しかし、死は、神殿に入る敷居以上のものではなく、そこから先には、真の命の始まりがある。実を結ぶ木や花に囲まれて、アンナは詩編 92:13~15 の なつめやしやレバノン杉のようになる。ひとたび神殿の中に入ると、彼女は、朝日を受けて、新緑の喜びへと導かれる。
 神に近くあることによって、私たちは、命は死の苦しみを経ても獲得する値打ちのあるものだと知らされる。
 
 以上は、Perry Recker が英訳して送ってくれた Okke Jager の A Green Easter を、私なりに、約3分の1に要約したものです。しかし、イースターの喜びを、終末論的&世界観的な拡がりの中で、改めて味わい知ることができるのではないでしょうか。思えば、日本キリスト改革派教会創立宣言(1946年4月29日、東京)が出たのも、イースターの季節でした。
 グリーン・イースター(緑の復活節)をあなたに! ハレルヤ!

(注) Perry Reckerは 、1988年4月(ちょうど、今頃の季節)、ピースボートで世界一周の途中、船が神戸に寄港した折に、私を訪ねてくれました。神戸市北区の春名純人教授(キリスト教哲学)宅に案内し(写真)、神戸改革派神学校では、チャペルトークもしてくれました。若いときの  P.R. です。同兄は、若い頃から  Calvin Seerveld(キリスト教哲学者、美学者)に師事し、その引退記念献呈論文集『ヨベルの誓い』(Pledges of Jubilee)の巻末には、全著作・講演の文献表を寄稿しています。トロントICSでは、Hendrik Hartのもとで、キリスト教哲学を専攻し、哲学修士、同教授の引退記念献呈論文集『応答性としての哲学』(Philosophy as Responsibility)にも、その著作・講演の文献表を納めており、今も、改革主義キリスト教信仰によって様々な奉仕と活動に従事している兄弟です。

 

矢内原忠雄「国家存亡の危機」

 
 この講演は、矢内原が、敗戦の翌年、1946年2月11日におこなったもので、解説を付して、ご紹介したいと思っていましたが、今回は、私のミスで、(同時期になされた矢内原の)他の講演(「日本の傷を医す者」)を入力してしまいました。次号に掲載します。

 

