2020年12月25日金曜日

「ICS軽井沢文庫だより」第33号

巻頭言

「伝道は出て行くこと」

宮﨑彌男



 前回の「ICS軽井沢文庫だより」(第32号)で、「伝道は聞くことから」と書いたのですが、数名の読者諸氏よりポジティブなコメントをいただき、気を強くしています。特に、中
中根先生からのクリスマスカード
汎信先生からいただいたコメントは,いやが上 にも,勇気づけられましたので、ゆるしを得て、この号に掲載させていただきました
(注1)けれども、その後、「伝道」について書き加えたいことができましたので、前号で書いたことに加えて、今一度このテーマを取り上げ、伝道について論じたいと思います。それは、「伝道とは出て行くこと」だということなのです。ウィズ・コロナの時代にそぐわないテーマなのかも知れませんが、御言葉から教えられたことなので、お分かちしたいと思います。 私は、今、長野、佐久、新潟の伝道所で、それぞれ月1回の説教奉仕をさせていただいていますが、そのために、新約聖書の第5番目の書「使徒言行録」を学び始めています。特に、その中で、聖霊がどのように使徒たちを導いて、世界伝道の使命へと向かわせたのかに興味を持ち、改めて学び始めているところです。このことについて、主イエスは、同書1:8で、弟子(使徒)たちに、次のように言っておられます。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」と。聖霊の導きと力によって、イエス・キリストによる救いが、エルサレムから始まり、ユダヤとサマリアの全土、さらには、「地の果て」にまで伝えられる、との主イエスのお言葉です。そのために、使徒たちと新約の教会が「主の証人」として用いられるのです。このような、「聖霊の導きと力による世界伝道」こそが、使徒言行録全体のテーマであると言っても過言ではありません。この点について、わたしは、榊原康夫著『使徒言行録講解1』(pp. 52~55)から、伝道についての大切な事を教えられました。曰く、旧約聖書の宗教が「全世界の宗教」となるのは、“地の果てからシオンに巡礼してくる”、”もろもろの国からエルサレムへ、シオンへと巡礼して、そして、シオンの神を礼拝する”という形を取る(イザヤ書2:2,3、ゼカリヤ書2:14-17、8:20-23等々)のに対して、新約聖書における伝道は、「あなたがたは、地の果てに至るまで」、こちらから『地の果てに至るまで、わたしの証人』として証言する」のだ、と。すなわち、旧約聖書の預言では、イスラエルは、国々の人々が神の救いを求めてエルサレムに巡礼してくるのを「迎える」のに対して、新約聖書においては、教会は全世界に「出て行って」、主の証人となる、という全く逆の方向性を持つと言うことです。 このことを私なりに言い換えれば、旧約から新約へという聖書啓示の歴史の中で、「迎える」伝道から「出て行く」伝道へという進展が見られるということになります。もしそうであるならば、新約聖書における伝道に特徴的なことは、「伝道とは出て行くこと」とます。「訪ねる伝道」と言い換えても良いでしょう。
 「訪ねる伝道」と言えば、クリスマスは、「神の訪れ」の時です(ルカ1:68, 78))。
神が「暗闇と死の陰に座している」私たちを訪(たず)ね、「いかがですか」と、安否を尋(たず)ねてくださる。このような慈しみ深い主の来訪を受けて、今度は私たちが「出て行って」クリスマスの伝道(ご挨拶)をするのです。多くの方たちを教会にお招きし、お誘いして、主のご降誕を喜び祝うのです。
 「主の証人」たるキリスト者にとっては、、これは、実はクリスマスの時だけではありません。普段の主の日(日曜日)も、礼拝集会において、主の来訪を受け、御言葉をいただき、聖霊によって全世界に遣わされて、伝道するのです。もっとも、「全世界に遣わされる」と言っても、必ずしも、私たち皆が、アフリカのガンビアに行って主イエスの福音を伝えておられる川島利子姉のように、海外伝道に従事することではないでしょう(注2)。むしろ、一人ひとりが置かれた状況の中で、人が来るのを待っているのではなく、自ら腰を上げて、困っている人を訪ね、主イエスを証するのが、聖書の教える伝道です。
 このような伝道へと、主は私たち一人ひとりを、また私たちの教会を召しておられます。アーメン

(注1)
 宮﨑彌男先生
「ICS軽井沢文庫だより」第32号、ありがとうございました。
「伝道は聞くことから」、まったく同感です。
聖書に、キリストの言葉に聞く。神学と瞑想・・・
伝道の対象である日本についての理解。日本・人間理解・社会学や歴史学・・・
この二つは伝道者に不可欠な学びですね。
神学と適用、そのかなめは祈りでしょうか。…
 中根汎信
 