L. プラームスマ著

『キリストを王とせよ―アブラハム・カイパーとその時代―』

宮﨑彌男訳

ー第28号より続くー

第2章 試行錯誤:時代の神学 



合理主義

A.カイパー
 19世紀の前半、古い合理主義を代表する思想家の影響はまだ残っていました。もともと敬虔主義的であったハレ大学においては、ユリウス・ヴェグスハイダー(1771-1849)によって合理主義が説かれていました。1815年に出たその著書『キリスト教教義神学要綱』は8版を数え、当時の標準的な神学教本となりました。人間理性に対する単純素朴な信頼のゆえに、ヴェグスハイダーは、宗教改革の原理(キリストの恵みにより、信仰によって得られるあがない)に替えて、人間による自己贖罪の原理を説きました。キリストはその模範となられたというのです(注1)
 同じように、福音書の注解を書いたH・E・G パウルス(1761-1851)は、キリストの復活は、仮死状態の身体の覚醒に過ぎなかったと主張しました。また、キリストが湖面を歩かれたと言われているのは、実際には、湖岸を歩いておられたのだと主張しました。このような考えは、18世紀的な思惟の生みだしたものですが、19世紀の自由主義思想の背後になお残っていたのです。
 後でくわしく見るシュライルマッハーは、確かに、合理主義者と呼ばれることを喜ばなかったことでしょう。しかし、フォン・シュタイン男爵が、「教職の地位を解かるべき12名の合理主義者に対しては、強い処置が取られるべきである」との見解を公にしたとき、シュライエルマッハーは、公表された書簡の中で、自分は固定的教理条項を耳にして突然のように闇に囲まれ、自由な光に戻ろうと扉を探そうとする者」のように感じた、と告白しています(注2)
  1832年に、ヴァイマールの宮廷付牧師であった J.F.レールによって、のような合理主義的な信条が作られました。
 われわれが,最も完全な存在者、世界の創造者、賦与者、支配者として、また、人類の父として、心を尽くして礼拝すべき真の神がおられる。この礼拝は、第一義的には、徳と正直を求め、肉的情欲に対して良く戦い、iイエスの模範にしたがって生きる義務の遂行へとふさわしい献身を求めるものである。このように礼拝する者に、神は、世の様々な困難の中にあっても、父らしい助けを与え、道徳的に至らないところがあっても、恵みと
と憐れみにより、死後のより良い,祝福された命による慰めを与えてくださる(注3)
 同様の合理主義は,この時代のオランダにおいても,支配的でした。フルン・ファン・プリンステラは、次のように記しています。
 肉において啓示された神であるキリストは,他の被造物よりも高位の神的存在とされた。聖霊は神的力以外の何ものでもない。原罪とは,道徳的腐敗、弱さ、不完全さ、完全への可能性であった。仲保者の受難と死によって知ることができるのは、万人に対する神の普遍的愛の証明以外ではない。再生、回心、聖化は,道徳的向上、徳の実践の開始と成長に姿を変えた。また、天は、目立った大きな罪を犯さなかった者には,すべて開かれるようになった。(注4)
 カイパーは,後に、「オランダの諸教会を除き、すべての欧州教会を骨の髄まで凍らすことに成功した合理主義の呪い」について記すことになります。カイパーは,当時、ヴォウブルッヘのオランダ系スコットランド人の牧師で、時代の精神に抗っていた強固なカルヴィニスト、アレクサンダー・コムリーについて書いていましたので、オランダの諸教会の状況を例外にしたいと思ったようです。
(注5)。
 カイパーが合理主義のことを人を凍らせる冬の風に喩えたことは、正しかったのですが、彼は、オランダの状況を余りにも楽観主義的に捉えていました。なぜなら、コムリーや他の人たちの努力にも拘わらず、オランダの諸教会もそのような凍えから逃れることはできていなかったからです。


(注1)K. Barth, Die Protestantische Theology im 19. Jahrhundert (1947), pp.425-432.

(注2) K. Aner, Kirchengeschichte, Vol. IV (1931), p.158.

 (注3)  Aner, p. 155.
 (注4)  Versprede geschriften (1860), p.16
(注5)  A. Kuyper, "Alexander Comrie," in The Catohlic Prebyterian (1882).

【4月の活動報告】


4月5日(日)長野佐久教会(長野会堂)にて、「棕櫚の日曜日」受難週主日礼拝奉仕(マルコによる福音書11:1~11)「軍馬か、子ろばか―平和の福音―」。イエスは、軍馬ではなく、子ろばに乗って、エルサレムに入城された。このことによって、イエスは、ご自分が柔和で、謙遜な王であられることを示された。このような王による支配は、明治以来の「富国強兵」の国造りとは、相反するものと言わねばならない。この度のコロナウィルス禍による経済の落ち込みはどこまで進むのか。神はこのことによってわが国の「経済第一」の国造りを裁いておられるのではないか。むしろ、「柔和な人たちは幸いである。その人たちは地を受け継ぐ」(マタイ5:5)と教えられた、貧しく質素でも、人を思いやる新しいライフスタイルを求めておられる。

 4月12日(日)長野佐久教会(佐久会堂)にて、イースター礼拝説教奉仕(マルコによる福音書15:42~16:8)「イースターの喜び」。マルコによる福音書の復活記事は、「恐ろしかったからである」との一文で終わっている。イエスが死者の中からよみがえられたというイースターのメッセージは、先ずは私たちの内に恐れを生み出すからだ。イースターの喜びは並大抵の喜びではない。それは、死をも命に変える喜びである。この復活信仰に生きるならば、どんなに難しい問題でも解決できる。ハレルヤ!主よ。
 
4月16日(木)新潟伝道所を含む多くの教会では、しばらくの間、コロナウィルス感染拡大防止のため、オンラインで在宅礼拝を守ることになったと聞く。そのようなこともあって、「ICS軽井沢文庫だより」をお送りしている数名の方々には、「軍馬か、子ろばか―平和の福音―」(受難週礼拝) および「イースターの喜び」(イースター礼拝) の説教原稿を送り、喜ばれた。



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「ICS軽井沢文庫」は、日本におけるキリスト教有神的世界観人生観の研鑽と普及のために、2016年6月14日に、軽井沢町追分36-23に設置された文庫です。“ICSInstitute for Christian Studies)は、この文庫が、日本における (改革主義)キリスト教学術研修所(大学院)の設置を目指していることを告白するものです。また、最近は、日本におけるキリスト教政党立ち上げのヴィジョンも与えられつつあります。文庫設置の経緯については、「ICS軽井沢文庫だより」第1号(2016.6.14)をごらん下さい(ラベル「ICS軽井沢文庫だより」第1号をクリック)。シャーローム。


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2020年3月31日火曜日

「ICS軽井沢文庫だより」第28号

~巻頭言~   「軽井沢:空と木と本」


宮﨑彌男

 

「雨も雪も、ひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ、種蒔く人には種を与え、食べる人には糧を与える。そのように、私の口から出る私の言葉も、むなしくは、私のもとに戻らない。それは私の望むことを成し遂げ、私が与えた使命を必ず果たす。
 あなたたちは喜び祝いながら出で立ち、平和のうちに導かれて行く。山と丘はあなたたちを迎え、歓声をあげて喜び歌い、野の木々も手をたたく。」  

(イザヤ書55:10~12)


(新型コロナウィルス蔓延の中で)
 

今年初めに、「新年の抱負」を物してから、三ヶ月がたちました。「今年は旅に出たい」との私の計画は、コロナウィルス日本上陸の波を受けて、今のところ、実現の兆しさえ見えていません。「1~3月の活動報告」を見ていただいてもおわかりのように、この3ヶ月間、遠出といえば、礼拝説教奉仕のため、新潟に三度伺っただけです。高崎で新幹線を乗り継いでゆくのですが、新幹線は窓が開かず、空気の入れ換えができないというので、マスクをつけっぱなし、これでは、もう一つ旅の開放感はありません。
 朝のラジオ「マイあさ」で、札幌の方が話しておられた、アイヌの伝統保存食(何というのかは、忘れましたが)が無性に味わいたくなって、3月になったら行ってみようかと思い立ちましたところ、この計画も、3月になってみると、北海道に緊急事態宣言が出て、夢物語となりました。
 そんなわけで、この3ヶ月間、私にとっての慰めは、ここ軽井沢の空と木と本だけでした。ほぼ毎日の散歩で、この三者を通して、確実に御言葉の恵みに与からせていただいていることは感謝です(上掲、イザヤ書55:10~12をお読みください)。
 について言えば、私は、今、母校の大先輩、矢内原忠雄の本を読み直しています。私は、前号で報告したように、昨年11月29日の「信州神学研究会」で「カルヴィニズムより見た日本の天皇制」と題する発題講演を行いました。天皇制の問題は、言うまでもなく1回の発題講演で終わるようなものではなく、今回の発題もごく序論的なものだったのですが、この発題を準備する中で、内村鑑三とその門下の矢内原忠雄や南原繁等無教会の伝道者・学者たちの天皇制理解に関心をそそられました。そうして、私の伝道者生涯の課題である“日本におけるキリスト教有神的世界観確立と改革派教会の形成”を推進する上で、無教会キリスト教と対話することの重要性を自覚するに至っています。改革派キリスト教と無教会キリスト教との対話(注1)です。そのような対話の共通項あるいは論点となり得る事柄として、(思いつくままですが)次のような諸点を挙げることができます。