(注2) 川島姉がガンビアで、どのような伝道の働きをなしてこられたか、最近送られてきた「川島姉同労会ニュース」第80号を読めば、よくわかります。この号は、改革派教会外国教会関係委員会から最近、3名の方がガンビアを訪問された報告の特集号ですが、その中のひとり菅原愛姉は、当地での川島姉の働きをつぶさに見て、「宣教の模範を学ぶことができた」と言っておられます。団長として行かれた芦田高之先生も,同姉の働きを正に「善きサマリア人の働き」と言って賞賛しておられます。




L. プラームスマ著

  『キリストを王とせよ―アブラハム・カイパーとその時代―』

          宮﨑彌男・宮﨑契一訳

          ー第32号より続くー

 

第3章 オランダの状況


 国教会と諸教会

  オランダ改革派教会は、革命前の 2 世紀にわたり、特権のある国教会でした。そ の後、1796 年の法令により、(この法令はって、1798 年の憲法において批准されたのですが)、 既存の全ての宗教共同 体が平等とされ、教会と国家の分離の原則が確立されました。 現実には、それ以前からに公職を得るためには、国教会の会員としての身分が要求されていたと しても、多くの教会が共存していたのです。オランダは長い間、ヨーロッパにおけ る最も寛容な国の一つでありました。ローマ・カトリック教徒は様々な所で、秘密の教会(schuilkerken)を持っており、いわゆる「普遍の土地」(現在のブラバント州とリンブルク州)の 人口の大部分を構成していました。1724 年以来、その場所にはローマから独立した古カトリッ ク教会がありました。特にフリースランド州においては、レモンストラントの集団や様々な ルター派教会については言うまでもなく、多くの教会で構成されたメノナイトの信徒団体 も存在したのです。 これらの教会や教会グループには、かつてはそれぞれに独自の特色がありましたが、18 世紀の啓蒙主義思想はその信仰基準とそれに対する確信とに大きな破壊をもたらしました。ローマカト リック教会を除く全ての教会は、共にこの時代の国家主義と道徳主義に惹きつけられてしまったのです。 もう一つの合同の力は、オランダ君主、ウィリアム1世によって行使された影響力でし た。彼は、1817 年に自国のルター派と改革派の教会を合同したプロイセン王、フレデリ ック・ウィリアム3世のいとこでした。オランダ王が彼の父親の王位を回復する以前に、彼 は既にいくつかのより小さなドイツ諸州を統治しており、そこで彼は彼の臣下たちに対 して父親譲りの態度、つまり啓発された専制君主の態度を取ることに慣れるようになった のです(注 1)。 ウィリアムは神から与えられた王としてオランダを支配したがっていましたし、教会の 問題を適切な方法で解決するために自分は召されたと感じていました。彼の右腕は国の長 官であったヤンセンでした。彼らの主な考えは、全てのプロテスタントの国民を一つのプロ テスタントの教派に統合することにありました。その最終的な結果は、オランダ改革派教会 の自由の廃棄となりました。1816 年に提出された国王の法令により、教会統治の古い長老制は、王が全国の長老会の議員を指名するという新しい制度に取って代わったのです。 この計画の確立にあたり、王には2つの目標が念頭にありました。第一に、彼は、自分は良きクリスチャンの王でありたいと考えていました。結局のところ、彼は神聖同盟の時代に生きていたのです。彼は、全国的な一つ教会のメンバーとして、キリスト教的一致の中で生きたいと願っている国民の父親でありたいと思っていました。第二に、彼は教会のために統一組織 を求めました。

(オランダ語入門書)

 彼は決して教理における一致を求めはしませんでした。彼は徐々にそれが起きることを望 んでいたかもしれませんが、教理問題が起きた時、取りあえずは、教会の全ての会員に 他者に対して寛大であるように望んだのです。したがって、この国王の法令には、それ まで用いられていたものとは異なる教職/教会役員のための新しい形式の署名が含まれました。つま りそれは、今から後、教職/教会役員候補者は「神の言葉に基づいて受け入れられた一致条項の教 理」を受け入れ、信じることを宣言しなければならないというものでした。 この言葉は、正統派の方法でも、自由主義の方法でも解釈され得るものでした。その信仰箇条 が神の言葉に基づいているために(quia)受け入れられるべきであることを意味し得たし、 一方で、それが神の言葉に合意している限りにおいて(quatenus)受け入れられるべき であることも意味し得たのです。両方の立場が可能であったために、両者の内、より緩やかな立 場が勝利しました。それ以来、教理の自由がオランダ改革派教会の特質となったのです。 後にカイパーは、信仰告白の署名がどれほど単に形だけのものになっていたかを指摘し ました。彼が非常に尊敬していた教会史の教授、N. C. キストは、あるオランダの歴史雑誌に、ドルト 信仰基準の下での当時のライデン大学の教授たちの署名の複製を載せましたが、こ の教授たちの内 2 人は、(キスト自身もそうしていたのですが)公然と信仰基準を拒絶していたのです。カイパーはこれを「不可解な署名」、また「心理的問題」と呼び、単に本人 の名前を署名するだけでは、その人が忠実であることの保証とはならないことを指摘しま した(注 2)

  ウィリアム王の法令は、抗議と混乱を引き起こしました。アムステルダム中会が、先ず、この 新たな教会の取り決めに抗議し、他の 7 つの中会がそれに従いました。これらの全ての中会 は解散させられ、こうして抗議者たちの口は沈黙させられることになったのです。    1834 年の分離(afscheiding)が、王の思い上がった一致を目指す秩序を崩壊させました。国の 多くの地域の若い牧師たちは 1 つとなって、大会に健全な教理を擁護し、異端に抵抗 するように求めました。彼らは免職させられるか、候補者である場合には、牧師職に就くことは全く 認められませんでした。彼らが純粋に改革派の特徴を持つ自由教会を始めた場合には、当時の 寛容な自由主義者たちによって反対され、抑圧され、迫害されました。それにも かかわらず、彼らの教会は堅忍し、増えていったのです。50 年後には、その会員数はお よそ 30 万人に達していました。 

 彼らの多くは、2 人の牧師、ファン・ラールテとスホルテの指導の下、最終的にはア メリカ合衆国に移住しました。これらの移住者の中に、北米キリスト改革派教会を建てた父祖たちがいたのです。

(注1) A. Goslinga, Willem I als verlichtdespoot (1918)を見よ。

(注2) A. Kuyper, De Leidse Professoren en de Executeurs der Dordtsche Nalatenschaap (1879), p. 83.   


【11月の活動報告】


11月1日(日)長野佐久教会(長野会堂)にて、主日礼拝説教奉仕。「聖霊による洗礼」(使徒言行録1:3~5)。主イエスは、「聖霊と火による洗礼」を授けるお方(マタイ3:11)。このことは,先ず,昇天後のペンテコステにおける聖霊降臨において実現したが、以後も「父と子と聖霊の名による洗礼」を受けた信徒に与えられる聖霊の祝福を意味する。この聖霊によって信徒は,「主が生きておられる」ことを知り、御言葉によって生きることができる。

 11月8日(日)長野佐久教会(佐久会堂)にて、主日礼拝説教奉仕聖霊による洗礼」。使徒言行録1:3~5)。「苦難を経て栄光へ」というキリスト者の人生観を実践に移すためには、キリスト者がすべて受ける「聖霊による洗礼」が必要。「聖霊を信じ、愛し、従って行こう」(「信仰の宣言ー聖霊について」一参照)。

11月22日(日新潟伝道所にて礼拝説教奉仕。「生きておられる(使徒言行録1:1~5 )。苦難を受けた後、復活して,今も生きておられる主イエスを私たちは,聖霊によって知り、従って行く。使徒言行録はそのための良い手引きである。
 長野佐久伝道所の大工原照富兄が、新会堂が出来てからの新潟伝道所の礼拝に一度出てみたいとのことで同行、日頃から「ICS軽井沢文庫だより」も読んでくださっているので、午後の「カイパー読書会」にも出席された。兄は、今年93才であるが、私等よりも元気だ。畑仕事と趣味の絵を描くためにしばしば旅行等されるからであろうか。行き帰りともご一緒したが、帰りの新幹線では、マスク越しにしゃべり放しで、意気軒昂。ウィズ・コロナの時世、車掌が来れば、注意されたかも知れない。
 当日は、礼拝後(午後1時半~3時半)、第2回「カイパー読書会」を行った。出席者は、樋口広祐、大工原照富、宮﨑の3名。ラングレーの『政治的霊性の実践』第1章「反革命党の100年」(宮﨑訳)を読んだ。読む中で出てきた問題点は,①humanismのここでの意味、②secular のここでの意味、等。いずれも、カイパーや、の彼の(先達的)同志フルン・ファン・プリンステラの思想を理解する上で中心的な重要性を持つ語なので、この読書会で今後とも取り組むべき課題である。とりあえずのこととして、①secular(世俗的)は、「神を前提としない」,「非キリスト教的」の意味で用いられる場合が多い。また、② humanism/humanist/humanisticは、「ヒューマニズム」「人道主義」よりも、「人本主義」「人間中心主義」といった、宗教的意味合いにおいて用いられている場合が多いように思われる。次回は12月27日の予定。


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【ICS軽井沢文庫】

「ICS軽井沢文庫」は、日本におけるキリスト教有神的世界観人生観の研鑽と普及のために、2016年6月14日に、軽井沢町追分36-23に設置された文庫です。“ICSInstitute for Christian Studies)は、この文庫が、日本における (改革主義)キリスト教学術研修所(大学院)の設置を目指していることを告白するものです。また、最近は、日本におけるキリスト教政党立ち上げのヴィジョンも与えられつつあります。文庫設置の経緯については、「ICS軽井沢文庫だより」第1号(2016.6.14)をごらん下さい(ラベル「ICS軽井沢文庫だより」第1号をクリック)。シャーローム。



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