(無教会主義と改革主義―対話の共通項/論点)
 
 ①神の共通(一般)恩恵への信仰に基づく歴史観および人物評価(注2)
 ②聖書を神の言葉と信じる“聖書(御言葉)信仰”。
 ③創造論を基軸とした救済論創造の回復としてのあがない(注3)
 ④日本史とその中における天皇(天皇制)の位置づけ。
 ➄無教会主義とは何か(注4)。A.カイパーにおける「有機体として教会と制度としての教会」との比較において。

(敗戦直後の矢内原講演「国家興亡の岐路」)
 
 上述の「信州神学研究会」で、私は参考資料として、矢内原忠雄が、敗戦直後の1946年2月11日に大阪中之島公会堂で行った「国家興亡の岐路」と題する講演録をコピーし配布しました。これは、戦後75年を経た今日に至るまで、何ら有効性を失わない、重要な講演と認識したからです。原本は、1947年4月5日発行の矢内原忠雄著『日本の傷を医す者』(白日書院刊)で、わが家の書棚に眠っていたものです。これからは、「ICS軽井沢文庫」の「矢内原コーナー」に納めます。
当日は、この赤茶けた小冊子より15部コピーしたのですが、コンビニのコピー機では、明るさの調節ができず、赤茶けた紙の色までが濃いグレーに写ってしまって、どうにも文字が読めません。それで、専門のコピー屋さんに行って、色々と調節してもらい、やっと15部刷り上がったのです。その時の喜びたるや、「ハレルヤ、主よ、感謝します!」以外ではありませんでした。それでも、この店の女主人さんは、コピー代は、1枚につき10円、(プラス)仕分け代500円しか取らなかったのです。今の時代に珍しい人情のコピー屋さんでした。
 そんなわけで、この講演録、コピーの増刷はできないことはないのですが、読みにくいので、次号から何回かに分けて、この「ICS軽井沢文庫だより」に入力し、若干の解説も加えてご紹介できれば、と考えています。ご期待下さい。しかし、待ち切れないという方には、すぐにでも買える「岩波新書クラシックス」版、矢内原忠雄著『日本精神と平和国家』と、その解説とも言うべき、赤江達也著『矢内原忠雄―戦争と知識人の使命―』(岩波新書、2017年刊)を読まれることをおすすめします。
 この矢内原講演の後、数ヶ月で、「終戦後既に九ヶ月、敗戦祖国の再建は種々なる構想と方途によりて計られつつあると雖も、聖書に『神家をたて給ふにあらずば、建つる者のの勤労は空しく、神城を守り給ふにあらずば、衛士(えじ)のさめ居るは徒労(むなしきこと)なり』と、あるは真(まことなり」という格調高い文章で始まる「日本基督改革派教会創立宣言」が内外に宣言されます。悔い改めとキリスト信仰によって国を建て直すという精神において、矢内原講演と改革派創立宣言は一つだと私は考えています。しかし、前者には、矢内原が内村鑑三や藤井武から受け継いだ預言者的な洞察と熱意があり、後者には、歴史的改革派信仰による教会形成への強い使命感がみなぎっていますので、両者を併せて読むと、私たち自身も、今の時代/社会への使命感に目覚めさせられます。

(注1)「対話」について、R.マウが、次のように述べていることに注意。「…そして、それは、洞察が両者において発展してゆく、本物の対話でなければなりません」(R.マウ著、稲垣久和・岩田三枝子訳『アブラハム・カイパー入門キリスト教世界観・人生観への手引き―』102頁)。なお、「日本基督改革派教会創立宣言」(1946年)も、真のキリスト教会の公同性について、次のように宣言している。「我が日本基督改革派教会は、毫も所謂分派的精神に由来するものに非らず…道に従って成る教会の公同性、一致性は我等の最も重んずる所、我等の教会観の真髄なり。…改革派教会は宗教改革の原則を首尾一貫して主張する真の福音主義(エヴァンゼリカル)たるのみならず、更に真正なる公同性(カトリック)と正統性(オーソドックス)をも保有するものにして、聖書的、使徒的教会の再現を標榜する教会なり
(注2)比較研究のための資料として、例えば、内村鑑三の『代表的日本人』、南原繁の『母』、矢内原忠雄の『余の尊敬する人物』、アブラハム・カイパー著『イスラム教について』等が挙げられる。なお、南原の『母』の背後にある有神的・共通(一般)恩恵的世界観については、村松晋の論文「南原繁の『日本的キリスト教』構想」(『内村鑑三研究
』第52号、2019年4月号、13-17頁を参照)。
(注3)木下裕也「内村鑑三の非戦論―二元論的思考克服の観点から―」(『旧日本基督教会試論―教会・文化・国家―』第6章、特に273~278頁)、A.ウォルタース著(宮﨑彌男訳)『キリスト者の世界観―創造の回復ー』等参照。ここからキリスト教思想・哲学の可能性が生まれる。文化論、学問論、芸術論等を含むキリスト教有神的哲学・神学については、カイパーおよびその流れを汲むキリスト教哲学者(ドーイウェールト、ヴォレンホーフェン、トロント学派等)に学びたい。
(注4)内村鑑三における無教会主義については、最近出た岩野祐介著『無教会としての教会―内村鑑三における「個人・信仰共同体・社会」』(東京・教文館、2013、特に第3章「内村における信仰共同体の問題」)等参照


 L・ プラームスマ著、宮﨑彌男訳

『キリストを王とせよ―アブラハム・カイパーとその時代―』 


―第27号より続くー(今号分は、前号で記しましたように、入力したものが、パソコンの操作ミスで、全部消えてしまいましたので、改めて入力し直したものです。ご苦労様


第1章 19世紀の精神


革命と軌を一つにして


ハ. 進化主義

  進化主義は、ダーウィン以前からありました。すでに、1796年に、ラプラスは、自著『世界体系解説』を出版しましたが、その中で、彼は、神の名に言及することなく、太陽系の存在を説明しようとしました。この本を読んだナポレオンが驚き、その理由を訊ねたところ、彼は、「閣下、そのような仮説を私は必要としないからです」答えた、とのこと。
 このように、ラプラスの意見では、神は、人が必要とするかしないかはともかく、仮説にしか過ぎないのです。時を経ず、チャールズ・ダーウィンも、このような考えを持つようになりました。彼が“ビーグル号”に乗って、有名な航海に出たとき、ダーウィンはまだ自分はクリスチャンだと考えていました。道徳的な問題については、聖書を引用していました。しかし、そのうちに、彼は、聖書の奇跡、とりわけ、創造に関わる奇跡をそのまま受け入れることができなくなります。彼が考えた不変の自然法則を知れば知るほど、そのような信仰を持ち続けることができなくなったのです。
 1859年に、ダーウィンは、『種の起源』という有名な本を出版しました。この中で、彼は三つのことを主張しました。彼は、まず、少なくとも生物界のある領域においては、より単純な有機体からより複雑な有機体への漸進的な進化が起きていることを主張しました。彼は、この進化は“自然淘汰”即ち、適者生存によるものだと説明しました。更に、彼は、人類の起源は動物界に見出されるべきとの考えも公にしました。
 漸進的な進化という考えは野火のように拡がりました。それは、生物学や他の自然科学一般においてのみならず、言語学、法律学、心理学、社会学、経済学を始め、神学の諸部門にまでも適用されることとなりました。
  
   イスラエルの歴史は、古代文書に見られる単純素朴な考えから預言者たちの高度
  な一神教に至るまで、ヘブライ的宗教意識の段階的進化として理解することが
  できる。神は、長い進化のプロセスとして人を創造されたように、ご自身を進
  展的に啓示してこられた。その行き着く先がキリストである。20世紀の初頭に
  は、諸宗教の歴史(比較宗教学)においても、同じような形の説明が広く受け
  入れられるようになった(注11)

 進化主義は19世紀の特徴的な思惟パターンの一つでありました。この19世紀は、徹底した資料の研究と、それに付随して、多くの伝統的な考えをお伽話や言い伝え、神話として退ける、洗練された歴史的方法を特徴とする時代でした。それは、また、白人種の伸展、中央アフリカの発見、原始人の言語と習俗の研究が始まった時代でもあり、産業が大きな発展を遂げ、将来の限りない繁栄を約束するかに見えた時代、これと言った世界戦争がなく、一定の平和を享受することのできた時代でもありました。 
 一言で言えば、19世紀は大いなる期待と楽観の時代でした。新時代・新人類の幕開けを告げるかのような時代でありました。この世紀の終わりには、大いなる哲学者ニーチェが、この時代の精神を侮蔑する一方で、大いなる期待感を持って、来たるべき微笑む獅子、超人(Ubermensch)について語るのです。
 カイパーは、色々の形で、進化主義と対決しました。1899年にカイパーの告げた「われわれの19世紀は進化論の催眠術にかかって幕を閉じることとなる」(注12は有名です。
 19世紀の重要な思想家と言えば、徹底した無神論者、ルードヴィッヒ・フォイエルバッハを挙げなければなりません。その著『キリスト教の本質』において、彼は、キリスト教をイリュージョン(幻覚)、神という観念を人間精神の投影と断じました。フォイエルバッハはニーチェに影響を与え、ニーチェは神の死を宣言、キリスト教に由来する一切の価値を廃棄しようとしました。フォイエルバッハは、また、共産主義の生みの親で、ソビエト共産党の公認神学者となった、マルクス、エンゲルスにも影響を与えました。
 19世紀のオランダにおける最も有名な無神論者は、ムルタツーリ(本名:E. Douwes Dekker)です。彼は、このペンネームで、“Ideas” と題する多くの書を公にしました。「夜明け」と称する自由思想家の団体において、彼は、「ムルタツーリ師」と呼ばれていました。この団体は、あらゆる形の宗教に狂信的に反対し、多くの労働者を教会から遠ざけることに成功しました。
 “agnosticism”(不可知論)という言葉は、この同じ時代に英国のT・H ハックスレーによって生み出されました。彼は、この語との関わりで、使徒言行録17:23に言及しています。ハックスレーは、霊であろうが、物質であろうが、その本質を人は捉え尽くすことができず、それゆえ、形而上学は不可能であり、生きてゆく上で人間の主としてなすべきことは、悲惨と無知の軽減に努めることだと確信していました。
 このような不可知論のフランス的な表現を、私たちは、形而上学を知識の領域から完全に閉め出そうとしたコント(1798-1857)の実証主義に見出すことができます。 コントによれば、私たちがおおよそ識別することのできるのは、私たちが経験する現象だけです。コントは、その最晩年、人類の英雄・偉人を崇める神なき宗教を創出しました。

(注11)J. Dillenberger and C. Welch, Protestant Christianity, Interpreted Through Its Development (1954), p. 205.
(注12)「進化」と題するカイパーの講演の冒頭の言葉。


【1~3月の活動報告】


1月1日(水)2020年初日の出を喜ぼうと、家内を誘い、見晴らしの良いところに出かけたが、雲に遮られ、見ることはできなかった。行く道で、「テレビで見ました」という人に出会ったが、そんなのならばいつでも見れると、心の中で蔑むことしきり。今年も、私たちはノア契約(創世記8:22)の主を信じて、一年を過ごしたい。11時より、佐久会堂の元旦礼拝に出席、挨拶を交わす。午後は、年賀状に目を通す。私どものは、やっと昨日出したので、届くのは、2,3日後のことか。

1月5日(日)長野佐久教会(長野会堂)にて、新年主日礼拝奉仕(ヘブライ13:7~17)「十字架の血によって」。新年早々から十字架の説教?! はい、新しい年、新しい思い、新しい力のすべては、主が十字架上で、私たちのために流してくださった「血」のゆえに始まるのです(ローマ5:8)。ハレルヤ!

 1月12日(日)長野佐久教会(佐久会堂)にて、礼拝説教奉仕(ヘブライ13:1~6)「すべての人結婚を重んずべし」。国民的課題となった少子化の問題について、責任の一端はキリスト教会がその子女(“契約”の子供たち)に対し情熱を持って結婚を勧めなくなったことにあります。昔は、世話好きのおじさんおばさんたちが、信徒の子ら同士が何とか結ばれるように走りまわったものです。あの熱心、あの情熱を取り戻すために、どうしたらよいのでしょうか。聖書は強調します。「すべての人結婚を重んずべし」と。

1月19日(日新潟伝道所にて、主日礼拝説教奉仕(ヘブライ人への手紙12:1~3)「十字架の主を見つめながら」。新潟伝道所は、新潟駅南口から、高架の線路沿いに東へ15分ばかり歩き、馬越の信号を渡った所にあります。昨年、新会堂が建ちました。今年は、新しく、若い伝道所委員も選ばれるとのこと。楽しみです。

1月26日(日長野佐久教会の定期会員総会が長野会堂で行われた。牧野牧師が1月15日に脳梗塞で急遽入院され、リハビリ等のため、なお入院中であるので、大工原信幸委員が議長を務められた。滞りなく、無事に会員総会を行うことができ、感謝であった。牧野先生には,婚約中の姉妹が岐阜から来られ、お世話等してくださっているので、感謝である。主の御癒しを祈りたい。

2月2日(日長野佐久教会(長野会堂)にて、礼拝説教奉仕(ヘブライ13:1~6)「教会生活の三要素」。特に,賛美の喜びを強調した。良い働きも献げ物も賛美の心から出てくると、すばらしい。

2月9日(日長野佐久教会(佐久会堂)にて、礼拝説教奉仕(ヘブライ13:1~6)「金銭に執着しない生き方―主はあなたを見捨てない―」。午後、男子会で、「信徒の手引き」を読む」。

2月22日(土牧野先生は、本日、午前中に退院、牧師館に戻られ、午後1時半より、井上有子姉と結婚誓約式を挙げられた。司式は濱民雄引退教師、立会は相場郁朗長老夫妻。私も列席して、お二人の結婚を祝福した。有子姉は、中部中会引退教師である井上二郎先生の長女で、私の大学の後輩でもあるが、これで、晴れて牧野夫人として牧師館に入居し、色々の形で教会にもご奉仕くださることとなる。主の導きを覚えて感謝する。

2月23日(日) 新潟伝道所にて、主日礼拝説教奉仕(ヘブライ人への手紙12:4~13)「主の鍛錬」。新型コロナウィルスの感染が広がる中、マスクを着用しての礼拝奉仕でしたが、説教台と会衆席が十分離れていたので、さすがに説教の時だけは、外して語りました。

3月1日(日長野佐久教会(長野会堂)にて、礼拝説教奉仕(ヘブライ13:15~17)「指導者たちに従いなさい」。

3月8日(日長野佐久教会(佐久会堂)にて、礼拝説教奉仕(ヘブライ13:7~8)「彼らの生涯の終わりを見て」。礼拝後、「世界祈祷日の集い」でジンバブエの教会のために祈る。

3月29日(日) 新潟伝道所にて、主日礼拝説教奉仕(ヘブライ人への手紙12:12~17)「聖なる生活を追い求めなさい」。きよい生活を求めることと、仲間を大切にする隣人愛の実践は一つのこと。



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